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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・51

 そこに、今まで沈黙していた三人目の言葉が割り込んでくる。
「……ひどい……じゃないか、おばさん……」
「ひどいとはいい言葉ねえ、ファリーツェちゃん」
 返すドゥアトは相変わらず、普段の従甥に対する態度とは真逆の辛辣さであった。
 今のヴェネスには、その理由も正当性も解っていた。例えるなら、信頼していた師に調合失敗品の銃弾を銃身に詰められそうになったようなものだ。親族に有無を言わさず殴り倒されたことにだけは同情するが、それ以上の擁護はできない。
「ホント、ここまで呪術師としての意識が落ちてたとはねぇ。聖騎士の修行ばっかしてたから仕方ないとは思うけど」
 人間、二つ以上の『道』を極めるのは困難だ。ひとつを極めようとすれば他の全てがおざなりになる。その『おざなり』が他者より高い技術に到達する者も、世の中にはごまんといる。が、それも人界で使うに限定してのこと。たとえば世界樹の迷宮のような場所では『おざなり』は通用しないだろう。
 ファリーツェの場合、聖騎士の道に進んだその瞬間から、呪術師としては『使えなく』なっていったのだ。ヴェネスに呪縛を掛けられないほどに。呪術師としての禁忌を避ける『習性』すら、それが染みこんでいた身体から消え失せるほどに。
 当の本人も、自分がしでかしたことは把握しているのだろう、耳が痛いとばかりに目を伏せていた。
「うん、……ごめん、おばさん」
「未遂で終わったから、まあ、いいわ」
 正確には『無理矢理未遂で終わらせた』なのだが、ヴェネスにはそのあたりを突っ込むつもりはなかった。
「だめだなぁ……俺……」
 嘆息して天井を仰ぐ聖騎士を前に、その叔母もまた、息を吐いた。すでに刺々しい様子はない。
「そもそもファリーツェちゃん、あなた疲れてるのよ。少し気晴らしした方がいいと思うわ」
「気晴らし? 休憩くらい、いつも適当に取ってるよ。むしろ割とサボってる方だと思うけど」
「そうじゃない。そうじゃないの」
 なだめるように、たしなめるように、言葉を発する呪術師の女。
「ファリーツェちゃん、エトリアに誰かが攻めてくるってことをずっと考えてばかりでしょ。文字通り、寝ても覚めても」
「まあそりゃ、サボってるって言っても正聖騎士だからね俺は」
 このあたりは端から見ているだけのヴェネスも同意するところだった。ヴェネスはよくファリーツェの『休憩』に付き合っていたが、それは決して『くつろいでいる』とは言いがたいものだった。心の片隅に、状況を警戒する『人格』をひとつ常駐させながらの休息が、真に休息といえるものか。ヴェネスとて『休む』と決めた時には、様々な懸念をひとまずしまい込むものだというのに。そうしないと休んだことにはならず、身が保たないのだから。
 が、それを忠告できる立場に、ヴェネスはいない。必然、『上位者』であるドゥアトに状況の打破を頼ってしまうのである。
「敵の呪術師の様子だと、今日これから何かを起こすつもりはないみたいよ」
 遠く離れているはずの相手の行動について、漠然とながら把握して語る様は、呪術を詳しく知らないヴェネスには、とても不思議なものだった。先日行った探知で敵呪術師の呪力を掴んだ彼女は、すでに自分の手の内にあることを敵に知られるわけにはいかないから大きな行動は起こせないが、相手が何か呪力を使おうとしたら感知する程度はできる、と聞いているが――ヴェネスには理屈がさっぱりわからない。
 ともかく、今日のうちに事態が急変することはない、と判断しているのは間違いない。
「だから、侵入者の捜索は他の人に任せて、アナタは今日ぐらい何も考えないで休みなさい」
「でも……」
「すべこべ言うようなら、『呪』をかけるわよ?」
「げ」
 心底嫌そうな顔をするファリーツェ。その様にヴェネスは違和感を覚えた。確か呪術は『掛けられるはずがない』と信じ込む者には効果がないはず。相手は味方、身内なのだ――と思ったのだが、『こういう』使い方の前には自己暗示もかかり切らないのだったか。実際ファリーツェは観念して軽く諸手を差し上げ、溜息をついたものである。
「わかった、わかったよ」
 かすかな音を立て、椅子から腰を浮かせる聖騎士。不意に、どこかいたずら者めいた表情を浮かべ、血縁に言葉を掛ける。
「おとなしく言うこと聞くから――お小遣いちょうだい」
「……アナタの方がお金持ちでしょうに……」
 呆れ顔を見せつつも、ためらいなく懐から財布を出し、幾ばくかの銀貨を従甥に握らせる叔母。どことなく予想外と言いたげなファリーツェからは目を離し、ドゥアトは同じように銀貨を数枚、財布から出し、ヴェネスの方に差し出した。
「ほら、ヴェネス君も」
「ぼ、ぼぼ、ボクはいいですっ!」
 想定外の事態に面食らった。
「ボクはここから、もう少し、街の様子を見ているつもりですから! だから大丈夫です!」
 眉根を曇らせるドゥアトに畳みかけるように告げる。それでも差し出される銀貨を前に、半ば請願になった謝辞を何度も告げるうちに、ようやくそれは引っ込んだ。
「……そう、ね。ヴェネス君には、また今度ね」
 母さんでもあるまいし、そんなに気を遣わなくても、と、ほっとすると同時に、心のどこかが痛んだ。
 ――思えば、実母から小遣いをもらう機会は、ほとんどなかった。そんな余裕がなかったし、そもそも、使う場所も故郷にはなかった。ごくまれに、旅芸人が来たりした時に、銅貨センを数枚もらえた程度だ。そんなものでも、心が沸き立つほどにうれしくて――それゆえに、『母』から分不相応の金銭をもらうことにためらいを感じるのは、数千倍の金銭を目の当たりにするようになった今でも、変わらないようだ。ただ、好意を無下にしたことは、心苦しい。
 だから、
「ええ、それじゃ、また今度、遠慮なく」
 そう、ヴェネスは答えた。『今度』など、来るかどうかもわからないのに。
「なんだ、せっかくなんだからもらって遊びに行っちゃえばよかったのに」
 横から口を出すファリーツェには、半ば呆れを含んだ声で返す。
「ボクこそ任務中なんですよ。あなたがボクをそのために呼んだんじゃないですか」
「休憩も挟まずやれとは命じてないんだけどなぁ」
 言葉尻を変えただけの同じやりとりを繰り返すこと数度、ファリーツェはようやく堂々巡りの愚を悟ったか、首を軽く振って話を打ち切った。
「――わかった。ここは君に任せるよ。上手い具合に『招待状』をばらまいておいてくれ」
「了解、です!」
 遊んでおいで、と言われるより一任を任される方が心が沸き立つ。遊ぶのが嫌いなわけではない。現に開催中の祭りも堪能している。
 その時には、なぜ、その日に限ってそこまで『任務』にこだわったのか、自分でもわからなかった。だが、ラガードにある『今』なら、何となくわかる――所詮は後付けの意味付けにすぎないのだろうが。
 自分は、絶対に避けたかったのだ。その日の二十日ほど後に起きることを。自分が脇目も振らず任務に励めば、すべては必ず上手くいくと、そう、傲慢にも信じていたのだ。

 まったく、俺は何をやってるんだか。
 己の行動に呆れつつ、ファリーツェは早足で長鳴鶏の宿を離れる。
 小遣いをせびるような歳でもないのに、我ながら何を甘えたことをしているのやら。
 右手には叔母からもらった数枚の銀貨。彼女が看破したとおり、実のところ自分の財布には数倍の金が入っていたりする。今すぐ戻って返そうか、と、ちらりと考えたが、結局、やめた。経緯はともかく厚意でくれたものを突き返すのは、ばつが悪い。
 代わりに、何かおいしいものでもお土産にしようか。
 ベルダの広場に展開する屋台・露店の数々は、食品に限定してもよりどりみどりだ。ただ、逆に、焦点がぶれて祭の方向性が見えない、とも言える。
 今回、別の思惑の隠れ蓑でとはいえ、せっかく催した祝祭だが、来年に同じものが行われることはないだろう。元々隣都市ムツーラのそれに便乗しただけのものだし。祭には一大目標が必要だ。新年、播種たねまき、収穫、誕生、婚姻、鎮魂……等々の節目。あるいは、参加者の成長を促す目的が。
 そういったものがあれば持続する祭典となり得るのだが。最近、エトリアの歴史を見直そうという動きが執政院内で起きているから、そういった諸々が判明すれば、いい祭典のタネになる情報が見つかるかもしれない。
 『こちら』の件にかかずらっていたので詳細は知らないが、情報室副長を中心とした班が、執政院の蔵書や前長の遺品を中心にいろいろ調査していると聞く。なお、前時代の情報の中でも前長ヴィズルに深く関わるものは、オレルスから命を受けた副長がはねて、奥の区間に運び込んできている。これはごく限られた人員で調査することになるだろう。
 そんな中で、どうやらエトリアが『暗黒の時代』以降の世界では最古の都市で、当時は大国だったことが判ってきた。それが寂れ、世界樹の迷宮発見前には辺境の小さな街となっていた理由は、調査続報待ちだ。
 いつぞやか分解した王冠は、その時代のものだったのだろうか。今更ながらもったいないことをしたものだ。
「そういえば」
 分解された王冠からできた小王冠のことを思い出した。あれは今、ハイ・ラガードで、冒険者ギルド『ウルスラグナ』の手元にあるはず。
「エルナクハ達は元気でやってるかなぁ……」
 パラスの手紙からすれば、順調に進んでいると取れたが、以降はどうだろうか。
 ファリーツェもエトリアの状況を返信していたが、オレルスの現状については書き送っていなかった。楽しい話ではないし、ひけらかす話でもなく、なによりエトリアの搦手じゃくてんだ。だが、そろそろ、知らせても問題ない頃合いだろう。なにしろ叔母が来てくれた。解決の目途が立った。それに、他でもない、文通相手の母親だ。
「パラス、びっくりするだろうなぁ……」
 容貌かんばせに悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
 びっくりするだろう、といえば、『ウルスラグナ』は突然の来訪者に驚いてくれるだろうか。『彼』は早ければ今日、笛鼠ノ月一日に、遅くてもあと数日中には、ラガードに着くはず。
 それは皇帝の月十八日のことだった。
 以前に来た手紙の返事も書いていないうちに、速達で舞い込んできた一通の手紙。いや、正確に言うなら二通だ。パラスの手紙の他に、エルナクハからの手紙が同封されていたから。
 パラスの手紙には、『ウルスラグナ』がラガード樹海の三階に到達したことが記されていた。たかが三階ではない。同じ元・世界樹探索者として、ファリーツェ自身もよくわかる。だが、それが、前回の返事を待たずしての報告の理由ではないようだった。手紙には、エルナクハの頼みを聞いてやってほしい旨が記されていた。
 で、問題の、エルナクハの手紙であるが。

