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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・30

 磁軸計への登録は、ヴェネスが拍子抜けするほど簡単に終わった。銃士の少年がやったことといえば、ギルド長から差し出された水晶板に手をかざす程度のお仕事である。
 片目に眼帯をした屈強なギルド長は、登録が終わるまでの間、物珍しいものを見るかの様相で、隻眼を銃士から離さなかった。ちなみに、彼含む、エトリアの民間人の中でも情報開示が必要と思われる相手(たとえば酒場の女将のような)には、ヴェネス(というか異国の銃士)が来ることとその理由が周知されているようだった。
「噂には聞いたことがあったが、会うのは初めてだ。というか、得物ぶきはどこなんだよ」
「今回、彼は戦わないから、武器は持っていないんですよ、ガンリューさん」
 とファリーツェがいなす。『長身の銃』という具体名を出さないのは、ヴェネス属する『組織』の性格上、あまりそういうものを明かさない方がいい、との配慮だろう(……と思ったのだが、この日の夜に、特に深い意味はなかったと知って、肩すかしを食った気分になったヴェネスであった)。
「まぁ、いいけどよ」
 知りたいことを知れなかったということを残念がる風もなく、ギルド長ガンリューは話を変えた。
「それよかファリーツェ、お前よ、前々からいつも忠告してただろう。バランスのいいパーティを組むんだ、ってよ」
 聖騎士の青年がちょっといやそうな顔をしたのは、よほど前々からしつこく言われていたからだろう、とヴェネスは推測した。
「まぁ、最近は第一階層だけだから、そう問題なかろうと思って黙ってたけどよ、それも樹海に慣れたお前一人だからだ……いや、本当は、お前が一人、っていうのも不安なんだがよ。地図はちