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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・57

 運命の日までの残り二日、笛鼠ノ十八、十九の両日には、さしたる変化はなかった。
 『敵』はどこにも見当たらない。誰もが怪しく見えるし、誰もが単なる住人か観光客に見える。結局、エトリア側にできたのは、敵を誘い込める状況を作り、彼らの来襲の最も確率の高い日時を割り出したことだけ。
 事情を知る者にとっては、敵探しは今更無意味なのだが、『何もしていない』というのも不自然なので、哨戒業務はいつも通りになされた。副産物で小悪党が釣れるので、まるきり意味がないわけでもない。
 すっかり街景に溶け込んだ風馬旗ルンタ似の旗の下で、すっかり日常となった喧噪が終わりに向かっていく。
「また、寂しくなるんだろうなぁ」
 結局またも叔母の借部屋にお邪魔して、昼食代わりに屋台で入手した麺料理を箸を器用に操って頬張りながら、窓から街を一望するファリーツェであった。ちなみにヴェネスも、ドゥアトの部屋の真上、屋根裏部屋の窓から単眼鏡越しに街を眺めている。
「俺達がこの街に来た時には、寂しい場所だったよ。樹海探索は何十年か前から始まってたっていうけど、進展がなくてね。俺達より前にいた冒険者達は低層で小金稼ぎをしているばかりだったって」
「それを、アナタ達が変えたってわけでしょ?」
「変えたとは言えないかな。樹海迷宮、このお祭り。そういうものがなければ、元に戻っちゃう程度のものさ」
 変えたと誇るなら、維持ができていなくてはならない。冒険者もお祭りも、一時的なものだ。探索ハレの終焉を招く樹海踏破に近付いた者を狩る、ヴィズルの方針は、冒険者として、否、人として許し難いものだが、理に適ってはいる。
 一方、反する意見をファリーツェは知っている。
「繁栄はヒヨドリが飛ぶに似てる――って、父さんが昔言ってたっけなぁ」
「バルゥが?」
 亡き従妹の『夫』に当たる人物の愛称を、ドゥアトは、この場で話題に出るとは思わなかった、という軽い驚きを込めて口にした。
 ファリーツェは、箸先を波形の軌跡を辿らせて右へ流していく。
「ヒヨドリってこういう飛び方するじゃんか」
 直後、行儀が悪いかと思ったが、叔母からは表面的には責められなかった。
「上に羽ばたいて、羽を閉じて落ちていく繰り返しのアレね」
「そうそう。うっかり羽ばたき忘れて地面に激突しないか心配になるヤツ」
「そんな心配するのアナタだけでしょ。あと行儀悪いわよ」
 おっと時間差だったか。叔母の指摘に苦笑いを返し、ファリーツェは続けた。
「緩やかな上下を続けながら少しずつ高く、どこまでも飛んでいく――安定した繁栄ってそういうのを目指さなきゃいけないって、父さん言ってたよ。探索やお祭りみたいなのは必要だけど、続けすぎるのはよくないし、だからって――」
羽ばたかなにもしなければ墜死、ってわけね。でも高く飛ぶのは別に問題ないのではなくて?」
「今の状況は、エトリアが『急に高く飛びすぎた』からだよ」
「うぅ、そう考えると痛し痒しね、繁栄も」
「見通しのいいところを高く飛ぶ鳥は撃ち落としやすかったですね。ヒヨドリも別に問題なく撃てますけど」
 不意に上階から声が降ってくる。そういう話ではないんだけどなぁ、と思うが、ヴェネスの位置からは会話が断片的にしか聞こえなかったのだろう。ファリーツェは上階に意識を移した。無視は悪いと思ったからだ。
「そういや銃士はなんとかって鳥を撃ち落とせて一人前だっけ? タシスナイ……、だったか」
「はい。なんで、狙撃手は『タシギ撃ちスナイパー』って呼ばれるんです。この呼び名、西方で腕のいい弓使いの称号だったのを『組織』がまねたらしいんですけど」
「ヴェネスも、『組織』の一員になる前はタシギとか撃って暮らしてたの?」
 ファリーツェはそう話を振った。『ダメ元』を問うにはちょうどいいかと思ったのだ。
 窓から身を乗り出して上を見ると、直上の屋根裏部屋から身を乗り出すヴェネスと目が合った。その表情を見るに、戦果は芳しいとは言えなかったようだった。……さっき、鳥を苦なく撃ち落としていたような発言をしていなかったか?
「……ええと、ボクが銃を触るようになったのは組織に関わってからです」
 聖騎士の表情から説明の必要性を読み取ったのだろう、銃士の少年はあたふたと言葉を紡いだ。
「母の薬のためにどうしてもお金が欲しくて、雑用でも、と思って『組織』の戸を叩いたんです。そうしたら銃を持たされて、簡単な説明を受けて、的を撃ってみろ、と」
 それで素質を見出されたというわけか。『平時の凡人、乱世の英雄』という。瀬戸際で思いがけない特技が目覚めることはあるものだ。
「その前は?」
「罠です。いろいろ試したんですが、ろくに獲物も獲れなくて。獲れたとしても、痩せたものしかいなかったんですが……結局、誰かの雑用をして糧をもらってましたね」
「そうか。じゃあ、今は、銃で獲物を獲れるね。里帰りする時にはいいお土産ができるんじゃないかな?」
「はい!」少年の顔は輝かんばかりだった。「今回の任務を成功させたら、『組織』を脱退して自由になれるんです。そうしたら、母にお肉がちゃんと入ったシチューを食べさせてあげたいです」
「おや」「あら」
 階下の二人は顔を見合わせた。昨日一昨日くらいにああだこうだと話していた件が、あっさり解決した。
「それじゃあ」再び階上に視線を向け、ファリーツェは提案を舌頭に乗せた。
「君や母君がその気なら、だけど、『組織』を辞めたら、エトリアここに来ないか?」
「エトリア、に?」
 非殺弾まめでっぽうに突然撃ち抜かれたタシギが浮かべそうな表情で、ヴェネスは返す。
「ああ、エトリアには銃士なんていないから、重宝されるよ」
 語りながらファリーツェは、そういえばヴェネスの雇い賃について語った時にオレルス様は渋い顔をしていたなぁ、と思い出した。何しろ前金と成功報酬合わせて六万エンである。あくまでも臨時雇用での計算だが。
 冒険者時代後半のファリーツェなら「余裕余裕」と笑顔で言い放っただろうが……冷静に考えればとんでもない大金だ。それにその稼ぎは、仲間いてこそだ。少し前にフロアマスター・アレイから受けた忠告を思い出し、心臓から冷や汗がしたたる。
「……まぁ、望み通りの報酬がもらえるかどうかは、なんともいえないけど」
 少し盛り下がった声調で、ひっそりと付け加えた。
 大喜びされるか、丁重にお断りされるか、そのどちらかだと思ったが、意外にも、ヴェネスの反応はどちらとも付かないものだった。
「あ、あの……考えさせて、もらって、いいですか?」
「あ、ああ、そう、だね。報酬、大事だしね」
 申し訳なさげに差し出された返答に、申し訳なさを込めた相槌を打つ。
 報酬が望み通りもらえない、なんて話を出したら、やっぱり二の足を踏むだろうなぁ。そんな気持ちが伝わってしまったか、ヴェネスはぶんぶんと頭を振った。
「え、と、そっちの話じゃなくて、やっぱり、母の意見も大事ですから。村を離れたくない、て言われちゃったら」
「あ、まぁ、そうだよね。さっき『母君がその気なら』とか言ったのに考えてなかった」
 何故かよく判らないが両者共にぎこちない応酬を行い、そして沈黙。ドゥアトが、やれやれ、とばかりに肩をすくめ、割り込んだ。
「今すぐ答出さなきゃいけないことじゃないんでしょ? なら、お仕事が終わったら故郷に帰ってゆっくり考えればいいじゃないの。それよりね、おばさん心配なことがあるんだけど」
 『おばさん』と自称する声に妙な茶目っ気が詰め込まれている。が、裏腹に、内容は深刻なものである。
「『組織』から自由になれる、って言うけど、本当なの? ああいう場所は内情が外に漏れるのを嫌うはず。だったら、構成員が手綱を外されるのをよくは思わないんじゃないかしら」
 ファリーツェは声を上げかけ、すんでの所で耐えた。
 考えてみれば当然のことだった。ヴェネスは騙されて、ありもしない『自由』を楽しみにしているのだろうか。あるいは、『自由』は与えられるにしても、その意味するところは――。
 ふと、上階の窓からヴェネスの姿が消えた。どうしたのだろう、と訝しむ二人の耳に、程なくしてノックの音が届く。返答を発すると、扉の向こうから、今しがた上階にいたはずの少年が現れた。
 あまり大きな声では言えないので、と前置きし、二人の傍に寄った少年は語る。
「師匠が、ボクが踏み込みすぎないようにするように、頭領に言われたそうです。知りすぎれば元の生活に戻る道は閉ざされる、って。『組織』に関わりすぎてしまった師匠はもう自由になれないから、その分、ボクが知ってはいけない情報を自分のところで止めてくれる、と……」
「そうなのか、なら、よかった」
 ファリーツェは安堵の息を吐いた。

