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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・55

 未来でどう思われているかなど解りようもないのだが、実際『憎いから』程度での復讐に意味はない、とファリーツェは思っている。『そうしなくては精神の安定が図れない』のなら考えなくもないのだが、その場合、本当に必要なのは『復讐』より心理士カウンセラーだろう。
 少女が、どうしても、と言うのなら、どうしたものか。危険が少しでも減るようにつきあってやるか、それとも、無理にでもケフト施薬院の心理士の下に引きずっていくべきか。
 幸いにして、聖騎士が対応に悩む必要はなかった。少女は、後ろ髪を引かれる思いを少しばかり表情に残しながらも、きっぱりと言い切ったのである。
「……そう、だね。結局、アタイの自己満足でしかないのかな」
「そのあたりにどう答えるかは、難しいかな」ファリーツェは肩をすくめながら返した。「自己満足そのものは重要なものさ。冒険者なんてそういうのの塊でね、それが、何もかもがダメになった時の最後の支えだったわけだ。でもね、その支えを底なし沼にぶっさして安心してるような人を見ると、ちょっとね」
「あはは、さすがは元世界樹の冒険者だね、アンタ。さしずめアンタの自己満足は『守る者』だってとこ?」
 その言葉に返そうと思ったのだが、どう言うつもりだったのかは、割り込んできたボランスの言葉に気を取られたために、形になる前に霧散してしまった。
「ぶっちゃけこの人の『守る人』とかなんとかいう自己満足は気にしなくっていいっすよ。あんたがケガしそうな選択をやめてくれればそっち方面での責任考えなくていいし、オレはこの情報を執政院に持って帰ってボーナスの金一封でももらえれば満足っす」
「いい話でまとまりそうだったのにどうしてそういうこと言うかなぁボランス!?」
 面食らって反駁してしまったが、ボランスの混ぜ返しも無意味なものではないようだった。どういう結論からそんな手段を執ったのかは不明だが、彼は彼なりに、ファリーツェの未熟を補ってくれたのだろう。それが証拠に、少女の表情は、見違えるように明るさを増したのだ。
「うゎー、すっごいムカツク。アンタ、アタイの災難をダシに儲けようとしてるとか!? なにそれ人間のやること!?」
 ……明るいは明るいでも、闇夜の中で村一つ焼き払う劫火の明るさじゃないのか、と思いかけたが、少女は間を置かず、憑き物が落ちたようにけろりと表情を改めた。
「なーんて。まぁ、守る人とか仇討ちはよせって話より、そういう方がわかりやすいわ。今度ばったり会ったらその金一封でアタイと相棒になんか奢ってよ、兵士さん」
 話の流れがあっさり解決に向かった。それはめでたいのだが、少女に一生懸命説明したことがしれっと否定されてやしないか? 半ばめげかけたファリーツェだったが、不意に左腕に重さがかかってきたので、気を取り直した。少女が腕を組んできたのだ。
「な、何を?」
「お望み通り、仇討ちはやめたわ。だから、アタイを安全な場所までエスコートしてくれない? 騎士サマ?」
「え、あ、ああ、了解した。宿はどこを使って――」
「宿じゃなくて、施薬院に送ってほしいな。相棒のお見舞いもしないとね」
「そうか、そうだね。わかった。では、この未熟たる騎士が護衛することをお許しいただけますか、姫君?」
「許します。わたくしを案内なさい。――なーんて、ね」
 おちゃらけたやり取りは、互いの望みの摺り合わせが成った証。腕組みから解放された騎士は改めて手を伸ばし、姫と振る舞う少女はそれを取る。ひゅう、とボランスが口笛を鳴らした。ヴェネスは未だ無言のまま、さして表情を変えない。
「とりあえず、納得した、ってことでいいんすか? オレの金一封が奢り代で吹っ飛びそうな件はともかく」
「実のとこ金一封だけじゃなくて財布ごと吹っ飛ばすつもりだけど?」
 ボランスと少女は妙に意気投合しているようだ。だったら彼に少女の付き添いを任せようかと思ったが、結局やめた。なにしろボランスには執政院に事の次第を報告する任務がある。金一封を得る機会を奪うのはあまりに無体だ。
 という経緯で、予定通りファリーツェは少女を施薬院に送り届けたのである。
 道すがらの雑談によれば、少女と『弟分』は、貧しい国の孤児院の出らしい。聞き出したその国は、ヴェネスを招聘するために書いた手紙の宛先と同じだった。ひょっとして知り合いか、とも思ったが、ヴェネスの態度はそんな様子でもなかった。偶然、出身が同じだけだろう。銃に驚かなかったのも、ヴェネスの『組織』の者を見たことがあるからかもしれない。
