フィプトの私塾にたどり着いた『ウルスラグナ』一同が、銘々に好きな部屋を定めた後、二階の一室、『応接室』となった部屋でくつろいでいるところ、窓越しに、いずれも十歳かそこらの子供達が十数人、ぞろぞろと建物に向かってくるのが見えた。ちょうどその時、窓際でマルメリが、リュートを手に、ゆったりとした曲を奏で、歌を歌っていたものだから、子供達は聞き慣れぬ歌声に驚き、その源を捜して首をきょろきょろ動かしていた。やがて、ひとりがマルメリに気が付き、驚きの声をあげた。
「だれかいる!? だれだ!?」
「くろい! くろいはだの人だ!」
――五千年以上前は、肌の色のみで相手を侮蔑するという悪癖のあった人類だったが、今の世界には、もはやそのようなものはなかった。しかし、単純にハイ・ラガードで黒色民族を見るのは珍しかったらしく、子供達は大騒ぎを始める。
「そうか、わかった!」と子供の一人。
「あの人、フィプト先生のおめかけさんだ!」
……手の一本でも振ってやろうかと思っていたマルメリ、盛大に吹いた。
「ちょ……おめかけさんってなによぉおめかけさんって! せめて、黒い肌の天女さんだーとか、そういう言い方あるじゃないのぉ!」
「はっはっは、いい具合にマセてるガキだぜ」
豪快な笑声をあげるエルナクハのそばで、その妻たる錬金術師が、生真面目に考え込む。
「妾……ということは……つまり、フィプトには正妻に当たる女性がすでにおいでだということに……?」
「あんまり深く考えない方がよろしいし、センノルレどの」
と、焔華がやんわりと思考を止めさせる。所詮、といってはなんだが、子供の戯れ言なのだ。
さて、大笑いが止まらないエルナクハ、ふと、何かを思いついたか、ぴたりと笑いを止め、窓に歩み寄っていく。そうしながら、ちょいちょい、と指先だけの動きで妹を呼び寄せた。何事かと近付くオルセルタに、窓の外を指してみせる兄。不審でもあったのかと外を注視するオルセルタと共に、エルナクハもまた外に顔を出した。
すると。
「くろい人ふえた――!?」
窓から三つの黒い顔が覗くという事態に、子供達はすっかり驚いて、この世の終わりが来たように騒ぎ立てる。予想通りの反応に、エルナクハは満足し、さらに高らかに笑った。
オルセルタといえば、
「まったく……バカ兄様っ……!」
仲間達にはおなじみとなった言葉を吐きながら、頭を抱えるのであった。
この日、子供達は四度目の驚愕を味わうことになる。
二度目と三度目が抜けているのは、つまり、衝撃がほぼ同時に起こったからである。
それは、フィプト・オルロード先生の告白から始まった。
「あー、突然だが、先生は明日から、冒険者となることになりました」
「え――!?」(二度目)
「で、だ。先生が冒険に出ているときは、代わりの先生がみんなの面倒を見てくれます――姉さん、お願いします」
「センノルレ・アリリエンです。不慣れなところもありますが、よろしくお願いします」
「お……おなかに赤ちゃんがいるひと――!?」(三度目)
「フィプト先生!? 先生の子供っ!?」
「――馬鹿たれぇ! センノルレはオレの妻だぁ!」
「さっきのくろい人――っ!?」(四度目)
衝撃醒めやらぬ子供達に、『教室』の廊下側の窓から侵入しかけていた黒い肌の聖騎士は、自己紹介をしてやった。
「おぅガキども! オレは冒険者ギルド『ウルスラグナ』のエルナクハ! 今後ともヨロ――」
その後頭部に激しい手刀がかまされる。
「授業の邪魔してるんじゃないの! 兄様ッ!」
聖騎士が怯んだところを、その耳をがっしりと掴み、ずるずると引っ張っていくのは、言うまでもなく、その妹。
「はぁ、こういうの止めるためには、わたしも剣より鞭を重点的に訓練するべきかしら。ヘッドボンデージ! なーんて」
「剣仲間がいなくなるのは寂しいぜ、妹よ」
「頭痛がするから黙ってて、兄様」
一方、他の仲間達は、その様子を、文字通り『高みの見物』、否、『高みの静聴』というべきか、とにかくそういうものとしゃれ込んでいるのであった。『応接室』は『教室』の直上にあったので。
「相変わらずだよなぁ、あのバカ兄妹は」
当然だが、アベイの言う『バカ』は、最大級の親しみを込めた言葉である。
「昔からあんなんだったのか? あのバカ兄妹の従姉殿?」
「オルタちゃんはともかく、エルナっちゃんは昔からああだったわよぅ」
きゅっきゅとリュートの手入れをしながら黒い肌の吟遊詩人が答える。
「オルタちゃんは大分変わったかなぁ。十年くらい会わなかったときがあったってこともあるけど」
「人は変わるものだ、良くも悪くも」
その隣でおとなしく弓の手入れをしていたレンジャーが、ぽつりとつぶやいた。