 ただし、ここに、数ヶ月を経たハイ・ラガードでは語られない話がある。
 その時、銃士の頭越しに、ファリーツェは密やかに叔母と目線を交わし合っていたのだ。
 ヴェネスの言うそれは『安心』なのか? 単に『組織』に都合よく動く駒とするための愚昧化施策ではないのか?
 だが断定のしようがない。本当に師匠や頭領の善意かもしれないし、『組織』としても、あまりに幼い子供をずっと拘束することには否定的なのかもしれない。今はそちらを信じるしかなかった。情けない結論だが、門外漢が踏み込める問題ではないのが事実。
 そして、彼らの懸念を、銃士の少年は、当時エトリアでも現在ラガードでも知るよしもなかった。
 自分以外の語り手二人が、当時の自分以外二人と同じような目線を交わし合っていることも。
 それ以外の『ウルスラグナ』一同の中でも、ドゥアトとルーナの視線には気付いたとして、そこに秘められた意味にまで思い至った者は半数もいないだろう。少なくとも各人の表情を伺う限りでは。
 エルナクハは少数派の一人であった。
 自分は少し疑り深くなっているのかもしれない、とは、後に、一連の話が終わり、自室に戻ってから、思ったことである。昔の自分なら、ヴェネスがエトリアでの任務を終えれば解放されるという話を、そのまま受け取れただろう。たとえば「よかったね」と言いたげに輝く容貌をヴェネスに向けていたティレンのように。
 全てを信じる子供のままではいられない。自分も、『エリクシール』のパラディンも。そして他の皆も、かつて、いずれ、いつか。
 とはいえ、これらの感情は語らいの場で披露されることはなく、ただ明かされたのは、ガンナーの少年が自由になる可能性があることと、それを知人達が喜んだことだけだった。
 ――話は、それら全てが暗転する『最期の日』に繋がる。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-57

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