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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


プロローグ・1

 辺境の街エトリアに現れ、おおよそ四半世紀の間、人々を狂騒の渦に陥れた、地下樹海迷宮『世界樹の迷宮』にまつわるあれこれは、最終的に樹海の最奥へと辿り着くことになる冒険者ギルドが、おおよそ一年を掛けてその偉業を達成することで、収束に向かった。
 彼らにとって、エトリア滞在の最後の三ヶ月は、いわゆる『後始末』という言葉に相応しいものだっただろう。街にとっては、二十余年を掛けて開催された大祭の余韻を感じながら、やがて訪れるであろう寂寥の日々に再び馴染むために必要なことだ。
 もはやエトリア樹海は閉ざされ、人間が立ち入ることは不可能になった。地下一階と呼ばれた場所には辛うじて立ち入れるが、その下へと続く虚穴は、どこを捜しても見つからなかった。珍しい素材と冒険者の到来、いずれも樹海に依存した二大『産業』を発展の礎としてきたエトリアは、いずれまた、小都市に戻るだろう。何らかの手段を講じない限りは。
 自分達のせいだとは思わないが、まったく何も感じないわけではない。
 樹海を踏破した冒険者ギルド『ウルスラグナ』のギルドマスターである青年、パラディン・エルナクハは、見納めに、と、もう一度エトリアの全景を見渡した。常日頃は傲岸不遜な光を宿す瞳にも、さすがに名残惜しげなものが宿った。
「――お前達が気にすることじゃないよ」
 エルナクハの傍らに立つ、もう一人のパラディンが、穏やかな声を掛けた。あせたような赤髪と黒い肌のエルナクハとは違い、いかにもお伽噺に出てきそうな金髪碧眼の少年騎士である。彼は『ウルスラグナ』のギルドメンバーではなく、最後まで樹海踏破を競ったライバルギルドのメンバー。ギルドそのものは『ウルスラグナ』の健闘を称えながら潔く解散したが、パラディンはこの街に残って執政院に入った。彼は、この街で、あるいは迷宮の中で、何を掴んだのだろう。
「オマエは何を護りたくてエトリアに残るんだ?」
 エルナクハは問うてみた。他者が自分の信念に基づいて決めたこと、口出しする気は毛頭ない。この質問は単なる興味だ。だから応えがなくても構わなかったが、少年騎士は緩やかな笑みを浮かべて素直に答えたのであった。
「樹海の平穏を。いずれまた自ら開かれたなら、その時こそは剣ではなく和を。さもなければ、閉息を乱すものが現れないように」
 しばし口を閉ざす少年騎士。続けるべきか否か悩んでいるようだったが、結局、続けた。
「なにより、ある方を――ある方の眠りを護るため」
「白き姫?」
 不眠に悩んで冒険者に救いの手を求め、『ウルスラグナ』のカースメーカーの呪言で悩みを取り除かれた、エトリアの富豪の令嬢のふたつ名を、エルナクハは口にする。
 少年騎士は頭を振った。
「違う――」
 どことなく歯切れの悪い返答に、その先を語ることを拒絶する意思を感じたエルナクハは、追及を止めた。
「まぁ、誰でもいいけどよ。騎士たる男子が決めたからには、故なく違えるなよ、その誓い」
「無論」
 その返事は、水晶の結晶のように揺るぎなく、純粋で明朗なものだった。
 四つほど年下の少年騎士の様子に、にんまりと笑みを浮かべていたエルナクハだったが、ふと、懐から懐中時計を取り出して時刻を確認した。わずかに頷いて、時計をしまう。
「――悪ぃ、そろそろ出立の時間だ」
「そうか。ハイ・ラガードまで何で行く気なんだ?」
「馬車を乗り継いで半月、ってところかな。合間の街で休息も挟むけどよ」
