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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・56

 『参謀』の目的は、利用された体の一団と同じではあるまい。金銭目的なら、一団を働き手として犯罪の完了まで利用し尽くし、後から横取りする、という方が現実的だろう。
 本来の目的は、おそらく。
 ついに、この日が来た。ずっとずっと懸念だった、エトリアの中枢自体を狙っている相手。思うように尻尾を掴めない『敵』が、ようやく、尻尾の先の毛を見せてきた。
 ――と思ったら、敵の尻尾は、再び、謎という名を持つ草むらに消えてしまった。
 本来の目的のためにこちらを油断させたかったのはわかる。だが、一団との同時襲撃を行い、それを陽動としてさっさと目的を果たす手もあるだろうに。何故彼らはそうしなかった?
 答えを出すにはファリーツェには経験が足りなさすぎる。口惜しいが、素直に経験者にすがるしかない。
『……防衛室長の見解は?』
 シャイランは苦笑気味に笑む。
 水文字で説明された『見解』は、実に単純明快だった。
『わからん、だそうです』
「はい?」
 狼狽が空気を震わせる音声となって口から出た。幸い、ヒロツの歌と演奏に掻き消される程度だったが。
『結構大雑把ですよ、あの人。理由なんざ後から吐かせりゃいい、だそうで』
 大雑把にも程がある。若干幻滅しかかったが、
『今考えるべきは、対策、だそうです』
 その言葉に思い直した。それもそうだ。理由を追いかけて次の脅威を防ぎきれなかったら、本末転倒だ。
 で、対策とは? と目で問うファリーツェの前で、水文字が続く。
『長が自らをおとりとして、襲撃をこのまま実行させる、ってのが、この間の会議の結論だったんですよね』
 『おさわがせトラブラス』が盗み聞きしていたあの会議のことだ。ファリーツェは大きく頷いた。気乗りはしないものの、あのときの長の言い分には一理あった。
 敵を誘い込み、一網打尽にする戦法は、定番である。
 定番ではある。確かに採択はされた。が、本当に、本当に実行する気なのか?
 あの防衛室長の前でそのようなことを口にしたら、小馬鹿にした口調で言われるだろうが。
「てめぇはパラディンとしての義務を果たす自信がないと仰せか?」とかなんとか。
 どちらにしても、腹をくくるしかない。エトリアを舌なめずりして見据える何者かに、戦う力を示すために。
 それに――ほんの数日前、夜の定時報告の際に、オレルスと交わした会話を思い出す。
 ――あるいは、私がこの命を捧げ、樹海のことを好きにさせれば。
 若長は、そう切り出したものだった。
「そうすれば、街の者はこれまでと同じ平穏な生活を送れる、かもしれない」
 否定はできなかった。歴史を紐解けば、そういう例もないわけではないのだ。
 そのつもりなのか、と問いたげに見えたのだろうか、若長は穏やかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと首を横に振った。そして、こう言ったのだった。
「でも、樹海は我々だけのもの……というわけではないからね」
 途端に、冒険者だったころの苦い思い出が蘇る。
 当時の長が言い放った言葉が、脳裏にこだました。樹海は人間のもの、と叫ぶ、狂気じみた言葉が。
 かつてそれを否定してくれ、そして今もまたそうしてくれた若長は、長引く微熱の影響で少し潤んだ目を聖騎士に向け、呼気混じりにしみじみと言葉を発したのだ。
「私も、彼らといつか語り合うことはできるだろうか……?」
 ……若長は実は知っているのだろうか? ファリーツェが密かに、樹海の中の住人と連絡を取り合っていることを。
 いや、長の性格なら自らが責を負って執り行おうとするはず。それ故に事態の収束までは秘密裏にすると決めていたのだ。
 だから、長にすれば、可能性がほとんどない中の、切なる願いにすぎない。のだが。
「……はい。いつか、必ず」
 知るまいが、実は知っていようが、どちらでも構わない。あらゆるものを踏みしだいてでも前進を望まなくてはならなかった者の甘えた夢に、この人は同調してくれた。ならば自分がするべきは、この甘えた夢がただの甘えではなく、確固とした芯を持つ現実なのだと証明することだ。それはできる。ただ、時期が悪い。
 ほんの刹那の想起の後に、現在の時間軸で返答を待つシャイランに、頷いてみせた。
 ようやく慣れ始めた水文字で、綴ってみせる。
『時には強引に進めなくてはならないこともあるさ。できるだけ早く解決して、次はムツーラの便乗じゃないお祭りをいつやるか、みんなで考えよう』
 で、どうすればいい? と、こちらは文字ではなく目線で問う。
