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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


プロローグ・4

 話が和やかにまとまったところで、卓上に広がる食事や酒を本格的に片付けにかかろう、とした、ちょうどその時。
 華々しくガラスが砕け散る音が、酒場の喧噪をも砕いて沈黙させた。
「なんだぁ?」
 せっかくの宴を邪魔されたエルナクハが、眉間にしわを寄せて無粋な乱入者の音源を捜すと、果たしてそれは、文字通り無粋な乱入者どもの仕業であった。おそらく『ウルスラグナ』が『空飛ぶ城』の話に花を咲かせていた時に、酒場にやってきた連中だろう。なぜそんなことがわかったのかと問われるならば、その無粋な連中はいかにも冒険者と言わしめる格好をしていたからだ、と答えられる。『ウルスラグナ』が酒場に席を占めた時には、いかにも冒険者らしい一団はいなかった。
 ハイ・ラガードに近いこの街は、当然ながら、かの世界樹を目指す冒険者達の訪問も受ける。しかし、すべての冒険者がお行儀がいいわけではない。そして、冒険者流の行儀は、一般人からすれば、心地よいものではないことが多い。近場の街の布令の影響で、ここ数ヶ月のうちに見慣れない客人の訪問を次々に受け、疲れ果てている、というのが、この街の本音であろう。
 もちろん一般人に充分な礼節を払い、真に歓迎される冒険者達もいたはずだ。そして『ウルスラグナ』も、そういった模範的冒険者を目指していた。武装を解き、充分な代金とチップを払い、本来は自分達の暇つぶし目的とはいえ、酒場の客人を楽しませもした。だというのに、無粋な連中は、そういった『ウルスラグナ』の努力を嘲笑うかのように、冒険者の姿で、冒険者としても許されないような礼儀を貫いている。
「よぉ、ねえちゃん、頼んだ料理を出せないって、どういうことかな?」
 いかにも柄の悪い戦士風の男が、酒場の給仕の娘に絡んでいる。娘の足元には粉々のガラス杯、それが、おそらくは先程の音の正体の成れの果てであろう。察するに、望み通りの料理の供出を断られたので、かっとして杯を床に叩きつけた、というところだと思われる。
 給仕の娘は、半ば泣きそうになりながらも、必死に酒場側の主張を繰り返していた。
「ですから、材料が足りないんです。お魚なら、お待たせしないでお出しできますけれど、お肉は、生憎切らしちゃってるんです。少しお時間を頂ければ、お肉もご用意できますけれど……」
「おれ達に、犬みたいに待てっていうのかよぉ!」
 典型的な小悪党である。エルナクハは、やれやれと言いたげに首を振った。
 さて、どうするべきか。あの程度の悪党、実力的な話なら、止めるのは容易いだろう。しかし、ここは酒場である。一悶着起こした後にどうなるかは、火を見るより明らかな話だ。
 なるべく周囲に迷惑をかけないように、と考えていると、ナジクと目が合った。常日頃物静かで無愛想、自分以外に興味がないのでは、と勘違いされるほどに無口なレンジャーの青年は、その蒼氷の瞳の中に封じられた炎を静かに燃やしていた。
「僕が」と言葉少なく、ギルドマスターの決断を促してくる。
 エルナクハはナジクの過去をほとんど知らない。だが、エトリアに至るまでに、戦乱に巻き込まれ、近しい者をすべて失う、という経験をしてきたらしい、ということは知っている。おそらくレンジャーの青年は、荒くれ者に詰め寄られる娘を、なくした親族の誰かとだぶらせているのではないだろうか。
 どっちにしろ、このままでは酒も不味い。エルナクハは決断した。
「――やっちまえ、ナジク。でも、空気は読め」
 ナジクは静かに頷くと、卓上のナイフを数本手に取った。
 ひょうふっ、と、鋭い風が酒場の空気を切り裂いた。『ウルスラグナ』以外には、その正体は、着弾の瞬間までわからなかっただろう。娘に掴みかかろうとしているゴロツキの鼻先をかすめ、薄い血の色の線を付けさせた以外には、他の何ひとつも傷つけることなく、酒場の壁に突き刺さった一本のナイフ。びぃん、と振動しつつ新たな居場所を確保したそれは、ナジクが投擲したものに間違いない。弓を修練するレンジャーは、他の飛び道具に関しても秀でていた。
