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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第一階層前――天の樹海に魂の帆をかけた冒険者達・7

「ね、ね、エル兄」
 とてとてと早足でエルナクハに付いてこようとしながら、年少のソードマンが問う。
「おれ達の誰が、最初に樹海に入る?」
「そうだなぁ……」
 皆の弟分と言っても過言ではないティレンの言葉に、エルナクハは腕組みしつつ考えた。
「とりあえず、アベイは確定なんだけどな。あと、オレな」
「あ、ずるいよ、エルにいさん」
「ふん、ギルマス特権って昔から決まってんだ」
 パラスの抗議に、エルナクハはうそぶいたが、その選択が理に叶っていることは皆が認めざるを得ないだろう。
 まず、メディックであるアベイは必須と言っていい。未知たる地で負傷したときに手当のできる者がいるのといないのとでは大違いだ。メディカを買い込む選択もあるにはあるが、金にも手荷物の余裕にも限度はある。もちろん、回復役の気力や手持ちの薬品にも限界はあるから、うまく併用することが必要だろう。
 だが、それも仲間達が闇雲に突っ走り、自ら怪我を増やすようでは、意味がない。そこでパラディンの出番である。護りに特化した騎士達は、自分達も傷つきにくいが、仲間達を護り、その被害を軽減する役も受け持つ。
 少なくとも、現状の『ウルスラグナ』が、まったく初めての危険地帯に踏み込むためには、この二種のクラスが探索班の要となることは、太陽が東から昇るがごとく当然の選択だったのだ。
「まあ、後の面子をどうするかは……」
 帰ってから考えよう、と締めようとしたエルナクハだったが、その背に声を掛ける者がいた。
「わちは今回、遠慮させて頂ますえ」
「な……!?」
 たおやかな口調のブシドーの娘を、一同は、あんぐりと口を開けて見やる。そんな仲間達を見回し、焔華は、ふふ、と少し意地悪げに笑んだ。
「どっちにしても、わちを所見の場には連れていけん、と思うておいででしたっしょ?」
「む……」
 エルナクハは口ごもる。全くの図星であったから。
 その戦闘スタイルからどうしても打たれ弱いブシドーである。しかも『型』を重視するためか、戦闘行動に移るのに若干の時間がかかる。そんな彼女を未知の危険に溢れた樹海に出したいならば、数度の探索を経て様子を見た方がいいだろう、と思っていたことは確かだ。他にメンバーがいないならまだしも、九人という大所帯の『ウルスラグナ』ならば代わりがいる。
「怒ってるわけじゃあらせん。ぬしさんの判断は正しゅうありますし」
「う……む……だがなぁ、ほのか、オマエはそれでいいのかよ?」
 『ウルスラグナ』の誰もが、新たな樹海に先鞭を付けることを楽しみにしていたのだ。それは焔華とて例外ではないはず。だったら他者に「連れて行けない」と言われようと、とことんまで食い下がってもいいものではないのか。
 しかし、ブシドーの娘は、態度を荒げることもなく、静かに首を振った。
「実を言うと、わち、冒険の前に行きたいところがありますし」
「行きたい、ところ?」
 その場にいる仲間達全員が声を揃えて問い返す。その疑問に満ちたまなざしを一身に受けながら、
「くわしいことは今晩にでも。けどな、上手くいけば、『新生・焔華さんにご期待下さい』ってことになりますえ」
 ブシドー・安堂焔華は、自信に満ちあふれた笑みを浮かべるのであった。

 地図を参考にしながらしばらく中央通りを行くと、とある一軒の店に行き着いた。軒先に揺れる看板は、魚をモチーフとした鋼のレリーフだったが、いささか年月を経ているためか、軽い錆が味わいを醸し出している。
「お魚屋さん……」
「……それでは『シトト』は小鳥屋ということになる」
 ナジクの返答に、ティレンは少し赤面して頭を掻いた。
「あ、それも、そっか」
 一方、ギルドマスターは、目を爛々と輝かせ、口元にはにんまりと笑みを浮かべている。地図を持つ彼には、目の前の店が何なのか、最初からわかっていたのだ。
「せっかくだから、入ろうや」
 エルナクハの促しに、その上機嫌の理由を察した者も、そうでない者も、一様に頷いて歩を進めた。

