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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・42

 『王国』在住のカースメーカー、ナギ・クード・ドゥアトが目的地に到達したのは、皇帝ノ月二十七日のことであった。
 おおよそ二ヶ月の長旅の間に、年は新たになり、ついでに年末生まれのドゥアトはひとつ歳を取った。閏年生まれの彼女の誕生日、四年に一度の年末に付加される閏日『鬼乎ノ影日』は、この年も存在しない。そのため、前日に当たる鬼乎ノ一日の夜、ちょうどその時滞在していた街の酒場で、少しだけ贅沢な食事と共に自らを祝った。食事をしながら主人と世間話をしている際、話の流れで誕生日であることを明かしたため、真夜中の新年の号砲が鳴った途端、酒場にいた他の客達から祝福を受けたり奢りを受けたりしたもの、いい思い出である。
 そんな中で、目的地を知った地元の客が、小首を傾げてこう問うたものだった。
「王都からエトリア方面なら、船の方が早かったんじゃないのかね?」
 その街は海から遠かったから、疑問もやむなしか。残念ながら、王都と自治都市群を結ぶ航路は、怒猪ノ月から笛鼠ノ月ごろまで、海流の関係で岩礁があらわになり、危険度が高くなるのである。そのため客船は休航、商船も余程でなければ出港せず、してもかなり遠回りかつ難度の高い行程となる。そのためドゥアトも陸路を選んできたのだ。
 従甥の悩みを思えば困ったところだが、こればかりは仕方がない。
 その件を除けば、充実し、満足できた旅路であった。きっと復路かえりも満足できるだろう。
 そんな彼女だったが、エトリアに到着するが早いか、不思議な光景を目にすることになった。
 華やかに飾られた街の正面門前には馬車の列が連なり、脇の通用門にも徒歩の者達が並んでいる。
 道なりに立ち寄ってきた街で、噂は聞いていたものだから、予想外の光景ではなかった――自治都市群最大の街ムツーラの開港百五十年に合わせ、エトリアも大々的に催し物を行っているのだという。
 余所の街の開港が何年であろうと、エトリアには関係ないはずだ。にもかかわらず、そんな真似をするのは、
「樹海に入れなくなって先細りが見えてるから、余所の街の祭にでも便乗してどうにか金を稼ごうとしてるんじゃないか?」
という推測が主流だった。
 ドゥアト自身には、エトリアの思惑が何であっても別にどうでもいいことだ。ただ、盛況の様子を見るに、最低限耳目を引く何かがあるのだろう。それはそれで楽しみだ。もちろん、従甥に頼まれた何かしらを済ませてからだが。
 盛況すぎて馬車では直接街には入れないらしく、臨時のものらしい停車場に誘導される。そこですら詰まる順待ち列に御者が苛つき、足をどんどんと揺すっているが、ドゥアトはのんびりと時を待つ。ここまで来て急く意味はない。流れの様子を鑑みるに、一時間もあれば順番も回ってくることだろう。災禍の担い手とはとても見えない呪術師は、荷物の中から編み物を取りだし、のんびりと時間を潰し始めるのだった。

 時に、ドゥアトは招かれた身のはずだ。招いたのは従甥だが、それに(非公式だが)許可を出したのは長である。招聘の手紙にも執政院ラーダの正式な印が付随している。それを門番の兵士に見せれば、いかなる順番をも超越でき、彼女は時間を潰す必要がなかったかもしれない。
 時を隔てたハイ・ラガードで、そのことを指摘したのはゼグタントだった。彼としても、単に疑問を抱いただけで、別段、そうするべきだった、などという主張をする気ではなさそうだったが。ドゥアトはくすくすと笑声をたて、こともなげに答えたものだった。
「横入りなんて、みんなが嫌がるじゃない。こっちに正当な理由があってもね。呼ばれた理由が理由だもの、目立つことはしないに限るわ」
 さもありなん、と皆が頷いた。そして、この呪術師の女がハイ・ラガードを訪ねてきたとき――正確に言うなら、不運な事故の余波から抜け出した後、私塾を訪ねてきたとき――のことを思い起こした。まるっきり旅の若奥様風の、呪術師などには見えないその姿を。エトリアに到着したときも似たようなものだったのだろう。正体を隠すにはなんとおあつらえ向きなことか。

