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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


プロローグ・5(完)

 先程まで『ウルスラグナ』の女性達が笑劇を演じていた舞台の上で、恥辱のショーは始まった。
 パラスは、にんまりと笑いを浮かべると、鐘鈴を構えて、凛とした声音と共に軽やかに振った。
 口が紡ぐのは、ゴロツキの尊厳を完全に奪い去る、恐怖の命令。
「命ず、汝、自らの、交接器を、舐吸しきゅうせよ」
「ああ……あ……」
 すでに上半身を裸にされたゴロツキは、泣き喚かんばかりの顔で、拙い動作でズボンを下ろそうとした。しかし。
「――というのはヤメにして」
 ちりん、と鈴を一度鋭く振り、パラスは破顔した。だが、ゴロツキが許されるわけではなかった。命令が別のものに代わっただけである。
「命ず、汝、腹踊りを踊れ!」
 腹を滑稽にくねらせ、しかし顔は情けなく歪ませながら、ゴロツキは命令通りに腹踊りを踊る。
 周囲からは、最初は遠慮がちに、やがて容赦なく笑いの渦が巻き起こった。
 ちりちりちりちり、と間断なく鈴を鳴らし、すっかり上機嫌のパラスに、エルナクハは、おそるおそる問いかける。
「ちょめちょめ吸わせて……殺すんじゃなかったのか?」
 パラスは数度まばたきをしつつ、意外な顔でパラディンを見た。鈴は振り鳴らしたままである。
「……え? エルにいさん、そんなショー見たかった?」
「見たくねぇ見たくねぇ」エルナクハはぶんぶんと首を振った。
 カースメーカーの少女は、少し意地悪そうな表情を浮かべて、くつくつと笑う。
「なんだったらエルにいさん、掘って」
「何をだあッ!」
 常に傲岸不遜なパラディンが、羞恥に顔を赤くしながら泣きそうに叫ぶのは、ある意味で見物だったかもしれない。
「オレのはセンノルレ専用だあ! まして男なんかあ!」
「――このヒト用の反省用の穴を街はずれにでも掘ってもらおうと思っただけなのに」
 パラスが本当にそのつもりで言ったのかどうかはともかく、すっかりと墓穴を掘ったエルナクハである。
「恥ずかしいこと叫ぶんじゃありません」
 奥方であるアルケミストに手刀を食らわせられるパラディンを見つつ、パラスは、
「もう、はいはい。ごっそさん。おかわりはいらんとですよ」
 さらに鈴を振り鳴らし、ゴロツキの腹踊りを激しくさせるのであった。
「バカ兄貴」と妹のオルセルタが頭を抱える。
「おもしろそう、おれも、踊る」
「やめろ」
 勇んで舞台に飛び出そうとするティレンを、ナジクが首根っこを掴んで止める。
 マルメリがリュートを構えて軽快な曲を合わせる。
「少しは手加減してやらないと、明日が筋肉痛で可哀想だぞ、パラス」
 医師としての忠告のつもりか、アベイがそんなことを言う。
「いやぁ、わちの故郷の大酒呑みどものバカ騒ぎみたいやなぁ」
 焔華の心は遠い故郷に飛んでいるのだろうか。
「こう、腹に目鼻口描いて、くねらせて踊ったものよさー」
「あ、焔華ねえさん、そのアイデア、いただき!」
 パラスは目を輝かせると、少しだけ鈴の音の調子を変えた。ゴロツキは踊りながらじりじりとパラスに近寄ってきた。パラスが差し出した、小さな容器入りの何かを、ゴロツキは指先ですくい取り、自らの腹になすりつける。程なくして、歪んだ目鼻口がゴロツキの腹の上に顕現した。
 ちなみに、容器入りの『何か』は、パラスが正式にカースメーカーとして動く時に顔に施す文様を描くための、『朱』である。
「ちなみに、上着ぃ半分だけ脱いで頭隠して、腹だけ出して踊れば完璧やし」
「いや、そこまでは面倒だからいいよ」
 焔華の言葉にパラスは苦笑しつつ、それでも鈴振る手は止めない。
 結局、ゴロツキは大分長いこと腹踊りを踊らされたが、ついに本当に泣いて叫んで許しを請うたので、解放してやることになった。鈴の音がぴたりと止まると、ゴロツキは自分の四肢が本当に自分の思うがままに動くことを確認した後、脱ぎ捨てられた自分の上着をおそるおそる拾い上げ、かと思うと脱兎のごとく走り去る。
「覚えてろよー!」
 もはや悪党の定番となった捨て台詞を叫びながら。
 その捨て台詞に返すのは、やはりギルドマスターであるパラディン。
