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阿部井祐介君キャラクター紹介SS
治療師アベイ編
過去世より来たる者

「ゆうちゃん、そろそろ寝る時間よ」
 ゲームを遊んでいた阿部井祐介は、つまらなさそうに「えー、もう?」と愚痴をこぼした。まだ五歳の祐介は、目の前の楽しみを我慢できるほど人間はできていない。かといって、
「早く寝なくちゃ、病気も治らないわよ。また明日、やればいいでしょ?」
 そう言われて聞き分けないほど、わがままというわけでもない。
「はーい」
 気乗りしないながらも返事をした直後、喉の奥から凄まじい苦悶の嵐が湧き出てくる。
 このまま死んでしまうのではないかと思うほどに大量の咳を吐き出し、涙目になりながらも我に返ると、いつの間にか母親が傍にいて、背中をさすっていてくれた。その顔に浮かぶ悲しそうな表情の正体を、祐介はまだ知らない。
 やっと息子が人心地付いたことを確認し、表情を穏やかなものに変えた母親が、電源ボタンに手を伸ばすのを見て、祐介は慌てて言い募った。
「待って母ちゃん、セーブしてセーブ。もうすぐクリアできるんだから」
「はい、はい」
 母親がコントローラーを手に、データセーブの操作をしているのを、漠然と見つつ、祐介は思う。
 ゲームに出てくるキタザキ先生みたいなお医者さんがたくさんいれば、ぼくの病気も治るのかな、と。

 祐介の立場はいわゆるモルモットである(もちろん、最悪の事態にならないように充分な注意を払われているが)。
 祐介がいる研究所の責任者ヴィズルの部下である両親が、息子をその立場に置いたのは、とにかくいち早く息子の病を治したいからという以外に理由はない。
 祐介のような病人は世の中にたくさんいる。それも、年を追うごとに増加の一方にある。ヴィズルも、奥方に病気の兆候が見え始めたとかで、かなりあせっているようであった。
 だが、度重なる研究は、無情な現実を人類に突きつける。人間の投薬で治る病ではないのだ、と。
 この世界の汚染が人々を蝕んでいるのだ。
 そのための『世界樹計画』、この大地の自浄能力を人間の手で引き上げ、世界を癒そうとする計画。だが――汚染がなくなれば、手遅れでない者達はゆっくりと回復していくのだろうが、はたしてそれまでには、どれだけの年月を必要とするのだろうか。
 そして、祐介は多分、『計画』の発動まですら生きていられないだろう。
 だから、祐介の両親は、息子と永久の別れをすることを決心したのだ。

