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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・37

「……まず、制限なしに採集者を入れるわけにはいかないだろうな」
 その言葉に、一同は頷いた。樹海をモリビトが開けたなら、事は慎重に運ぶ必要がある。
 安全面での問題も懸念材料だ。今回ファリーツェが大まかに様子を見てきた樹海だが、それが全てとは言い切れない。実際、青年騎士は、『どこまで行けるか』を優先して調べてきたので、脇道の調査はしていないも同然。
「詳しい調査が必要だ。かといって、この件にモリビトが関わっているのだとしたら、兵士を無制限に送り込むのも、刺激の元になるだろうな」
「防衛室長に少数精鋭の選抜を要請しよう」
「元『おさわがせトラブラス』の子達も借りた方がいいでしょうね。迷宮については元冒険者の経験がものを言うでしょう」
「資源については、当面は、ごく少数を試験的に採集するに留めるべきかと思います」
「……ふむ、やはり、そのあたりだろうな」
 三者三様の提案を前に、オレルスは頷いた。
「下層へ行きたいために不埒な真似をする輩にも備えなければな。見張りを置きたいが、『彼ら』を刺激したくはない。こちらも少数にするべきだろうね」
「オレルス様、私も、今後引き続き樹海警邏を行います」
 青年騎士の言葉に、若長は、なぜか、きょとんとした顔を向ける。どうしたんだろう、と疑問を抱くが、とりあえずファリーツェは己の言葉の続きを口にすることを優先した。
「地下五階までというと、さすがに時間もかかって『例の件』にも差し障りますので、要所を決めて、その地点を重点的に見回ることになるかと思いますが」
 せっかくだから第二階層の樹海磁軸まで開けてくれていればなぁ、と、埒もないことを考えながら説明を行っていたので、オレルスの表情が心配する者のそれに目に見えて変化しているのに気が付いたのは、言葉を切った後、ようやくのことである。
 まさか若長も、「その調査中、第二階層への虚穴が開いていたら」云々、と後輩『トラブラス』達のように言う気なのか。そう思って内心苦笑しつつ長の言葉を待つファリーツェだったが、耳に届いたのは予想外の命令だった。
「ファリーツェ君、君はもう、樹海の見回りをする必要はない。君は……私やエトリアを狙う何者かへの対処に注力してくれないか」
「……しかし!」
 思いもしなかった展開に青年騎士は戸惑い、思わず、詰め寄るかのようにベッドの傍に寄る。
 確かに、ファリーツェが毎日のように樹海を見回っていたのは、彼自身が樹海に明るい元冒険者であったことと、執政院が人手不足だったことに因がある。今は人手も少しは増えた。人員配置を適正化すれば、後を任せられる人材も回ってくるだろう。樹海に関わる日常業務はその者に引き継ぎ、『例の件』に力を注いだ方がいい。
 そう、頭では判っている。けれどなぜか、降って湧いた命令に、戸惑いと――ほんの少しの反発を感じる。また、俺の行くべき道を、成すべきことを、この執政院は塞ぐのか、と。なぜ自分はそう思うのだろう、樹海の見回りをやめたところで、モリビトの巫女との文通に問題が生じるわけでもないはずなのだが。
 そもそも、オレルスの考えは青年騎士の想像の埒外にあった。
「先住者に関わった君が、彼らの意志で開いたかもしれない樹海に下りるというのは……」
 ああ、そうか。ファリーツェはようやく気付いた。オレルスは心配してくれていたのだ。モリビトにとっては安寧の破壊者である自分が、当時の報復としてひどい目に遭いはしないか、と。先に、今回の件がモリビトの復讐とは考えられない、と結論付けたはずなのだが、それはあくまで人類全体に対してのこと。個々人に対してどう出るかは読み切れない。たぶん大丈夫、とファリーツェが言えるのは、彼が個人的にモリビトの巫女と友誼を結びつつあるからにすぎない。
