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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層前――天の樹海に魂の帆をかけた冒険者達・6

「さて、次はどこへ行こうか」
 エルナクハは仲間達を見回しながら意見を募る。センノルレとフィプトは私塾で待機中、オルセルタとマルメリは宿屋でエトリア時代の知己と会話中、そしてアベイは薬泉院で手伝っている途中――というわけで、今目の前にいるのは、ティレン、ナジク、焔華、パラスのみである。
 まあ、まだあまり勝手のわからない街、結局はふらふらと歩いて目に付いた店に入ることになるだろう、と思っていたが、今回は意外にも意見があった。
「シトト」
「ん?」
 エルナクハは意見の主、ソードマンの少年を見た。
 シトト、といえば、先程の薬泉院での会話で名前が出ていた。確か、交易所だったはずだ。
「そか、交易所に行きたいか、オマエは」
「ん」
 もとより他の仲間達には異論はないようである。
 エルナクハは懐から折りたたんだ地図を出した。フィプトからもらった商業区の地図だが、これまでは行き当たりばったりで各店を冷やかしていたので使っていなかったものである。
「んー、あの肉屋のところを、こう行って……か」
 地図を見ながら道を辿る。地図は見やすく正確なものだったので、迷うことは決してなかった。そもそも店自体が大通りに面しているのである。
 しばらく歩いた後、ふと顔を上げると、頭上で、ホオジロにも似た小鳥を象った木彫りの看板が、緩やかな風に揺れていた。鳥が止まるレリーフを象った部分には、ネームプレートのように平らに削ってある部分があり、そこに、『シトト交易所』と浮き彫りされ、墨で着色してある。その他には色を置いていない、耐水用のニスを薄く塗っただけの素朴な彫り物だったが、木目の美しさを生かした細工と、小鳥の愛らしさを表現した丸みが、作り手の技量と愛情を感じさせる。
 扉を静かに押し開け、店内に入り込む。
 他の客はいなかった。佇んでいる客のように見えるのは、飾られている全身鎧スーツアーマーである。
 全身鎧だけではなく、店内には様々な武具が並べられているのだが、それらは、衛士としてならともかく、冒険者として動くには不適な代物であった。フルフェイスヘルムや、儀礼用の剣、細かな装飾が目にも眩しい武具……しかし、作り手の技量を推し量るには充分。これらの武具の作り主は、「冒険者用の武具を作れ」と命じられれば、その役目を全うするだけの実力はあるだろう。
 この店の主が単なる売り手でしかないとしても、よい武具を選定して仕入れる鑑定眼に高い評価が付く。
「……悪くねぇ」
 にんまりと笑みながら、エルナクハは評した。
 その傍で、ナジクがいささか不満げにつぶやく。
「でも、売り物がない」
 彼の言うとおりであった。展示品を見る限りでは素晴らしい店なのだが、冒険者として何かを買おうと決意した途端、評価はがっくりと落ちる。理由は簡単、品物がないのだ。辛うじて薬品のビン――値札には『メディカ』と記載されている――が並んでいる程度、他の箇所に貼り付けられている『品切れ』の札が痛々しい。
 さらに不満げに、レンジャーの青年はつぶやく。
「それに、店員はどこだ?」
「そう言われりゃあ、そうやなあ」
 他の面々も今さらながらに気が付いた。
 カウンターに店番がいないのだ。
「お昼ご飯じゃないの?」
 とパラスが推察するが、それにしても客が来たら対応に出てきてもよかろうものを。無理なら無理で、カウンターに『昼食中』の書き置きでもあれば、まだよかったのだが。
 そんなことを一同が考えた、その時である。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさーい!」
 店の奥から響き渡るは、愛らしい少女の叫び声。とてとてとて、と床を軽く蹴る音が、声に随伴している――と冒険者達が認識するが早いか、どで、という、やや大きな鈍い音が続いた。叫び声も床を蹴る音も、それを境に中断される。
 ……つまりは転んだわけだ、と『ウルスラグナ』一同は理解した。
 しばらくすると、打ち付けたのか額を抑えながら、涙目になった少女が、姿を現した。
 彼女の第一印象を、『ウルスラグナ』の、その場に居合わせた者達は、後で仲間達にこう語った。
