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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・60

 じゃらしゃらじゃらしゃら、と鈴が口々にさんざめく。
 執政院に属する者達の髪を織り込んだ飾り紐で、呪術師の身体から吊され、一歩ごとに呼応して騒ぐ、数多の鈴。呪の効果で、編み込んだ髪の持ち主の状態に呼応し、危機を知らすもの。それらの狂騒は、作り手であるドゥアトですら苛立たせたが、ある意味では安堵を誘うものであった。
 鈴の合唱が途切れぬ程度には早足で、呪術師の女は歩を進める。向かうは執政院正面口、身内が守護する場所。単なる伝言なら、連絡役を立て、自分は病人オレルスの傍にいるところなのだが、彼女自身が伝令に立たなければならない理由があった。
 襲撃を控えている割には静かであった。後夜祭参加者の迎え入れも終わり、その間確認や伝令に大わらわだった情報室の面々も、そこかしこの柱や壁の影で、いつ破られるかわからない休息に身を委ねている。しかしその貴重な時間を、ドゥアト自身の鈴の音が盛大に破壊して回っているのだ。視界の端の影が武器の柄に手をかけ、びくびくと様子を伺っている。「正直悪いことしちゃったわねぇ」と感慨を抱くものの、その足取りが鈴の音を減じることはなかった。
 急いだあまりにローブが着崩れかけた。もともと、本気で敵の呪に対抗するべく、肌を――忌帯と刺青を晒すつもりだったので、ローブは緩く着ていたのだ。歩みを止めないまま、慌てて掻き抱いた所で、目的地、というより目標人物達を遠くに見た。
「ファリーツェちゃん! ヴェネス君!」
 呼ばわられた方は、戦歴の違いか、途中で見た影達よりは遙かに落ち着いていたが、声をかけられた途端、ぎくりとした様子で振り向いた。
「……アト叔母さん」
 安堵の様子がはっきりと見て取れる。しかし、オレルスの側にいるはずの人物がこの場にいる、ということを察してか、表情にはまだ堅さがあった。
「若長への呪詛が急に強くなったわ。容態に注目させる魂胆だと思うの」
 おそらく彼女の伝言は、二人にとって予想の範疇だ。無言の頷きがそれを証明する。
「もちろん今はまだ様子見状態。でもすぐに、本気を出してくるわ。あたしがここから戻るまでくらいは耐えられるように対策はしているけど、時間はない」
 語りながら、てきぱきと鈴を次々に外す。それを従甥に差し出しながらドゥアトは続けた。
「例の鈴よ。ぎりぎりまであたしが身に着けてたから、呪の精度はできうる限りで高くなっているはず」
 ファリーツェは再度頷きながら手を伸ばしてくる。
 呪術師自ら編み上げた飾り紐で繋がれた鈴である。その効果は、ファリーツェは知っているし、ヴェネスはかつて目の当たりにした。編み込まれた髪の持ち主の危機に呼応して切れる紐だ。髪の持ち主が誰かは、鈴に近い箇所に付いた名札タグで判別できるようになっている。
 だが完成時点ではまだ不備があった。経験則的に、呪術の発動に時間がかかりすぎるはずだった。たまたま寝落ちたシャイランの状態を誤感知して切れた紐があったが、おそらく、彼女が寝落ちたと思われる時間と紐が切れた時間には、五分ほどの隔たりがあっただろう。これでは襲撃の感知には役立たない。
 そのため、呪力を馴染ませる必要があった。身に着ける必要まではないのだが、今はいつ襲撃があるかもわからない状況下、こうしていた方が効率がよかっただけだ。
「まだ大丈夫、ここに来るまでに落ちた鈴はなかったわ」
 しゃらしゃらと静かにささやく鈴達が、ファリーツェの掌の上に収まった。
 ――はずだった。
 鈴のいくつかは、執政院の床に転がり落ちて、硬質な呻きをあげた。
 取り落としたわけではなかった。見れば何本かの紐が切れていた。それも、刃物か何かですぱりと切られたかのような、荒れのない切り口。
 落ちた鈴の名札には、裏口の警備に当たっているはずの兵士の名が記されていた。

