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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・61

 これからの一戦が、今回の任務最後の戦いになるだろう。
 この任務が終われば、ボクは自由になれる。
 そんな思いが、何度も心の中を跳ね返る。余計なことを考えるな、と理性が訴えるが、なかなか治まらない。感情の揺れが影響してか、眼下に展開する味方陣営の姿も、まだ人の姿に見えてしまっている。
 本当なら、感情が沈静化するまでは戦闘行動には移らない。だが今は時間がない。ヴェネスはひとまず、過充填射撃用の細工が成された弾丸を込め終えた銃を構え、狙いをつけながら心を静めることにした。
 そういえばこういう時、師バルタンデルは、心の中で歌うと言っていたか。いつだったか、教えてもらったことがある。確か、大昔の伝説、蝋で固めた翼で太陽目指して飛ぼうとした男の歌だ。
 詳しい歌詞は歯抜けの記憶になってしまっていたので、旋律のみを心の中で歌いながら、照準を合わせる。
 二度目の中盤に差し掛かった頃には、もはや彼の意識は旋律と己が銃、そして視界の中のかんぬきのみに満たされていた。
 引き金に右人差し指を掛け、ゆっくりと引いていく。しかし引き切ることはなく、かちん、というかすかな金属音と共に、中途半端にも見える位置で動きは止まった。
 今ヴェネスが使っている銃で『過充填射撃』を行うための操作が、それである。内部では、火薬に点火が行われ、その炸裂による力が加速度的に溜まっていっているはずだ。
 あとはしかるべき時に、引き金を引ききればいい。
 本来、銃撃とは、火薬の炸裂とほぼ同時に弾丸を飛ばすものだ。その力を溜め続け、任意の時点で解放すれば、通常の威力を超えて蓄積された力が、弾丸をより強く、速く打ち飛ばすという理屈である。
 ただし、力を蓄積するには時間がかかる。銃そのものが暴発する危険性もある。大抵は銃に備わった安全装置セーフティが作動して暴発を防ぐが、溜めた力が全て無駄になることは変わらない。暴発するかしないかの瀬戸際を見極めることで、より威力の向上した攻撃を放つことができるが、当然、銃に集中している間は無防備になる。
 幸い、今現在、まだ敵が至近にまで迫ってきていない状況では、防御に関しては心配する必要はない。
 銃士が気を配るべきは、どの程度の威力をもって銃弾を放つべきか、だ。
 ファリーツェは「かんぬきを破壊してほしい」と依頼してきたが、銃士としてのヴェネスは、その正確な意図を把握していたつもりだった――聖騎士は「扉も壊していい」とは言っていない。
 もし内側から大規模な破壊が行われれば、いくら扉に開いてほしかった敵としても、想定外の事態として次の行動を定めるだろう。最も可能性が高い行動は『撤退』。エトリアの危機は脱せるが、『敵に力を示す』という目的は半端に終わってしまう。
 ゆえに、壊すのはかんぬきだけ。難易度の高い作業だが、長らく銃士として生きてきたヴェネスは、経験から来る直感のみで、『その時』を定めた。
 人差し指が、躊躇いなく引き金を引ききった。
 階下に展開する兵士達の半数が思わず両手で耳を塞ぐほどの轟音が広間を満たし、ドングリのような形をした金属塊が高速で旋回しながら扉めがけて飛んでいく。それは狙い過たず、かんぬきの中央部に命中した。その瞬間の断面図を示せるとしたら、金属塊がかんぬきにめり込み、あとほんの少し進んでいれば扉を傷つけたかもしれない絶妙な位置で止まったのが分かっただろう。だが、前時代ならともかく今世でその様を見定める技術はない。