 真冬の雪積もる大平原のただ中でも、彼女の周りだけは雪解け、春花がささやかに咲き誇る、そんな雰囲気だった、と。
 三つ編みに仕立てた髪に飾るヒマワリの髪飾りが、その印象を補強しているのかもしれないが、なによりも、リンゴのようなほっぺ、と俗に言われる言葉そのままの頬が、豊穣を連想させるのだろうか。
「ごめんなさいごめんなさい、皆様に気が付かなくて!」
 少女は、ぺこぺこと頭を下げながら言い募る。
「お父さんからお店番任されてるのに……これじゃ私、お店番失格ですよね……!」
「今度からは呼び鈴でも用意しておくんだな」
 不満げではあるけれど、それでも先程よりは幾分か和らいだ表情で、レンジャーが応じた。
「さもなくば書き置きの一つなり用意しておけ。……それより、派手に転んだようだが大丈夫か」
 もともと年下の少年少女に甘くなる傾向のあるナジクであった。
「はっはいっ、大丈夫です、大丈夫です!」
 頭を下げて謝意を示す少女だったが、ようやく顔を上げたとき、その目が丸くなる。朝方に冒険者ギルドでギルド長が行ったように、首を横に振って一同を見回し、盾持つパラディンに注目した後、縦方向に何度も視線を動かした。おそるおそる、といった塩梅で口を開く。
「もしかして、皆さんが、エトリアの樹海を踏破した『ウルスラグナ』ですか……?」
「ん、まぁ、そうだけどよ」
 ギルドマスターの返答を受け取った途端、少女の表情が、ぱあっと明るくなる。店内自体に光満ちたようであった。
「ほんとに来てくれたんですね! エトリアから来た冒険者さん達が、皆さんがきっと来るって言ってたんで、すっごく楽しみにしてたんです! 私、バードさん達が歌う英雄譚とか聞いて、皆さんのファンなんです!」
 黒い騎士の手を取り、ぶんぶんと振る。
「私たち、特定の冒険者に肩入れしちゃいけないって言われてるんですけど、これだけは言わせてください! 応援してます!」
「お、おう」
 少女の積極さに押され気味になりつつ、応援自体は素直に受け入れる『ウルスラグナ』。
 しかし、その容貌は、シトト交易所の娘が次の言葉を発した途端に、すっと暗くなる。
「……あとは、『エリクシール』さんたちにもお会いしたいです。いつ来てくれるんでしょうか?」
「……あいつらは、来ねぇよ」
 苦々しい思いを吐き出すように――もちろん、それは目の前の少女にぶつけるものではないが――エルナクハは言葉を繋げた。
「来ねぇんだ、解散、しちまったから」
 『エリクシール』。
 錬金術の粋にして大目的であると言われる霊薬、伝説の万能杯に満ちるという万能薬の名を持つ、とあるギルド。
 彼らはエトリアにおいて、『ウルスラグナ』の最大のライバルであった。
 相手側にギルドマスター(と、その妹)の同郷の幼馴染みがいた関係で交流があり、途中までは協力関係に、後に切磋琢磨するライバル関係となったギルド。それどころか、(あくまでも公的記録に残る限りだが)第三階層と第四階層を誰よりも早く踏破し、第五階層に最初に足を踏み入れたのは、『ウルスラグナ』ではなく『エリクシール』の方だったのだ。
 ただ、そんな最中、己の力を試したがったパラディンが樹海で失踪する事態が起き、『エリクシール』の面々はその収拾にかかりきりとなった。ギルドマスターである金髪の女錬金術師は、『ウルスラグナ』の助力の申し出を拒絶し、パイプを吹かしながらこう言った。
「馬鹿者が。貴様達は、今が我々を出し抜く好機だとは考えんのか」
 うろたえる『ウルスラグナ』一同を睨め回し、女錬金術師は再びの発破を掛けた。彼女の真意は未だにわからないが、ともかくその時、『ウルスラグナ』は『エリクシール』の足跡を追い抜いたのである。
 もちろん、追い抜いたこと自体は相手側の厚意かもしれないが、実際に奥に進むためには、実力がいる。そして、『ウルスラグナ』にも、実力はあった。
 結局、そのまま『ウルスラグナ』はエトリア樹海の最奥を見いだした。その様を『エリクシール』は素直に讃え、そして、自分達はギルドを解散してしまったのだった。
 彼らに何があったのかは、わからない。確かにパラディンが失踪したことは痛いだろうが、それでも彼らには挽回の機会があったはずだ。
 『ウルスラグナ』達の想像できる範囲で、女錬金術師の真意を推し量るなら。