 鼓動が、体外にすら響きそうな勢いで早鐘を打つ。
 しかし手をこまねいている間はなかった。三人は一瞬だけ目線を見合わせると、銘々の行うべき行動へと移り始めた。
 ドゥアトは身を翻し、回廊を戻り始めた。来た時以上に鈴を騒々しく打ち鳴らしながら。それが警鐘として十分な効果だったか、休憩に入っていた兵士たちが大わらわで立ち上がり、続々と集ってくる。
 呪術師の女は本当なら、裏口に行って鈴を――裏口以外の場所にいる者の名札が付いたものを配ってくる予定だった。しかし、もはやそれも無駄だ。幸いにも『落ちた』のは全員ではなく、残った鈴の中には防衛室長のものもある。かの尊大な聖騎士の力量に期待するしかあるまい。
「シャイラン!」
 ファリーツェは女剣士の名を呼ばわった。そのいつになく真剣な表情に、呼ばれた方も全てを察したのだろう、矢継ぎ早に周囲の兵士たちに配置指示を出していく。
 ヴェネスは駆け足で自らの定位置へ戻る。すなわち二階通路の開口部である。
 彼が配置についた場所から正面口を挟んで対称となる側に、ボランスが身を乗り出している姿が見えた。後夜祭の出迎えが終わった直後には、これから起きるはずのことなど知らんとばかりに大あくびを繰り返していたレンジャーだが、この時はもう、歴戦の戦士の顔だった。かつてエトリアにやってきたばかりのヴェネスの前で一瞬だけ見せたものと同じ、否、それよりも強い、得体の知れない気配オーラを感じる。鋭い眼差しは正面口の方を見据えていた。
 正面口は固く閉ざされ、外側には警備兵が二人待機しているはずだ。祭の雰囲気に呑まれないよう、堅物といっていいほどに真面目な人員を厳選したと聞いている。
 かすかにだが、祭の残り香に酔う人々の歓声と、どこかの楽団の演奏と思しき陽気な曲が流れてきていた。
 こちらからは何の脅威も現れなさそうな、楽しげな空気。
 さしものヴェネスも、態度を軟化させないボランスを訝しみながら、自分はどうしたらいいのだろう、と戸惑いを感じ始めた。まして階下の兵士達は。
 とはいえ、裏口が脅威に晒されていることに変わりはない。互いに顔を見合わせる兵士達の気を引き締める意図もあってだろう、ファリーツェはよく通る声で指示を出し始めていた。
「サンパル、クリーゲル、ウィンザルド、俺と来て下さい。裏口に加勢に行きます。残りの人はシャイランの――」
「だめだ!!」
 指示を中断して正面広間を満たした声はボランスのものだった。
 その姿はもはや歴戦の戦士という表現すら生ぬるい。開口部の縁に片足をかけ、弓を引き絞るその様は、どこかの昔話に聞く凄腕の射手をも思わせたが、彼に目を向けている暇はヴェネスには、否、誰にもなかった。
 矢が狙う先、正面入口の方から、どうん、どうん、と、重い音が響き始めたからである。

 重い音が響き始めるより早く、正確に言うなら、ボランスが叫ぶ直前のことだった。
 それはかすかな音だったから、ファリーツェ以外に聞きとがめた者はおるまい。またも鈴が二つ、硬質な呻きと共に自らを床へと投棄したのだ。
 落ちた鈴の名札を素早く読み取ったファリーツェは息を詰まらせ、動作も一瞬こわばった。その直後にボランスが叫んだので、あの戦場にいた者のほとんどは、彼の指令が、遮られたのではなく鈴に気取られて詰まったのだとは、知るよしもなかっただろう。
 ともかくも、野伏の叫びが状態回復薬テリアカであったかのように、聖騎士は己の失調から立ち直った。
 正面口の見張りが殺された。否、鈴は単に対象者の意識不明を示すだけだ。ゆえに死んだとは限らない。しかし――皆には聞こえているだろうか、この音が。祭の名残音は掻き消え、街の人々の悲鳴と避難指示に満ち満ちた、禍々しい戦の始まりの狂騒が。
 陽動であれ、本隊であれ、まさか敵がこんな直接的な行動に出るとは思わなかった。
 人の目線のたくさんある正面口ならば、酔っ払ったフリをして警備兵に絡み、隙を見て彼らを昏倒させ、馴れ馴れしく執政院ラーダに踏み込んでから本性を現すものだと思っていた。
 完全に、読み違えた。
「血がぁ! 扉の下から血がぁ!」
 半ば涙目の兵士が二名、正面口方面から走り込んできた。ここ一月の間に執政院に入った新人で、正面口の内側に配備された者達である。いざという時にかんぬきを落とす役を割り振られていた。
 執政院は街の人々へ門戸を開いていなくてはいけない。それは祭に際しても同様だから、扉を閉ざしはしても、かんぬきを落としておくわけにはいかなかった。そのため、あくまでも『万が一』、それこそ、扉の細い隙間の向こうに、いかにもな連中の姿が見えた時にでも、くらいの思いで用意された者達だ。彼らは新人なのでまだ戦いには使えない、という防衛室長の判断でもある。
 そんな彼らは彼らなりの最善を果たした。響く重い音は、敵が扉を開けようと足掻いているものだろう。かんぬきのおかげで、時間が稼げているのだ。
 逃げてきた兵士達に奥へ行くよう指示しながら、ほんのわずかな時間、ファリーツェは対処に迷った。
 長を守るという目的ならば、このまま籠城戦に移行するべきだ。速やかに正面口に障害バリケードを築き、扉が壊れる間を稼ぎ、扉が壊れてからの間を稼ぐ。そして現在の主戦場である裏口に戦力を送り込む。
 しかし、扉が突破しがたいと判断した敵は、街の人々を標的に変えはしないか。もちろん八つ当たりなどではない、人々を守らなければならないと考えた執政院が自ら扉を開くことを期待してだ。
 相手の誘いに乗るは愚行。だが、この杞憂が現実になるとしたら、乗るしかない。街の人々を見殺しにするわけにはいかない。
 それに。

