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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・53

「まぁ、犬にも尻尾がない種類がいるからな。巻きたくても巻けないこともあろうな」
 防衛室長はファリーツェから目線を離し、聖騎士が彼に話しかける前にしていたように、西を睨め付けた。
「それにしても、勘当、か。『王国』ももったいねぇことをしやがる」
「はい?」
 エトリア正聖騎士位を拝受した時のオレルスに似た言葉に、思わず問い返した。続く話には嫌な予感がする。オレルスのそれとは違って、そこはかとない敵意が口調の端々にあったのだ。
 案の定、防衛室長は皮肉げな口調を隠すこともなく、言い放った。
「エトリアの世界樹をいいところまで潜って、知識をたくさん持った聖騎士がここにいやがる」
「はぁ」
「ところが、そいつを徴用するどころか、勘当してエトリアなんて辺境で遊ばせやがってる。実にもったいねぇ。場合によっちゃ、どこかの属国の国王、とまではいかずとも、その直属の騎士ぐらいには引き上げられそうな快挙だろうよ」
 属国とかないんですけど、と思う。他国から見たらそう見えるかもしれないが、それは『属国』が自ら『王国』領土となるのを選び、元々の支配者が継続してその地の代官となっているからだ。
 否。背筋に薄ら寒いものを感じた。
 防衛室長が皮肉交じりに述べている『属国』は、これからできるであろうものだ。
「いやいやいやいや」
 ファリーツェは滑稽なほどに大袈裟に首を振った。
「こんな犬でも一宿一飯の恩義とそれなりの野望がありますので、それを果たすまでは、おいしそうな報酬があってもほいほい宿泊先を乗り換えるわけにはいかないんですよ」
「エトリアの聖騎士になったのは、その、恩義と野望とやらのためか?」
「そりゃ、権力があればできることがありますから。俺結構俗っぽいんですよ」
 嘘は言っていない。権力を得て他者を支配……などということには興味などないが、それがあればこそ、できることもある。
「権力なら故郷の方が上等なものが手に入るんじゃねえか?」
「鶏口となるも牛後となるなかれ、ってわかりますよね? ……馬鹿にしてるわけじゃないですよ、『大きな池の小魚より小さな池の大魚』って言う方かと思って」
「所詮はエトリアなど、『王国』に比べれば小せえからな」
「国の大小はその価値に比例しませんよ」
 苦笑いしながら応じる。心の奥底にわずかに沸き立つ怒りをなだめながら。この人は、わざとこちらを怒りに駆らせようとしているのだ。
 感情的になった者からの方が、その本音を聞き出すのは容易い。
 『ナギの一族』も言う。感情は人の最大の搦め手である、と。『ナギの一族』がカースメーカーらしからぬ豊かな感情を露わにして生きる、その理由の一つは、自らがその搦め手をよく理解するため。
 だから、この場は軽くいなすのが正しい。ただ、一つだけ釘を刺したいことがあった。
「でも、故郷として、『王国』が無価値とも思いたくありませんよ、俺は」
「つまり、てめぇは、エトリアも『王国』も等しく価値がある、って言いたいのか?」
 万感の思いを込めた言葉を前に、防衛室長は鼻で笑う。
「いやはや、ずいぶんな蝙蝠っぷりだな」
「親しき異国にあって懐かしき故国を思うのは、おかしいものでしょうかね?」
 さすがにむっとした。声に固く凝った棘が表層化するのを止められなかった。口角を片方だけ吊り上げた防衛室長の表情が、してやったり、とほくそ笑むように見えて、いっそここで対話を打ち切ろうかとも考えさせられた。
 辛うじて押しとどまり、平静を装い直せた。
 絶たれたと思った望みをつなぐために、自分は『ここ』にいる。つまらないことで感情を揺り動かされ、今の立場を失うわけにはいかない。
「いいや?」
 と防衛室長は答える。語尾を皮肉げに上げ調にしながら。
「おかしくはねぇな。……てめぇが一般人だったらの話だが」
 その言葉に頭を冷やされた。防衛室長としては、さらに煽ったつもりだったかもしれないが。
 相手の言い分はもっともだ。一般人が自国も滞在先も好き、と述べるのは何ら問題ない。だが、今のファリーツェは曲がりなりにも為政者側の一員なのだ。だから本来なら、エトリアをこそ価値があるものとして挙げなくてはならなかった。
 だが今更である。そして自分に嘘はつけない。
「今の俺でも別におかしくはないでしょう。エトリアと『王国』が戦争しているわけでもあるまいし」
 ……我ながら、かなり隙のある発言だ、と思う。防衛室長のことだから、世界は常に戦争状態にあるようなものだ、と考えていそうだ。本来の『戦争』の定義は『自国の利権を得ることを目的に武力を行使すること』だが、『自国の権勢を拡大するために他国に干渉すること』すべて、戦争と定義できなくもない。