「コールドスリープ技術は、まだ未完の領域にある」
 人一人が膝を抱えてすっぽりと入れそうな箱を前に、ヴィズルは重々しく語った。箱の材質は『世界樹計画』の副産物で生まれた新素材で、木材のような質感があるが、並の金属より強靱である。
「確かに、動物実験は成功している――チンパンジーまでは、な。しかし、所詮は動物、しかも月単位の短期間だ。すでに要人や富豪達が幾人か眠ってはいるが、彼らにも、成功の保証はない、と伝えてある。そんな未完の技術に、愛息子の命運を委ねていいのかね」
「このままでは、祐介は苦しんで死ぬだけです。親としてできるのは、これだけなんです」
 ヴィズルの部下である男性博士――祐介の父親は、涙ながらに上司に訴えた。
「その短い期間だけでも、愛情をたっぷり注いで、見送ってやるのが、親としての一番の役目だとは思わんのか」
「そうかもしれません、ですが」
 首を振って反駁したのは、祐介の母親――ヴィズルの部下の女性博士であった。
「馬鹿なのはわかっているのです。それでも、この子の生きるチャンスが欲しいと、私は……」
「……いや、つまらんことを言った。許してくれ」
 目の前の女性博士に妻の姿をだぶらせ、ヴィズルは心よりの謝罪を口にした。幸い、と言っていいものか、我が子にはまだ病の兆候はない。だが、もしも我が子が阿部井博士夫妻の息子と同じような状態になったら、自分は、妻は、理性だけで行動することができるだろうか。少なくとも自分には自信がない。
「本当は、祐介自身の選択に任せるべきなのでしょうが……」
 阿部井博士(夫の方)は、首を回し、ちらりと部屋の隅を見た。今日を生き延び、明日も今まで通りに起きてゲームの続きをやるんだ、と思いこんでいるはずの息子は、眠りに落ちた途端に連れ出され、基礎的な『処置』をされ、ストレッチャーの上で寝息を立てている。
 何百年、いや、何千年後かもしれない、『未来』に送り出されるために。
 『世界樹計画』そのものの目処は立ったが、病を人為的に治す目処は立たなかった。ならば、世界が『世界樹計画』で浄化されるまで、コールドスリープで眠らせておいて、その後、病の原因のない世界でゆっくりと養生させるくらいしか、方法はない。
 そう考えた研究員達は、それぞれの計画と平行してコールドスリープ技術の改良にも従事していたが、もちろん、続々と増える病人の全員を収めきれるはずもない。数少ない枠は、要人や富豪が、自分か縁者のために金の力で強引に取っていった。莫大な金が必要となる研究のためには、受け入れるしかなかった。
 自分達の立場を利用して息子を生き延びさせようとする阿部井夫妻も、彼らと同じかもしれない。が、ヴィズルにはそれを責める気はなかった。意図はどうであれ、夫妻は寝る間も惜しんで研究に精を出し、息子は研究の成果を測るためのモルモットとしての生活を耐えてきた。これまで人類のために身を捧げてくれた幼子と、彼を想う両親のために、望むならば『未来』への席をひとつ空けるぐらいは、許されてもいいだろう。成功するかどうかは別として。
「ところでトールズソン博士は……」
 名字(厳密には名字ではないが)を呼ぶ阿部井女史の声に、ヴィズルは我に返る。軽く返事をして、先を促した。
「奥方を『未来』へ送られるつもりはないのですか?」
「うむ……」
 ヴィズルは少しだけ俯いて目を閉ざす。先程、我が子が病に冒されたら、と考えたが、実のところ、妻に病の兆しが見え始めた時に、この案も頭に浮かんでいた。しかし妻は、「たとえ病で死ぬこととなっても、あなたと共に研究を続ける」と、言ってくれだのだ。夫からすれば、なんと幸せで、そして、なんと残酷な言葉だろうか。
 阿部井女史は、ヴィズルの回想による沈黙を、軽い拒絶と取ったらしい。
「すみません、出過ぎたことを伺いました」
「……ああ、いや、かまわんよ。そういう意味で黙っていたわけではないのだ」
 ヴィズルは少し慌てて、訳を話そうとしたが、その時、コールドスリープ処置の準備を行っていた研究員が近付いてきて、準備が整った旨の報告をする。
 そうか、とヴィズルは返事をし、部下である博士夫妻に告げた。
「続きは、別の部屋で話そうか。それより、最後のお別れをしてきなさい」
 ぺこりと頭を下げ、阿部井夫妻は息子の眠るストレッチャーに駆け寄る。基礎処置のために、いくら揺すっても目覚めなくなった息子を抱き上げ、ほおずりをし、「さようなら」「元気に育ってくれよ」と声を掛けていた。
 ヴィズルは、部屋の出口から眺めていたその様を、長いこと忘れることはなかった――少なくとも、遠い未来に、世界樹細胞に思考の大半を乗っ取られるまでは。