 一からの説明はできないので、敢えて曲解したふりをしつつ返した。
「さっきも申し上げたではないですか、彼らがそういう行動に出るとはまず考えられないと。それに、仮にそんなことがあったとしたら、それも私への応報なのでしょう」
 ――しまった、また一言多かった。
 青年騎士はベッドに近い側の腕に強い力が掛かったのを感じた。見ると、オレルスの片手が、崖に落ち行く者の腕を掴むかのように、しっかりとファリーツェの腕を握っている。その表情かんばせに浮かぶのは激しい怒り――否、叱咤というべきものだろうか。
「そんなことを言うものじゃない」
 抑え気味の声音で、若長はゆっくりと言葉を露わにした。
「君に責任はない。あの件に対して責任を取るべきは、執政院……いや、他でもない、前長の傍にいながら、翻意させることも、止めることもできなかった、この私だ。私なのだ」
 捕まれた腕は、ますます重い。
 にもかかわらず、ファリーツェは、何かが軽くなったのを感じた。
 最初は何が軽くなったのか、彼自身にも判らなかった。だが、真摯な表情のオレルスと、同じく心配げな室長や副長の顔を目にしているうちに、ようやく、分かった気がする。
 ――執政院は不信の塊だった。今までのファリーツェにとっては。
 状況を打破するに穏健策を取る素振りすら見せず、強攻策を強いたこと、それでもと最善策を探し回った自分達に、天より降る矢の形で否定を突きつけたこと、何より、(自分達が遭遇した件ではないが)樹海探索を命じておきながら、先に進もうとする冒険者に暗殺者レンとツスクルを差し向けるという裏切り――。
 それぞれ、理由があったのは理解する。それでも許せず、わだかまりは残る。自ら望んで執政院に入ったが、かつての恨み辛みは、心の奥底に澱のように残り、時折は浮かび上がる。それらは全て前長ヴィズルの命令で、今の執政院のせいではない、とは判っていながらも。
 その澱が、消えたのだ。ゼロとは言えないながらも、浮上を抑えきれる程度には、薄くなった。執政院が、かつての仕打ちに責を感じている、と分かったから。執政院は敵ではない、と、心底から理解したから。
「……わかりました、オレルス様」
 返答と共に吹き出た溜め息は、うんざりしたから出たものではなく、己の心を長らく侵した澱から解放された安堵であった。
「仰せの通りに、例の件に注力します。とはいえ、今は『待ち』に徹するしかないんですが」
「……そうか。君の働きに期待する」
 オレルスは、ほっとした様相で、ようやく腕を放した。半ばこわばっていた室長や副長の表情も、緩くなる。
 そこを狙った、というわけではないが、ファリーツェは確認に入った。
「ただ、樹海探索の記録を纏めるのに、やはりもう一度実地へ行って確認したいときはあるかもしれません。そういう場合に樹海に入るのは、かまわないですよね?」
 むぅ、とオレルスは難しい顔をしたものの、最終的には首を縦に振った。
「一人では許可しない。必ず、誰かとパーティを組んでだ」
 そんな条件付きだったが、致し方ないことだろう。
 その後の話は、いつも通りの簡単な報告の応答で終わった。詳しいことは、寝る前にレポートに纏めて明日の早朝に情報室に提出することになる。
 退去の挨拶をして背を向けたとき、不意に副長が声をかけてきた。
「銃士の子……ヴェネス君、と言いましたっけ。あの子がずいぶんと心配していましたよ。声をかけてあげたらどうですか?」
 おそらくヴェネスは貸し与えられた部屋にいるだろう。ファリーツェは副長に礼を述べながら、自室に帰る途中で銃士の少年の部屋に寄ってみようと考えた。

 ヴェネスの部屋もまた、旧区画の部屋の例に漏れず、簡素な扉を備えていた。
 素朴な木材製の表面を軽くノックすると、銃士の少年の声で返答があった――という展開を当然と思っていたのだが、意に反して何の反応もない。待ち疲れて寝てしまったのだろうか?
