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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層前――天の樹海に魂の帆をかけた冒険者達・1

 ハイ・ラガードの公都は、不思議な構造をしている。多くの建物は、中心を成す巨大な樹『世界樹』に寄り添うように建造されているのだ。
 高地として知られ、寒冷地帯に属するハイ・ラガード。しかし、そんな場所でも、人間は順応し、住み着いてしまう。もとより、(おそらくは世界樹の力で)豊かな植物相に恵まれていた場所、生きるには悪くない場所だったことは違いない。
 ハイ・ラガードは、海に面した港町も擁するものの、その領土の大半を高地の最北に持つ、小さな国である。さらに北方には低地帯がはるか彼方へと続く。領土北方にある、世界樹を擁する公都は、高地から少しだけ離れた、いわば離れ小島のように、屹立している。高地から橋が建造され、街の中心部はその橋から大きく上下しない場所に――つまりは高地側の地面とさほど変わらない高さに、集中して造られていた。
 ハイ・ラガード公都内に高地側から入る道は、未だに、この橋一本だけである。
 守りやすく攻めにくい立地だ、とエルナクハは思った。曲がりなりにも騎士であるせいか、そういうところに目がいってしまう。
 ここ数十年、大陸では、さほど大きな戦は起きていないが、小競り合いはいくらでもある。そして、戦で殺し殺される人間に、戦の大小は関係ない。エルナクハも、『都市国家同盟』が『王国』の脅威に備えて出資・結成した『フェンディア騎士団領』の騎士団のひとつ、『百華騎士団』に、冒険に出る前には所属し、『第十九位・紫陽花の騎士』のふたつ名を頂いていた者である。当然、有事があるものとして、それなりの研鑽はしている。単純な武力だけではなく、戦に付随する様々なことも。白状するなら、戦技以外はあまり成績はよくなかったが。
 さておき、この公都のような、立地的に孤立した場所において、一番の問題は、『補給』である。
 だが、仮にそうなったとしても、世界樹の迷宮がある限り――エトリアの迷宮のように恵み豊かなものだったらの話だが――問題はなきに等しいものだろう。公都は理論上、永遠に籠城を続けられる。もちろん、樹海から恵みを持ち帰れる最低限の強さを持つ者が必要だが。
 ここ数年、虎視眈々と周辺を伺っているという『神国』あたりが苦々しく思っているかもしれねぇな――そう結論付けることで内なる意識に決着を着け、エルナクハはようやく現実に立ち返った。
 大陸側と公都を結ぶ橋のたもとには駐屯所があり、衛士達が橋を渡ろうとする人々を整理し、素性を改めている。
「さて、ティレン」
 朝靄の中に並びいる人の行列を見ながら、パラディンの青年は、自分と共に先頭に立つ、赤毛のソードマンに問うた。
「オレらが何の問題もなく街に入るには、いくつかの手段がある。次に挙げる中で一番いい手だと思うのを当ててみろ」
「う、うん」ごくり、と唾を飲み込むような真剣さで、ティレンは年上のパラディンを見る。
 エルナクハはその前に手を突き出し、指折りながら言葉を続けた。
「一.武器を抜いて戦いたまえ――強行突破。
 二.君はかの衛士に心からの贈り物をする必要がある――賄賂を贈ってみる。
 三.情に訴えるのも、またひとつの手だろう――病人がいる、と叫んでみる」
「エル兄、おれ、困った」
 ティレンは悲しそうな目で訴えた。
「答が出せない。どの答も、いらない気がする」
「遠慮する必要はありません、ティレンドール」
 唐突に後方から声を掛けられた。
 理知的な眼差しに侮蔑の意を込めてパラディンに投げかける、アルケミストの姿がそこにある。
「ティレン、今あなたが抱えている思いを最も簡単に表現する方法を教えて差し上げます。――さあ、パラディンに向かってお叫びなさい。『バカ』と」
「ばか」叫びこそしなかったが、ティレンはセンノルレの言葉に従った。
「おいおい、夫に向かってバカたぁ何だよ」
 エルナクハは苦笑いを浮かべて弱々しい抗議を試みた。
 実際、この件に関してはエルナクハの提案はどれも相応しくない。ハイ・ラガードの入り口は『ウルスラグナ』に対して閉ざされているわけではないからだ。彼らはただ、衛士達の簡単なチェックを受け、布令に従ってやってきた冒険者であることを明らかにし、堂々と街に入ればいいのだ。
 とはいえエルナクハの馬鹿話も、暇つぶしの役には立ったようだった。気が付いてみれば、自分達がチェックを受ける番は、すぐそこまで迫ってきていたのである。
「ようこそ、ハイ・ラガード公国公都へ」
 橋の高地側のたもとで通行人を改めていた、二人の衛士の片方、若い男が、『ウルスラグナ』一同に声を掛けてきた。