 そもそも、現状自体が『戦争』なのだ。長に呪詛を掛けられている状態の何を『平和』と呼べるのか。
 そして呪詛の出本は西、『王国』方面である。だから防衛室長は『王国』騎士団出身のファリーツェを疑っているのではなかったか。
 とはいえ、防衛室長の次の言葉は、会話相手の認識に合わせてくれたのか、意外にも平穏だった。
「……確かに、な。エトリアと『王国』は敵対関係にねぇな。少なくとも今は。あるいは、表向きには、な」
 それでも眼差しは厳しい。ちらり、と、西の方に目線を投げ、すぐに引き戻した。
 開かれた口から流れ出す言葉は、文字に起こせば、先程までのように皮肉げではあったが、
「そんな平穏がずっと続くなんて幻想は、曲がりなりにも騎士団にいたんだ、ガキみたいに信じちゃいねぇだろ?」
 声音としては、引き続き、煽動のかけらもなく、落ち着いていた。
「今回の件に関わっていねぇとしても、いつか――今日、たった今にでも、情勢が変わるかもしれねぇ。その時、てめぇはできるのか? 故郷の騎士や兵士に刃を向けることが」
 ファリーツェは唇をかみしめた。
 答に窮したからではない。むしろ即答すら可能だった。だが、それが、防衛室長の納得を引き出せるかがわからない。
 ほんの数秒の沈黙の間に、これまで生きてきた中で得た経験が、超速でめくられる本のように脳裏を流れていく。
 思えばいろいろなことがあった。楽しいこと、うれしいことは無論だが、それと同じくらいの苦しみも悲しみもあった。全くもって修辞のかけらもない感慨だ、と我ながら思わなくもなかったが、その内容は自分にとっては、いずれも特別なものだった。日当たりのいい縁側で惰眠をむさぼる、という怠惰の極みな思い出すら。
 現状を鑑みれば全く意味のない数秒の追憶だった。
 しかし、ファリーツェの表情は、数秒の時を経て、がらりと様変わりしていた。防衛室長が、思わず短い声を漏らし、目の前の聖騎士が数秒前と同一人物なのだろうか訝しむ程度には。
 さながら、特別な装束や化粧をもって、普段とは劇的に違う役割を纏うかのように。
 その化粧の名を、『自信』という。
 追憶が思い出させてくれた。後ろ指を指されたことも、見当違いな批判を浴びせられることもあったではないか。けれど、それに屈して萎縮していたとしたら、後から皆に自分達の本当の思いを知ってもらうことができただろうか。
 簡単に理解されることなど望めるものではない。そんなこと、とうに経験していたではないか。ここで口にするべきは、あくまでも自分自身の主張だ。それが相手にとって非難に値する意見であっても、その非難にさらなる自分の考えをぶつければいい。
 故に――聖騎士は、飾り気も誤魔化しもない言葉を紡ぐ。
「できるか、とは、ずいぶんと過小評価して下さる。する、に決まってるじゃないですか。生まれ育ちがどうであれ、今の俺はエトリアの聖騎士。オレルス様の下でエトリアの安寧のために働くのが俺の役目」
 ほう? と言いたげに片眉を上げる防衛室長の前で、続ける。
「かつて、後で後ろ指を指されるかもしれないと予想しながらも、執政院の提示したモリビト殲滅ミッションに手を出したのは、俺なりにそれが自分達のためになると思ったから。俺は俺自身の正義で動く。今回仮に『王国』が陰で糸を引いているなら、俺の正義はエトリアの側にあります」
 ……『殲滅ミッション』のことを持ち出したのは、執政院(というかオレルス)にとっても痛恨ごとである事例を引き合いにして、どうにか意識を誘導しようか、と考えたからだが、浅はかだったかもしれない。そもそも相手はオレルスではない。だが、今更吐いた言葉は飲み込めない。
 幸い、と言っていいものか、防衛室長はそこまでは読めなかったようで、『殲滅ミッション』については特別な反応はなかった。ただ、別所で皮肉げな反応をしたのみである。
「やれやれ、『王国』もとんでもない裏切り者を聖騎士……いや、従騎士か、そんなのにしちまったもんだ」
「裏切り、ですか?」
 想定外の返答だったが、さらなる返しを思いつく苦労はなかった。自身の飾らぬ思いに立脚した弁舌だからかもしれない。
「俺からすれば『王国』が俺を裏切るわけですよ。この数十年、平和主義を見せつけてきた祖国が、また他国への侵略者に逆戻りなんですから。平和を尊ぶ王の下で働けるーって喜んでた昔の俺の純情、どうしてくれるんだってもんです」
 肩をすくめる。続く言葉も含め、演技でも何でもない。
「――まぁ、これは『王国』が本当に攻めてくるなら、の話ですが。俺の王様、かつての『王国』侵略に最後までただ一人反対してた王族です。で、俺の父親は、平和な方が儲かるような品を主に扱ってる商人。結構『王国』の財政に貢献してるはずですよ。少なくともこの二人の目が明らかなうちは、戦争なんてもってのほか。特戦部隊を潜入させて、とかもやらないでしょうね」