 ようやく兵士の検問を終えて、街の門をくぐったドゥアトの前には、非日常の光景が広がっている。
 街の中央広場――『ベルダの広場』というのだと兵士に聞いた――に続く道には、祭につきものの露天の類はない。おそらく、広場に向かう人々の通行を妨げないように、設置が制限されているのだろう。それでも、両脇の建物には花を始めとした色鮮やかな祝い飾りが鈴なりであった。
 最も目を引くのは、道路越しの建物間に渡された旗だった。空の色よりは濃い青を基調にした、エトリアの紋章旗と標語スローガンを掲げた旗が交互に掲げられ、ひらひらと風になびいていた。頭上に張り巡らされた旗は、それだけでも祭りの雰囲気を強調する。『祝・ムツーラ開国百五十年』標語はそんな感じであった。
 本当に、余所の街のお祝いに乗っかっただけ、というには、随分と盛況なものだ。
 その印象は、ベルダの広場に押し出されたときにも、変わることはなかった。
 人波になるべく逆らわないように、それでも時々は呪言をつぶやいて、人々を操って進行方向を確保しつつ、平服のカースメーカーは広場を進む。
 広場中央の碑や周囲の建造物から張り巡らされた祝い旗。その下では、様々な地域から来たのであろう人々が、思い思いに楽しんでいる。自治都市群に属する街からやってきた物販も多く、名物○○焼きなどと書かれた露天で料理人が調理に励み、できあがったスナックに客達が舌鼓を打つ。貝殻や半貴石の装飾品を身に当てて、互いの品定めと己自身の自慢を行っているのは、妙齢の女性達だ。どの人々の表情も、日常の労苦をしばし忘れ、楽しそうだ。
 ドゥアトも心が沸き立ってきたが、自分の目的が先だ。
 少々名残惜しく感じつつ、露天から視線を引きはがす。ちょっとどいてね、とつぶやくと、目の前の人混みが、女帝の命令を受けたかのように割れた。さぁっと退いた人々自身は、別段強制されたとも思っておらず、不服そうな表情は微塵もない。
 自分専用の道を擦り抜け、ややすいている方面に出る。広場の北側だ。
 黒猫の看板を掲げた建物の側に、奇妙な一団が集まっているのを見た。十名を少し超えるほどか、大多数はそろって、農作業時に着るような、地味で丈夫な服。そんな者達と向かい合う三名は、金属鎧をまとった剣士風の赤毛少女、弓を携えた金髪長髪の青年、騎士の鎧と盾に身を包んだ、体格のいい青年。彼らの様子は、話に聞く冒険者を彷彿とさせた。
「いいですかー!? あたしたちの言うとおりにしてくれれば、まず危険はありません! 保証します! でも、指示に従ってくれなかったら、何が起きるか判りませんので、どうかお願いしますね!」
 赤毛の少女の言葉を聞きつつ、あれは何だろう、と思っていたドゥアトだったが、
「あれは樹海体験ツアーですよ。あの回は締めきってますが、次回は私も案内人になります。ご参加いかがですか?」
 背後からの声に、動きを止めた。
「樹海つあー?」
 返す言葉はぎこちない。その声に覚えがあったからだ。
「ええ、エトリアは樹海探索で発展した街ですから」
 覚えのある声のその主は、どうしてそんな他人行儀の話し方をするのか。
「ならば樹海を体験していただくのが、一番エトリアを知っていただくのにいいでしょう? ――なーんて、ね」
 不意に声の調子が変わった。それこそは、ドゥアトがよく知っている話し方だった。
 ずいぶん久しい。旧正月(白蛇ノ月十七日)前後には毎年里で会っていたから、何年ぶりかと指を折るほどではない。それでも、最後に会ったのは一昨年の旧正月頃だ。一年半ほどまみえていない計算になる。
 振り返るカースメーカーの目に映ったのは、日の光を鈍く照り返す金属鎧に身を包んだ少年だった。その笑みは最後に会った時とさほど変わりない。ただ、『王国』では重騎士ファランクスのものだったはずの鎧は、聖騎士にふさわしいものに代わっていた。
 顔を合わせたらどう声をかけよう、と、いろいろ考えていたはずなのに、口から飛び出したのは、何のひねりもない、そこらへんの主婦が買い物途中で最近見かけなかったご近所さんに出くわした時のような感嘆詞だった。
「あらぁ、あらあらあら、あらぁ! ファリーツェちゃん、ファリーツェちゃんじゃないの! ほんとに大きくなったわねぇ!」
 『ちゃん』はやめてくれないかなぁ、と思っているような顔をしている、と悟りつつ、一度流れ出した言葉はなかなか止まらない。こういう時、ドゥアトは「何が『呪詞ことばの使い手』なのか」と自らに呆れるものだが、今回ばかりは自分を甘やかしてもいいだろう。
 大きく広げた腕は、少年騎士抱きしめ、包み込む。
「樹海探索、ものすごく大変だって聞いてたけど、その割に変わらないわねぇ。もう少し荒事を潜り抜けてりりしくなってるかなーとか思ってたのに。でも元気そうで何よりだわ」
 ドゥアトは少しだけ嘘をついた。彼は――ファリーツェは充分に変貌していた。それは決して悪い変化ではない。だが、変化の上で避けることのできなかった負の経験が、その成長に影を落としているのを、漠然と感じる。かつて幼い頃の彼が、興味本位で生き物を、その後、やむを得なかったとはいえ人を、呪術で殺してしまった後のように。
 それはこの世に生きる上で、誰もが――殺傷という形ではないにしても――纏う、成長の傷跡だ。それに躓くか、乗り越えるかは、その者次第。
 ドゥアトがそう感じているのを知ってか知らずか、少年騎士は肩を竦めながら、不本意だと言いたげに答えた。
「背は伸びたよ。たぶん、アトおばさんに最後に会ったときから五センチくらい?」
「なによ、五センチ? せっかくならもっと伸びなさいよ。十二、三歳くらいの時に二十センチくらい伸びたアンシャルくらいには」
「無茶言わないでよ」
 苦笑いめいた表情を見せた従甥だったが、ふと、訝しげに言葉を続けた。
「でも、俺、レイおばさん宛に手紙出したつもりだったんだけど……何かあったの?」
「レイは別のお仕事」
「相変わらずなんだね」
 仕事の内容を詳しく言わなかったのは、ファリーツェに明かせないわけではなく、周囲を憚ったからだ。人前、しかも祭りの最中に、呪いがどうこうと口にするのは、空気を読まないにもほどがある。さらりと流したドゥアトの雰囲気は、相も変わらず穏やかで、その言葉から、意味する『仕事』が忌まわしいものだとは、誰も想像だにできなかろう。
「あたしがお仕事行ってもよかったけど、なにしろミッタ直々のお願いだったから」
「あー、ミッタお姉ちゃんのか。あんないい人のところでも『困りごと』がなぁ」
 ファリーツェの言を受け、ドゥアトは天を仰いで嘆息した。
「ええまったくもう。呪術師あたしたちの出番がない方がいいんだけれどねぇ」
「ほんと、そうだね……」
 里に持ち込まれる依頼の多くは、『呪詛返し』。誰かを護る仕事ではある。けれど、それは、誰かを呪う者がいる、ということだ。そして、その誰かを返した呪いで害する、ということだ。力に呑まれて良心に背を向けた者、力の使い方を知らない者、どうしても誰かを呪詛で害する必要がある者……理由は多々あるだろうが、自分達が持ち得る力は世の中にとっては害悪に属する、と気付かされるものだった。もっとも、それは、剣の力にしても、錬金術の力にしても、使い方を間違えれば同じことだ。
 ……そして、エトリアにも、その忌まわしい力が手を伸ばしている。ファリーツェの推測が正しければだが。
「ところで、アトおばさんは樹海に入ってみる?」
 ひとまず話を切り替えようとしてか、妙なことを言い出す従甥に、ドゥアトは苦笑交じりに応えた。
「やめとくわ。街に来ばかりだもの、ちょっとお休みしたいわ」
「なんだ、あっちをずっと見てたから、興味あるのかな、って思って」
「まぁ、興味はあるけど、ね」
 そんな会話の応酬はしたものの、聖騎士の少年とて別に無理強いするつもりはないようだった。
 ドゥアトがこの時、樹海を覗かなかった理由が、旅の疲れにあったのは事実だ。だが、この後、エトリアを発つ日まで、ついぞ樹海を覗かなかった理由は、当の本人にも解らない。ファリーツェの方も、ヴェネスに何を守るのか見てもらいたいと願った時とは違い、この後、一度も樹海へ赴くことを提案しなかった。勝手知ったる身内で、いろいろと気を回さなくても力を貸してくれると確信していたからである(もちろん、ヴェネスとて契約に反することはなかっただろうが、唯々諾々と戦うよりは、何を守るために戦うかを知った方が気合いが違うだろう、と聖騎士は思ったのだ)。
 とはいえ、今、ハイ・ラガードで語るドゥアトは、語りながら思う。
 一回ぐらいは、エトリアの樹海を見ておいてもよかったかしらねぇ、と。

