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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・49

 そうか。ようやくファリーツェにも判った。表情を見るに、おそらく諸氏もそうだろう。
 彼ら『おさわがせトラブラス』は自分勝手に会議を盗み聞いたわけではない。彼ら自身はそういう体裁を取っているが――おそらく、執政院の下級兵士全員が共犯だ。少なくとも『共犯者』全員、自分にできることが全くなかった者も含め、そう思っているだろう。
 具体的に行動した者は、想像できる限りでは、高官の会議日程を把握した者と、本来の控え室の掃除当番。
 兵士達は、上の者達の動きに不審を抱き、何が起きているのかを彼らなりに知りたいと思ったのだ。『おさわがせトラブラス』が直接的な実行者に選ばれたのは、先程想像したとおり、樹海探索を通じて技術を磨いていたため、成功率の高さを見込まれてだろう。そしてもちろん、『おさわがせトラブラス』自身も乗り気だったのは、火を見るより明らかだ。
 何度も繰り返した話になるが、別段、「下の者は命令に従っていればよいのだ」と思って話を内緒にしていたわけではない。単に確証の持てない話だったからだ。けれど、兵士達が不安がるのも当然の話である。
「みんな――」
 ファリーツェは声を上げた。彼ら兵士を軽んじた(ように思える行動)は自分の責なのだと知らしめるため。だがその発声は、熟練のソードマンの剣風に圧されるシンリンチョウの羽ばたきのように弱かった。まさに彼の言葉を圧倒したのは、その眼前に振りかざされた腕が起こす、客観的には微かでしかない風圧であったのだ。
「諸君。君たちに事情を伏せていたのは、私の判断だ」
 言うまでもなく、腕と言葉は、オレルスのものだった。
 『おさわがせトラブラス』一同は苦笑いを浮かべた――つい先程までだったら、そうしただろう。
 オレルスは上司だが、まだ長としては経験浅く、高官諸氏から入隊したての下級兵士に至るまで「自分のできる限りでこの新しい長を支えなくては」と思わせる頼りなさを残していた。そのため昨今の執政院内には、よく言えば無駄に肩肘張らずともよい、悪く言えば馴れ馴れしい雰囲気が、薄くだが蔓延していたものだった。そしてオレルス自身がそれを強く咎めることもなかった(防衛室長は事あるごとに叱り飛ばしていたが)。
 先程までの『おさわがせトラブラス』の態度がなんとなく弛緩していたのも、そのせいだ。加えて、高官達が目の当たりにした長の覚悟を、くぐもった声でしか聞いていなかったために、実感していなかったこともある。
 しかしもはや、『おさわがせトラブラス』は、暢気にうたた寝する猫の前で舞い踊る雀ではなかった。先に高官達が感じた長の威圧を目の当たりにし、権威を舐めてかかるボランスすら居住まいを正した。
 すっかりと『敵対者F.O.E』を目前にした冒険者の様相になった『おさわがせトラブラス』に、オレルスは笑みを向けながら言葉を発する。
「さしたる問題でなければ、皆を騒がせたくなかったのだ。もうしばらくは暢気な成り上がりの街でいたかったのだが……」
 それは半ば冗談ではあっただろう。『暢気な成り上がりの街』などと周囲に思われれば、まさに野望を持つ何者かの恰好の獲物だからだ。しかし、そう表現できる程の平和な日々を長く維持したかったというのは、本音だったに違いない。
 ……否、維持を諦めてはならない。それが、統治機関の役目なのだから。とはいえ、平和の維持のために乱をも辞さない覚悟が必要なのは、なんという皮肉なのだろうか。
 そして、オレルスは『おさわがせトラブラス』一同に退去を命じた。後程、改めて兵士達を集めて説明を行う、と言い添えて。ろくな説明なく追い出されることを抗議するかに思えた元冒険者達だったが、意外にも素直に命令に応じ、一礼すると、会議室を出て行った。彼らにも、状況はもはや自分達だけが聞いて仲間に伝える程度では済まない、と察せられたからだろう。
 彼らの背を見送り、オレルスは改めて、高官達を見回した。
「すっかり、話が飛んでしまったな。呪術師殿に呪詛返しの保留を頼んだ理由の説明が遅れてしまった」
 かすかな笑いは、その後の言葉を口にするために必要な、いわば助走だったのだろうか。 
「呪いを受けた我が身は、いわば、おとりだ。このまま、襲撃を実行させる」
「なんですと!?」
 一同、異口同音の感嘆詞でオレルスの言葉に反駁を示す。ファリーツェやドゥアトにしても例外ではない。唯一、ヴェネスは沈黙を守っていたが、気持ちは皆と同じだった。
