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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・45

 敵の呪術に強く蝕まれた状態で、これから為そうとすることを執り行うのは、少々危険にすぎた。そのような訳で、ドゥアトにとっては従甥の対処が素直にありがたい。
「さて、と」
 呪術師の女、若長のベッドに今一歩近付く。オレルスは心持ち身体を後ろに傾けた。やはり、未だに呪術師に対して完全に胸襟を開くには至らないらしい。それは仕方のないことではあるが。
 呪術師の女、若長の額に手を伸ばす。高熱を出した子を案じる母が体温を測ろうとする仕草に似ていたが、オレルスは喉奥からかすかに悲鳴を上げ、身体の軸をずらす。
 一方、ファリーツェは己の直属の上司をなだめようと考えていた。伯母の行為の意味が判っているからこそだが、あいにくその行動を実行することはできなかった。なにしろ伯母がこんな問いをオレルスに投げかけたので。
「……ババァに触られるのは、イヤ?」
「……え?」
 オレルスは文字通り虚を突かれた面持ちで、目の前のカースメーカーを凝視した。
 唖然としたのはファリーツェも同様である。いやちょっとこんな時にそんな問いを投げかけてる場合なんですか、と突っ込もうと思ったのだが、当事者同士での話が進んだので機会を失した。オレルスの返答がぶっ飛んでいた(ファリーツェ視点では、だが)ので、そちらに気を取られたこともある。
「いえ、そんな、ババァなんてご冗談を。あなたは充分にお美しい」
 オレルスの言葉の半分は社交辞令である。だが、呪術師の女が、悪意のある者からは『中年女ババァ』と揶揄されかねない実齢にも関わらず若く見え、男性十人中少なくとも半数以上の目を引くであろうことは、間違いのない事実だった。オレルスは公人としての立場をわきまえている。……と、ファリーツェは思うのだが、心の隅っこで、きれいな部屋の隅に少しだけ吹き溜まる髪の毛のように、ちょっとした不安がわだかまるのを感じた――まさかとは思うけど、一目惚れしたとかそんなこと言いだしゃしないだろうな?
 幸いにも(?)、そのような展開はなかった。
「ありがと。お世辞でも嬉しいわ」
 日溜まりに咲く小さな花の様相で、ドゥアトは微笑み、改めて手をオレルスの額に差し出す。若長は今度は悲鳴を上げず、避けようともしない。どうやら、今し方の会話の応酬が、呪術師の女に対する恐れを払拭したようだった。
「私が来たからには、どこかの不埒者には変なことさせやしないわよ。大船に乗ったつもりで、おばさんにどーんとお任せなさい」
 半ば軽口に近い口調で、ドゥアトは告げ、直後。
「『命ず、眠れ。鶏鳴の時まで目覚めることなく』」
 嫌も応もなかった。研ぎ澄まされた刃の鋭さを秘めたその言葉に、オレルスの意識は刈り取られ、肉体は力を失いベッドに倒れ伏した。
「オレルス!」
 それまで状況に付いていけず、見守るばかりだった情報室長が、公人ではなく私人としての立場を剥き出しにして声を上げた。駆け寄ろうとするところを、ファリーツェは腕を上げて制する。
「信用してください。私の伯母です」
 実際、今の呪術はオレルスを害するものではない。
 カースメーカーとその呪術は恐れられるものだが、必ずしも他者を害するばかりではなかった。たとえば今しがたの『昏睡の呪言』。悪夢に苛まされて眠れなかった者を安眠に導いた実例がある。また、『ナギの一族』はその呪術をもって、『災厄を呪う』、すなわち魔を祓い人々を守る依頼を受けることも多々あった。何事にも表裏はある。他者を守る聖騎士の盾が、攻撃に転じれば恐るべき破壊の力になるように。
 情報室長がひとまず平静を取り戻したのを確認し、ファリーツェは伯母に呼びかけた。
「どのくらい掛かりそう?」
「そうねぇ……」相も変わらず、ドゥアトの様子は、恐るべき呪術の使い手とは思えないのんびりさであった。「今ちょっと『触ってみた』感じだと、手強い相手ね。徹夜になるかしら。……ほんと、お肌に悪いったら」
「終わったらゆっくり眠れる部屋を用意しておくよ」
 伯母の最後の軽口に苦笑を誘われながらも、ファリーツェは応えた。
 こうなったら、自分が役に立てる局面ではない。情報室長を促し、部屋を退出することにしたのであった。

「伯母君は一体何をされておられるのかね?」
 当然のことながら、情報室長の疑問はファリーツェにぶつけられる。別に答えない理由はなかったので、移動しながらも簡便な説明を始めた。
「伯母は、呪詛の主を突き止めようとしているのです」
「ほう」
 室長は喜色を浮かべる。相手が判れば、今回の懸念に決着をつけることも容易かろうと期待して。
 だが、聖騎士の少年は静かに首を振った。
「申し訳ありませんが、過度な期待はできません」
 なにしろ、相手も、探られていると感づけば、どうにかごまかそうと足掻く。よくて、呪詛が飛んでくる大まかな方向と位置が判るくらいである。
「判ったとして、それが外国だとしたら、簡単に手は出せません――仮に、外国の統治機関自体が何かを企んで呪詛を飛ばさせているなら、なおさらです」
 それもそうだ。証拠をそろえたとして、何かを企む方が、おいそれとそれを認めるものか。
 実行犯を捕らえて首尾よく自白を引き出したとして、相手はそれでも否定するだろうし、万が一にでも言い逃れできない証拠を掴めたとしても、相手次第では口をつぐまなくてはならないこともあり得る。外交的力関係とは、かように面倒なものである。正直、ファリーツェの苦手な分野だ。本来なら関わりたくもない。
 どこかちょろっと分不相応の野望を持っちゃった小国の仕業とかだったら、国際的な生き残りに必死であろう彼らには申し訳ないが、まだ対処が楽な方なのだが。
「そのあたりは元気になったオレルスの仕事だな」
 と、情報室長は笑う。
「伯母君なら、相手の居場所自体は判らずとも、こちらに呪詛を飛ばす輩をどうにかすることは、できなくもないだろう?」
「ええ、可能です。相手が『ナギの一族ナギ・クース』二番手の魔女より手練れでなければ」
 呪詛の主の居場所そのものを突き止めるのは難しいが、その放つ呪術の波動(と言えばいいのか、仮にこう呼称する)を逆探知した後、自分の呪詛を送り込むのは、ドゥアトともなれば容易いことだ。呪詛返しをするか、掴んだ波動をよすがにした遠隔呪術を使うのか、それはファリーツェが判断することではない。いずれにしても、適切な手段を執れば、余程の相手でなければ沈黙させることができるだろう。場合によってはたまの緒を断ずることさえ。
 ともかくはっきりしているのは、現時点でファリーツェや情報室長にできることはない、ということだ。
 厳密に言えば、呪術に直に関わらないことでなら、できることはあるのだが。
「室長」聖騎士は話を切り替えた。『自分にできること』を済ませるために。
「紹介状を書いてもらえませんか?」
 その相手を聞いて、室長は眉根を寄せる。ファリーツェや紹介状の相手に対する不信ではなく、
「別に必要ないのではないか? そんなもの」
「まぁ、そうなんですが、今の時間、緊急ですからね。一筆ある方がやりやすいでしょう」
 それもそうだ、と情報室長は苦笑の形に顔を歪めた。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-45

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