 戦士風のゴロツキは鼻に手をやり、壁に視線を投げかけ、そして『ウルスラグナ』を見た。物事の因果関係を把握する程度の頭はあるようだ。というか、そのくらいの期待に応えてくれないと困ったところだ。そうでなくては、酒場の誰も彼もを標的として暴れかねないから。
「おい、てめぇら! 何しやがるんだ!」
 芸のない言葉を吐き散らしながら、ゴロツキどもが近付いてきた。ナジクが残りのナイフを構え、鋭い瞳で相手を睨め付ける。
 と。
「ナジク」
 ぐぎ、とレンジャーの頭が後ろから引き倒された。加害者は赤毛の少年、つい今まで両手で抱えるほどもあるもも肉の燻製にかぶりついていたはずのティレンである。明日はむち打ちになるかもしれない被害者ナジクは、苛立たしげにティレンを見たが、すでにティレンはナジクを見ていず、エルナクハにすがる子犬のような目を向けている。
「エル兄、続きはおれがやる」
「おいおい」
 困り果てた口調ながら、その実楽しげにエルナクハは命じた。
「ヘタうつとメシが全部台無しになるぞ。気を付けろよ」
「ん、気を付ける」
「エル!」少し声を荒げてナジクがエルナクハに抗議した。その苛ついた表情を見て、しかしエルナクハは笑む。
「前線はティレンの仕事。さしあたって他のヤツはお客様と食事の退避支援に徹するんだよ」
 その言葉通り、『ウルスラグナ』の残りのメンバーは、いつの間にやら周囲の客や食事を退避させる作業にかかっている。不承不承、ナジクは頷くと、自分の目の前にある酒瓶を数本、確保した。
 その間にも、ティレンとゴロツキ達は一触即発の状況下にある。
 いつの間に取り出したのか、戦士風のゴロツキはナイフを両手の間でぱしぱしと行き来させつつ、ティレンを脅して……いるつもりなのだろうが、脅されている方はカエルに小便を掛けられたほどにも感じていない。
「……ナイフをそういじるのって、ばかに見える」
「オレをバカにしてんのかぁ!」
 平坦ながらも哀れみを孕んで聞こえるティレンの口調に、ゴロツキ達は激昂した。本当のことを正直に言ったつもりのティレンは、目をぱちくりとさせながら、戦士風のゴロツキがナイフを振り下ろそうとするのを見た。
 誰かが甲高い悲鳴を上げる。
 が、悲鳴の主が考えるような惨劇は起こらなかった。ナイフは確かに肉に突き刺さりはした。だが、それは、ティレンがついさっきまでかじっていた、食べかけの腿肉の燻製である。燻製を盾代わりにして敵の攻撃をあしらったティレンは、思いきり肉を振る。意外と重量のあるそれに、戦士風のゴロツキは吹き飛ばされ、床にのされた。
「喜べ。これが斧だったら、おまえ死んでる」
「ざけんなゴラァ!」
 残るゴロツキ達がいきり立った。仲間が本当に惨殺されていれば、目の前の赤毛の少年に恐れを抱いたかもしれないが、なにしろ得物は燻製肉である。滑稽なことこの上ない。それがゴロツキ達の苛つきをさらに煽り立て、赤毛の少年やその一党への敵意として現れた。一斉にかかればなんとかなる、とばかりに同時に襲いかかってくる。
「困った」
 ティレンはぼそりとぼやいた。「ここ狭い」
 普段の戦いならゴロツキ程度には困らないが、戦場の狭さが今は足かせとなる。そうそう遅れは取らないにしても、いらぬ苦戦を強いられる予感に、ティレンは本当に困った。困っただけ、とも言えるのだが。
 その背後で、パラディンがにんまりと笑む。低い声で、仲間の一人に命じた。
「ナジク、援護してやれ」
「承知」
 冷静に、しかしその実、世界樹の迷宮内で回復の泉を発見した者のように目を輝かせて答えたナジクは、手近にあった使用済みの串焼き用の鉄串を何本か手に取り、台布巾で手早く拭うと、次々に投擲した。無造作に見えるが、狙いは極めて正確。ただの生活用品は恐るべき武具となって、ゴロツキどもの肩口や腿を貫いていった。怯んだゴロツキに、ティレンの追撃が迫る。ソードマンは喜々として一時の相棒に呼びかけた。
「けりつけるよ、腿肉アックス!」