「意趣返ししたけりゃ、ハイ・ラガードに来いよー! いいかぁ! この酒場じゃなくて、ハイ・ラガードだぜー! 待ってるからなー!」
 余談だが、残るゴロツキ達は、アベイに診察され、ティレンやナジクに強引に起こされた後、自分達のリーダーが逃げ去ったことを悟ると、這々の体で後を追っていった。
「やれやれ、だぜ」
 エルナクハは肩をすくめ、酒場を見回した。
 一悶着あった割にはひどいことにはなっていない方だと言える。初期段階での一般客及び食事と飲み物の退避がうまくいっていたためだろう。パラディンは満足げに頷くと、
「さて、変な奴が乱入してきて盛り上がったところで、飲み直すかぁ!」
「……乱入して興醒めしたけれど、じゃないんだ?」
「盛り上がったじゃねぇか、一応」
「……ああそう、もぉ、いいわよ、バカ兄貴」
 なんかいろいろあったこともすっかり忘れて上機嫌の兄に、オルセルタはまたも頭を抱えた。
 ところで、頭を抱えているのはオルセルタだけではなかったのである。
「――あんた達、悪いけど、この店を出てってもらえないかな」
 遠慮がちに、しかし譲歩の余地のない確固とした決意を秘めた声に、『ウルスラグナ』一同が視線を向けると、そこにいるのは酒場の親父ではないか。
 なんで? と言いたげなエルナクハを前にして、親父は再び、出ていってくれ、と要求を口にする。
「……ゴロツキ相手に暴れたからか?」
「ああ」
「被害、あんまり出さねぇように努力したんだけどな」
「それは感謝している。でも、奴らはお前さん達に意趣返しに来るかもしれない。その時はどうなるか……」
「だから、ここじゃなくてハイ・ラガードに来いって言ったんだけどなぁ」
「奴らがそれを素直に聞けばいいんだが、今日のうちに意趣返ししたけりゃ、ハイ・ラガードよりこっちに来るだろう?」
「ああ」ぽん、とエルナクハは右手拳で左掌を叩いた。「そりゃ道理だ」
「道理っつーか、考える前にわかることだと思うけれど」妹はさらに頭を抱える。
 エルナクハは、仕方ない、と言いたげに溜息を吐くと、にんまりと笑って親父に問うた。
「料理は持ってってかまわないだろ? 器は後で返す」
「代金もらったものを持ってかれて文句は言わないさ。器は返せよ」
「おし、決まった。『ウルスラグナ』はこれより撤収するぜオラぁ!」
 ギルドマスターの決定に、ギルドメンバーはそそくさと従った。ティレンが通称『腿肉アックス』を担ぎあげながらも皿料理を確保し、ナジクは酒瓶を何本も掴む。アベイが小皿を借りた盆に載せて持ち上げる傍で、女性達も手近な料理皿を手にした。
「これ、宿に持ち込むのかいや、エルナクハどの?」
 ブシドーの娘の問いかけに、パラディンは、んー、と小首を傾げたが、さほどの間もなく、首を横に振った。
「いや、せっかくだから街はずれの丘に行こう。ユースケが世界樹を見てたとこだ」
「世界樹、見えるかな?」
「夜桜ならぬ夜世界樹……って言いたいとこだけど、もう夜だから、無理だろうな」
 パラスの疑問にはアベイ自身が答え、場所が決まったなら、と先導にかかる。
 そんな彼らを見送るのは、酒場の客達の喝采。
「よくやってくれた!」「見物だったぜ!」「スカッとしたよ!」
 などなどと、『ウルスラグナ』に声を掛け、肩を叩き、背を押す。まだ口を付けられていない酒の瓶や料理を差し出す者までいる。
 どーする? と目で問うソードマンに、パラディンは笑みを見せた。
「せっかくの厚意だ、もらっておこうぜ」
 ティレンは目を輝かせ、贈り物を受け取りにかかった。
 オルセルタ、マルメリ、焔華の三人娘には、ゴロツキとの立ち回りとは別の方面への歓声が送られている。
「また演武を見たかったら、ラガード公都まで来てねん」
 じゃららん、とリュートで分散和音アルペジオを奏でながら、マルメリはちゃっかりと宣伝込みで応じた。剣の舞を演じた二人は、乞われるままに笑顔で手を振ったりしている。顔が若干引きつっているのは、このような状況に不慣れだからだろう。舞台人としてはまだまだということだ。
「……ったく、まるで凱旋じゃねぇか」
 冒険者達を店から追い出した張本人、酒場の親父が、苦虫を噛み潰して胃液と共に吐き出したような苦々しい声で、ぼやいた。だが、その表情は意外にも晴れやかであった。つまりは、親父もまた、一個人としては、『ウルスラグナ』の暴れっぷりに胸のすく思いをした手合いなのだ。