「戦争を仕掛けそうにねぇのは、まぁ、理解した」
 理解された。ファリーツェにとって、この頑固な皮肉屋の防衛室長の理解を引き出せたのは、ある種の驚きであった。それを目的として口を動かしているというのに。
 もっとも、防衛室長は完全な理解をファリーツェに向けたわけではなかった。続く言葉が如実に示す。
「だが、特戦部隊を潜入もさせねぇ、ってところは理解できねぇ」
「何故です?」
「こっそりと潜入、中枢部を無力化する……そして権力を自分達が掌握する。『王国』が――睨むんじゃねぇよ、仮に、なんだから――長の影武者みたいなのを執政院に据え付けて、『王国』に極端に有利な政治まつりごとをさせる、みてぇな可能性はねぇのか」
「ないです」ファリーツェは一蹴した。
「その即答の理由は何だ?」
「影武者とか、表に顔出せないじゃないですか。オレルス様、割と市井に顔出しされる方ですから、いきなり出てこなくなれば、怪しまれます」
 と答えながら、なるほどそういう策もありか、と思い至る。オレルスが呪いに掛けられ病床に伏したのは、入れ替えられた『支配者』が顔を出さなくても怪しまれないための下準備、と考えることもできる。
 表向きは素知らぬ顔で、話を続ける。
「それに、そこまでして他国を自分のものにしたい手合いのやることは、だいたい決まってます。防衛室長、それは、俺の父、平和な方が売れる品を扱う商人が、仮に自国が他国を侵略したとしても一番やられたくないことだって、俺に教えてくれたんです。『虐殺』を除いた中で、ですが。何だと思いますか?」
「まぁ、こっそりと中枢を乗っ取る手間を掛けるぐらいじゃ、いちいち民の虐殺まではしねぇだろうが……ふむ……」
 情報室長の興味をいたく惹いたようだ。思考に皮肉の二文字が浮かばないほどらしい。
 幼い頃、人の足が及ぶ限りの全世界から集められた品々が積み上げられた店の中で、父の語る姿。それを思い出しながら、口を開く。
「それは、相手国の文化や言葉を、自国のものに塗り替えることです」
「意味がわかんねぇな。商人としちゃ、自国の文化に染まってもらった方が、売り上げも上がるってもんじゃねぇのか?」
「狭い範囲でしか商売しない人なら、そう思うかもしれないでしょうね」
 父の言葉をさらに思い出しながら、滔々と言葉を紡ぐ。
 文化の均一化。『世界が一つの言葉、文化であったなら、争いは起こらない』という言葉を耳にすることがあるが、当然ながらそんなことはない。あり得るとすれば、それは『平和』ではなく『抑圧』に過ぎない。
 この世界、共通語があるから、言葉については一つになっていると言えなくもない。が、それと、支配者が被支配者の文化を塗り替えるのは、話が全く違う。
 たとえ共通語があっても、名付けは古くからの言葉で、神や父祖への願い・祈りを込めて行われることが多い。
 たとえ日常生活で固有の言葉が使われなくなったとしても、伝えられた伝説や詩は、その多くが古い言葉で朗々と宣される。
 それらを、すべて無理矢理に消してしまうのだ。被支配者の持つ、自分達にも固有の文化があるのだ、という矜持を、完全に潰すために。
 それは、世界を股に掛ける商人としては、売り上げが減るという懸念だ。
 今にして思えば、父は恐らく、誰も侵略せず、侵略されない世界であってほしい、という、大人が持つには幼すぎる願いをごまかすために、そんな物言いをしたのかもしれない。だが、事実ではある。
 不思議に見える異文化の文様、原語でないと美しく響かない詩歌の対訳解説本、そういった、異なる文化あってこそという商材が消える。
 騎士養成所で学んだ歴史では、勝者が文化の担い手を殺戮しながら、彼らが培った文化の結晶は奪っていくという行為が頻繁に見られた。それでも異文化の商材は流通するだろうが、流通するだけだ。手に取った者が、ふと、この文化の担い手の作品をもっと見たい、担い手に会いたい、と願っても、それ以上の展開も、彼の者の願いに乗じた儲けも、発生しない。
 語りながら、思う。モリビト達の文化も、なくしてはならない。
 彼ら――に限らず、ある者達自身が異なる文化を取り入れて変化していく分には、それは時の流れ、彼らの権利である。でも、押しつけることはできない。やってはいけないことだ。
 ずっと思っていたことがある。冒険者としてモリビト達と交渉した時、共存共栄できればいいのにと思っていた。だが、冒険者ではなくなり、危険な樹海での生存に意識の大部分を振り向けなくてよくなったからか、過去に学んだことや、新たに学んだことから、そんな考え方に変化を感じるようになっていた。
 人間とモリビトは共に生きるべきなのか?
