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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層前――天の樹海に魂の帆をかけた冒険者達・8

「遅いわよー、バカ兄様!」
 と、妹の声がする。
 最終的にギルドマスターに付いていった『ウルスラグナ』のメンバーが、錬金術師フィプト・オルロードの私塾に帰り着いたのは、午後八時よりは大分前であった。それでも街はすっかりと闇の中に沈み、煌々と灯る窓の明かりが人の存在を主張する。オルセルタは『応接室』の窓から身を乗り出して、兄を含む仲間達に手を振っていた。
「大方、酒場かどっかでまったりしてたんでしょー? ずるいわよ兄様!」
「宿屋でダチに捕まってたヤツが何言うか」
「無駄話、してたわけじゃないわよぉ」
 ひょっこりと、数ヶ月年上の従姉が顔を出す。その隣に、さらに顔を出したのは、白い顔が二つ。
 その片方に、エルナクハは声を掛けた。心なしか、声が柔らかかった。
「……今帰ったぜ、ノル」
「……おかえりなさい、エル」
 短い黒髪の女錬金術師は、眼鏡の奥の目を細めて返事をした。
「なぁ、オレのことはガン無視か?」
 もう一つの白い顔が、不満げに声をあげる。明るい茶の髪を後ろに束ねたメディックもまた、帰宅していたのだ。その言葉が声調ほどには本気で言っているものではないのは、表情から明らかである。
「アイツら、大丈夫だったか?」
 ギルドマスターの青年はメディックに問うた。昼間に出くわした冒険者達のことだ。命に別状はない、と見なしてはいたが、もしかしたら容態の急変があったかもしれない。直に顔を合わせたからか、少しは気になるのだった。
 だが、問うた瞬間に浮かんだメディックの表情が、心配が杞憂であることをはっきりと示していた。
 エルナクハの後ろに控える仲間達も、ほっと胸をなで下ろす。
「数日もすりゃまた元気に樹海を飛び回るだろうよ。そうそう、伝言もらったんだ」
「伝言?」
「『新たな冒険者様方とお見受けする。お心遣いに感謝を。最初の試練を無事乗り越えられるよう、お祈り申し上げる』」
「……ははは、相応しいライバルになれるよう頑張れ、ってか!」
 その『最初の試練』のことである。誰を遣わすのかを決めなくてはならない。
 統轄本部でギルドの登録をしたとき、『ウルスラグナ』は樹海探索に必要な道具を貸し出されていた。エトリアの探索でも同じようなものにお世話になっていた。
 それは、ヒンジで繋がれた二枚の水晶の板。『磁軸計』と呼ばれている。完全に広げれば透明なチェス盤とも見える代物であったが、区切られた升目は、縦三十×横三十五……磁軸の計測で明らかになったのであろう、『世界樹の迷宮』の床面積(理論的最大値)を示している。板の内部には、迷宮内を流れる磁軸の流れに反応する、錬金術由来の触媒が封入されており、迷宮内では、自分達の現在位置を示す升が青く光るようになっている。おかげで、どれだけ迷っても現在位置だけは把握が容易で、樹海の地図を書き起こす助けになる。
 ただ、ひとつ難点がある。自分達はあらかじめ板の特定位置に数秒触れて、いわゆる『登録』を行う必要があるのだが、一度に登録できる人数は五人までらしい。何があるかわからない樹海、万が一、登録にあぶれた者が迷子にでもなれば、その者の居場所は掴めなくなるのである。
 公宮の衛士達が樹海に入る際には、五人一組の小隊を組み、それぞれの小隊ごとに磁軸計が貸し与えられるそうだが、一冒険者ギルドに二つも三つも貸与を求めるのは無理な話であろう。
 故に、樹海に一度に潜れる人数は五人まで。
 磁軸計の問題だけが理由ではない。樹海という限定空間で探索・戦闘行為を行うときの立ち回りの問題も、この人数を適正とする根拠である。さらにエトリアでは、もう一つ、この人数を適正とする理由があったのだが……。
 ともかくも建物内に戻った一同を、私塾の管理人である錬金術師が出迎えた。
「お帰りなさい、みなさん。食事ができてますよ」
 招かれるままに応接室に足を踏み入れる。
 全員が座れる長い卓に、ささやかながら立派な食事の支度が整っていた。