 かの国は『王国』と『神国』の狭間の国。独立を保たんと我を張り、その善し悪しはともかく、結果として周辺の小国との小競り合いによって貧しさに転落したところだった、と記憶している。『王国』からの援助申請もはねつけている。相手の救援要請がない限り、ただの押しつけ、最悪の場合は『侵略行為の再開』と他国に取られかねない以上、それ以上できることはないのが現状だ。他国にしても自国のことで手一杯である。
 そんな話は少女としても哀れみを抱かせるためのものではなく、ファリーツェも過度な入れ込みは却って侮辱と理解したため、単なる世間話の域を出ないままだった。
 施薬院に入院している『弟分』は、あいにく眠っており、見た目は酷い有様だが、命や身体機能には別状はないらしい、少女もファリーツェも安堵の息を吐き、そこで二人は別れることとなった。縁があれば、彼女が国に戻る前にもう一度ぐらい再開の目はあるかもしれない。
 一方、ボランスは滞りなく執政院に『怪しい連中』の情報を持ち帰り、それを元に討伐隊が派遣されたらしい。討伐隊は斥候を現場に派遣、それらしき不審者達を発見し、全戦力をもって鎮圧、意気揚々と凱歌を上げた。
 伝聞調になるのは、ファリーツェにはそのお鉢が回ってこなかったからである。詳細を耳にしたのは、翌十七日の夕暮れのことであった。

 午後の街の見回りを終えた夕方、ベルダの広場に足を踏み入れつつ、さて晩飯はどうしよう、と考えていたときに、呼ばわる声を聞く。
「ファリーツェさん! ひょっとして、ご飯まだですか!?」
 間違えようもない、シャイランの声である。ぐるりと面を巡らせ、視界の中に、屋台用の飲食所を確認した。暮れゆく陽に対応し、各卓にひとつずつ設えられた卓上ランプが、優しい灯火を揺らめかせている。そんな中、一卓を占拠しているのは、『トラブラスおさわがせ』の面々だった。
 五人は座れそうな円卓なのに、シャイランの前だけぽっかり空いている――ボランスの姿が見当たらない。別件の用でもあったのだろうか。
 卓上には既に料理が展開されていた。『王国』南方の暑い国が発祥と伝えられる汁物料理カレー焼き物タンドリィだ。素手で食べるのが本来の流儀のためか(大多数の者はさすがに汁物には匙を使うが)、手拭きやら水入りの小鉢フィンガーボウルやらも用意されている。量は少し控えめで、卓上中央付近の空きが目立つ。
 奢らされる心配はなさそうかな、と考えたからではないが、聖騎士は元後輩冒険者達に近付いた。
「なになに? かわいい後輩は偉大な先輩に夕飯を奢ってくれる気なのかな?」
 一仕事終えて安堵しているところに加え、祭りの雰囲気に浮かせられているからか、我ながら妙な軽口が飛び出る。チキンを素手で掴んで頬張っていたソードマンの少女は、笑いながら応じた。
「偉大なセンパイならかわいい後輩に奢ってくれるのが普通じゃないですかー! ……とまでは言いませんから自分の分は自腹でお願いしまっす!」
 ちょっと苦笑いの混じった笑みで応じながら、ファリーツェは一旦卓を通り過ぎて、屋台のひとつに向かった。夕飯を注文しながら、品書きの中に手ごろな値段の菓子を見つける。たまには『偉大な先輩』風を吹かせるのもいいだろう。
 思った通り、樹海から未知の素材を持ち帰った冒険者のように熱烈な歓声を浴びたものである。ヒロツなどはファリーツェの着席を確認するが早いか、即興で歌い始める始末だ。『ファリーツェさんがお菓子を奢ってくれた。さすがは世界樹の偉大な冒険者。そんな彼からお菓子をもらえた僕らは誇らしい』――大体そんな趣旨の歌詞である。歌詞の感性は言うまでもなく、自分と吟遊詩人に集まった耳目が恥ずかしい。
 思わず俯いた聖騎士を、ほぼ正面に陣取る剣士の娘は、またも笑いながら茶化す。
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないですかセンパイ! ほらほらご飯食べちゃいましょ! 暖かいうちが美味しいですから!」
 他人事だと思って、そもそも『誇らしい』のは『僕ら』なんだから君も充分当事者じゃないか、と思いつつも、ファリーツェは顔を上げ――ようとした。その動きが止まったのは、思いもしないものを目の当たりにしたからである。
 それは卓の空き場所に書かれた水文字だった。ファリーツェから見て逆さなのは、シャイランが書いたからだろう。ほぼ透明で通常なら見づらいそれは、卓上の灯りを反射し、どうにか文章として読める体裁を保っていた。
『内密の話があります。ご飯でも食べながら聞いて下さい』
