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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・54

 時の女神は、終わりの時に向けて着々と車輪を回していく。執政院ラーダが『敵』への対処を正式に決定してから、ひと月を司る車輪が半円と少しだけ回った。人間の歴に直せば、笛鼠ノ月十六日となる。
 その日、ファリーツェは北方ハイ・ラガードからの手紙を受けとった。差出人は言うまでもなく、再従姉はとこのパラスである。
 内容は、前回の手紙での要請に従って送り出したレンジャー・ゼグタントが無事に到着した旨と、近況報告だった。『ウルスラグナ』は、ひやりとする場面もあるにはあるが、幸いにも犠牲者を出さずに、着実に樹海を探索しているらしい。以前の手紙で『皆と別れて修行に行った』と触れられていたブシドー・焔華も無事戻ってきて、近いうちに第一階層の大物と戦うかもしれないという。
 それと、前回採集レンジャー・ゼグタントをラガードに派遣した際、ついでにパラスへの手紙を持っていってもらったのだが、その時同封したエトリア樹海踏破記念銀貨について、礼も書かれていた。
「そういえば、記念硬貨って金貨が定番だけど、銀の方が似合う人だったのかしらね? あたしはそのヴィズルって前長のことはよく知らないけど」
 というのが、手紙を読ませた相手、手紙の主の実母であるカースメーカーの言葉だった。なお、記念銀貨は彼女にも譲渡済みである。
 ファリーツェがドゥアトの借りた一室に上がり込んでいるのは、どんな返事を書けばいいかと悩んでの所行であった。
「お返事? そんなもの適当で大丈夫大丈夫よぉ」
 手紙が来るだけでうれしい、という実娘の胸の裡を、遠くにありながらも読み切ったか、ドゥアトは気軽に声を上げた。
「いやさ、そろそろ、こっちの状況をちゃんと知らせようと思ってるんだけど、どう切り出したものかと」
 これまで知らせなかったのは、事が国家代表者の去就に関わるからだ。それも解決の目処が立ったことと、解決の鍵となる人物が相手の実母であることから、そろそろ、と考えたのだが、
「……確かに、そうね」
 表情を改めたドゥアトの様子から、それ以上の意味もあったな、と気付いた。
 ドゥアトの『呪詛返し』は成功するだろう。ドゥアト曰く、相手の力量は上の下、だが『対処』の時は従姉キュベレイを相手取るつもりで執り行うとのこと。それならば、まず失敗の目はない、とファリーツェは見なしている――九分九厘は。
 問題は残りの一厘。何かしらの理由でドゥアトがしくじる、あるいは、相手の力量が想定を遙かに越えている場合。
 そうなれば、ドゥアトの生命は保証されない。もちろんオレルスも。場合によっては、ファリーツェを含めて何人かの執政院勤務者も巻き添えになるかもしれない。『ナギの一族』の請負の失敗である。
 だが、失敗したままでいいものか。一族は呪術によって『王国』での立場を保持している。実際には、『王国』王家への呪害に対抗する『宮廷呪術師』は一族ではないのだが、かの者は役割上、存在を隠匿するもの。必然的に、多くの者は「きっと『ナギの一族』が『王国』王家を呪害から守護しているのだ」と考えがちである。それが一介の術者に負けたとなっては、一族はおろか、『王国』自体をも侮られる要因となろう。
 となれば、失敗は仕方がないとして、『ナギは決して敗れたままではない』と証明する者が必要だ。今回の場合、それがパラスの役となる。長兄アンシャルの行方が今は掴めないために。
「もっとも、娘が意趣返しできる程度の相手に、母が負けるわけにもいかないわよねぇ」
「世界樹探索経験者だよパラスは。甘く見ちゃだめだよ叔母さん」
 世界樹探索で培った力は、人界にとっては過剰なもの。探索から離れれば衰えていく。それでも、何かしらの形で鍛錬を怠らなければ、人界において強者を自負できる程度の力は残る。
 ましてパラスは現役である。場合によっては、さらに力を残したまま、『敵』に対峙できるだろう。
「そんなわけでファリーツェ君は、いつもは楽しそうな話題を探して手紙を書くところを、どんよりした話題から書き始めなきゃならいのでした、と」
 ペンを取り、いつもより頻繁に思考の時間を挟みながら、紙にペン先を走らせる。
「まぁ、どんよりだけじゃないのが救いだけど。念のため、速達で送るかなぁ」
「そこまで急ぐものかしら?」
「だから念のためさ。知らせると決まったら早いほうがいいかなって」
 実のところドゥアトには否定する理由はない。敢えていうなら『速達料金の高価さ』だが、ドゥアトの財布が傷むわけではないのだ。
 その時ドゥアトが窓に歩み寄ったのは、単なる気まぐれ、ちょっと天気でも観るかしら、程度のはずだった。その様子が『ちょっと天気を観る』にしては動揺が大きいのを察して、ファリーツェは書きかけの手紙から目を離した。
