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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・48

 しばらく凍り付くばかりの会議の間を、他ならぬオレルスの言葉が再始動させた。
「――防衛室長」
 これまでそうしてきたように、若長が諸官を呼ぶ声。にもかかわらず。
「……は」
 若干たじろぎを見せながらも、防衛室長は短く返す。
 彼の態度の理由は判る。オレルスの纏う気配には、得体の知れない威圧がある。これまでの、不意に得た長の座で、振り落とされないよう懸命に政治の指揮を執る、まだ少々頼りない若長の気配ではない。例えるなら――樹海探索に挑む新米冒険者が、予想以上に恐ろしい魔物や、先行者の屍を目の当たりにし、覚悟を決めた時の、その姿によく似ている。
 さらなる言葉は、彼の口から出たにしては苛烈なものだった。
「私は兵士達に『死ね』と命じる。エトリアの危機より街と民と私を守り、勇敢に戦って死ね、と。それができなければ、荷物をまとめて執政院を去れ、と」
「……!」
 防衛室長は鼻白む。この人でもそんな表情をするんだ、とファリーツェは思ったが、すぐに成り行きの方に意識を戻した。その時には防衛室長も表情を改め、宣誓にも似た言葉を発する。
「然り、我らエトリア兵士は街の盾である。その鎧、その盾、必要ならその生命すらも賭けて、危機より街と民と長を守る。不服ある者は本日中に、荷をまとめて執政院を去るであろう」
「その意気やよし」
 オレルスは破顔した。もはやその笑顔は気弱な新米の長のものではなく、部下を鼓舞する戦士サージェントのそれに相違なかった。
「諸君。このエトリアは冒険者諸氏に支えられてきた。『彼らの多くは自分の目的に忠実だっただけで、街を支えるつもりがあったわけではない』――確かに、そうかもしれない」
 ファリーツェからは顔がよく見えない諸官のうち数人が、その通りの表情をしていたのだろうか。オレルスは彼らの考えを先取るような発言の後、さらに続ける。
「だが、我らは冒険者が自らの目的で潜った樹海からの産物で潤った。その代償に、彼らの多くは樹海の土に斃れ、あるいは、一生を棒に振ったと言っても過言ではない傷を負い、その一部は我らが手を届けづらい貧民街で暮らしている」
 ……憂鬱な話である。ある意味では同胞の元冒険者については、自己責任とはいえ、なんとかできないか、とファリーツェも考えてはいた。だが、何割かの者にはささやかながら助けを届けられたが、残りの者には、ただの傲慢にしか映らなかったらしい。拒絶に拒絶を重ねられ、今は、民間組織に対応を依頼している状態だった。
 さておき、今はオレルスの話である。
 就任日の浅い若長、否、そうだった男の顔が紅潮しているのは、微熱だけが理由ではあるまい。
「事情が何であれ、彼らは樹海探索のために生命を賭けた。その樹海を奪おうとする輩に、我々は屈していいものだろうか? 否! 我らも生命を賭けて樹海を、エトリアを守らなくてはならない」
 とん、と、オレルスは卓を叩いた。以前ファリーツェが激高したときのような激しさはない。一流の煽動者であれば、もっと効果的なタイミングと強さで打擲ちょうちゃくを行えただろう。だが、そのいずれも、今の一打に比すれば、列席する者の心を揺らしはするまい。
 その時こそが、それまでは長の座に着きながらまだ頼りなさもあったオレルスが、前長に匹敵する威厳を見せた、初めての機会だったのである。 
「それを厭うことは――樹海を我らの手にもたらした冒険者への侮辱、ひいては彼らに街の興亡を託した我々自身への裏切りだ!」
「そうよ! その通りだわ!」
 唐突に、少女の場違いな声がした。響いた、と言えないのは、どこかくぐもって聞こえたからだ。
 会合の場に『少女』と呼べる者はいない。だが、その場にいる全員が、声の主に心当たりがあった。
「あのバカどもが……」
 全員の内心を代弁するかの苦い声を漏らし、防衛室長が青筋を立てた。振った右手は、扉脇に佇む警護兵に、不届き者の居場所(推測)と、どう対処すべきかを示している。警護兵は部屋の外側を担当していた相棒とうなずき合って、命令を遂行するために去っていった。
 結果が分かるまでには、ほとんど時間はいらなかった。
 警護兵は七人に増えて戻ってきた。否、増えた五人は、思いの外素直に付いてきた『不届き者』である。それは、少女の声を聞いて全員が思い当たった人物(達)に、間違いなかった。
 執政院兵士となるはずの道を一度外れ、結局は最終的に兵士となった、元冒険者『おさわがせトラブラス』である。その姿はいつもの兵装ではなく、軽装にエプロンといった様相だった。どこかの掃除当番だったのだろうか?
 半ば苦笑めいた曖昧な表情を浮かべたオレルスが、目前に引き出された部下達を順に眺める。同じ立場に立たされた者なら頭を垂れ、自分達の行いを反芻反省するはずだろう。ところが、盗聴行為の処分を待つはずの『おさわがせトラブラス』はといえば、傲然と胸を反らし、手は後ろに組み、まるで出撃命令を待つ歴戦の兵士さながらであった。
 最初にオレルスの口から飛び出したのは、叱責ではなかった。
「よく、この部屋での話を聞き取れたものだ」
 会議室である。政策や軍事についても話し合われる。そんな場所が容易く盗聴されるようなら、行政施設としては失格としか言いようがない。当然、この部屋も壁を二重にした間に土嚢をぎっしり詰め、話の内容が把握できない程度には音を遮っている。壁自体を厚くしなかったのは予算と工期の関係からだ。
 だが、先程、少女――『おさわがせトラブラス』の女剣士シャイランの声が、くぐもりながらも、きちんと意味を把握できる音として室内に届いたのである。室内からも音が外に漏れているのは明白。
