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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・52

 いつの間にかたどり着いていたこの場所は、エトリアの西のはずれに近いところだった。
 街道を先に行けば、自治都市群の諸都市が点在し、やがて、『フェンディア騎士団領』という、五つの騎士団が治める、南北に長い領域にたどり着く。それは自治都市群の協力体制『都市国家同盟』が、『王国』の脅威に備えて出資・結成したものだ。なお、五つの騎士団の一つ、『百華騎士団』は、『ウルスラグナ』のエルナクハが世界樹の冒険者となる前に所属していたところであった。そして――。
 さらに旅すれば、旅人は見るだろう。いくつかの独立小国、いくつかの旧属国地域、そして、この世界で一、二を争う大国の姿を。
 『王国』。北の『神国』と覇権を争い、数十年前には周辺の小国家を侵略・併合していた大国である。
 それは前王の頃の話で、現王は戦を止め、国際的な責務を精力的に果たしている。そのために『王国』は多くの国からの好評価を得ているわけだが――もちろん、完全に手放しで、というわけではない。故に自治都市群は同盟を組み、フェンディア騎士団領も解散されることもない。
 それに加えて、オレルスに呪詛をかけている輩の居場所が西であると判明した。その推測域は『王国』をも貫いている。防衛室長が警戒し、自ら西方を警護している理由も、そこにある。
 『王国』を出身とする身には、もやっとするものを感じなくもない。「『ナギ・クース』を疑っているわけではない」と宣言されただけ、まだいい方である(それが本心かは知らない)。
 それでも、エトリアの守り手となった今では甘受せざるを得ない。疑わしきは徹底的に警戒しなくてはならないのだ。
 エトリアを囲む外壁の所々には屯所があり、ファリーツェがたどり着いた最西端の屯所も、造り自体は他のものとさして変わらない。ただ、防衛室長自らが陣頭に立っているためか、普段の、よく言えば気負わない、悪く言えば若干だれた雰囲気は、(控えの人員を除けば)どこにもなかった。確かに防衛機関は常にこうあるべきなのだが、さぞ締め上げられたのだろうと思えば、哀れにも思える。
 捜し人は、外壁上部の歩廊にいた。絶賛仕事中と見える。盾を携え、遠く西方を見つめる眼差しは鋭く、この季節の強くなってきた日差しの中にあっても、ぎらぎらとした輝きをかき消されはしていなかった。橙色に近い茶の髪が、日の光を返して金色にも見えた。
「防衛室長」
 控えめに言葉をかけると、かの人物はゆっくりと振り返った。鋭いまなざしは失せることなく、「何しに来た」と言いたげなのが、ありありとわかる。ファリーツェは苦笑気味に、先程買ったヴルストの袋を掲げた。
「差し入れを持ってきました。その分だと昼飯もまだなんじゃないですか?」
 帰ってきたのは言葉なき渋い表情だった。借りを作りたくない相手に助けられたら、似たような表情になるのではないか。そこまで嫌わなくても、と思ったが、おくびにも出さず、油紙の袋を片方掲げて揺らす。バジルとプレーンの方である。レモンとか防衛室長にとってはイロモノ扱いじゃないか、と考えて、比較的普通のものを買っておいたのだ。
 不本意げに唸る室長。うまそうなものの匂いを嗅いで、三大欲求の一つに屈せざるを得なかったと見える。
「別にこれで貸しを作ろうとかじゃないですから。むしろ借りを返す方です」
 差し出した油紙の袋を、半ば押しつけるように渡す。とりあえずは受け取ってもらえたことを確認すると、ファリーツェは片膝を突いた。高貴なる者に従う騎士さながらの行動に、何をしやがる、と言いたげな防衛室長。その前で青年騎士が放った言葉も、主人に宣誓を行うようであった。
「改めて、以前のお詫びを。無知なる身で思い上がった言動に寛大な許しをいただき、末将としては感謝の極みです」
「ふん、今更だな」
 ぴしゃり、と壁を下ろされた気がした。元は自分が招いたことだということを忘れ、腹が立ちそうになる。どうにか自らを抑えようとはするが――しかし、腹立ちが収まるきっかけとなったのも、防衛室長の言葉だった。
「結局は、てめえがほざいた通りだったんだからな。詫びられても困る。そもそも、詫びはあの翌日に聞いた」
 意外な反応だった。ファリーツェの中の防衛室長像は、もっとこう、頑固というか、自身の過ちを認めないというか、とにかく負の印象が強かった。だが、それはひょっとしたら自分の一方的な評価だったのだろうか。
 話は済んだ、とばかりに防衛室長は紙袋からヴルストの片方の頭を覗かせ、がぶり、と食いちぎる。樹海の魔物が獲物を食いちぎるようだ、と考えかけ、ファリーツェは慌てて心の中で頭を振った。わざわざ自分の食欲を失わせるような連想をしてどうするのか。だが、防衛室長がまさに魔物のような唸り声を上げたので、完全に払拭はできなかったが。
 防衛室長の声の続きは、ちゃんと人類の言語になっていた。
「おい、これ、何の腸を使ってると書いてあった?」
「ああ、たしか」
 自分も立ってヴルストをかじりながら、記憶の片隅を掘り返して答える。「ヒツジ……だったかと」
 宗教的な問題で特定の食材を食べられない者がいる。そういった場合に備え、求められれば特定食材を抜いた料理を提供したり、使用している食材の説明を表記・説明する場合がある(単なる好き嫌いに対応することもある)。しかし、現代では食の禁忌がある宗教は稀なので、問われて説明はするとしても、いちいち標榜することはあまりない。まして露天では。かの露天は珍しい例である。店主がその手の宗教の信者なのだろうか?
