いわゆる『三属性ガード』と呼ばれる一連の防御スキルを使う時、パラディンは己の愛用の盾に霊力を託すのだが、その際のイメージは様々である。
盾の前に一回り大きな不可視の盾が覆い被さる様をイメージする者がいる。
自分と仲間の前に広がる瀑布をイメージする者もいる。
『ウルスラグナ』の最大のライバルであった某ギルドに所属していた、金髪のパラディンは、盾より展開する翼をイメージするのだ、と語っていた。
そして、エルナクハの抱くイメージは、自分を育んだ、偉大なる御山の姿。かつての暗黒時代を超えてなお揺るぎなくそびえ立つ、大地母神の不動の御座。
我が女神の至高の座に跪くことなくして、我らを傷つけること敵うものなし!
それが、エルナクハのイメージであり、そのイメージを支える彼自身の信条である。
卑小なる人の身にして、傲慢に過ぎるだろうか? しかし、パーティを護るパラディンが自信に溢れていなくて、誰がパラディンに生命を託すというのか。もちろん人間、いろいろである。一見自信がなさそうでも、戦場では実際の行動をもってして、仲間の信任を得る者も、数多くいる。だが、エルナクハは自身にとっては自身の信条こそ一番だと思っている。余程でなくては、それをくつがえす気はない。
『攻める時は自信ありげに、護る時も自信ありげに、ケツまくる時も、もちろん自信ありげに』
それが、エルナクハ・ダユ・スラン・バルタという青年である。
「さて、いつでもいいぜ、センノルレ」
冒険者ギルド統轄本部の中庭、冒険者の修練場にて、自身の装備を改めていたエルナクハは、満足すると、アルケミストに声をかけた。
短い黒髪をかすかな風になびかせながら、錬金籠手
の点検をしていたアルケミストの女性・センノルレは、顔を上げ、眼鏡越しに心配げな眼差しをパラディンの青年に向ける。普段の怜悧な女史めいた表情からは、想像も付かない顔である。
「訓練に最大威力の大雷嵐を使うこともないのでは、エルナクハ?」
「らしくねぇなぁ」
エルナクハは、黙って立っていれば美丈夫と言えなくもない姿の一部である、その顔を、豪快に歪めて大笑いした。笑声は粗にして野だが卑ではなく、夜の帳を裂いて天へ届けと啼く、暁の天馬のいななきをも連想させる。
「ちょっと前のオマエなら、いい研究データが取れますから、とか言って、容赦なかっただろうによ」
「笑い事ではありません。生命に関わることです」
「ま、夫を信じろよ、ノル」エルナクハは片目をつぶってセンノルレに応じた。「これでも、エトリアの樹海の謎を解いたギルドの、ギルマス様だぜ?」
どこまで自信ありげなのか、パラディンの様子に、アルケミストは、ふう、と溜息を吐く。だが、馬鹿は言っても治らない、と、腹をくくったのだろうか、再びエルナクハを見据えた視線は、冷徹な光をまとっていた。
「わかりました。では、覚悟なさい、エルナクハ……!」
距離を取ったセンノルレは、錬金籠手の掌を広げてパラディンに向けた。魔物の目玉のような噴出口がエルナクハを睨む。そこから吹き出し、ぱちぱちと散りざわめくのは、高負荷の電光。程なくして、遺都と魔窟の狭間に顕現する竜王が一体に似た形を取ったそれは、恐るべき勢いでエルナクハに襲いかかる。術式を発動したセンノルレ自身が、パラディンの末路を想像して悲鳴を上げかけたほどだ。
だが、エルナクハは動かざること御山のごとし。構える盾から生じ、雷竜を迎え撃つのは、重々しく、しかし優美に鎮座する、地神の宝座を想起させる霊力の盾。真なる天の神が放つ雷挺ならまだしも、傲慢なる人の手による雷など、その前では頭を垂れ、平伏すしかない。
――そのはず、だったのだが。
「どわぁぁ!」
神座は幾ばくかの雷の侵入を許し、電光を浴びたエルナクハは、叫び声を上げて地に伏した。
「エル!」
センノルレは、籠手の反応を止める間すら惜しい、と言わんばかりに、パラディンに駆け寄った。しかしアルケミストが差し伸べかけた手を、パラディンは、
「触るな!」