 シャイランは悪びれもせず、声を張り上げた。
「先日の控え室掃除の時、何気なく壁を叩いていたら、中身が少なそうな場所を見つけました」
 控え室は、名前通り、会議室に用がある人間が控えるための部屋だが、最近のエトリアではあまり使用されない。皆、控えるまでもなく会議室に直行するからである。だから、目の前のお騒がせどもが変な気を起こすまでは誰も気付かなかったのだ。原因はともかく、壁の中身の土嚢が劣化していることに。
「君たちは掃除の時に何をやっているのかね」
 文言の割に、オレルスの言葉は穏やかである。叱責より、状況確認が大事、と考えているのだろう。
 答えたのは、狩人のボランスであった。執政院内部なので、長い髪は立たせておらず、肩を越えて下に流していた。
「防音材が劣化していたら、部屋の中の音を聞けるのではないか、と思い立ち、確かめてみた次第です!」
「いやぁ、あれはまさに『冗談から駒』みたいな感じだったよねぇ」
 暢気な口調で補強したのは、吟遊詩人のヒロツだった。
「お前達、もう少し、言葉をオブラートに包んで話そうとは思わないのか」
 げんなりと溜息を吐いたのは、眼鏡をかけた面長の青年である。彼は『おさわがせトラブラス』の統率者ギルドマスターだった治療士、名をソリスという。澱粉膜オブラートの喩えがまず口に出るとは、さすがメディックである。
 それにしても、いくら防音材が劣化していたからとて、そうそう室内の声を聞き取れるはずもあるまい。シャイランの声は叫んだから聞こえたのだ。会議中は――少なくとも今の会議では、そこまで大声で叫ぶ者はなかった。
 そこまで考えたファリーツェは、ボランスとヒロツが何やら『成し遂げた』と言いたげな得意顔をしているのに気がついたのである。
「ははぁ……」
 レンジャーとバード。ざわめく樹海で敵襲や状況変化を音を含む五感で判断する者と、言うまでもなく音と声の専門家。そこらの半人前ならまだしも、下層までは行かなくても樹海で鍛えられた彼らには、防音材が劣化した壁の向こうの話し声を聞き取るのは、朝飯前とはいかずとも成功率の高い話だったのだろう。
 同じ結論に達したのか、オレルスは溜息と共に、半ば諦めにも似た口調で愚痴を吐き出した。
「君たちが控え室の掃除当番だったのが、運の悪い話だったか」
「違います。本来の当番と交代させてもらいました。何やら重大な会議が始まりそうだったので!」
 どうだまいったか、と続いても違和感がないシャイランの口調に、今度こそ諸官が頭を抱えた。
 エトリアを狙う何者かの件は、(今日までは虚実定まらなかったからでもあるが)秘事として高官と関係者のみで進めてきたというのに、なんだってこの下級兵士達は穿ほじくり出したがったのだろう。
 そんな思いを、会議室を小劇場に見立てて放ったような>男声中域音バリトンが、静かに中断せしめた。
「……長よ、そして諸官の方々よ」
 それは、『おさわがせトラブラス』最後の一人の声であった。他の四人より一回り大きな体格の青年。今こそ清掃当番の姿だが、戦場では重鎧に身を包み、盾をもって味方を守り切るはずの男である。しかし、諸官の多くは、そしてファリーツェは知っている。かつてその筋肉は大半が贅肉であり、声も、当時の性格による喋り方の影響で、もっとせわしない高音域だった。ある意味、樹海探索を経て最も変貌したのは彼であろう。
 アダーと言う名のその青年は、観客が確かに自分に注視しているかと確認する煽動者の様相で、一同を見渡した。鷹が己の巣の周辺を見渡すかの精悍な容貌が、往時には頬の肉に埋もれかけていたなどとは、かつての彼を知らぬ者には想像も付くまい。だが、そんな勇姿が紡ぎ出す言葉は、どことなく頼りなく聞こえた。声や態度が弱っていたわけではない、言葉の内容そのものがだ。
「我々『おさわがせトラブラス』は、何者なのでしょうか」
 そんな質問を今この場でぶつけられる意味を、諸氏は理解できなかった。
 無論、ファリーツェもその一人だった。辛うじて少年騎士が、加えて述べるならその伯母もが、他者と違う点があったとしたら、朗々と言葉を紡ぐアダーが、その実、涙しているように見えていたことだった。
 ヴェネスにはもちろん、そのようには見えていなかった。だが、彼は彼で、エトリアの同年代の少年たちが想像もできないような半生の経験から、漠然と感じたことがある。ヴェネス自身はまだ名を知らぬ青年騎士、彼のような態度を取る者を、戦場の敵側によく見てきた。訴えは聞き入れられず、ないがしろにされ、己がその場にいる意義を見つけられなくなった者達。ヴェネスの『組織』には、そういった者達を言葉巧みに陥れることに長けた者達も存在したのだが――それは今は関係ないことだろう。
 青年騎士アダーは、軽く息を吐くと、さらに続けた。
「我々、エトリア執政院付き兵士とは、何なのですか?」
 何なのですかも何も、字義通りではないのか。ファリーツェがそう思ったことは、おそらくエトリア高官諸氏も思っていることに違いない。だがファリーツェは、傍にいた伯母の表情が曇ったことに気がついた。伯母は何かに思い当たったらしい。
「長様、あの子は――」
 僭越と思いながらも助言せずにはいられなかったのだろう、ドゥアトはオレルスに声を掛けたが、それは別の大声で中断させられた。他でもないアダーの大声だった。
「我らは……我らには、エトリアの危機を詳細に知る価値すらないと仰せか!」

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-48

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