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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層前――天の樹海に魂の帆をかけた冒険者達・9

 気候学者の分類によれば、ハイ・ラガードは『亜寒帯気候』に分類されるそうである。夏はそれなりに暑いが(それでも平均すれば自治都市群あたりよりは涼しくて過ごしやすい)、冬の寒さはかなり厳しい。そして、昼夜の温度差が激しい。
 いくら世界樹の力のおかげで住みやすいといっても、限度はある。世界樹から離れれば、作物が限定されるということだ。高地であることも手伝って、夏はまだしも、冬になると全滅に近い。事実、ハイ・ラガードでは夏の間に採った果物をジャムやコンポートにして保存するのだそうだ。
 現在は夏に向かう頃合い、郊外に広がる大農地で、春に種を蒔いた小麦が青い葉を風になびかせているのが、馬車の中からも確認できていた。寒さに強いジャガイモも、植えられていることだろう。しかし、そういった作物の収穫期は、多くが秋であり、目の前に並んでいる料理の食材は、前年に収穫されて貯蔵されていたものに由来するものが多い。
 ところで、この世界の秘密を知る『ウルスラグナ』としては、どうにも不思議に思うことがある。
「――てわけでだ、そのヴィズルってヤツが言うのが本当なら、この世界のほとんど全部は、森の上にできてるってわけだ」
 エルナクハは、自分達が知った秘密を惜しげもなくフィプトに語る。仲間となったからには当然の話、むしろ、センノルレとは別の意識を持つ者としての意見を知りたいところである。
「けど、麦畑やジャガイモ畑を作ったりするのに大地を掘り返しても、森が出てくるわけじゃないだろ? ちゃんと土、土、土、土だ。第一、地下に樹海がある、って騒がれたのは、エトリアが最初のはずだしな。考えれば考えるほど、不思議なものでよ」
「そうですね……」
 エトリアの秘密を知ったフィプトは、最初こそ信じられないという面持ちだったが、すぐに『事実』を受け入れた。はじめに『仮定』ありき。それが真か偽かは、探求にて明らかにするべきこと。ありえないと一笑に付して跳ね除けてはならない――そうとでも考えているかのようであった。それは錬金術師としての姿勢なのかもしれないが、冒険者とてまずは『目の前の事象の肯定うけいれ』から始まるもの、フィプトは案外と早く冒険者稼業に馴染めそうである。
「『世界樹計画』からどのくらい経っているのか、小生にはとんとわからぬところですが……」
 金髪の錬金術師は、目を閉ざし、しばし考え込む。
「この世界には火山がある。火山が噴火すれば、溶岩が森を焼いて灰にする。火山灰が降り積もる。そうでなくても倒木が腐って土に還る。千年もあれば、そこそこの大地ができあがるように思えます。人間ごときの力では、偽りの大地を掘り進んで、その下の森を見いだすのは、不可能に近いでしょうね。まして『真の大地』を見ることができる者はいないでしょう。――『世界樹の迷宮』を進んで、前時代の街を見いだした者以外は」
「やっぱり姉弟弟子か、ノルと似たような答を出す」
 別論を期待していたエルナクハは少々残念に思ったが、失望したわけではない。同じ師に学んだためか、考え方が似ているだけのこと。それに、二人が共通して同じ答を出したということは、つまりそれが真実である可能性が高い、ということかもしれないのだ。
 ところで、『真の大地』を見た数少ない人間のうちの幾人かである『ウルスラグナ』だが、それどころか仲間に前時代人がいたりする。が、エトリアの秘密についてはすんなり受け入れたフィプトも、メディック・アベイが前時代人であることは、にわかに受け入れがたいようだった。仕方があるまい、目の前の人間が千年生きていることを受け入れろ、というようなものなのだ。
 しかし、結局、フィプトはその現実も受け入れることになった。
 フィプトは錬金術師として、主に氷系の術式の研鑽をしていたという。学舎である『共和国』アルケミスト・ギルドでの呼称では、『白化アルベド』――氷使いというそうだ。ちなみに、炎系を研鑽していたセンノルレは炎使い――『赤化ルベド』だそうである。さらに余談だが、ライバルギルド『エリクシール』のアルケミストは雷使いで、それを『黄化キトリニタス』と呼ぶらしい。
 氷使いアルベドたる彼は、錬金術で生み出された氷や冷気が実生活でも役に立つ方法がないか、いろいろと研究していたそうだが、その成果を、新たな仲間である『ウルスラグナ』に披露することになった。