 ――最初に、力を示さないと、我々は舐められたままだ。

 かつてオレルスが諸官の前で語った言葉を思い出した。平和を希求していてもままならぬ、悲しい現実。
 聖騎士の腹は決まった。
「みんな、俺に命を預けて下さい」
 重い振動が響く正面口を睨め付けながら、ファリーツェは静かに口を開いた。
「やってらんない、と思ったら、奥へ。そっちには危険が行かないよう、ここは一人ででも死守する」
「一人じゃないですよう、センパイ」
 いつか聞いたような呼称と共に、誰かが隣に並ぶ。確認するまでもなく、元冒険者『おさわがせトラブラス』ソードマン・シャイランであった。
「言い方アレになっちゃうけど『余所者』のセンパイだけ矢面に立たせといちゃ、地元民のプライド台無しですもん」
 そういえば『おさわがせトラブラス』一同は全員がエトリアの生まれだった。家系自体がいつからエトリアに根付いていたかには、それぞれ違いがあるけれど。そんなことにファリーツェが思い至ったその時、背後から大笑いする声が聞こえた。正確には、背後の仰角四十五度くらい、やや左手側に寄った位置からだ。そこ――すなわち二階の開口部には、もう一人『おさわがせトラブラス』の人員がいたはずだった。
 その人物――元『おさわがせトラブラス』のレンジャー・ボランスは、呵々と笑声を響かせながら、仲間の決断を称揚していた。
「よくぞ言いやがったなこのシャイランが! プライドのために死ぬたぁ、新兵の頃のお前が聞いたら、びっくりして小便ちびるんじゃね?」
「ちびらないよ! それに死ぬ気なんか全然ないったら!」
「はっはっは、その意気だ! 実際、自分の住処は自分で守らにゃあ、男が廃る! 女もな!」
「戦えない人にはそれ言わないでよ、ボランス!」
「なにも前線で敵にぶち当たるだけが『住処を守る』じゃねぇだろ?」
 きゅりり、と音を立てて(ファリーツェの位置からは聞こえないが)、矢つがえた弓を引き絞ったボランスは、『余所者』である聖騎士に言葉を向けた。
「さぁて、『センパイ』。余所者ながらこの街を守りたいっていうあんたの心意気、見せて下さいよ。留まろうか逃げようか悩んでるやつらが腹ぁくくれるようにね!」
 敵が姿を見せたらまず自分に射撃命令を出せ、と暗に言っているようだ。しかしファリーツェは首を振る。
「悪いけど、君の出番は二番目だ」
「出鼻くじきっすか! そりゃないっすよー」
「ヴェネス」
 意気をくじかれたボランスを半ば無視するような形で、線対称の反対側に陣取る銃士を呼ばわる。
「は……はい!」
 慌てて応えを口にするヴェネスに、ファリーツェは一つの指令を出した。
「『過充填射撃チャージショット』っていう射撃があると教えてくれたことがあったね。それで、かんぬきを破壊できないだろうか」
「……やってみます!」
 固い決意を秘めた返事をする少年の反対側で、そりゃしょうがねえなぁ、という顔をする野伏。弓矢は極小の点で穿つ破壊力を旨とするものだ。少なくとも銃よりは、かんぬきの破壊には向かない。
 本来なら近付いて剣や盾で行えばいいことだ。そもそも単純に外せばよい。しかし、それを実行した者は、なだれ込む敵と内開きの扉に押しつぶされるだろう。
 ゆえに遠距離から実行し、開扉は敵に任せるのが、最も理に適っているはずだ。
 あとは、守りの方である。
「総員、防衛準備!」
 ファリーツェはただ声を張り上げた。二者択一の返答を銘々に聞く時間はもはやない。
 驚いたことに、すべての者が、表情を引き締め、その場に留まった。内心についてはわからないし推し量る気もないが、戦う意思を見せてくれたのは素直にありがたいことだ。
 鎧と盾が醸し出す金属音と、連なる鞘鳴りを耳にしながら、聖騎士の青年は銃士の行動を待った。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-60

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