 次の瞬間、『聞いて下さい』の上に、手拭きを持つシャイランの手が伸び、ぐしゃぐしゃと水文字を消し尽くした。改めて小鉢フィンガーボウルに浸された指が文字を綴る。
『読んで下さい、でした』
 器用なものだ。そう思えたのはほんの一瞬であった。シャイランが益体もない話をしつつ卓上に水文字で重大な話を記していくのを追うには、余計な思考は頭の片隅にすら置いておく余裕はなかったのだ。正確に述べるなら、単に双方を追うだけならどうにかなっただろう。しかし、こちらにも、食を存分に楽しみながら、かつ、どうでもいい話に最低でも生返事を返さなくてはならない、という『仕事』が課せられている。
 おまけに、ただでさえ衆人観衆だというのに、ヒロツが詩を歌って耳目を集めている。演目は、さすがに人口に膾炙するものに替わっていたが。
 趣旨はまあわかる。まさかここまで耳目を集めてる中で、エトリアを狙う謀略に対する話し合いが行われているなどとは、夢にも思われないだろう。まして、その耳目のほとんどはヒロツに集まっており、側で食事をしている者のことなど、気にする者はまずおるまい。
 それらを加味してもなおファリーツェは『全力逃走』を選んだ。撤退行動の相棒は、盾ではなく、酒。先輩の威光を笠に着て、聖騎士アダーに屋台から酒を買ってこさせて、片っ端からあおったのである。
「あー! もう酒に逃げたー! こっちは真剣に相談してるんですよー!」
「はっはっは、そんなこと、このお祭りに比べりゃ些細なもんだろ。ほら君ももっと呑めって」
「ああーもう! 自分がバカみたいに思えてきた!! もういいやーあたしも呑むー」
 シャイランはこともあろうに、ファリーツェが自分用に買ってこさせた酒を奪取して、かぱかぱと空の酒杯を量産し始めた。こちらの追加注文の犠牲となったのは治療士ソリスである。
 あっという間に、食事そっちのけで延々と無意味な無駄話を続ける少女剣士と、ろくな返事もしないまま笑い続ける少年聖騎士のできあがりとなった。
 もちろん、『フリ』だ。
 双方共に酒豪ではないが、そこらの酒数杯で酔い潰れるほど弱くはない。本来なら顔色で見抜かれそうだが、暗い中、光源も乏しいことが助けとなった。そして酔っぱらい達の応酬よりも、ヒロツの歌う伝説の数々の方が、遙かに刺激的、魅力的で、周囲の耳目はますます彼にのみ注がれることとなった。
 これで少しは筆談の方に注力できるようになった。酒杯が壁になっていることもあり、酔いを演じながらも、密談は止まることなく続く。
 ――本当に、これは酔っ払ってる場合じゃないよな。
 シャイランからの情報を再構成しつつ脳内に蓄え、ファリーツェは嫌な汗が背中を流れるのを感じていた。
 情報を簡単にまとめると、以下のようになる。
 観光客を名乗った少女から情報があった『怪しい連中』――狩人レンジャーボランスの持ち帰ったその情報は、昨今の状況もあって見過ごされることはなく、討伐隊の派遣が決定された。派遣された斥候はそれらしき不審者達を発見し、討伐隊は全戦力を彼らに差し向けた。命令は『可及的速やかに不審者どもを拘束せよ』。
『俺、蚊帳の外?』
 シャイランのほど達者ではない水文字で短く問うた時には、苦笑気味な笑みと共に返答があった。
『アダーも蚊帳の外でしたよ。防衛室長も後方指揮。狭い路地だからパラディンさんたちはね』
 納得せざるを得ない。それなりの人数で狭い路地、速攻必須の戦術の中では、聖騎士は邪魔になりかねない。
 さておき、作戦は大成功を収めた。下っ端は多少逃したものの、大多数を捕縛できた。だが、執政院を驚愕させたのは、捕らえた者の中に、かつては冒険者だった者が十数人いたということだ。その事実は、無論、ファリーツェをも驚愕させ、悲しませるものだった。
 彼らは口々に言った。『迷宮探索で街に貢献した我々をないがしろにする執政院に目に物見せてやるのだ』。
 この日の夜、自室でこの件を思い返したとき、冒険者は自己責任だったはずなんだけどなぁ、と暗い思いでファリーツェは独りごちたものだった。もちろん自己責任だけで切り捨てるのは同胞として悲しい、と、助けの手を伸ばしては拒絶されることも多かったのだが、そんな彼らの自尊心が行き着く先が、かつて夢を託した街を汚すことなのか。あまりにも空しい。彼らのように心と自尊がねじ曲がってしまった者は一握り……と思いたい。
 元冒険者を除けば、首領含む一同の目的は、ごく単純。『祭の閉会式典の隙を突いて、執政院にため込んであるはずの富を奪い取る』。
 その水文字が書き上がった瞬間、ファリーツェとシャイランは思わず顔を見合わせ、けたけたと笑声をあげてしまった。
「ほんと、バカかぁ!」
 閉会式典なんて警備が強化されるに決まっているではないか!