 ――前略。ファリーツェよ、金貸してくれや、トモダチだろ!?

 あまりに直球だったので、のけぞり、危うく椅子ごと床に転げるところだったものだ。

 ――……ていうのはまぁ、冗談なんだが。

 続く文章に体勢と精神を立て直し、目を通した。趣旨は、迷宮探索序盤に陥りがちな資金不足に対処するため、エトリアにいる優秀な採集レンジャーの誰かに話を付け、ラガードに来てもらってくれないか、ということであった。
 だからエトリアで手に入れた武具とか道具とかも持って行けば、とも思ったが、それはそれ。
 考える時間は長くなかった。なにしろ『優秀な採集レンジャー』の当てがある。ファリーツェは樹海に赴き――一人では行くな、と言われていたので、たまたま捕まえたボランスを伴ってだが――、その人物がまだ樹海にも来ていないことがわかると、採集監査役の兵士に言付けを頼んだ。ファリーツェが知る限り、それが最も確実に今の『彼』に連絡つなぎを取れる方法だったからだ。
 その人物と久々に対面したのは、二日後、皇帝ノ月二十日のことである。
 金鹿の酒場で顔を会わせたそのレンジャーは、突然の要請に、「まぁ『エリクシール』のパラディンの坊やの頼みなら」と、二つ返事で引き受けてくれた。そして次の日には、早速ハイ・ラガードに向けて旅立っている。
 旅立つ彼に、パラスへの手紙を託した。その中には、最近発行された記念硬貨――世界樹と、ヴィズルの横顔が刻まれた、百エン銀貨。
 かのレンジャー・ゼグタントは、無事にラガードに着けただろうか。笛鼠ノ一日である今現在は、確認する術がない。そのうちパラスが新たな手紙で報告してくれるだろう。そのとき、彼ら『ウルスラグナ』は樹海のどこまで到達しているだろうか。
「負けてられないな……」
 そう思う。もちろん、自分の戦いは今や、樹海を武力で踏破することではない。次にはいつ、何階まで招いてもらえるか――すなわち、樹海の住人の信頼をどれだけ勝ち得るか、である。
 そのためには面倒ごとは早く片付け、早く巫女殿との交渉に復帰したいものだが……。
 ふと、鼻をくすぐる匂いに誘われ、視線を泳がせた。
 ベルダの広場の中央からだいぶ離れた場所である。いつの間にここまで歩いてきていたのか。さすがに露天もまばらになっている中、『ヴルスト』と示された看板がある。その下に『当店の食品はすべて羊腸を使用しています』と記されていた。
 その露天では、焚き火の上に金網を乗せ、その上でソーセージヴルストをあぶっていた。匂いの発生源はそれのようだった。
 ちょうどいい。小腹が減っていたところだ。
 ちゃらちゃらと小銭を鳴らして露天に駆け寄り、香ばしい匂いを漂わせる腸詰めを見回す。全部食べたいが食べきれそうにないので、きっちり選ばなくてはならない。お土産にしたくても、こういうものは暖かいうちに食べた方がいいものだ。
 味見をさせてもらって、バジルが入ったのと、レモン味のものを選んだ。その分の支払いをしようとしたが、ふと手を止める。
 結局、幾ばくかの余計な時間を費やした後、ファリーツェの手の中には二つの油紙の袋があった。片方はバジルとレモン、もう片方はバジルとプレーン。程よい焦げ目が裂け、肉汁したたる腸詰めが、袋越しに火傷しそうな熱さを伝えてくる。
 この熱が少しでも残っているうちに、行こうと考えた場所がある。
 思い出したのだ。今日この時間、今いる場所からもう少し行った街外れ。そこでは、防衛室長が警護に当たっていたはずだ。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-51

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