 執政院の兵士達が見られたものは、銃弾が命中したと思った次の瞬間、その付近が文字通り木っ端微塵に砕け果てたところだけだった。しかし、破壊されたのは狙い通りかんぬきだけ。扉は目立った傷もなく、何事もなかったようにあり続けていた。

 轟音の反響が収まった後、広間は静寂に包まれた。
 狐につままれたかのような表情で言葉もない執政院兵士達はともかく、外部からの重い衝撃音もぴったりと止まってしまったのである。
 これはちょっと見誤ったかな。冷静なフリをした顔の裡でファリーツェは少しばかり焦った。
 大規模破壊には及ばないにしろ、何も動きがなかった内側から突然の轟音が聞こえた、というのも、相手にすれば十分に想定外の事態だ。様子見に切り替えるのも当然の理である。
 ただし、相手が手練なら次の行動決定までは長くないはずだ。おそらく三十数える間に事態は変わる。それ以上待っても何も起こらなかったら、自分の目論見は大失敗だ。撤退ならまだいい。敵に力を示せなくても、エトリアはひとまず守れる。だが、一度は想定したように、執政院の行動を誘うべく、エトリア市井への攻撃を開始してしまったら。
 幸か不幸か。数としては十五を数えたあたりだろうか、扉の向こうの者達は、再び扉への攻撃を始めたのである。これまでと違うのは、かんぬきが満身創痍のため、振動のたびに扉が内側にたわむことだった。
 数度は、かんぬきのまだ残っている部分が最後の務めとして耐えた。
 それも、ついには衝撃ではじけ飛び、扉の合わせ目が人一人通れる程度の暗き門を顕現させるが早いか。
 闇に落ちたエトリアから、日が落ちてなお熱を失わない風と共に、するりと入りこんできたものがあった。ひとつではなく、ふたつ、みっつ――矢継ぎ早に『それ』らは数を増やし、扉と広間を繋ぐ回廊を満たしゆく。
 それは、裂けた傷口から血があふれ出すかのようだった。人の姿をした殺戮細胞の数は、およそ二十。
 ――多っ!?
 ファリーツェは思わず内心で突っ込んだ。
 相手の数はこちらの前衛部隊より若干少ない程度、戦術としては間違いではない。彼我の個人の力量に大きな差がない場合、数はそのまま力と化す。殺す気でも、釘付け目的でも、万能に通用する『力』だ。
 ただ、戦略としてはおかしい。陽動というのは貴重な戦力を裂く行為だというのに、この数を投入してきたのか。正面口こっちは陽動ではなかったのか。あるいは、そう思わせるための策なのか。
 さもなくば、敵の数は相当に多く、二十人という数もほんの一部に過ぎないのか。
 悩んだ時間はごく短く、果てにファリーツェはそのあたりの思考をあさってに放り投げた。どう考えようと目の前の敵は減らないのだ。とりあえず対策に移るしかない。
 悠々と観察できるほどの余裕はないが、襲撃者達の服装は、出身地的な個性がほとんど感じられない、茶系色の動きやすい格好だった。祭典に参加するには地味に過ぎるが、そういう意味での『偽装』は、外しやすい外套や装飾品で補っていたと思われる。おそらく、執政院への襲撃に転じるその瞬間まで、彼らの姿は、単に祭を楽しみに来た異邦人にしか見えていなかったことだろう。
 ひょっとしたらファリーツェも哨戒中に彼らとすれ違っていたかもしれない。とはいえ、視界の端に見えただけの人までも覚えていられる記憶力は聖騎士にはなかったし、あったとしても現状で確認する術はなかった。襲撃者達は頭部を服の生地と似た布で覆い隠し、目だけが辛うじて確認できるありさまだったから。
 ――そう、『目は確認できる』。
 ファリーツェの目の奥に刃光のごとき燦めきが宿った。そこにはもう、穏やかな聖騎士の姿はなく、始末するべき敵をどう始末するかに思考の重点を置いた戦人の姿だけがある。
 その右腕が、さっと天井を指して伸び、
「弓兵隊、射て!」
 裂帛の声と共に、敵方目がけ振りおろされた。
 可聴域ぎりぎりの甲高い風切り音が三度、文字通り矢継ぎ早にファリーツェの頭上を過ぎていく。それらは期待通りに、敵の急所を穿つ矢として顕現した。