 食事の後に披露された『成果』は、どこにでもありそうな、柄の一つもない素っ気ない壷である。どこから持ってきたのかというと、食事前にオルセルタが叩いていた鍋の中からだ。取り出すときにフィプトが分厚い手袋をしていたのを皆が訝しがったが、理由はすぐに知れた。壷は強烈な冷気を放っていたのだ。傍にいるだけなら我慢できなくもないが、素手で触れるのは難しいだろう。
「氷の術式を発動するときに使う触媒を仕込んでありましてね、物を低温で貯蔵できるんです。おかげで夏場に腐りやすい物も、比較的長く保存できるんですが――触媒の反応量の都合上、今のところ五日が限度でしてね」
 つまりは、壷に仕込んだ触媒は短期間しか保たないということだ。
「……とまぁ、ここまでは、小生だけじゃなくて、アルケミスト・ギルドの氷使いアルベドがこぞって研究していたんですけどね」
 言葉を続けるフィプトは、心なしか、誇らしげに見える。
「ここにある壷は特別で、短い間に強烈な反応をするように触媒を調合してあります」
「つまり、長持ちより、強烈に冷える方を選んだ、ってこと?」
「ええ、その通りです」
 パラスの確認に、フィプトは頷いて返した。
「で、この壷の中に、卵と生クリームと砂糖を混ぜた物を入れて、たまにかき混ぜて……と」
 フィプトは壷の中に玉杓子を突っ込んで、中の物をすくい上げる。手近な皿の上に載せられたそれは、デザートというからには食べられる物なのだろうが、『ウルスラグナ』の誰も見たことがないものであった。――否、ただひとり、アベイだけが、今現在より数千年は昔に、それを見て食したことがあった。
「懐かしいな、アイスクリームじゃないか」
「アイスクリーム?」
 確かに、謎の物体は、『凍ったクリーム』と呼ぶべき様相をしている。だが、単に凍らせただけとは、何かが違う。
 フィプトは瞠目し、ややあって、何度も頷いた。
「……なるほど、あなたが前時代人であることも、事実として受け止めるべきでしょうね」
「どういうことだ?」
 アベイが問うところに、金髪の錬金術師は、謎の食べ物を勧めながら答える。
「この食べ物のレシピはね、アルケミスト・ギルドに保存されている石板に載っていたものなんですよ。いつの時代のものかはわからなかったんですけれど、千年以上は経っているとの推測がなされています。へたをすればもっと古い。もちろん、ギルド外持ち出し禁止。中を知る者はアルケミストだけ。この情報自体は機密ではないから、誰かがアルケミストから聞いていてもおかしくはないですが、だからといって、あなたのように、完成品を見るなり名前を言い当てられるとは思えません」
「石板に料理のレシピ、か……」
 誰がそんなことをしたのか、もはや知る術はない。だが、知った事実と伝説とを繋ぎ合わせれば、前時代と現在との間には、『暗黒の時代』と呼ばれた時間があることが浮かび上がる。その時間がどれほど長かったのかは、わからないが、もしも件の石板が『暗黒の時代』に由来するものだとしたら――全てを失った人類は、せめて自分達の存在の証だけでも残そうと、頭の片隅にある益体もない情報や、先祖から伝えられた物語を、朽ちぬ石に彫りつけたのだろうか。
 もしも他の石板も存在するのなら、その中身を知りたいものだ。かつて生きた者達の思い出を。
「それはともかく、食べてみてください」
 ほら、と、フィプトは再度アベイに『アイスクリーム』を勧める。請われるままにメディックは匙で『アイスクリーム』をすくい上げ、ぱっくんと口に入れた。
「……んー、旨い。工夫すればもっと旨くなると思うぜ」
「本物の『アイスクリーム』を食べたことがあるあなたがそう言うなら、それほど外れた味じゃないみたいですね」
「オレにも食わせろよ」
 エルナクハが空のデザート皿を差し出して要求するのに、フィプトは苦笑いしながらも『アイスクリーム』をよそう。もちろん、他の者達の皿にもデザートが並ぶ。
「んー、冷てー、うめー」
 未だかつてない食感のデザートに舌鼓を打つ冒険者一行。
 塩を混ぜた氷で果汁を冷やし固めたタイプの氷菓ぐらいは、昔からあるのだが、舌の上でほろほろと溶けていく儚さ、それでいて、かき氷のように頭にキーンと来ない優しさは、それまでのものにはありえない。
「アベイ兄、アベイ兄、昔の人間は、他にもうまいもの、いろいろ食べてた?」
「んー、どうだろうな……」