 別に、また断絶して生きよ、というわけではない。けれど、冒険者だったときに思っていた――正確に言えば夢見ていた、『モリビトがエトリアにも気軽に訪れ、多くがエトリアで暮らしている』という未来絵図は、今にして思えば傲慢だ。
 人とモリビトは、あまりにも違いすぎる。考えも文化も、生態も寿命も。それを一つの街に押し込めるのは、どちらかがすり潰されろ、というに等しい。気が向いた者が互いの地を訪れ、場合によっては住み着いたりするのはいい。そも、文化はそうやって往来するものだ。でもそれは、強制できるものではない。
 だから結局は、人間が数多の国に分かれて暮らすように、人間は地上で、モリビトは枯レ森で、基本的には在り続けるのがいいのではないだろうか。
 語り終わって、一息つく。言いたいことは防衛室長に通じただろうか?
「……やれやれ」
 防衛室長は頭をぼりぼりと掻きむしっていた。苦虫をかみつぶしたような、それでいて苦虫の味がまんざらでもなかったような、何とも言えない表情かおをしていた。とりあえず話が通じたということなのだろうか。
 少しばかりの期待を胸に、防衛室長の言葉を待つファリーツェだったが、それもすぐに萎むこととなる。
「おれは頭が悪いからな、結局、てめぇの正体は暴けそうになさそうだ」
 ああ、やはりこの男は、自分を疑うことをやめられないのだ。
 しかし完全な落胆に陥らなかったのも、続く防衛室長の言葉に因があった。
「てめぇを見極めさせるのには、もっと適任がいそうだ」
 それは、少なくとも今はファリーツェを『エトリアの害』と断定する気はない、という意思である。必死に語ったことに何かしら感じてもらえたのだろうか。それが、いましがたの『苦虫の味がまんざらでもなかった』表情なのだろうか。
 防衛室長は、疲れを全て吐き出すように息を吐き、ぎろり、とファリーツェを見やる。
「……おい、もう用はないだろう? ここにはてめぇはじゃまだ」
「……そうですね。そろそろ帰ります」
 もとよりここには半分気まぐれで来たようなものだ。思わぬ意思表示の場になってしまったが。ファリーツェは一礼すると、踵を返した。正確には、半身を翻しかけたところで、止まった。声をかけられたからだ。
「そうだ、ナギ」と。
「ヴルストは馳走になった。だが……いや、何でもねぇ」
 顔だけ振り返り見た相手は、若干不満そうだった。まだケーシングのことが気になっているのだろうか。不快を感じてもおかしくないところだったが、何故かそんな気になれなかった。これまでは自分にはっきりとした不満顔を見せてきた相手の、奇妙に半端な表情が、なんとなく気になったからかもしれない。そんな気分のせいか、ファリーツェはこの相手に対したものとしてはらしくない返答をしてしまった。
「気が向いたらまた持ってきますよ、ヴルスト。羊の腸のでよければですが」
 後半にどことなく悪戯小僧めいた響きを乗せ、放った言葉だけを置き去りに、ファリーツェはその場を辞した。
 特段急いだわけではなかったが、どうやら先の言葉への返答らしい防衛室長の言葉を聞いたのは、もうそれが意味のない雑音にしか聞こえなくなった距離まで遠ざかってのことだった。どうせ「豚腸の正当なヴルストを持ってこい!」とでも言ってるんじゃなかろうか、と結論した少年騎士は、鼻歌交じりで帰路についた。
 ちなみにドゥアトやヴェネスへのお土産は、結局、件の屋台に立ち寄ってヴルストを買い求め、急いで帰ることにした。幸いにして、どちらにも好評だったことを付記しておく。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-53

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