 レンジャーの弓技、『二連射ダブルショット』。いや、熟練者が放つそれは三連射だ。先陣を切って迫ってきていた輩の眼窩に深々と一本、別の敵の眉間に一本、さらに別の敵の喉口に被服を貫いて――残念ながらこれは弾かれた。内側に防護用の金属片でも仕込んであったのだろう。
 他にも十本近い矢が降り注ぐが、それらの音は先の三本に比べれば覇気に欠けている。
 弓兵隊、といってもボランスを含めて数名。ボランスを除いて上位側の腕利きは、裏口に持っていかれている。ただ、正面口こちら側は弓兵を二階、すなわち高所に配備できる。防衛室長が裏口を本命として主力を持って行ったのか、こちらは高さで未熟を補えると見なした戦力配分なのか、実のところ把握しかねるところだったが――ボランス以外の弓兵は牽制役だと元々割り切っていた。そして彼らの牽制は、期待通りには効果を現したのである。
 冷静に観察すれば、避けずとも当たらないと判るであろう矢。しかし二人の同胞をころされた直後の敵にとっては、同じ威力でる可能性も捨てきれなかったのだろう。二律背反の思考が動作に現れてか、若干動きが硬くなった。
 その隙を逃す手はない。
「前衛、突撃!」 
 再びの喚呼に、天を指す腕は伴わない。右腕には抜き放つ剣を、左手には護国の盾を備えていたから。
 広間にいる迎撃兵の約半分が揃いの大盾を構え、ファリーツェを中心に横一列を成した。間髪を入れず、入口の回廊と広間の境へと、隊列を崩さず前進する。そこで敵を封じ込めるつもりであった。
 このまま盾列を進めて敵を押し出せればいいのだが、敵をまた市街に解き放つわけにもいかない。異変を感知して駆けつける市街巡回隊と連携を取って挟み撃ちにできるまでは、あえて突破できそうに見せかけて引きつける手はずだった。
 回廊の幅は広くはなく、余裕を持って動くなら横に五人並ぶのがせいぜいである。逆に、さほど動く必要のない盾兵達は、ぎりぎりまで詰めて並べる。それでも余る兵は、真後ろに詰めて万が一に備える手はずだ。
 通る隙間のない盾の壁の前に、襲撃者達は怯む様子こそ見せなかったが、攻めあぐねてはいるようだった。完璧に見える堤の僅かな亀裂を探すかのように、刃を突き出す。
 彼らの武器は当然、隠し持てるもの、短剣の類である。『ただの短剣ではない』ことは察せられたが、それでも大盾にまともに挑んで戦果を出せるはずもない。弾かれて澄んだ金属音を奏でるに留まった。
 襲撃者達は盾を乗り越え、活路を開こうと試みる。
 盾兵達は襲撃者達の目論見を阻止すべく、盾の上から剣をかざし、邪魔をする。
 そこに、弓兵達の降らせる矢が落ちた。相変わらず頼りない矢がほとんどだったが、牽制としては先ほどと同じに十二分に働いている。その中に混ざる数少ない必殺の矢が、一人ずつ敵を駆り立てる。小手調べのような競り合いの中で、この時点ではエトリア側の損害は皆無。対して襲撃者は、三人が斃れた。 
 なお、シャイランを含む他の兵士達は、前衛の状況を油断なく見定めている。彼らは前衛が突破されたときに生きる戦力。当然、このまま出番がない方が僥倖なのだが――。
 残念ながら、そうそう話がうまく進み続けるわけではない。
 金属音が乱舞する中、唐突に上がったうめき声は、侵入者のものではなかった。
 エトリア側から見て左端から二〜三人目にいた兵士が一人、苦悶の叫びを上げている。口端から血の色の泡まで吹き出し始めた。その頬の、兜では守り切れない場所には、どす黒く変色した小さな傷があった。
 やはり、敵の武器はただの短剣ではなかった。毒が塗ってあったのだ。
 予測されたことだった。彼らの目的は暗殺なのだから。かつての打ち合わせでも防衛室長から厳重に言い含められていたことだ。各自にテリアカβも配布されている。
