←テキストページに戻る
10 11
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層前――天の樹海に魂の帆をかけた冒険者達・2

 冒険者ギルド統轄本部に到着した時、時刻は午前九時少し前を指していた。
 エトリアでもそうだったのだが、冒険者が互いに寄り合って作り上げた一集団単位を『冒険者ギルド』といい、かの施設は街に集まる冒険者ギルドを管理する立場にある。よく『冒険者ギルド』と略されるため、一集団単位の方の『冒険者ギルド』と紛らわしいが、そのあたりは話の流れや文脈からの判断を求められていた。
 行政区にほど近いところにある、冒険者ギルド(統轄本部)の建物は、数ヶ月前より始まった樹海探索のために供されたものにしては、立派なものだった。自治都市ならば執政院の建物に使われていてもおかしくない風格からは、ハイ・ラガード大公が冒険者達に寄せる期待の程が伺える。
 その立派な建物の、やはり立派な門構えをくぐり抜け、『ウルスラグナ』は冒険者ギルドの中へと足を踏み入れた。
 内部は静けさに支配されていた。冒険者の登録の他、登録済みの冒険者が樹海探索班を変更するなどの諸手続の度に立ち寄る必要がある施設だが(エトリアと同じ仕組みなら、だが、たぶん一緒だろう)、今は、早朝から樹海へ赴くことの多い冒険者達の来訪も、一段落付いた頃合いだと思われる。数人の衛士が、部屋奥の棚の前で書類らしきものの整理をしている以外の、大きな動きはない。
 棚の前の、入り口側から見れば左方を向いた大きな黒檀の机に、全身鎧を着込んだ騎士が向かっていた。
 驚くべきことに、兜まで着用しているので、性別すら定かではない。兜の下方からこぼれ落ちる、波打った長い金髪からは、女性との印象を受けるが、髪の長い男も普通にいるから決定打ではない。他の者達とは一線を画した雰囲気の彼(という三人称を、性別がはっきりするまでは使うことにする)が、ギルド長――冒険者ギルド統合本部執務役なのだろう。
 彼はどうやら執務をしているようだったが、『ウルスラグナ』の気配に気が付いたのか、やおら立ち上がり、見回すかのように、兜に覆われた頭を廻らせた。かつん、と床に突かれたのは、鞘に入ったままの儀礼用の剣である。肩当てにある紋章からは、彼が確かにハイ・ラガードの正騎士であることが読み取れた。
「ん……」と、兜に阻まれて少しくぐもった声が、吐き出された。やはり、男女の区別ははっきりしない。
「お前たち。見ない顔だが、旅の冒険者か?」
「ああ」
 エルナクハは躊躇うことなく答えた。
「だとするなら、その目的は――」
 さらに言葉を紡ぐ騎士の次なる声を先取りするかのように、
「当然、世界樹の迷宮の探索だ」と、紫陽花の騎士は続ける。
「ふ……」と兜から出された音は、その中の騎士が笑ったがためのものだろうか。
 騎士は再び頭を廻らせた。居並ぶ冒険者達を値踏みしているようにも見える。ふと、ギルドマスターの盾に目が留まったようだった。横方向だった首の動きが、今度は縦方向に変更される。まじまじとギルドマスターを観察すると、ようやく、言葉を続けた。
「『百華騎士団』の紋章の盾を持つ、黒色民族の青年……そうか、お前たちが」
 納得するかのように、数度頷く。
「エトリアの街を救ったという伝説のギルド、『ウルスラグナ』か……」
 救った、という言葉を耳にし、冒険者達に苦笑が浮かぶ。
 一体全体、ここハイ・ラガードに、エトリアの顛末はどのように伝わっているのか。
 しかし、少なくとも敵意を持たれている解釈ではないようだったので、この場は黙って、ハイ・ラガードの騎士の言葉を待つことにした。
「お前たちが来るだろう、という話は聞いている。待っていたよ」
 話をしたのは、おそらくは錬金術師フィプトであろう、と冒険者達は思った。『ウルスラグナ』がハイ・ラガードを訪れることを知っているのは彼だけのはずだからだ。あるいは、エトリアでも見知った冒険者達が、「『ウルスラグナ』は必ず来る」と宣していたのかもしれないが。
 エルナクハは騎士に一歩近付くと、口を開き、問いを投げかけた。
「オレらは、ここで登録をすればいいのか」
 答は単純明快。
「無論だ。お前たちに、その勇名を再びこのハイ・ラガード公国で轟かせる気があるのならば、な」
 騎士は続けて何かを言うつもりだったようだが、ふと言葉を切った。
「ふむ……」
 とつぶやいた言葉は、少し残念そうに聞こえる。
「微妙なところだな、お前たち」
「何がだよ?」
「明日であれば、年の初めという記念すべき日に、お前たちの再起を轟かすことができたであろうに」
「そんなもん、いいよ」エルナクハは苦笑して手を振った。
 騎士は軽く剣を床について小さな音を立てると、再び問う。
「一日遅らせなくていいのか?」
「いいって! 年始めだろうとなかろうと、ギルドの中身に変わりあるわけでもねぇ!」
「……そうか」
 騎士の返答は、いささか残念そうでもあった。
 まったくもう、とエルナクハはぼやくのみだったが、彼の仲間の中では、それだけでは済まさない者がいた。
「年の初めって……ハイ・ラガードでは初夏が年の初めになるのぉ?」
 吟遊詩人マルメリである。余所とは違う暦に、興味が出たのだろう。
 騎士は吟遊詩人に顔を向け、
「うむ。我らが始祖が『空飛ぶ城』から大地に降り立った、という明日、皇帝ノ月一日が、ハイ・ラガードの正式な新年だ」
 胸を張っているような印象を感じさせる声音で、説明を始めた。
「そうだな……他国とは、半年ばかりずれがあるな。昔ならいざ知らず今は、祝いごとなどは他国の暦に合わせて行っていることが多いから、明日も、『新年』というにしては、華やぎはないものになるだろうが……」
 再び、騎士は軽く剣を床について小さな音を立てると、またも問う。
「そんな地味な新年でも、記念にはなるだろう。一日遅らせなくていいのか?」
「だからいいって! しつこいなぁ!」
 エルナクハはやけっぱち気味に叫んだ。
 だが、そうしながらも、内心で思う。
 つまりは、この騎士は、個人的にも『ウルスラグナ』に多大な期待を寄せているのだ。だからこそ、公国の大事な日取りに合わせてギルドの名乗りを上げればいいのに、と気を回している。その気持ちは大変にありがたいのだが、ハイ・ラガードの新年に思い入れがない身としては、ちょっと勘弁してほしいところであった。