 こんな場所でできる話し合いには限度がある。シャイランが『内密に話したかったこと』は、作戦要綱そのものではなく『いつどこで作戦を通達するか』だ。防衛室長は、執政院の中に敵方の情報源がいると考えているのだろう。本人が望んでそうなっているわけではなく、脇の甘い者が、言葉の端々、挙動の数々から、情報を盗まれている、という方が正しいか。
 だというのに。
 突然、がたん、と椅子を蹴って立ち上がるが早いか、シャイランはファリーツェの背後を瞬時に取ってきた。
「センパイ! ご飯も食べ終わったから二次会やりましょう二次会!」
「なんだいいきなり!」
 狼狽する間に無理矢理椅子から引き剥がされ、出来上がった(……演技、のはずだが)シャイランに腕を引かれるがままに歩を進める。席に残された男子三人が呆れ顔で見送るのが遠くなっていった。
「まだ呑むのか。元気だな、二人とも」
「僕は歌い疲れたからね、帰るよ。ここで解散かな」
「ほどほどにしろよ。酔い覚ましの調合も大変なんだからな」
 三者三様の見送りを受けつつ、「いやこらちょっと、見てないでなんとかしてくれないか」と辟易しつつも、ファリーツェはシャイランの腕を振りほどかなかった。
 察していたのだ。これから連れて行かれるのが二次会会場ではなく、肝心の作戦本部であるということに。
 察することができなかったのは、連れて行かれたのが作戦本部『兼』二次会会場だったということである。

「で、そんなにべろんべろんになって戻ってきたわけね」
 一応の理性が残っているのは、さすが我が従甥だ、というのは称揚しすぎだろうか。長鳴鶏の宿の借部屋で本を読んでいたドゥアトは、やってきたファリーツェの(酔っているので簡易な)説明を、呆れ半分、感心半分で聞き終えた。
「……いや、まぁ、この状態で執政院に戻るのはいかがなものかってー……防衛室長が……」
 こちらに来させるより、むしろ執政院の治療士達に診せたほうがいいのでは、とも思ったのだが、従甥が紙のようなものを懐から引き出し、ひらひらと振りかざしたので、気を取り直した。
「それはなあに?」
「防衛室長が、ラブレターだってー。……ラブレター……ラブレター、ねぇ」
 ファリーツェが懐疑的に呟く通り、本当に恋文なわけはないだろう。執政院での会議のときに見た防衛室長の、『不機嫌』という飾り気のない題が付いた額縁の中にありそうな顔を思い起こし、ドゥアトは見通した。
「……パラスは『弟か妹がほしい』って言うかしらねぇ」
 軽口で応じながらも、曰く『恋文』を受け取る。
 開いたドゥアトは、密かに眉根をしかめた。
 内容が不快だったわけではない。深刻だっただけだ。
 一通り目を通した後、ドゥアトは何事もなかったかのような態度で、水を従甥に差し出してやった。
「中身は見た?」
「いいや。あと、俺従妹いもうとが欲しいー」
「……早く水飲んで酔い覚まししなさい」
 なぜ妹のほうなのか、興味がなくもなかったが。
 防衛室長の手紙の内容は、執政院へのお誘いであった。もちろん、逢瀬デートなどではない。
 ――閉会式典の日、長の容態の確認の為に、執政院に来訪されたし。
 まぁ、そうよねぇ、とドゥアトはひとりごちた。そもそも自分はそのためにエトリアに来た。
 どうやら室長は、敵の行動が閉会式典の日になされると想定したようだ。その根拠はドゥアトにはわからないが、重大な式典の時が敵の狙い目になるだろうことは、呪術師として活動してきた者としての経験から理解できる。
 そして、敵の行動を補佐する者も、当然、同時に行動を起こすだろう。
 一連の騒動の幕開け、若長オレルスに呪を掛けた、呪術師。どこの誰かもわからない、しかしその生命は確実にドゥアトの手の内に捕捉されている、エトリアの敵。
 そいつは恐らく、実行の日に、全身全霊を込めた呪を執り行うだろう。オレルスを呪い殺すか、そこまではしないか――どちらにしても、行動の目的はひとつ。長を害することでエトリアに混乱を引き起こし、自分達の侵略行為を容易にすることだ。
 それをさせないために、呪術返しを行えるドゥアトがいる。
 不意に、あれ、と呟きが漏れた。現状に比すれば大したことではない、単純な疑問を抱いたのだ。
「ねぇファリーツェちゃん、なんで、お祭りの閉会式が二十日なの? 中途半端じゃない?」
「まあねぇ、事務的なあれこれがあるんだよ」返る言葉は、水の効果か、先程よりはしっかりしていた。「裏方の皆さんとの契約が月末締めだから。月末までお祭りやって、さあ日付変更までに片付けろ! ってのは鬼だろ?」
「鬼どころじゃないわね。でも、それなら、二十一日に終わらせた方がキリがよくないかしら?」
 現行暦の一月は二十八日。だいたいの暦帳カレンダーでは、七日を四巡させたものとして日々が羅列される。
「確かにそうだけどね。この季節、天候が悪くなってくるから、片付け用に七日、予備に一日つけて」
 ファリーツェが続けるには、それで計算したら閉会が二十日になり、暦帳での座りはよくないが数字としてはキリがよいので、決定となったそうだ。