 先程ドゥアトが言ったではないか。敵の呪術師は無効化できると。それに伴い、実働隊が引き上げる可能性があり、それが叶えばエトリアは戦わずして危機を脱せられるはず。そうなれば無用な死人も出ない。なにより、オレルスも微熱に悩まされなくなる。
 しかし長は首を振る。避け得ぬ戦いを決意した将の様相で。
「確かに、今、呪術師の対策をすれば、襲撃は止まるかもしれない。だが」
 ――否、彼は、とっくのとうに決意を固めた将であった。
「それだけでは、またいずれ、同じ事が繰り返されるだろう。最初に、力を示さないと、我々は舐められたままだ」
 その場にいる全員がたじろいだ。確かに、長は先程、エトリアを守るために生命を差し出せと言った。とはいえ、それは万策尽きてなお敵が攻め込んできた時のことで、わざと敵を招き寄せる気だとは思っていなかったのだ。
 聖騎士としては許しがたい暴挙だと、ファリーツェは憤っていた。
 呪術師一人倒せば済むことなのにねぇ、とドゥアトは呆れていた。
 長自ら囮作戦の餌を志願するとは、とヴェネスは驚愕していた。
 三者三様の思考ではあるが、少なくともこの三人に共通していたのは、現実的な思考を手放すことはない、という特徴であった。彼らは、それぞれの考えの裏で、オレルスの思考が理に適っているとは認めていた。
 長の策は、襲撃を事前に防ぐよりも、呪術師一人を倒すよりも、犠牲は大きい。さらに長自らが呪術に身をさらし続けるのは、向こうの目的が呪殺に変わった時の危険性が高い。だが――ここで防いでも相手が懲りなければ、犠牲はそれ以上になるのは明白。
 誘発した襲撃で出るだろう犠牲は、エトリアにとってどうしても必要なものなのだ。悲しいことではあるが。
 ならば、俺は自らの盾でできる限りの兵士なかまを護ろう、とファリーツェは決意した。
 呪術の方はあたしが気を配らないとね、とドゥアトは結論づけた。
 ボクに口出しの権利はない、依頼通りに長を護るだけだ、とヴェネスは再確認した。
 反面、高官達のほとんどは納得できないと言わんばかり、いや、実際に口に出す者も多かった。彼らにとって戦乱は縁遠いものだった。世界樹の迷宮探索についても、情報室と防衛室以外の者が死者に関わることはほとんどなかったことだろう(医務室は? と思われるかもしれないが、死に瀕する程の重傷者に当たるのはケフト施薬院だ)。それが、今度ばかりは直接的な危険にさらされかねないのである。
 そんな弱腰を煽り嘲る低い声。鷹揚と滑空する大鷹が獲物に人語を利いたなら、さもあらん、と思わせる口調。それは、言わずと知れた防衛室長のもの。 
「お前ら、びびっているなら、執政院の奥でガタガタ震えていて構わんぞ」
 もとより、ファリーツェが苦手とするほどに気難しい男だったが、それが他者を嘲る方向で口を開くと、裏組織の大頭領めいた凄みが現れた。ヴェネスの組織の頭領もこういう人物なのだろうか、と、現状とは全然関係ない思考が浮かぶ。一方のヴェネスも、機嫌の悪い時の頭領のようだ、という感慨を抱いていた。ちなみにドゥアトは、幼い頃に出会った異国の将軍の姿を思い出していた――子供心に「鬼のようだ」と思ったものである。
 どうであれ、防衛室長のその態度は、オレルスの策をやむなしと見なす者としては、実に頼もしくはあった。
「ぐだぐだ文句言ってても来やがるもんは来やがる。遠くから『そういうことはやめましょうネー』とか諭してやっても聞きそうにない輩は、おいたする瞬間をとっ捕まえて叩きのめすしかあるまいよ。――安心しやがれ、お前ら文化系のヤツらを前線におっぽり出したりしねぇよ。少しでも勇気があるなら特等席でオレ達防衛室の活躍をかぶりつきで見ていやがれ」
 文化系に分類された者達は、「そういうことなら」などと安心することはなかった。身内が兵士である者も多いのだ。
 だが、その後の喧々囂々の末、結局、採択とならざるを得なかったのは、防衛室長の鼓舞のおかげというより、豹変したオレルスが案を取り下げることはないだろう、と見たためである。
 数十年前、前長ヴィズルが、発見されたばかりの樹海を喧宣したときに似ていた。『余所者』や『冒険者』のためにエトリアを荒らされると思った当時の執政院の多くが反対意見を述べたが、前長は結局、半ば強引に案を押し通したのである。それでエトリアの利になることの方が多かったため、反対者の声も小さくなったのだが。
 さて、今回の策は成功するのだろうか。よしんば成功したとして、それがエトリアに禍根を残したりはしないだろうか?

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-49

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