 扉に設えられた鈴が堅い音を奏で、来訪者の存在を告げると、先に店内にいた者達が一斉に入り口を見た。その視線が新たな闖入者を睨め付ける。全員が冒険者のようである。『ウルスラグナ』の顔見知りはいないようだが、そんなこととは関係なく、エルナクハが無言ながら『今後ともヨロシク』と言いたげに笑みを浮かべていると、やがて先住者達は新入りから意識を外し、銘々の談笑に戻っていった。その際に、やはり無言ながらそれなりの挨拶を返してくれた者達も、幾人かはいる。
 『ウルスラグナ』一行は、冒険者でごった返す卓の合間を縫って、青黒い髪の逞しい親父――多分、店主だ――がグラスを磨く前、カウンター席へと向かった。
 言うまでもないが、ここは酒場である。『鋼の棘魚亭』というのが、正式な名であるらしい。
 エトリアでもそうだったが、酒場は情報の集積地だ。集う情報は店によって様々だが、冒険者であるからには、やはり冒険者向けの情報が転がっている方が都合がいい。そして、情報を求める冒険者の力を当てに、彼らに頼みたいことがある者達も集まってくる。その相乗効果が、ますます酒場を栄えさせるのだ。酒場の名が売れれば、時には、上層階級の者達や、ひいては為政者の関係筋からでさえ、公式にはできない仕事の依頼が舞い込むこともある。
 エルナクハが上機嫌なのは、なにも酒が飲めるからという一点に限ったものではないのだ。いそいそと席に座った彼が、いくばくかの小銭をカウンターに置いて「おっさん、適当に酒五つ」と注文を飛ばしたのは、あくまでも、情報の集積地を訪ねたついでである――そう思っておけば皆が幸せになれるに違いない。苦笑いをしながら、仲間達もまた、銘々の席を確保する。
 木製のジョッキにつがれたエールに口を付けたエルナクハ、少しばかり瞠目した。
「――水で薄まったエールでも出てくるかって思ってたぜ」
「新入り相手とはいえ、そんなこすっからいマネができるかっつーの」
 気骨のありそうな親父は、気分を害したかのように――とはいえ表面的にそう見せているだけだろうが――声を吐き出したものの、すぐに満面の笑みを見せて問うてくる。
「ウチはそのあたり、きっちりやってんだ。性悪な酒場と一緒にするんじゃねぇ。どうだ気に入ったか新入りども!」
「ああ、気に入ったぜ、おっさん」
 結構旨いエールに舌鼓を打ちながら、パラディンの青年は応じた。
 親父はエルナクハを二十歳ほど年取らせたような高笑いをする。
「まぁ、この国に、そんなこすっからいマネするような酒場なんか、一軒もないけどよ」
「なぁ、ところでよ。仕事がしたいときは、ここで受ければいいんだな?」
「ほう、お前ら冒険者志願か」
「いやいや、志願なんかじゃねぇよ。もう立派な冒険者だ」
「アホウ」
 心底呆れ返った顔で、親父は短く声をあげた。
「お前たちのことは、顔を見れば大体わかる。大方、エトリアの『世界樹の迷宮』あたりで鳴らした連中だろう。だが、エトリアでいくら鳴らしたからって、ここじゃ、新米ぺーぺー同然だ。少なくとも、大公宮から新米どもに申しつけられるオシゴトをやり遂げなきゃ、冒険者って認めるわけにゃあいかねぇのよ」
「……厳しいのんな」
 ブシドーの娘のつぶやきに頷き、親父は続ける。
「エトリアで結構強かった、って豪語する連中の半分が、『最初のオシゴト』から帰ってきやがらねぇ。そんな状況じゃ、自己申告をおいそれと認めるわきゃあいかんだろ」
「半分が、帰ってこない……?」
 エールを傾ける手を止めて、ナジクが呆然と復唱した。
 もちろん、仲間達の全員も、彼と同じ思いだった。
 エトリアに集った冒険者達がどれだけ強かったのか、『ウルスラグナ』だからこそはっきりとわかっている。ライバルギルドだった『エリクシール』だけではない、強さだけなら、そこらの国で一、二を争うくらいの猛者はごまんといたのだ。
 それが、戻らないという。しかも、最初の試練で、だ。
 ハイ・ラガードで新米に科せられる試練がどんなものかは、まだわからないが、比較対照としてエトリアのことを思い出す。
 エトリアでは、『新米冒険者の心得』として、地下一階の地図を描き上げることを強いられたものだった。エトリアを踏破した『ウルスラグナ』とて当時は本当に新米で、それでも人間相手ならそう簡単に引けは取らない者達が、樹海入り口の、ただの動物としか見えないような生き物達に苦戦を強いられた。『ウルスラグナ』は生き延びたが、そこでたおれる冒険者達も数多かったのだ。
 もちろん、冒険終盤で強さを身につけた頃には、入り口程度の敵は片手で狩れるようになった。
 が、樹海を離れ、強敵と戦うことのなくなった昨今、樹海で鳴らした猛者の力も、すっかりと衰えた。樹海の外の相手には十分通用する力、しかし、新たな樹海内部の生き物達に対しては、どうか。
「……勝って兜の緒を締めよ、だったか、ほのか? そんな言葉、ブシドーにあったよな」
「ええ、ありましたし、エルナクハ殿」
 さすがに真剣みを帯びた顔でエルナクハが問うところに焔華が応え、他の仲間達も厳しい表情を浮かべる。
「はっは、オリコウさんだな。そうだそうだ、大口は『最初のオシゴト』を済ませてから叩けよ」
 親父の揶揄を耳にしながら、『ウルスラグナ』は残りのエールを一気にあおった。
 エールは旨くて、そして、苦かった。まるで『世界樹の迷宮』内部で体験するであろう喜怒哀楽のように。

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