 両親やヴィズルの考えたことや成したことは、祐介本人にはわからないことである。
 彼の認識では、目覚めてみれば、状況が一変していた、ということだけだ。
 上から差し込む明かりに目を覚ましてみれば、祐介はなぜか大きな箱の中で、裸のままで水のようなものに浸かり、さまざまなコードに繋がれていた。大きいといっても、床面積は膝を抱えなくては手足がつかえてしまうくらいだ。その箱の上部が開いていたので、状況はよくわからないけど早く起きてゲームの続きをやろう、と顔を出してみれば、何ということか。病気が酷くなって『研究所』から出られなくなった少し前、幼稚園の友達とこっそりと遊びに行った廃ビルのような、世界が広がっていたのだ。
 驚いて箱の外に出ようとして、しかし転げ落ちた。身体が思うように動かない。そのまま放り投げられたぬいぐるみのように床に叩きつけられる、と思ったら、誰かに抱きとめられた。
 安堵と共に遠ざかる意識の中で、宇宙人ナメックせいじん? と思ったのは、その人物が人間に似ているのに肌の色が緑を帯びていたからである。

「おいおいおいおい、なんで『聖地』の箱の中から人間のガキが生まれてくるんだよ?」
 聖地の見回りの護衛として付き添っていた勇士ラメトク――後に人間に『グリンウォリアー』と呼ばれることになる地位の者だ――のぼやきを耳にして、樹海の先住民モリビトの年老いた巫女は急いで駆け寄った。
 やれやれ、あと少ししたら次代の巫女に座を受け渡して隠退生活を送れるという時に、厄介事が持ち上がったものだ。とは思ったが、勇士に抱かれて眠る裸の子供を見て、笑いを誘われた。モリビトであろうと人間であろうと、子供というものはさして変わりがないものだ。だが果たして、この子供は『人間』なのか?
 もちろんモリビトは、樹海誕生以前の歴史やら、コールドスリープやらを、きちんとした形では知りようがない。だから、箱の中にいた人間の子供の正体を正確に掴みようもなかった。
「人間ではないかもしれんよ。姿形は人間そのものだがの、言ってみりゃ、『聖地の子』だろうよ」
「オレにはただの人間のガキに見えますけどねぇ……っと、寒いのか、ガキ」
 抱いた子供が震えていることに気が付き、勇士は辺りを見回す。部屋の隅、ひしゃげた鉄の棚の中に、透明な固い布に包まれた白衣を見つけ、取ってきた。透明な布を破ると中の白衣を子供に着せてやる。子供にとってはいささか大きいようだったが。
「意外と手慣れとるねぇ」
「意外って何ですか。イレステクが子供の時はオレが世話したんですよ」
「おう、そうかえ、じゃ、次代の巫女が健やかに育ったのは、おまえさんのおかげだね」
「オレもモリビトの未来に貢献できたってことですか。……で、コイツ、どうするんです、巫女」
「今だってモリビトの未来に貢献しとるよ、おまえさんは。……で、どうするかねぇ」
 人間の子だろうとモリビトの子だろうと、そのどちらでもない神の子であろうとも、まさか樹海のあちこちに点在する箱と同じものから、生きた子供が飛び出してくるとは、予想外の出来事だったのである。
「ふむ、とりあえず、集落に戻ったら、樹海にお伺いを立ててみようかね」
「殺せ、と出たら、どうするんです?」
「殺すしかあるまいね」
「その時は、オレに任せてください」
 勇士は眠る子供をあやしながら言った。
「痛みも、苦しみも、感じさせないように殺してやります。で、コイツのことは死ぬまで覚えておいてやりますよ」
「優しいねぇ、おまえさんは」巫女は目を細めた。
 ともかくも続く話は集落に戻ってからだ。二人のモリビトは眠る『聖地の子』を連れて、大集落のある枯れた森へと戻る道を辿る。
「しっかし、ひょっとしたら、樹海に点在するあの箱の中にも、昔はコイツみたいに、人間みたいなのが眠ってたんでしょうかね」
「さぁ、どうだかね。ひょっとしたら、おまえさんのいうとおりだったかもしれんね」
 モリビトは人間よりは長い寿命を誇るが、今現在、樹海に等しい寿命を更新し続けているような超長寿の個体は存在しない。そして、樹海成立以前の記憶を正確に知る者もいない。だから、勇士が戯れに口にした言葉が実は正鵠を突いていたのだということは、誰も気付きようがなかった。
 前時代人の一部の人間が、未来に望みを繋いで、自分や親族の束の間の住処とした『箱』。だが、それは、世界の変動の影響を受けて、見えざる手で思いがけない場所に動かされてしまった。その挙げ句に動力と切り離されて機能を失い、そのまま中に眠る人間の『棺』と化していたのだった。そして、屍と化した人間は、自然の生態系の輪の中へと回帰し、その姿を留めることはなかった。
 『箱』も樹海の小動物の巣となり、時折、小動物がエサとして引き込んだ冒険者の屍に付随した『モノ』が、『箱』を開けた別の冒険者に発見されて利用されることがあったため、『宝箱』と呼ばれるようになっていた、という、制作者からすれば思いもよらぬ運命を辿っていたのである。