「なんかあった? いかにも『私は刺客でござい』みたいなのでもいた?」
「そんなわかりやすい刺客がいるわけないでしょ? ……って言いたいところだけど、いた」
「え?」
 椅子を蹴った音は我ながら大きかった。ドゥアトに並んで窓の外を見るファリーツェだったが、それらしい人物はいない。既に姿を消してしまったらしい。ですよねー、とつぶやきながらも、未練たらしく視線をさまよわせる。
「ヴェネス君に追いかけられて逃げてったわよ。でもねぇ……」
「でも、何さ?」
「刺客にしては微妙っていうか……あれはダークハンターとかいうのの仮装コスプレなのかもしれないわねぇ」
仮装コスプレ
 思わず鸚鵡返しする。
 冒険者の格好をする観光客もいる。それらしい衣装を貸し出す商店や露店もあるくらいだ。大体は『衣装に着られる』というか、いかにも観光客の仮装という風体からは脱却できておらず、元冒険者としては微笑ましく眺めていたものだ。
 そんな中で、職業柄、人の悪意ある行動に敏感なドゥアトに『刺客かも』と思わせる者。そして、やはり職業柄、怪しい人物への警戒心が強いであろうヴェネスが、その後を追っているという……。
「念のため、確認するか。ちょっと行ってくる」
「そう、気をつけてね」
 手紙の内容に行き詰まりつつあったこともあり、ファリーツェはいそいそと外出の準備をした。長鳴鶏の宿に来る時にも着てきた騎士鎧である。もちろんこれで怪しい人物を追跡する気はない。たぶん、自分が行く頃には行き止まりにでも追い詰められていることだろう。
 果たして予想は当たっていた。
 ぱん、ぱんばん、ぱん、という、よく放たれる祝砲にも似ながらも、一線を画して独特な律動リズムを刻む、乾いた音。それを頼りに、いくつもの路地を抜けた先で、ファリーツェは、予想通りの人物と、おおよそ予想通りの人物と、初見の人物を目の当たりにした。
 順番に、ヴェネスとボランス、そして、鞭使いダークハンターの貸衣装(おそらく)に身を包んだ、年の頃十代半ばと思しき少女である。

「だーかーら! アタイは単なる観光客なの! へんな動きをしてたのは確かだけど!」
 彼女の説明をかいつまむと、冒険者の衣装を身に纏ったことで、今の自分では到底できっこない樹海探索もできる気になり、それっぽい動きをしてしまった由。もっと短く言えば、『なりきってしまった』である。
 そんな言い訳も、少女を取り囲む三人には通用しない。言葉尻や目線から不審を感じた一同の執拗な追求に、少女はついに音を上げ、真実を口にせざるを得なかった。
「わかった! もう、わかった! ほんとのこと、言うから!」
 昔は盗みを生業にしていた故に、鞭使いの衣装のような動きやすい装束に身を包むと、当時の血が騒ぐのだという。一同は色めき立ったが、今はそんなことをやる気はない、と、くどいほどに主張されては、振り上げた拳の処理に困る。
 最終的な拳の振り下ろし場所は、結局、少女が続けた言葉によってもたらされた。
「実のとこ、盗みをやる気はもうなかったけど、あの衣装のせいでちょっとトラブル招いちゃったかもしれない。場合によっちゃ、人様の家に忍び込むくらいはやったかもしんない。アンタ達、街の安全を守らなきゃいけない人だよね? だったら、ピリピリするのも当たり前か……」
 ごめんね、と小さく呟く。充分反省する姿に見えたものの、今しがた聞いた言葉の中に、不穏なものがある。それに気づいたファリーツェは、もう少し尋問することにした。
「何があったのか、話してくれますか?」
 少女は無言だった。最初のうちは。しかし、ファリーツェの機嫌を確認するように、目線の上げ下げを何度か繰り返した挙げ句、ようやく、重い口を開いた。
「一緒にお祭りに来た弟分、いるんだけどね」
 鞭使いのなりきり少女が語った所以はこうである。
 冒険者の衣装を借りた二人は、気が大きくなったまま、街中を歩き回っていた。ところが、あまりに浮かれたためか、気が付けば貧民街スラムに迷い込んでしまっていた。さらに巡り合わせの悪さは続き、大通りに戻る道を探す途中に出くわしたのは、面構えのよくない連中が、それなりの人数集まって、顔突き合わせて何やら悪巧み中の場面だったのだ。
 そこまで聞いて、尋問側一同は再び色めき立った。ここ数ヶ月の懸念、執政院を襲うかもしれない連中か、と思ったからだ。もちろん、単なる物盗りとしても無視できない。詳しい話を少女に聞きたいところだが、彼女にこちら側の事情を明かせない手前、どうしたものか。それに、『弟分』のこともある。彼の件を無視してこちらの話を押し通しても、心証を悪化させるだろう。個人としても少年の行く末は心配である。
「それで、当然君達は逃げた。関わるのはまずい、ってのは、わかりきってたでしょうし。『弟分』はどうしたのです?」
「アタイ達の動きが盗賊っぽかったからかな、ヤツら、同業者おじゃまむしと思ったらしくて、しつこかったんだ。で、あのバカ、アタイを逃がすおとりになったのさ。どうにかヤツらは撒いたけど、ケガが酷くてさ、ケフト施薬院、だっけ? そこに叩き込んできたばかりさ」