 樹海のただ中、『枯レ森』と呼ばれる第四階層で、彼ら『エリクシール』は、樹海の先住民であるモリビトを『殲滅』した。後に、彼ら自身がモリビトに手をかけたわけではないのが明らかになったが、当時は、『殲滅』の跡を見た者の嫌悪の眼差しを受けることも多かった。『エリクシール』達は言い訳の一つすらすることなく、表面的には平気そうな顔をしていたが、ギルドマスターたる女錬金術師には、限界が見えていたのかもしれない。
 だから、ライバルギルドである『ウルスラグナ』に手柄を譲ってしまってでも、自分のギルドメンバー達を探索から、正確に言うなら樹海の真実から遠ざけようとした。パラディンの失踪は、自分達の足を止める格好の名目だった、というわけだ。
 無論、『ウルスラグナ』の推測に過ぎない。
 そして、真実が奈辺にあるとしても、現実はひとつ。
 『ウルスラグナ』はハイ・ラガードにあり、『エリクシール』がその後を追うことは、もう、ないのだ。
「そうですか……」
 交易所の娘は残念そうにうなだれた。しかし、改めて暗い空気を振り払うように顔を上げ、エルナクハの手を取る。
「じゃあ、『エリクシール』さん達の分も、頑張ってください、『ウルスラグナ』さん!」
「……ああ、もちろんだ」
 偽りなき万感の思いを込め、エルナクハは、しっかりと頷いた。

「で、ここ、おまえの店なのか?」
 とティレンが問うたのは、エトリアの『シリカ商店』のことが頭にあったからかもしれない。かの店の店主は、自らも槌を持ち、己の店で売るものを生み出していたのである。
「ああ、いえ、此処は、私のお父さんのお店なんです」
 シトトの娘は頭を振り、ちらりと奥に目をやりながら答えた。
「奥の工房で、お父さんが武器や防具を作ってくれるのを、みなさんにおゆずりしてます。あと、薬泉院のツキモリ先生からお薬をお預かりしていますね」
「その割には……あーと、うん、商売繁盛でいいことだね」
 やや引きつり加減の笑顔で、パラスがそんな言葉を吐いた。ともすれば嫌味にも聞こえかねないものだが、シトトの娘は、パラスの声の調子と表情から、気を使おうとしたものだと察したらしい。心底申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
「おかげさまで、皆様にご愛顧頂いているのはありがたいんですが……」
 つまりは、需要と供給のバランスが取れていないのだ、と娘は言う。
 得心できる理由ではある。エトリアでもあったことだ。
 冒険者は樹海へ潜り、有用そうな素材を携えて戻る。その素材を各所が買い取り、武具に仕立てたり、食料に加工したり、嗜好品としたりする。嗜好品はともかくとして、武具や食料は冒険者にも必要なもの、買い取られ、買い取り主と共に再び樹海に戻る。
 食料品は食われてなくなるが、武具はまた街に戻り、いつかは不要となって買い取られる――持ち主が生きて戻ってくれば。もしも持ち主が樹海で倒れれば、その遺体と共に朽ち果てる運命だ。そして斃れた冒険者は素材を持ち帰ることもできない。『素材』も、『素材だったもの』も、ほとんどが樹海に還り、街に戻ってくることは、まず、なくなるのだ。
 そうして、結局、樹海産の素材でできた品物は足りなくなる。
 これが、かつてのエトリアでも起こり、そして今、ラガードでも起きている、現状であった。
「今、樹海の素材を使わなくてもいい、基本的な武具を作ってるところです。できあがったらお店に並べられるんですけど……」
 申し訳なさそうに述べるシトトの娘を前に、『ウルスラグナ』は考えた。武具をエトリアに置いてきてしまったのは、ちょっと早計だったかな、と。
 だが、今さら言っても詮なきことである。なにより自分達なりの信念の下にその行動を選んだのだ。だったら潔く、あるものだけで何とかするべきだろう。
 現実的な問題も絡んでいる。現状の手持ちの資金では、すごい武具があったとしても、たぶん手に入らない。買えたとしてもせいぜい一人分。現時点では、誰かひとりだけが突出して強くなったところで、あまり意味がない。
「――そうだな……」
 エルナクハは軽く首を振って口を開いた。
「まあ、まずはオレらの中の誰が最初に樹海に入るか、そこから考えねぇといけねぇからな。そこらへん決めてから、また明日来るわ。その頃にはオヤジさんの武具もできるんだろ?」
 ひらひらと手を振って踵を返す。後に仲間達が続いた。
「また来てくださいね、待ってます!」
 シトトの娘の愛らしい声が、一同の背を撫でて消えていった。

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