の一喝で引っ込めさせる。身体には未だ、雷の残滓が爆ぜ音を立ててまとわりついている。この程度なら触れたところで大きな害にはなるまいが、好んで触れるようなものでもない。
やがて、雷の残滓が消え失せると、エルナクハはまたも豪快に笑った。
「はっはっは、やべーやべー、やっぱりスキル鈍ってやがる。まぁ樹海が閉ざされてからこっち、ろくな実戦もなかったからな。これじゃ、ハイ・ラガードに向かったところで、着く頃には、ほとんどのスキルが実戦で使えるような代物じゃなくなってるな」
文字通り、振り出しに戻る、ってヤツだ、と笑いながら締める。
「笑い事ではありません」ぴしゃり、とセンノルレは嗜めた。
「スキル鈍ってると自覚していながら、こんな危険な訓練を敢行したのですか、貴方って方は。……いえ、敢行ではないですね、愚行です、貴方の行動は」
「言ってくれるな、ノル」
エルナクハが返す言葉は、意外にも真面目さに満ちていた。
「誰かが確かめる必要があったことだ。『世界樹の迷宮』が閉ざされ、死と隣り合わせの冒険が遠いものになってしまった今、使わなくなってしまったスキルが衰えていってるってことは、な。それを自覚しないまま、ハイ・ラガードの迷宮に踏み込んで、それこそフォレスト・セルを倒したオレら強ェって勢いで突っ込んだら、どうなると思う?」
「そんな勢いで突っ込むのは、たぶん貴方だけです」
「やっぱりそうか」とエルナクハは一瞬、相貌を崩したが、すぐに真面目な表情を取り戻した。
「気付いてるか? オマエの触媒の調合の腕も、多分鈍ってる。微妙な調合の誤差が、その結果として放出されるエネルギーの質に影響を与えてる」
「そんな……」アルケミストは絶句した。「では、もっと精進しなくては。術式の精度を落とすわけにはいきません」
「……気を付けてどうにかなるってもんじゃ、多分、ないんだ」と、パラディンは首を振った。
「あの、ぴりぴりと焼け付くような、肌で感じる死の危険がない以上、平穏に慣れた人間は、ゆるゆると弱くなっていくだけなんだよ。身体と心が、そう出来上がっちまってるんだ。人間の間だけでは、強ェ強ェって言ってられるかもしれないけど、迷宮の中みたいな魔境では通用しなくなる」
言い切ってから、ぽん、と膝を叩いて立ち上がる。
「というわけで決まった。とっととハイ・ラガード行って、また迷宮の中で鍛錬だ。今すぐ行こうそうしよう!」
「落ち着いてくださいエルナクハ」呆れ顔でセンノルレは嗜めた。「準備とかそういうものがまだ残ってるんですから、今すぐになどと――」
言葉が途切れた。エルナクハが何事かと注視する前で、センノルレはしゃがみ込み、こみ上げるものを抑えるかのように、口元に手を当てた。吐き出されるものは何もなかったが、悪心は簡単には去らないようで、虚ろな目で地面をじっと見つめながら、自身を蹂躙する変調が去りゆくまでを耐えている。
「待ってろ、ユースケ呼んでくる!」
仲間のメディックの名を口にしながら走り去ろうとするパラディンに、アルケミストは声をかけた。今のところは医者はいらぬ、と強い口調で告げる。怪訝そうな顔をしつつも、今にも再び走り出そうとしそうなエルナクハに、センノルレは、自分が推測しうる、変調の理由を説明した。
エルナクハは、聴覚がおかしくなったか、と思いつつ耳をほじる。
聞き間違いではないと悟ると、容
に満面の笑みを浮かべた。
「……そうか! そうなのか! オレの……このオレの子が……オマエの腹ン中に……!」
妻に合わせてぺったりとしゃがみ込み――否、ほとんど伏せたような体勢となり、抱きしめる。耳は妻の腹に当て、目を閉ざす。残念ながら、体内の我が子の鼓動は、まだ区別が付かない。それでもエルナクハは、どうにか我が子の存在の証を掴もうと、耳を傾け続ける。
そんな夫を、センノルレは、呆れたように溜息を吐きながらも、そっと抱きしめ返した。
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