 ギルド登録自体は問題なく終わった。各々の手による署名がされた書類に軽く目を通すと、ギルド長は頷いて口を開く。
「ところで、エトリアからの手紙を預かっているのだが」
「誰から?」
 とティレンが声をあげたのは、彼にはエトリアから手紙をくれる者の見当が付かなかったからであろう。
 ギルド長が雑用をしていた衛士に声をかけると、その衛士は頷いてどこかへ姿を消し、やがて再び戻ってくる。その手には、二つのものが携えられていた。ひとつは、ごく普通の封書であったが、今ひとつは小さめの小包のような形をしている。一旦開封した痕があるのは、着いた施設が施設である以上、致し方あるまい。
「小包の方は『ウルスラグナ』宛てだ。封書の方は、……ナギ・クード・パラサテナ宛になっているが」
「あ、私です、それ」
 しゃらしゃらと鎖を鳴らしながら、今はカースメーカーの正規の姿をまとう少女が進み出る。そんな彼女に封書を手渡しながら、世間話に近いもののつもりでか、ギルド長は言葉を発した。
「小包の方と、差出人は一緒だな。エトリア執政院付正聖騎士ナギ・クード……」
 不意に言葉を切るギルド長。目の前のカースメーカーの少女をまじまじと見つめ(たぶんだが)、
「……そういえば同じ苗字だが、親族か?」
 聖騎士と呪術師、という、正反対に見える者同士の繋がりが、掴みづらかったようである。そんな問いには慣れているのか、そもそも気にしていないのか、パラスは機嫌を悪くすることもなく、嬉しそうに笑みを浮かべ、頷くのであった。
「はい、はとこなんです!」
 早速、封書の端を破り始めるカースメーカーを横目に、エルナクハは小包を開けながら得心していた。そういえば、エトリア執政院に入った、元ライバルギルドの少年騎士が、パラスと手紙をやりとりするという話をしていたか。
 包みが半分ほど開かれたところで、おや、と小さくつぶやき、手が止まる。
 小包であるから、入っているのは手紙だけではないのはわかる。だが、その中身が問題だ。中から引き出すと、それは思った通り、かつ予想外の品物であった。
 若干の異物を混ぜて頑丈にした金の、繊細な細工を中心とし、様々な輝石や半貴石で飾られたそれは、サークレットと呼ぶべきものであった。その物体に、エルナクハはもちろん、『ウルスラグナ』の全員が、見覚えがあった。
「……置いてきたんだけどなぁ」と、エルナクハは苦笑気味につぶやく。
 それは『エトリアの王冠』と呼ばれるものであった。
 ハイ・ラガードに踏み込むときにも、見せてほしいと衛士から暗に請われた代物である。しかし、ハイ・ラガードに持ち込むのは気恥ずかしさもあり、『余計なもの』として他の武器防具一切合切諸共エトリアに置いてきたはずのものだ。
 だが、授与されたときとは根本的に違う点がひとつある。『予想外』とは、そのことだ。
 極端に『減って』いるのである。
 そもそも『王冠』は、『王冠』の名にふさわしい形をしていたはずだ。サークレット状の細工は、その前面を飾るものにしか過ぎなかった。
 どういうことだ?
 同じように小首を傾げる仲間達に『王冠?』を預け、とりあえず、エルナクハは同封の手紙に目を通すことにした。