この日の授業は勉学というより、翌日から五日ほどの休暇に備えた説明だということであった。普段は二時間の授業自体も、一時間でお開きになる。「大々的な祝いはしないとはいえ、ま、新年は新年ですから」と、フィプト・オルロード師は休暇を定めたらしい。
その後、午後一時からと午後七時からも、もう少し年嵩の子供達を相手にする授業(本日は休暇の説明)が行われ、フィプトが冒険者になることと、代理として教壇に立つ女錬金術師の紹介が行われた。年嵩の子供達のためか、朝の授業の子供達ほどに劇的な驚きは表さなかったようだが、それでも意外な話に唖然としていたようであった。
その間、暇をかこつ身の冒険者達は、それぞれに街へ出ていた。なにしろこれからお世話になるのである。よい商店や酒場や宿屋を吟味したいし、樹海で重傷を負った際に世話になるはずの『薬泉院』にも挨拶をしておきたい。ちなみに、冒険者であることをいちいち口で説明するのは面倒だ、ということで、各自は装備を調えている。
街に出たのは、昼を回った後のことであり、街には、雑談に花を咲かせる住民や、今日は樹海には潜らない冒険者(とおぼしき者)が、ちらほらと見うけられた。そんな中に、この時間から樹海に行くのか、装備をすっかり調えた冒険者一団の姿を見て、ティレンが小首を傾げた。
「あの武器、なんだろ」
彼らの中の一人は、あまり見かけない武器を持っていたのだ。
といっても、その武器の噂はそこそこに聞く。まったく何も知らないのは、長いことエトリア樹海の中で暮らしていて、人の世に慣れて間もない、ティレンくらいのものである。焔華が柔らかい声音で剣士の少年に答えた。
「ティレン殿、あれはな、『銃』というもんらしいし。所によっちゃあ『ガン』というらしいわ。『ガン』ってのはな、『戦乙女』から来ている呼び名って、お師さんから訊いたことがありますえ」
「強いの、あれ?」
「そうさな、錬金術の素養がなくても錬金術を使うようなものだと思うといいわ。せやけど、同時に武具としての扱いも必要さな。なかなか使いこなすのは難しいはずやし」
「おれには、むりか」
「ティレン殿には斧がありますえ。銃士達はティレン殿のようには斧を使えませんし」
『ウルスラグナ』一行の視線の先にいるガンナーは、かなり年配の男であった。パーティの別の誰かと話をしている。ティレン以外の一行にとっては、話しかけられている相手の方が気になった。単眼鏡を掛けた血色の悪い老人は、お伽噺に出てくる異境の魔法使いを彷彿とさせる被服をまとっていたのである。
「あれは……ドクトルマグス、か」
「ドクトル、マグス?」
かの老人の職を言い当てたナジクは、皆のオウム返しに頷いて、説明を続ける。
「破壊と癒し、両方の力を操る者どもだと聞いたことがある。故郷で一度会っただけ、その力を見たわけではないが」
「私も聞いたことあるよ」とパラスが口を挟んだ。
「自然に満ちる力を味方にして、ヒトの力を増幅したり癒したり、力を剣に乗せて敵を打破したり、そんな力を使うヒトたちらしいって」
不意に、カースメーカーの少女は声を落とし、囁くように続けた。
「……本当かどうかわからないけど、私が聞いた話だと、経験を積んだドクトルマグスは、死んだヒトの魂を自分の身体に降ろすことができるんだって」
「……死んだ人間の魂を、だぁ?」
エルナクハは眉に唾を付けかねない表情で顔をひそめる。
降霊術という概念くらいは、現在の世の中にもある。だが、それは基本的に、胡散臭い会合の中でのみ秘やかに行われ、その結果すら、その場にいた者達の勘違いか集団幻覚か、あるいは主催者の詐欺である、まともな人間なら信じない代物だった。もっとも、人間はこの世の全てを手中にしているわけではないのだ。他の誰も知らないだけで、ドクトルマグスには、真の降霊術が伝えられているのかもしれない。
「ガンナーに、ドクトルマグス、か……」
どちらも、エトリアでは巡り会うことのなかった者達である。
「いずれ、縁があったら仲間に加えることもあるかもしんねぇな」
「今じゃないの? 兄様?」
妹であるダークハンターが首を傾げるところに、ギルドマスターである兄は頷きを返す。
「今はなぁ、こっちの街や樹海にオレらが馴染むのでいっぱいいっぱい、新メンバーに気を回してる余裕はフィプトセンセイの分で弾切れって気がすんだよなぁ」
見知らぬ者達への興味はあっても、闇雲にギルドメンバーを増やせばいいというものでもない。とりあえず当分は、新たな仲間を募るのはお預けにするべきだろう。
「あ、みんな見て見てぇ。あそこにも宿屋があるわよぉ」
マルメリの声に、一同は視線を同一の方に向ける。もとより今歩いている辺りは宿屋の多い地帯だったが、また一つ、宿の名を示す看板が見つかったのである。
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