 一通り笑い合った二人だったが、襲撃者の浅薄を嘲笑するだけでは終わらなかった。
 正体がばれてみれば単なる物取りだとしても、問題は問題だし、腑に落ちない点もある。
 溜息を吐いて上半身を折り曲げる。笑い疲れたか酔いかで机に突っ伏しかけているようにも見えるが、もちろん二人とも理性は残っている。「まったく二人とも、飲み過ぎだ」と呆れる――演技……だと思うが――ソリスの声が頭上から降る中、二人は密やかに水文字を書き合った。
 ――わからないはずがないのだ。『閉会式典で警備が強化される』などということが。
 若長が執政院のバルコニーに立つ予定だというのに、備えがないはずがない。すなわち、閉会式典の間など、執政院に押しかけるにはよほど向かない。大勢を率いるほどの犯罪者が、その程度を見落とすだろうか。
『首領が吐いたんですが、計画は最近仲間に引き入れた参謀役が立てたそうで。幹部格ではただひとり、参謀役だけ捕まっていません』
 シャイランの指がなめらかに滑って水文字を綴る。
 ファリーツェの方は、多少は慣れたとはいえ、まだぎこちない。
『そいつが、犯罪を、式典の時にやるよう、仕向けた?』
 勝算の低い賭けに向かわせるには、それ相応の根拠が必要だ、正確には、相応の根拠がある、と思いこませることが。この場合、『参謀』は、式典の警備の隙や、裏をかく侵入経路など、説得力のある材料を用意したはずだ。実際には機能せずとも、聞いた者が計画実行を決意するに足る説得力を持った情報を。
 そこまでして、犯罪に向かないタイミングでの行動を強いた理由は。
『つまりは』
 とファリーツェは水文字を綴った。『陽動? 狙いはたぶん、式典後だった』
『防衛室長も同じ見解でした。ヤツらはおとり、本命はその通り、式典後だと』
『今回、捕まえ たん だから、もう 陽動 に は なら ない、ん じゃな い かな』
 そう綴る指は、自分でも不思議なほど震えていた。シャイランがその様を真剣に見つめてくる。
『室長の見解は逆……って、言うまでもなさそうですね』
 その水文字に、ファリーツェは頷く。
 たぶん自分は、楽観論に逃げたかったのだ。
 相手を勝算の低い賭けに誘導できる程度の者が、むざむざ一団を囚われの身とするような失敗へまをやらかすとは思えない。そも、いくら貧民街とはいえ、なぜ戸外なんぞで大仕事の相談をするのを許していた? 件のなりきり少女達に見つけられなくても、住人の誰かに報奨金目当てで通報されたらそこまで。金で抱き込むもあるが、そもそも始めから拠点アジトなりで相談していれば不要な心遣い。
『室長、ファリーツェさんもボランスも上手くハメられたもんだ、ってぼやいてました』
『えー、そんな言い方ぁ』
 まったくあの人は、とぼやきたいが、今は防衛室長への感慨を抱いている場合ではなかった。
 そう、執政院じぶんたちは、おとりを捕らえて油断するよう、仕組まれていたのだ。
 ということは、なりきり少女たちも『参謀』と共犯グル? と一瞬考えたが、すぐに否定した。実のところ、彼女達を使わなくても計画は成り立つ。『参謀』自らが貧民街の住民なり何なりを装って密告すればいいのだ。この場合、一団が戸外での仕事の話などという馬鹿をせずとも、計画は『露見』する。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-55

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