 いずれにせよ、阿部井祐介という名を持っていた少年が、数千年後の世界に再び生を受けたのは、特別な使命を背負っていたからでも何でもない。ただ、稀なる偶然が連続して重なったからにすぎない。
 樹海の託宣を受けたモリビトの巫女が、その言葉に従い、勇士に命じて第一階層の最浅層に拾い子を置き去りにしたことも。
 その子供が、すぐさま、樹海探索に来ていた人間の冒険者に発見されたことも。
 衰弱がみられたためにケフト施薬院に預けられた子供の着衣に、『阿部井』という東方文字の刺繍があったため、『アベイ』と呼ばれるようになったことも。
 (この時代を生きる者達は知りようもないが)前時代から数千年を経て浄化された世界で、アベイと呼ばれるようになったその子供が、かつての病も次第に癒え、健やかに育ったことも。
 いずれも、ただ、偶発的な出来事に、当人や周囲にいた者達が、それぞれにできる限りの行動で対処に当たった、それだけのこと。
 だから。
 世界樹の迷宮をめぐる冒険の果てに、前時代人同士が相対することになったことも。
 それは――やはり、ただの偶然だったのだ。
 必然が存在するとしたら、それは、『起きたこと』ではなく『起きたことに対処しようとすること』にあるのだろう。
 人間が人間であるべくして、強い『意思』を持っていた、ということに。

 崩壊の途上にありながらも、かつての面影を留める『塔』。
 幼い頃にどこかで聞いたような単語が並ぶ、『手紙』。
 かつて自分が存在した世界の痕跡を通じ、おぼろげながらも、自分が何者かを思い出したアベイは、かつての幼い自分を見守ってくれていた『けんきゅうじょのしょちょうせんせい』の変わり果てた姿を前にして、涙した。
 他の前時代人を置いて、ずっとずっと生きてきた『しょちょうせんせい』は、アベイを見ても、かつて可愛がった子供であることを思い出すことなく、孤独な生を貫き続けたのだ。
「なぁ、みんな」
 アベイは『ウルスラグナ』の仲間達に懇願する。
「エトリアを、ヴィズルから……いや、違う。ヴィズルを、世界から解放してやってくれ。頼む……!」
「言われるまでもねぇ」
 傲慢不羈な声音で言葉を紡いだギルドマスター――エルナクハが、鎧の揺れ鳴る重い音と共に、剣と盾を構える。
 レンジャー・ナジクも、他の二人も、しっかりと頷いて、それぞれの武具を構えた。
 その後ろ姿を見て、アベイは、声にならぬ言葉を口にする。
 ありがとう、みんな、と。
 メディック、それも治癒術の学習に専念した自分には、ヴィズルに直接的に手を出す手段はない。
 自分にできることは、おそらく苛烈であるだろうこの戦いの中、傷つき倒れた仲間を、手当てすることだけ。
 自分にできる最善の――だが、重要な、役目だ。
 ヴィズルであったものが放つ、増大してゆく殺気の前に怯むことなく、アベイは、救護鞄の蓋に手をかけ、いつでも治癒術に取りかかれるように身構えた。

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