『ウルスラグナ』御一同様
 お久しぶりです。皆様無事にハイ・ラガードに到着なされたでしょうか。
 この手紙を皆様がお読みの頃には、そちらでは、ようやく夏の兆しが見え始めた頃合いかと思います。ご当地の夏場はエトリア含む自治都市群とは違い、涼しくて過ごしやすいと聞きます。そのかわり極めて短く、秋の足音も早いとか。冬場の支度を怠らないよう、お気を付け下さい。

 早速ですが、この度、小包を送らせて頂いたのは、お忘れ物をお届けするため。
 エトリア執政院から、樹海の謎を明かした皆様へとお送りした、『エトリアの王冠』です。
 私とて、元は一冒険者として在った身、皆様がこれをエトリアに置いていった理由は、なんとなくわかるつもりです。おそらく我々が樹海の謎を明かし、これを送られたとしても、どこかへ旅立つときには置いていったことでしょう。
 しかし、皆様が置いていった武具の中にこれを見つけられたオレルス様の落胆ぶりは見もの(注:この単語は二重線で消されている)見ていられないものでした。
 結局、冒険者に差し出すには仰々しすぎるのだ、ということで話は一旦落ち着いたのですが、どういうわけか、ハイ・ラガードに送って差し上げろ、という、おかしな話になってしまいました。
 その末が、ご覧頂いている、『王冠』の成れの果てです。
 シリカが腕を振るって、『王冠』を組み直しました。彼女の弁に依れば、
『樹海探索に付けていっても邪魔にならず、かつ、それなりの役に立つように。それでいて、控えめではありながら、そこはかとなく品位は感じ取れるように組み直したつもりだ』
 とのことです。私の目から見れば、その条件は満たしていると思えるのですが、いかがでしょうか?
 よろしければ、お納め頂ければ幸いです。