 確かに、エトリア付近は夏に颶風たいふうが多い、と、『王国』で聞いていた通りだった。滞在中にも何度か、強風・豪雨で催しが中止になり、屋台露天がさっと店をたたむのを見た。だが、風雨が弱まると、店は片付け時の逆回しのように秒速で店を広げるわ、歌手舞子は退散前と寸分変わらぬ場所に舞い戻るわという案配。ついでに風で吹っ飛んだ商品や装飾品をがっつり捕まえそそくさと懐にしまい込む不届き者も何度か見た(可能な限り呪を掛けて持ち主に返すよう仕向けたが)。
 誰も彼も、なんともたくましい。商店の多くは、祭典終了後もしばらくは祭典用の営業を続ける気概さえ示しているらしい。
 が、ファリーツェが言うには、商店はともかく露天にはその許可は出せないという。
「台風は、笛鼠ノ月より天牛ノ月に入ってからの方が、多くて強くて長く続くんだ。露天じゃ吹っ飛びかねないし、店が大丈夫でもお客さんが出歩かないんじゃないかなぁ」
 同様の理由から、商店の方もやめさせた方がいいんじゃないか、と従甥は考えたのだが、エトリアに根付いた店相手では、あまり強く出られないという。まだまだ地元に根付ききったとは言えない『余所者』の弱みである。
「『余所者』だから、『今回の件』も手間取ってるの?」
 ある意味痛いところを突くドゥアトの言葉に、ファリーツェは苦笑いに近い表情を見せる。
「単純に、相手がなかなか尻尾を見せないからさ。でもまぁ、『余所者』じゃなかったら、もっと効率的に事を運べたかもなぁって……」
 少なくとも、執政院一同をもっと早く説得できただろうなぁ、と、溜息混じりに続く。
「まぁ、それももうすぐ終わると思う。……ヴェネスとも、もうじきお別れか」
 感傷的な言葉に、ドゥアトはつい、混ぜ返すように口を挟んでしまった。
「……寂しい?」
 実娘パラスなら本心を包み隠した激しい言の葉を返してきかねない質問だったが、従甥は素直だった。
「まぁね、弟ができたみたいだった」
 あ、だからか、とドゥアトは思い至った。先程ファリーツェが妹の方を欲しがった理由。酒に酔った思考では、ヴェネスのことを本当の弟とすっかり思いこんでいたに違いない。もう一人年下の弟妹が増えるなら今度は、と考えたのも納得できる。
「エトリアで雇っちゃったら?」
「オレルス様も乗り気だったよ。けど……予算、は置いといて、あいつ自身がどう思ってるかだなぁ」
「訊けばいいじゃない」
 水を向けると、それもそうか、と、今更かと問い詰めたくなるような答があった。とはいえ、
「あいつは『組織』の人間だからなぁ、無理かもしれない」
 ヴェネスは『組織』の任務によって招聘に応じたのだ。ならば案件が終われば帰るのが当然。思い至って、ドゥアトも得心した。『その瞬間』の彼女は、銃士の少年が引退間近であることを知らなかったのである。それでも、提案はしてみた。
「まぁ、訊くだけならどうってことないでしょ。ダメ元でどう?」
「それも、そうかな。今日は遅いから、明日にでも」
 その言葉にドゥアトは苦笑した。もはや日付の下一桁がもうじき八になる頃合いだった。本日の『仕事』を終えた銃士の少年は眠っているはずだ。急ぐ件でもない。
 そのあたりで雑談は終わり、ファリーツェはいそいそと帰り支度を始めていた。そもそも『恋文』を渡すことだけが本来の用事だったのだろう――酔っていたのは、この状態で重大事のやり取りもないだろう、と、どこかで状況を監視している『敵』を欺くためだったに違いない。単に楽しくて飲み過ぎたとか、そんなことは。
 ……いや?
 ドゥアトはまじまじと従甥の顔を見定めた。
「なにさ、俺の顔になんかついてる?」
「……お仕事、楽しい?」
「……楽しいって言えるかはわかんないけど、充実はしてる、かな」
 唐突な質問の答は無難なものだったが、ドゥアトはなんとなく、直感を得た。呪術師、かつ母代わりといっていい親族だからこその勘。何か自分の信念の根幹に微細ながら揺さぶりをかけられた、そんな感情を、従甥の態度に感じ取ったのだ。
 自らに酔いを許したのは、そのせいもあるのかもしれない。そう感じながらも、敢えて、
「……なら、いいけど」
 ドゥアトは流した。追求したところではぐらかされるだけだろう。
 そんな叔母の思いを気づいたか否か、表面的には判じさせないまま、ファリーツェは朗らかに声を上げた。
「ま、あと二日、お祭り楽しんでってね」
「あら、あと一日は楽しんじゃだめなの?」
 単なる退出の挨拶であろうところに、ドゥアトは楽しげに突っ込む。意外にも生真面目な返答があった。
「だって、さっきのラブレターって、そういうことだろ?」
「そういうこと、言ったらヤボよねぇ」
 くすくすと呪術師は笑う。
 はてさて、『恋文』に目を通していないというこの従甥は、その内容に見当が――さすがに、付いているとは思うのだが。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-56

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