 少年騎士とは違い、エルナクハはこの街を旅立つ。自分についてきてくれたギルドメンバーを引きつれて。目指すは、新たに迷宮が発見されたという、北方の街ハイ・ラガード。『世界樹』と呼ばれる大木に抱かれたその街は、世界樹内部に発見された迷宮をめぐって、狂騒の兆しを見せているらしい。かつてのエトリアがそうであっただろうように。
「実際は一ヶ月近くかかるかもしんねぇな」
「海路は? 今の季節なら潮流に乗れば結構早いと思うけど」
「センノルレがああだから、無理はさせられねぇし。船酔いの気があるとは聞いてねぇけど、場合が場合だし一応な」
「センノルレさんか」
 『ウルスラグナ』のアルケミストの名を耳にして、少年騎士は、さも自分のことを喜ぶかのように目を細めた。
「エルナクハも、何ヶ月かすれば立派なおとーさんだね」
「おうよ! ……初めてのことだから、ちぃとばかり不安もあるがよ」
「初めて樹海に踏み込んだ時と、どっちが不安?」
「断然、こっちだな」
 肩をすくめながら断じた後、エルナクハは豪快に笑う。少年騎士も釣られて快活な笑声をあげた。
 いやはや、未知であるはずだった樹海より、既知であるはずの人間の営みの方が不安とは、どうしたことか。
 ひとしきり笑いあった後、少年騎士が掌を差し出した。
「元気で。ハイ・ラガード樹海が楽しいからって、不注意にふらふらして皆に心配掛けるなよ」
「ち、見透かされてる――じゃねぇ!」
 エルナクハは怒鳴り――もちろん本気ではないが――、手を握り返しながら反撃を試みた。
「そんなオマエこそ、エトリアの街中で迷子になるんじゃねぇぞ!」
「なるかっ!」
「わからんぞー、例えば色街なんか、ある意味樹海より性悪な迷宮だからな、腕試しクエストに一人で挑んで目的を達成したはいいが、糸忘れてた上に道を見失って三日間も樹海をさまよってたヤツじゃ、一歩踏み込んだだけで身ぐるみ剥がされそうだぜ?」
「樹海と街は違うだろ! つーか色街なんかに行くかっ!」
 『ウルスラグナ』も少しばかり巻き込まれた、少年騎士のドジを引き合いに出すと、当の本人はむくれたような顔をした。が、ふ、と力を抜き、破顔する。
「まあ、空間的なものだけじゃない、信念的な意味での忠告として、受け取っておく」
「そうしとけ」
 エルナクハはからからと笑声をあげると、少年のそばから離れ行く。街の外では、すでに出立準備を整えた仲間達と、皆を乗せて北方へ旅立つ馬車が、待機しているはずだ。そちらの方へと足を向け、いくらか歩を進めたが、ふと立ち止まり、少年騎士を見る。
 少年の背後に広がるは、一年ほどを過ごしたエトリアの街並み。
 自分達を始めとした冒険者の手で育てられた街。
 そして、今のまま何もしなければ衰退するしか道のない、辺境の街。
 故郷でもない街から立ち去るだけだというのに、いざ顧みると郷愁を感じるのは、なぜだろう。
「手紙は書かねえぞ、筆無精だからな」
 郷愁を振り払い、少年騎士に言い放つと、相手からは思わぬ返事があった。
「心配無用。パラスが書いてくれるって言ってた」
「はは、そりゃ楽ちんだ」
 自分のギルドのカースメーカーの名を耳にして、エルナクハは笑った。少年騎士とカースメーカーは親族の間柄にあるのだ。
「なら、もう、思い残すことはないな。じゃあな」
 改めて、エルナクハは踵を返す。
「ああ、元気で」
 少年騎士は、自分が凱旋を果たすかのように、晴れやかに笑んだ。
 その表情を見たエルナクハは、それ以上は、少年騎士も、エトリアも、振り返らなかった。
 だからエルナクハは知らない。少年騎士がどこまで自分を見送ってくれたのかを。あまりにもまっすぐに未来ハイ・ラガードを見つめていたがゆえに。
 けれど、後々に、エルナクハは後悔することとなる。
 もう一度くらいは、振り返っておけばよかった、と。

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