 最年少のソードマンの無邪気な問いかけであるが、メディックの青年は静かに首を振る。
「俺は研究所――医院に入院してたから、元気なヤツらがどんなものをどんだけ食べてたのか、あんまりわかんないんだよ」
「……ごめん、アベイ兄、病気だったんだっけ」
「謝るこたないさ。教えてやれなくて悪いな、ティレン」
 心底申し訳なさそうに、アベイは手を伸ばし、ティレンの肩を叩いた。

 大分話がそれたが、腹がくちくなったからには、そろそろ、樹海に最初の足跡を付ける者が誰か、という話を進めなくてはならない。
 繰り返しになるが、パラディン・エルナクハとメディック・アベイが赴くことは、ほぼ決まったようなものである。いずれも『未知の地より生還する』ためには欠かせない技術を持っている。
 そして、乾杯直前にパラスが言ったように、攻撃手の補強が必要なことも確かであった。
 前衛に向いた者は、ダークハンター、ソードマン、ブシドー。しかし、ブシドーの少女は、今回は樹海には入らないという。
「理由は、言っても構わないことなのか?」
 ギルドマスターが水を向けると、絹のように細くさらさらの髪を短く切りそろえたブシドーは、何の躊躇いもなく頷いた。むしろ宣したくてたまらなさそうに見える。
 そういえば、シトト交易所を辞したあたりで話が出たときも、そうだった。自信に溢れた笑みを浮かべて、期待しろ、と言い放ったブシドーの娘。
「なら、言ってみろ、ほのか」
 エルナクハがさらに水を向けると、焔華は再度頷く。
 昼間の一時と同じように、誇らしげに口角を上げ、彼女達東方の剣士が戦う相手に名乗りを上げる時のように、背筋を伸ばして、仲間達を見回したのである。
「わちは、これからブシドーの誇りを捨てに行きますえ」
 その言葉は、仲間達の思考内に、大爆炎の術式にも似た衝撃を生じさせた。
 ブシドーにとって誇りは絶対だ。たとえその誇りで自身が不利になろうとも、余程のことがなければ、その骨子が揺らぐことはない。否、骨子が揺らがない者こそが、ブシドーなのだろう。エトリアにて刃を交えた『氷の剣士』が、信念に殉じて『ウルスラグナ』の前に立ちはだかったように。
 それを、安堂焔華は『捨てる』という。
「勘違いなさらんでほしいし。今までのブシドーの誇りは捨てても、武士・安堂焔華の誇りを捨てる気はありませんえ」
「でも……」
「古いブシドーの誇りにかかずらっとっては、この先、わちは皆様とは戦えませんわ。せやから新しい『道』を求めに行くんですえ」
「新しい、道、か」
 人生とは常なる『道』の模索、とは、誰が言った言葉だっただろうか。エルナクハには難しいことはよくわからないけれど、迷いのない人生などない、ということは、わかるつもりだ。『氷の剣士』とて、信念に到達するまでには幾多の迷いがあっただろうし、まして未熟者たる自分達は人生の迷子の記録更新中のようなものだ。
 あるいは『道』の果てなどというものは存在しないのかもしれない。
 固すぎる『信念』、それは道の真ん中に鎮座した巨岩のようなものだ。他者との軋轢を生み、他者を傷つけるか、自らが跡形もなく砕けてしまう。だから――結局は人は、死ぬまで『果て』を見いだすことなく、何かを求めて『道』を探し続け、固い信念を、砕かずにおきながら丸くしてゆくのが、最善なのかもしれない。あくまでもエルナクハ個人の考えではあるが。
 何にせよ、焔華は、『ブシドーの誇り』という古く固すぎる巨岩の上に安住することをやめると決めたのだ。
「結構、かかるのか?」
「わかりませんし。でも、先達のおかげで行き先には迷わずに済みそうですえ」
 ブシドーの娘が言うには、酒場での一時、彼女は冒険者の先輩であるブシドーとの知己を得たらしい。同じく酒場にいた面々は、そういえば、と、焔華が先客たるブシドーらしき青年と語らい合っていたことを思いだした。その青年は、焔華が目指す『道』を知る集団に属しているという。
 先導の星を見いだし、新たな道を行こうとする仲間を止める理由は、『ウルスラグナ』の誰にもない。さらなる成長の礎になるというなら、なおさらのこと。
 それに、変な言い方になるが、焔華がいなくても『ウルスラグナ』は何の問題もなく機能する。彼女の不在時を心配することもない。
「うし、存分に極めてこいや、ほのか」
「ありがなー」
 故郷の訛りの強い感謝の言葉を、ブシドーの娘は口にし、ギルドマスター始めとする仲間達に深々と頭を下げたのであった。

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