 最後になりましたが、今後の皆様のご活躍を、エトリアよりお祈り申し上げます。
 いつかエトリアにお戻りになるときには、是非、ハイ・ラガードでのご活躍を直接伺いたいものです。
 いえ、本音を申し上げれば――このような望みは、冒険者相手に持つべきではないかもしれませんが。
 酒場で語られるような華々しい活躍などしなくても構いません。ただ、堅実に、ご無事でありますよう。


 手紙の末尾には、『ウルスラグナ』のカースメーカーと同じ苗字を持つ少年騎士の署名と、エトリア執政院の印が押されていた。
 事情がよくわかっていないようなギルド長は、「その証に相応しい働きをこの公国でも見せてくれる、と期待しているぞ」などと言っている。
「やれやれ、だぜ……」
 仲間に手紙を渡すのと引き替えに王冠を受け取ると、エルナクハは癖のある赤毛を軽く掻きむしって、ぼやいた。
 だが、いろいろと複雑な思いを抜きにして判断するなら、『エトリアの王冠』は得難い装備品である。各所に付けられた貴石の秘める力が装備者の力を補助してくれる。シリカの手で軽くされてしまった今は、かつてほどの力はなかろうが、その代わりに、身につけていてもそれほど気恥ずかしくない形にはなっていた。
「まあ、新たな一歩に対する祝いってことで、もらってやってもいいか……」
 実際、頭部装備には、兜のように純粋に頭部を護るものの他に、頭に軽い刺激を与え、邪魔な髪を押さえる、精神集中が必要な者達には欠かせないものもある。エルナクハはアベイを呼ぶと、王冠だったものを手渡した。
「せっかくだから、オマエ使え、ユースケ」
「ええっ、俺が!?」
「メディックが強くなるのは、ギルドにとっても望ましい。諦めて使え」
「うー……」
 メディックは首を振りつつも、観念したか、えいや、と王冠だったものをかぶった。「似合う似合うー」と女性陣が囃し立て、ティレンが「おー」と感嘆の声をあげる中、しかし『ウルスラグナ』の残る一人、レンジャー・ナジクだけは何も反応しなかった。どうしたのかと思えば、ギルド登録の際に渡された資料を、視線で穴を開けんばかりにじっと見つめている。やがて、顔を上げると、レンジャーは物静かな声をあげた。
「これはどういうことだ、ギルド長」
「どうした?」
 訝しげなギルド長の声に、ナジクは資料の一点を指し示す。
「『冒険者ノ登録ハ臣民登記トシテ記録サレル』……僕達に、ハイ・ラガードの国民になれ、というのか?」
「ああ、それか」
 よく聞かれることなのか、ギルド長は詰まることなく滑らかに答を返す。
「世界樹の探索はな、この国の民にしか許されていないのだ。我々が父祖の来たる道、世界樹様、と親しんできた神木だ、それが他国の者の思いのままにされるのは、あまりいい気持ちではない。もちろん、国としての利益的な問題も含めてだがな」
「他国の者の、思いのまま、か……」
 ナジクのつぶやきは、自分が通ってきた道に照らし合わせてのものか。
「そんなわけで」とギルド長は続ける。「世界樹に挑む冒険者には、臣民となってもらうことにした。なに、悪い話ではない。過去は問わぬ。偽名でも構わぬ。他国の貴族でも、お尋ね者でも、誰も気にせぬさ。今現在から将来、この国に不利益を働かない限りは、ハイ・ラガードはお前達を公国民として護ってみせよう。ただひとつ、お前たちに望まれるのは――」
 ギルド長は言葉を切った。その場にいる全員に言い含めようと、注目を待つかのように。
「――お前たちに望まれるのは、世界樹の迷宮に挑む冒険者であること、だ」

NEXT→
10 11

←テキストページに戻る