 それが、『衣装(を纏ったことによる動き)のせいでトラブルを招いた』ということだろう。
「で、君は、せっかく命拾いしたのに、またこんなところにいる。なんでさ?」
 半ば腹を立ててファリーツェは問い募る。言葉尻の鍍金めっきが剥げかけたが、これは少女の身心配さ故である。彼女の考えは、おそらく――。
「大方、弟分の仇は自分が取る、ってことだろ?」
「だったら、どうだっていうのさ!?」
 少女は顔を上気させながら言いつのる。図星であったらしい。多勢に無勢、敵うはずもない、と当人すら確信していることも含めて。
「どうもなにも、君自身が言ったじゃないか。俺達は街の安全を守らなきゃいけない人達だ。安全を守らなきゃいけない相手には、君のような『訪問者おきゃくさま』も入るんだからね」
「弟分を痛めつけられたアタイが、このまま黙ってていいって思ってるの!?」
「いいんだよ、黙ってて」
 会話にボランスが割り込んできた。言葉の応酬にいて横槍を入れてきたように聞こえる、うんざりした声調。
 少女の表情が「面倒くさいなら余計な横槍入れるなっての」と言いたげなものに変わる、どうやらこの少女、これまでの応答からしても、感情を隠すのは苦手な方と見える。
 対して、少女からは面倒くさがっているように見えるらしいボランスだが、その実違うことをファリーツェは理解している。本当に面倒ならボランスは『何もしない』。
「あんたみたいな『お客様』にへたに動かれて怪我された方が、もっと面倒だ。オレらの責任問題になる」
 むしろ、やる気だ。仕方なく動く時は彼は明らかに不機嫌になるので。
 もっとも、初対面の少女にそんな機微が伝わるわけもなく、彼女は苛立った様子でレンジャーを睨め付ける。
 ちなみにここまで、ヴェネスのことは眼中にないらしく、彼女はちらとも銃士の方を見ない。ヴェネスが発言していないからだろうが、なにしろ銃士はこの近辺では珍しい存在。その得物ぶきはどうしても人目を惹く。ほんの短時間見たっきり目線も向けないというのは普通考えられない。ひょっとしたら彼女達は銃士が多いハイ・ラガードあたりから来たんだろうか、と聖騎士は考えた。
 少女に無視された体のヴェネスはといえば、そんなことまったく気にしていないのだろう、ファリーツェに目を向けた。強制連行でもしたげな表情である。
 実際、無理矢理にでも、この安地と危地の境目あわいから連れ出したいところだが、それは最後の手段にしたい。ファリーツェは高速で思考を巡らせ、やがてひとつの取っ掛かりキーワードを得た。
「そもそも、君の弟分は『仇討ち』なんて望んでるのかな?」
「っ……どういうことさ!?」
「いや、さ。自分の身を挺してまで、君の安全を確保した男が、守った人がまた危険に身をさらすのを、喜ぶのかな、って」
「……う……」
「これでも俺、聖騎士だからさ。『守る者』としての思いとしては、それはイヤだなぁって。そりゃ、どうしても危険に身をさらす必要がある、っていうんなら、もう何も言えないけど」
「……」
 尾を巻きながらも唸る犬のような様相で、少女は言葉にならない低い声を発している。

 一方、この件を過去とした、ラガードの私塾の一室でも、今はルーナに語り部役を任せているドゥアトが、口元を押さえながら低くかすかに唸ったのに、少なくともエルナクハは気付いた。
 どうやら、過去から届いた、従甥に当たる少年騎士の言葉が、心に深く深く突き刺さったようだ。
 彼女は『バルタンデル』なる人物を探しているはずだった。エトリア正聖騎士の生命を奪った、千変万化の銃士を。かつてエルナクハはその目的を『復讐』と見たが、さすがに、復讐を捧ぐつもりの当人からの否定は、堪えたようだった。
 もっとも、ドゥアトの――一族を背負う長の片翼たる者の『復讐』には、単なる個人の『仕返し』『気晴らし』ではない事情があろう。だから彼女は、必要があれば続けるし、必要がないと見ればやめる程度の状況判断も可能なはずだ。
 問題は、パラスである。
 エルナクハは、呪術師の娘の方をちらと見て、彼女の、『言葉』がまったく届いていない様相をしかと知った。未だにルーナを、食らい付く場所を探すみずちのように睨め付けている。無論、ルーナ本人が仇ではないと理解はしているだろう。している、と思いたいが。
 ――母ちゃんより『こっち』にこそ届いてもらいたかったんだけどなぁ。
 肝心なところに言葉を届けずして、それでも元カースメーカーか、と亡き友に言いたいエルナクハであったが、そもそも彼は呪術を使っていたわけではない。というかもうほとんど使えない、と当人が認めていた。
 やれやれ、と、黒肌の聖騎士は軽く息をつき、再び、巫医の語る話に気を向けた。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-54

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