 一方、返答を受けた防衛室長は、ヴルストをかじるのを止め、再び獣のような唸り声を上げた。 
「くそが……ヴルストを名乗っておいて、羊腸だと……?」
 羊腸嫌いなのか、と思ったが、再び食べ始めたので、好き嫌いや宗教的禁忌とは違うようだ。というか、ソーセージのケーシングの違いがそんなに重要なのか? ファリーツェも再びヴルストをかじったが、ケーシングの違いなどわからない。
 十ほど数える間、何をそんなにこだわるか、という疑念に取り憑かれていたが、結局追い出した。人には人のこだわりがあるものだ。たとえばエルナクハだって、コーヒーゼリーに生クリーム乗せは邪道、しかしてアイスクリーム乗せは絶対正義、という、自分には温度の差(とそれによる位相)以外の違いがよくわからないこだわりの持ち主だった(余談だが、ここでエルナクハが「生クリームとアイスじゃだいぶ違うだろーがぁ!」と茶々を入れた)。
 ちなみに、ケーシングの違いはともかく、ヴルストはおいしいにはおいしいので、防衛室長に樹海の魔物を連想し食欲を失いかけたことは忘れている。食が進み、気がつけば先に食べ終わっていた。
 あと二口も食いちぎれば完食できる、というところで、防衛室長はヴルストをじっと見つめている。ケーシングの違いがそこまで気になっていたのだろうか、と思ったが、そうではないことは、口から出た言葉で明らかになった。
「羊腸なんぞを使ってるのはツメが甘ぇが……エトリアにヴルストを名乗る食いもんがわざわざ来るようになるとはな。おれがガキの頃からずいぶんと変わったもんだ――そうは思わねぇか?」
「……私は一年前からのエトリアしか知らないので、何とも」
 いきなり話を振られて面食らったが、そうとしか答えられない。エトリアで得たもの失ったものは、それまで生きた時間内のそれに比べて数多い。だというのに、思えば一年、たった一年なのだ。
「……ふん、そうだったか。ずいぶん生意気な新入りだから、もう十年くらいここにいたような気になってた」
 防衛室長のイヤミに、ぐうの音も出ない。……だが、以前だったら嫌な思いを抱いたその声音が、どことなく穏やかに聞こえるのは何故だろうか。
「そう、ですね」
 そう感じるのも、悪くない。
 これまで、その態度にずいぶんと苛立ちながら、仮にも上役なのだからと耐えてきた(まぁ、爆発したこともあったわけだが)。が、その対応は、ひょっとしたら間違っていたのではないだろうか。今やっているような、小腹を満たす程度の食物でも手土産にして、面と向かって話すということを、最初からするべきだったのかもしれない。
 手土産を携え挨拶するのは交流の第一歩。自分は商人の息子でもあるのに、いや、そもそもモリビトとの遭遇時にはそういう手段も考えていたはずなのに、どうしてこの上司に対しては、そうしなかったのだろう。
「ちょっとしたことを、ずいぶんと時間をかけてやってきた気がします。なのに、まだ一年だ」
「まったく、時間の経つのが早いんだか遅いんだか、わかんねえな」
 似たような口調のエルナクハだったら、その言葉の後に、苦笑いや軽い笑声を付け加えただろう。
 しかし防衛室長はそうしなかった。しかめ面を崩さず、『生意気な新入り』をじっと睨め付けてくる。眼力から感じられる重圧は、かつては三竜の息吹ブレスにすらたじろがなかったファリーツェをして、半歩下がりかけさせた。
 その様を前に、防衛室長は、ほんの一瞬だけ、口端を歪めた。
「どうした、英雄になり損ねた騎士サマよ。そろそろ故郷が恋しくなったか?」
 語る声音は嫌な響きをまとっている。室長を苦手と思わせていた最大の原因。
 ついさっきまで割といい雰囲気だったはずなのに。もう少し正面から対話して、ちゃんと相手を見極めよう、と思わせてくれていたのに。それが、唐突に元に戻ってしまった。どこかで自分が対応を間違えたのか。あるいは、相手が所詮この程度の人格の持ち主だったのか。混乱しかけたファリーツェだったが、ふと、室長の言葉の一単語が引っかかった。