 勝手に妙な銘を付けている。
 ともかくも、幾ばくの間も置かずして、ソードマンとレンジャーの活躍により、せっかくのくつろぎを邪魔した輩は、ほぼ全員が倒れ伏すこととなったのだった。
「よくやった、二人とも」
 ギルドマスターは一仕事終えた仲間を上機嫌でねぎらい、王が臣下に杯を賜るかのごとき雰囲気で、ワインを注いだ杯を差し出した。
 しかし、仲間の獅子奮迅の活躍を目の当たりにしていた以上、やむを得ないかもしれないが、いささか油断しすぎていたということだろうか。
 隣で悲鳴が上がったのを聞きつけ、エルナクハは顔色を変え、叫んだ。もしもギルドメンバーの中からただ一人しか助けられないとしたら、おそらく選んでしまうであろう者の名を。
「ノル!」
 いつの間にか、最初に倒れた戦士風のゴロツキが、アルケミストの背後に回り、片腕で抱きとめつつ、もう片腕でナイフを突きつけていた。おそらくはティレンとナジクが大立ち回りを繰り広げている最中に我に返り、床を這って回り込んだのだろう。さしもの『ウルスラグナ』も狂騒に浮かれて気が付かなかった。
「てめえら、ふざけたマネしくさって……!」
 立場を逆転させたゴロツキは勝ち誇った表情を浮かべ、ナイフをこれ見よがしにちらつかせた。
「さて、このオトシマエ、どうつけてもらおうかな。……下手なことを考えるなよ、わかってんだろうなァ!」
 嫌な言葉と笑いで冒険者達を牽制しておいて、ゴロツキは親指と人差し指と中指でナイフを器用に保持したまま、残りの二本指と掌底で捕らえた女の身体を撫で回す。だが程なくして、意外そうな顔をした。興醒めの色がよぎる。
「……なんだよ、このボテ腹は」
 その時、ゴロツキは、否、酒場にいるすべての者は、その『音』を聞いたのだった。 

 ちりん。
 涼やかな、しかし、不気味に響く、鈴の音が、皆の耳目を集めた。
 そんなものは聞き流せばいいゴロツキでさえも、「下手なこと考えるなって言っただろォ!」と怒鳴ることすら忘れ、鈴の音に聞き入った。――否、ゴロツキはそうしたくてしているのではないのだ。全身がぷるぷると痙攣し、顔が汗でだらだらになってなお、鈴の音を聞いた瞬間の体勢をとり続けなくてはならない。
「もう、やだなぁ。妊婦さんは、大切にしなくちゃだめじゃない」
 再びの鈴の音と共に、少女の声がした。
 軽やかな服を着た少女は、しかし、いざ本性に立ち返るならば、その職種の特徴である、冥きローブと呪鎖をまとう存在であった。自他共に呼称する、その職種の名は、カースメーカー。呪鈴と呪声をもって、他者を束縛し、思うがままに操る、時代と地域によっては激しく忌まれる者どもの末裔。
「て……てめ、え……」
 とんでもない相手に喧嘩を売ったことを、ようやく知ったゴロツキが、それでも虚勢を張る。
 その虚勢を、『イキがいい』と喜ぶかのように、『ウルスラグナ』のカースメーカー・パラスは、ちりちりと鈴を鳴らして、あどけない少女そのものの声で告げた。にもかかわらず、彼女自身の声に、冥界から這い出てきた死神が唱和しているような、そんな雰囲気を、その場にいた全員が感じたのだった。
「命ず、諸手を挙げよ」
 否応なく、ゴロツキは従った。即座にエルナクハが妻を奪い返す。それをしかと確認したパラスは、ちりちりちりちり、と、からかうように鈴を振りつつ、口を開いた。
「女を従属物としか見ない男って結構いるけどサ、女のはらから生まれたんだから、せめて自分のお母さんと妊婦さんぐらいは大切にしてあげなきゃ。アナタ、そんなこともわかんないヤツだっていうなら、自分で自分のちょめちょめでも吸いながら死んじゃえ」
「ちょ――」
 なんだかとんでもない宣言のろいに、自分達が呪われるわけでもない、味方側の男性陣が、一斉に震え上がる。もちろん、実際に呪われるゴロツキの顔色は、端から見ている分には笑える七変化ぶりであった。
「うあ……」
 ゴロツキが哀れな声を上げる様を嘲笑うかのように、またも、鐘鈴が、ちりり、と鳴った。

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