 「俺の名を出せばご飯とか出してくれるから」と紹介された、金鹿の酒場なる所は、ドゥアト好みの場所だった。軽い食事や度数の低いリキュールは、旅の疲れを癒やすのには充分すぎたし、落ち着く雰囲気は彼女の性に合った。
 祭りだから店も多忙なのだが、何か表で催し物があるのか、客のほとんどが出払い、注文も途切れた時間がぽっかりとできる。その間に、ドゥアトは興味本位で店主の話を聞くことにした。
 樹海探索華やかなりし頃には、この酒場もずいぶんと騒がしかったそうだ。さもありなん、客の多くは冒険者。度の過ぎたおいたをする者は同業者の手で掣肘されるとはいっても、荒事専門の猛者達である。酒と食事を提供してくれる貴重な場所で下手な真似はしないが、軽い諍いはよくあった。それも、各ギルド間の力関係が定まると、最も影響力のあるギルドに合わせ、独特の秩序が形作られる。この度の秩序の頂点は三ギルド。『ウルスラグナ』『エリクシール』『リグラス』であったという。
 ドゥアトは自分達が知らないところで従甥が何をしていたのかを知った。それは、顔を合わせた時に感じた変貌を裏付ける話だった。従甥の前で「もう少し荒事を潜り抜けてりりしくなってるかと思った」などと口にしたが、その言葉を聞いた彼はどんな気持ちだったのだろう。本当に、自分は何が『呪詞ことばの使い手』なのか。後悔するも、口にした言葉はもう取り戻せない。
 いささか気落ちしつつも、従甥と再び顔を合わせたのは、日も落ちて、祭りの雰囲気も昼のそれとは変わりつつある頃合いであった。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-42

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