 競り合い中にファリーツェが近場の兵士達を守るために使っていた盾技フロントガードは、当然ながら守れる範囲に限りがある。それを見越し、両脇に近い所には腕利きを配置してはいたが、腕利きとて失敗することはある。
 しかし、周囲の兵士達は、動揺するだけで誰も動けない。彼らは毒が使われるような実戦に乏しかった。
 このままでは、防衛網が完全に瓦解する。
「構うな! 正面にのみ集中しろ!」
 ファリーツェが発した命令は冷酷なものだった。むろん単純に味方を見捨てたわけではない。仮に兵士を見殺しにする結果となったとしても、前衛一同はなりふり構わず敵の動向にのみ集中するしかなかっただろうが、現実には後衛のシャイランが動いてくれた。期待通りだ。
「ぼーっとしないで! テトラーグ、バンセル、『穴』を埋めなさい!」
 告げられた名は防衛壁の真後ろに詰めた中にいる兵士の名だった。応じた二名は盾を手に、空いた場所に滑り込もうとする。彼女自身はテリアカβを自身のポーチから引っ張り出していた。倒れた兵士に飲ませてくれるつもりだろう。
 だが、彼らの行動は完遂叶わなかった。
「ひぃ!」
 恐怖の叫びが上がる。シャイランの命に従った兵士のものではない。毒刃を受けた兵士の隣の誰かだった。
 襲撃者の一人が、毒刃を振りかざしていた。
 ちらりと見た感覚で判断するなら、本腰を入れた攻撃ではなく威嚇に近かった。だが、叫んだ兵士は、自分も倒れた兵士のようになる末路を想起してしまったのだろう。必要以上に退いてしまった。
 壁自らが空けてしまった一人分の隙間から、無言の殺意の群がなだれ込む。
 再構築の間に合わない防衛網には目もくれず、ひたすらに奥を目指す奔流。降り注ぐ矢が流れを止めようとするが、それまで必中を誇っていたボランスの矢を持ってしても、斃しとおせたのは一人だけだった。そういうこともある。だが痛恨には違いなかった。
 間に合わなかったのはもう一つ。防衛網の再構築と並行して助けるはずだった、毒刃を受けた兵士。テリアカβが床に転がり、兵士と同様に口から液体を垂れ流している。どちらももう役を為さない。さしものシャイランも今の混乱で薬を取り落としてしまったのだろう。そういうこともある。……痛恨に胸を掻きむしられている暇はない!
「後衛! 長の元に奴らを通すな! ――全員ことごとくそこで死んで壁となれ!」
 発言した本人は己が言葉を出し切った直後の一瞬、「なんか俺、防衛室長みたいなこと言ってる」と考えた。この件を話題にしたら、いつぞやのヴルスト土産に語った夕べ以上に意気投合できるかもしれない。だがそれも、収束後の話だ。
 言葉の綾とはいえ死を求めた以上は、自らも命令に相応しい行動を取らねばならない。『指揮者あたまは最後まで立っていなくてはならない』とはよく言うが、先陣を切り危機に身をさらすのが大事なときもある。
「前衛! 奴らを挟み打つ! こちら側からも奴らを逃がすな! ――サンパル、クリーゲル、ウィンザルドはもう一人ずつ連れて俺に続け!」
 そして状況は、兵士の壁に囲まれた闘技場での乱戦へと繋がる。
 残敵はざっと数えて十五(似た服が動くので判然としない)、対する剣闘士はファリーツェ及び彼の率いる元前衛六と、シャイランと彼女に続く元後衛四。見た目の数こそ不利だが、周りは味方、頭上からはボランスと、そろそろ動けるであろうヴェネスの援護がある。
 いつの間にかまた鈴の数を減らしていた飾り紐を鎧の下に押し込め――これから鈴が落ちたら足を取られるかもしれない――、ファリーツェは新たに構築された戦場のただ中に飛び込んだ。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-61

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