 たったひとつの小さなカンテラの明かりを頼りに、『ウルスラグナ』は丘への道を辿る。
 月明かりと星明かりが道を照らしてはいるけれど、それは人間にとってはいささか冷たく幻想的すぎて、確固たる歩みの友とするには気が引ける。カンテラに宿った小さな炎の明かりは、昼の太陽の輝きに比すれば、なんとも心細いものではあるけれど、ほのかに暖かく、大いなる標となって一同を包んでいた。
 エトリアより遥か北方の高地。昼こそ晩春の暖かさに包まれているけれど、夜には冬の魔女の未練のような寒気が肌を刺す。足元に咲く小さな草花も、寒さに震えている。
「おし、ここがいいだろ」
 丘を登り切ったところで、大きな敷布ラグを広げる。オルセルタが一旦宿に帰って持ち出してきたものである。
 もらってきた料理や酒を、その上に並べ、
「んじゃあ」
 と、エルナクハは自分の杯を手に取って立ち上がった。座ったままで自分を見上げる仲間達を、ぐるりと見回し、にんまりと笑いかける。
「ちょっとしたトラブルがあったが、気ィ取り直して騒ごうぜ。明日からのハイ・ラガードでの生活と、世界樹での冒険に期待して――」
 杯を上げて、世界樹があるはずの方にかざす。
 残念ながら今は夜。
「まあ、肝心の世界樹は、見え……ねぇ、けど……」
 見えないはず、だったのだけれど。
 にもかかわらず、『ウルスラグナ』の目前で、ハイ・ラガードの世界樹は、遠かりしといえども偉容たるその姿を、はっきりと現していた。
 世界樹は、闇だ。緑成す幾千万の葉も、天地を繋ぐ幹も、等しく黒一色に塗り潰されている。だが――空は違った。銀砂を撒いたような星空は、ぼんやりと光をまとい、その裾を地にも垂らしている。
 世界樹は、自らの後方からの星の光を遮り、結果として、淡い星明かりの中に浮かび上がる漆黒の大樹として、その姿を堂々と晒していたのである。
「……はは……ッ!」
 エルナクハは不敵に笑った。目の前の事象は、自然現象と呼ぶのもおこがましい、当たり前の現象。だが、まるで世界樹が自分達に『踏破してみろ』と挑戦状を叩きつけに現れたかのようにも見えたのだ。
 その上空で星明かりを遮るのは、雲だろうか。あるいは――天にあるという『空飛ぶ城』の影だろうか。
「待ってろよ、世界樹に『空飛ぶ城』!」
 エルナクハは、改めて杯を掲げ、不退転の決意を声と成す。
「必ずや、オレらがオマエらの真実を、この目で見てやるぜ!」
 ギルドマスターの気合いの入った声に、仲間達も杯を上げ、同意の意を示すのだった。
 明日からの冒険に、己の信じる何かの加護あれ、と。

 世界樹の迷宮の果てには、何が待つのだろうか。
 栄光か、賞賛か、名誉か。
 無念か、失意か、絶望か。
 いずれが待つのだとしても、恐れを知らぬかのように、勇気ある一歩を踏み出す者達がいる。
 人は彼らを――冒険者と呼ぶのである。

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