「兄様のデザートはなしだからね」
 こんこん、と、自分の後ろに鎮座する鍋を叩きながら、オルセルタが宣う。彼女が言うには、フィプトが皆の歓迎のために大量の料理を作り、オルセルタやマルメリがそれを手伝い、アベイがセンノルレの容態を気に掛けていたというのに、そんな一方で酒場でまったりと癒されていた兄は許し難いとのことだ。他の四人の『罪』には言及していないことから、本気で怒っているわけではないのだろうが、
「そんな切ねぇこと言うなよ」
 ここから始まる寸劇は、いわば疑似兄妹ゲンカとその修復、様式美みたいなものだ。自分の席を確保しながら、苦笑いしつつ、エルナクハは、あるものをオルセルタの目の前に置いた。
 軽く抱える程度の大きさの、陶製の壷だが、焼き付けてある絵柄は明らかにハイ・ラガードとは別の文化に属するものだ。その絵柄を生んだ『文化』を、オルセルタは知っていた。当然といえば当然である。
「これ、バルシリットの壷だ。どうしたの?」
「土産だよ。酒場に転がってたから壷ごともらってきた」
 壷ごと、という言葉通りに中身が存在し、馥郁ふくいくたる香りを放っている。
「うちの酒なんて珍しいわね。エトリアでも、瓶入りすらなかなか手に入らなかったのに、壷付きだなんて」
「ここでもそうだろうよ。オレが酒場に行ったときにこいつがあったのは、大地母神バルテムの導きだろ。で、どうだ、これとデザートは取引になるか?」
「……よろしい」
 オルセルタは胸を張って、再び、デザート入りと思われる鍋をこんこんと叩いた。
「大地母神の導きに免じて、兄様にもデザートを食する栄誉を賜りましょう」
「ははー、ありがたき幸せ」
 兄妹が疑似ゲンカを終結させ、デザートをめぐる取引を成立させている後ろで、仲間達もすでに自分の席を確保している。
 オルセルタが壷を抱えて立ち上がり、その中身を注いで回った(センノルレのみ抜かした)。皆の杯に珍しい酒が行き渡ったところで、ギルドマスターは杯を携えて立ち上がる。つい昨日、ハイ・ラガードに近い村で、闇色に塗りつぶされた世界樹の影を見ながら、その踏破を誓ったときのように。
「――てなわけで、だ。明日からオレらは世界樹に挑む」
 よく通るパラディンの声に、皆が静かに耳を傾けた。
「酒場で聞いた話だと、オレらは、大公宮で試練を承らなきゃいけないらしい。エトリアのときもそうだったが、今回も、大分辛い試練になりそうだ」
「アタシ達も宿で話は聞いたわよぉ、エルナっちゃん」
 マルメリの言葉はおかしいことを言っているわけではないけれど、その口調と、エルナクハを『エルナっちゃん』と呼ぶのが、微妙に緊張をくじく。エルナクハは「その呼び名はやめろ」と言いかけたが、結局口をつむんで、吟遊詩人の言葉の先を促した。
「詳しいことは教えてもらえなかったけど、基本はエトリアの執政院のと同じだって。冒険者なら、迷宮の地図ぐらい描けるだろう、ってことみたいねぇ」
「地図描くだけなら楽勝、だよね?」とティレンが皆の機嫌を窺うかのように問う。
 ナジクが静かに首を振った。
「酒場の主人が、エトリアの猛者さえ半分は戻ってこなかった、と言っていただろう」
 しかしティレンの無邪気な心情を咎めることはできなかった。彼は最初から『ウルスラグナ』に属していたわけではなく、つまりエトリアでの最初の試練がどんなものだったかを知らないのだ。
「どっちにしても、準備は万端に整えないといけないわけですね」
 女錬金術師の言葉に、その夫は大きく頷いた。
「ああ、それに、最初の最初だ。誰が行くかもよく考えないとな」
「エルにいさんとアベイくんは本決まりなんでしょ?」
 酒場に赴く前の話を思い出しながら、カースメーカーの少女が口を挟む。
「護る人と、治す人……エルにいさん、ていうかパラディンは、あまり攻撃手には向いてないから、そこらへんを補強しないとね」
 パラスは仲間達を見回した。視線が止まるのは、いずれも、前衛に向いた者達のところでだ。剣使いのダークハンターであるオルセルタ、斧使いのソードマンであるティレン、そして、ブシドーの焔華――。
「――って、焔華ちゃんは確か、樹海に入らないって言ってたっけ」
「そうなんし」
 パラスの問いと、焔華の澄ました言葉に、酒場まで同行しなかった仲間達は、驚きに目を見開いた。『何故だ』と問う視線がブシドーの少女に集中する。焔華は肩をすくめると、視線をやんわりと受け流すように笑んだ。
「その手のお話は、ご飯を頂いてからにしましょ。せっかくのご飯も冷めるし、お酒も香りが飛んでしまいますわ」
「……む、それもそうだな」
 エルナクハはブシドーの少女の言葉を認め、改めて杯を掲げた。
「詳しい話はメシ食ってからだ。とにかく世界樹を踏破したときに全員が無事であることを祈って、乾杯!」
 ギルドマスターの杯に、九つの杯が追従して、高く掲げられた。

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