 もしかして、とノブをひねると、簡単に開いてしまった。
 執政院内で今のところ危険があるわけではないのだが、不用心だなぁ、という感想が浮かぶ。
 同時に、やむなしか、とも考えた。初めて樹海に踏み込んだ夜には、疲れがどっと出るものだ(個人差はある)。いくら自分達が護衛として付いていても、人間のものとは違う殺気、慣れた地とは違う気候(翠緑ノ樹海は過ごしやすい方だが)、それらを感じる側としての緊張、様々な要因が疲労を促進する。
 ――人間の世界において、どれだけ人の殺気に慣れ、過酷な生活に慣れている、闇の住人だったとしても。
 そういえば、銃士の少年も『闇の住人こちらがわ』なんだよな、と、ファリーツェはまじまじと思う。自分の場合は『元』を付けるべきかもしれないが。
 自分は、そういう家系に生まれたというだけのことである。おまけに家系自体が呪術師としては型破りな傾向がある。だから、わりと『表の世界』にも足をかけたような生活をし、どちらにいてもさほど苦なく対応できたと思う。もちろん、悩みも憂いもそれなりにはあるけれど。
 だが、この少年はどうだ。探索時の雑談で少し聞いただけだが、本来、荒事に縁のないはずだった少年が、やむなき事情で、人の生命を奪う世界に踏み込んだという。その苦痛たるや、いかほどか。銃を撃つ度に心の痛みに苦しんでいたとしても、すでに磨耗しきっていたとしても、それらはいずれも、不幸とは言わないだろうか。
「やめるわけにはいかないのかな……」
 ガンナーギルド、かの『組織』をである。
 自分も叔母の伝手で頼っておいて何を言うか、とは思う。ヴェネス一人救っても、似たような境遇の者はたくさんいるだろう。
 それでも、深く見知ってしまった少年を、何とかできないものか。
 『どうにかする方法』がちらっと頭に浮かんだが、まず、例の襲撃者の件が片づかなければ、始まらない。
「まぁ、帰ってきた報告は翌朝あしたでいいか」
 内心の葛藤にけりを付けるべく、あまり意味のない独り言を口にし、ファリーツェは部屋を辞しようとした。
 ――だが、気になった。
 先ほどまでの沈思黙考とは全く関係ないことだが。
 視界の端に映るヴェネス。ファリーツェの部屋と同じ寝台――というか壁のくり抜き――で眠る少年は、毛布を剥いでいた。まだ、蒸し暑くて眠れないような季節ではない。つまり、疲労か病で体に熱を持っているのかもしれない。
 確認して、状況次第では医務室のメディックを呼ぶべきだろう。
 別に害を加えようというわけでもないので、気配や足音を消すようなことはなく(もとよりそんな技術は持ち合わせていないが)、ごく普通にヴェネスに近付く。
 その一瞬、嫌な予感がして、身構えた。
 何が、と思考に落とし込む間もなかった。眠っていたはずのヴェネスが、撥条ばね仕掛けのように跳ね起き、手刀を振るってきたのだ。動きはファリーツェから見れば稚拙極まりない。仮に身構えていなくても余裕で躱せただろう。とはいえ、『味方』であるはずの相手に襲われれば驚きもする。
 どことなく生気を失った瞳を見るに、寝ぼけているのだろうか。睡眠中の襲撃にも対処できるように訓練されているのは、想像に難くないが、気配を消していたわけでもない『味方』に対してこの所行なのである。
「やめろ、ヴェネス!」
 呼びかける声は確かに効果を現した。とろんとしていた瞳に光が戻り、状況を正常に認知し始めたようだった。
「ふぁりー……つぇ、さん?」
 彼方と此方の狭間、未だ夢見の中から醒め切れていない意識が、たどたどしく言葉を紡いだ。反面、一足早く現実を思い出した肉体は、へたりと床に倒れ込む。
「大丈夫か?」
 支えた体は、確かに微熱を孕んでいた。
「樹海探索で疲れたんだな。心配するな、メディックを呼ぶから」
「すみません……」
 背の低い、実齢より少し幼く見える少年が、弱々しい謝罪の言葉によって、さらに幼く見える。
「夢を……みてて……。……たくさんのネズミに襲われる夢、でした。それで、すみません、ファリーツェさんに、怪我させませんでしたか?」
「パラディンを甘く見ないでほしいな。あのくらい、当たってもどうということはない」
 どうやら、自分が寝ぼけたまま行った行動は、把握しているらしい。
 寝台に戻って横たわるのを手伝いながら、ファリーツェは少年を安堵させようと、軽く微笑んだ。
「初めての樹海で、いろいろ疲れるのは、よくあることだよ。俺も初めて樹海に行った日の夜は、すごく疲れたし、ひどい夢を見た」
「……あんなにきれいな森なのに……」
「ああ、きれいな森、なのにね」
 相づちを打ちながら、寝台から離れる。体調不良の身に負担をかけさせたくないし、早くメディックを呼んでやらなくてはならない。
「それじゃ、メディックが来るまで、おとなしくしてるんだよ」
「あのっ!」
 今度こそ部屋を出ようとした背後から呼びかけられ、他に何かあるのだろうか、とファリーツェは振り向いた。
 その視界の中にあったのは、寝台で半身を起こすヴェネスの、はにかんだような静かな笑顔だった。その表情で、少年は言うのだ。
「……言い忘れてました、おかえりなさい、ファリーツェさん」
「……ああ、ただいま、ヴェネス」
 何となく照れくさかった。人なつこい弟がいたらこんな気分になるのだろうか。実家でも末っ子であり、ギルド『エリクシール』でも年少者扱いだった青年にとって、それは新鮮な想いだった。
 あまりに照れたので、これをガンナーの少年に悟られるのは気恥ずかしいと思い、青年は、「早くメディックを呼ばなきゃ」とばかりに早足で部屋を去ったのである。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-37

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