「よう、お疲れさん」
 やはり、エルナクハ自身も、自分が提示した三つの態度のいずれも取らなかった。
 人なつこさげな聖騎士の態度に、衛士の視線が緩む。
「あなた達は、冒険者御一行殿ですか?」
「おう、『ウルスラグナ』っていうんだ。今後ともヨロシク」
「おお、あなた方が、かの高名な!?」
 名乗った途端、まだ宮勤めとなって間もない風体の青年衛士は目を輝かせた。
「噂は聞いております! こちらを訪れる冒険者の皆さんが、今度こそはあなた方に手柄を取られてなるものか、と、奮い立っておいででしたから」
 もう片方、後続の訪問者達を改めている、ベテランとおぼしき壮年の衛士は、あからさまな態度こそ控えているが、ちらりちらり、と、興味深げな眼差しを向けてくる。そんな先輩の目から逃れるかのように、青年衛士は声をひそめた。
「エトリア執政院から、迷宮制覇の証を授けられたと伺っておりますが……」
 意味ありげに中途で切られた言葉の真意を悟ったエルナクハは、苦笑しつつも、首を振った。
「わりぃな。余計なものは、一切合切エトリアに置いてきてんだよ」
 エトリアの王冠――王政でもないのに『王冠』とはこれいかに、と突っ込むこともできなくはないが、さておき、それは、『ウルスラグナ』の偉業に対するエトリア執政院ラーダの、最大限の敬意の証であった。しかし、それを『ウルスラグナ』は、旅立ちの時に置いてきた。王冠だけではない、それまで使っていた武器や防具も、全てだ。基本的な武具のみを身にまとい、「一からやり直しなんだぜ、強すぎる武具はいらねぇ慢心の元になるだけだろ」と、エルナクハは豪語した。
 ちなみに、『真竜の剣』という、エトリア樹海最強の竜達の逆鱗から作り上げられた剣のみは、『ウルスラグナ』の意思とは無関係に、姿を消した。どうやら『元・真竜の剣』であるらしい金属クズの塊が残っていただけで、かの剣の生命とも言える逆鱗は三枚ともなくなっていた。あるいはそれは、「もはや我らの力など必要あるまい」ということだったのかもしれなかった。
 青年衛士はやや消沈したようだが、それでも目を輝かせ、冒険者を見つめた。
「いえ、いえ、拝見できないのは残念ですが、それくらいであなた方の偉業を疑うようなつもりはありません!」
 ほとんど舞い上がっている風体の青年衛士の傍らに、ふっ、と、軽く吹きかけられた吐息のように近付いた者がいる。ブシドー・焔華である。彼女は、不思議な訛りのある言葉を、やんわりと口から紡ぎ出した。
「衛士どの。そろそろお仕事に戻らんと、後でセンパイから大目玉くらいますし」
「え? は、はっ!?」
 青年衛士、我に返り、そおっと先輩の様子を窺う。落雷五秒前といった塩梅の表情を見いだし、あたふたと敬礼。
「こっ、これは失礼を致しましたッ!!」
「で、オレらは、街に入ったら、どこに行けばいい?」
 ギルドマスターの問いを受け、青年衛士は、足下に置いていた鞄の中から羊皮紙を一枚引き出した。
 手渡されたその紙には、木版刷りと思われる地図が記してある。起点は現在地である橋のたもと。目的地として強調されているのは二ヶ所。番号が振ってあり、一番目は『冒険者ギルド統轄本部』、二番目は『ハイ・ラガード公宮』であった。
 ひとまずは、通称『冒険者ギルド』で、この街で活動する冒険者としての手続きを済ませ、しかる後に公宮へ赴け、ということであろう。
 エトリアで駆け出しの冒険者として起った時にも、似たようなことをした記憶がある。承知、との意を込め、エルナクハは無言で頷いてみせた。
 仲間達に視線をめぐらせ、先に進む意思を見せたパラディンだったが、しかし、アルケミストの呼びかけに足を止める。
「……どうしたよ、ノル?」
「フィプトの住居がどこかを伺わないと……」
「ああ、そうだったな。すっかり忘れてたぜ」
 センノルレが口にした名『フィプト』とは、ハイ・ラガード公都にて私塾を開設しているという錬金術師の名である。センノルレとは姉弟弟子の間柄にあり、その縁を頼って、『ウルスラグナ』は慣れない土地ハイ・ラガードでの活動の一歩を踏み出そうとしていたのであった。
 パラスなどは、「なんだ、『歓迎・ウルスラグナ御一行様』とか書いた旗振って出迎えてくれるんじゃないんだ」という与太を口にしていたが、到着日もはっきりしない分際で、そんな出迎えを期待する方が間違っているだろう。もちろん、パラスとてそのくらいはわかってて敢えて言っている節があるのだが。
 ともあれ、フィプトという名を耳にした青年衛士が、いかにも「やっべ忘れてた」と言いたげな表情で、またも鞄から羊皮紙を引き出してきた。先程のとは違い折りたたまれて封緘されたそれを開くと、木版刷りではなく、ペンで手書きされた文章が現れた。それも、必要充分とばかりに短い。