 故郷。
 ファリーツェの故郷は『王国』である。エトリアの遙か西にある地域。世界すべてを相手取り勝ち逃げる程度の力を持つ大国。今はそんなことはしない。穏健派の王の下、平和を尊び、発展を続けているはず。しかし、他の国がそれを完全に信用するとは限らず――。
 そうか。正騎士の青年はようやく得心した。防衛室長の風当たりの理由は『そこ』だ。
 同じ危惧はファリーツェ自身も以前から抱いていた。当たっているかはともかく、なんで『これ』を防衛室長と結びつけられていなかったのだろう。
 内心で一呼吸、どうにか落ち着きを取り戻し、聖騎士は軽く首を振った。
「オレルス様から話が行ってませんか? 私は親に勘当された身です。今更『王国』に帰れるはずもありません」
 別段、帰国自体を禁止されているわけではないが、言葉の綾である。
「どうだか。勘当なんざ後からいくらでも取り消せるだろ。マーマのおっぱいがもう一度吸いたい、ってえ泣きつきゃ、甘いマーマが取りなしてくれるだろうさ」
 母はすでに亡い。それゆえに却って冷静さを手放すことなく、相手の挑発に乗る愚を犯すことはなかった。ファリーツェは軽やかな笑声をあげ、突き立てられた言葉の刃をいなす。
「嫌だなぁ防衛室長。俺がまだそんな子供に見えるんですか?」
 若干言葉遣いが崩れているが、今回はわざとである。
「そりゃあ、甘いところ、至らないところ、たくさんありますけど、マーマのおっぱいなんてとうに卒業してるつもり。俺は俺なりに自分自身の考えでここまで来ました」
 一呼吸置く。
「最初は、人に付いて行くのが精一杯だった。自分自身の願いもなかった。今は、他人の考えだけで動いたりはしないし、自分自身の願いもある。人は成長するものです」
「――ふん、自分で言ってりゃあ、世話ぁねぇ。成長ったって図体がでかくなっただけと違うか?」
「室長にそう見えるなら、そうかもしれませんね。人間、主観と客観はよく食い違う」
「てめぇにおれが、くだらないことでつっかかる頭の固い上司に見えるように、か」
 思いもしない言葉を返された。反論に詰まるファリーツェの前で、防衛室長はニヤリと笑う。その様は悪意を感じさせるものではなく、どことなく、悪戯を成功させた子供のそれに見えた。
「――まぁ、おれの性格はてめぇが感じている通りなんだろうよ。部下どもには鬼室長呼ばわりだ」
「そんな話はよく聞きます」
「一言多いぞでめぇ」
 ちなみに事実である。兵士達が食堂や酒場で話すのをよく聞くので。
 その割に、この室長を厭う言葉はほとんどなかった。もちろん愚痴程度はいくらでも出てきていた。それでも、室長に付いていけないと吐き捨てるような輩は、ファリーツェが知る限り、いない。
 室長自身が彼らや彼らの家族のために覚悟を決めた人間だから、だろう。
「だが応よ。鬼室長結構。正義を謳い宝を狙う自称聖騎士に対するには、ふさわしい役割だ」
「耳が痛いですね」
 そう答えたのは、枯レ森に進入した際の想い出が蘇ったからだ。聖騎士たる自分の前に立ちはだかった彼らの中にも『鬼』がいた。
 そんな内心を読み取れるはずもない室長には、別の意味に取れたようだった。
「それは観念してしっぽを巻く宣言か?」
「そういう意味じゃないですってば」
 慌てて『現在』に思考を戻す。
 室長の懸念がはっきりと見えてきた。やはり想像通りだろう。つまり彼はファリーツェを疑いにかかっているのだ。
 『王国』出身の冒険者、樹海探索が終わった後にエトリア執政院の一員になった自分に、よからぬ目的があるのではないかと。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-52

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