『毎日、朝九時、正午、午後三時、午後六時の計四度、一時間ずつ、冒険者ギルド統轄本部でお待ち申し上げます』

 人柄を――少なくとも他者と接する際にかくあろうとする態度を想起させる、丁寧な文字である。簡潔な用件の後には、淀みのない筆記体で、『フィプト・オルロード』なる署名がなされていた。

「地図があれば、直接、家まで行ける……」
 不満、とまではいかずとも、案内図が同封されていなかったことが不思議そうに、ティレンが声を上げる。
 それをたしなめるように、センノルレが答えた。
「仕方ありませんよ。フィプトの家は、自宅というより、私塾の一室を間借りしているようなものだそうですから。我々のことを知らない子供達と顔を合わせることになるかもしれません」
「……何か、問題、ある?」
 やはり腑に落ちない感のあるティレンであった。センノルレは呆れたり怒ったりすることなく、説明を続ける。端から見ている仲間達、特に男性陣にとっては、彼女が変わったという感慨を禁じ得ない。『ウルスラグナ』に加入したばかりの頃の女錬金術師だったら、怒りはしないにしても、呆れたついでに余計な一言を付け加えていたことだろう。
「大ありなんですよ、ティレン。まだ冒険者を迎え入れて日の浅いこの街で、普通の人達に冒険者がどう思われているか、よくわかっていないのですから、子供達を驚かす可能性がある真似は謹まないと」
 なにしろ、我らがギルドには、カースメーカーがおりますし、とセンノルレは後方を振り返る。視線を受けたパラスが、てへ、とばかりに肩をすくめた。彼女はカースメーカーとは思えないほどに明るいが、外から見ればやはりカースメーカー。地域によっては激しく忌まれる呪術師達が、ハイ・ラガードでどう思われているか、まだ定かではない。冒険者に接する者達はいいとしても、子供達は、どうか。
 身につけているのが私服ならば、突然訪ねても問題はなかっただろう。だが、今の『ウルスラグナ』は、冒険者としての装備をしっかりと身につけていた。それは、橋の上の衛士達に、自分達が間違いなく冒険者であることを最も簡単に証明するためであり、すでに街にいる同業者に対するアピールでもある。
 『ウルスラグナ』を知る者にはもちろん、知らぬ者にも、その自信に満ちた姿は、心にこう刻ませることだろう。
 手強そうなライバルが現れた、と。
 最初の目標地点である『冒険者ギルド』に向かう途上の今も、エトリアで見知った顔を幾人か見かけていた。
 ライバル心は別として気安く挨拶を返してくる者、緊張しつつも手を差し出す者、対抗心を露わにする者、舌打ちして立ち去る者――態度は色々だが、彼らの存在に、『ウルスラグナ』は、まるでエトリアの狂騒の時代に立ち戻った気分を味わい、懐かしさに酔いしれそうになるのだった。

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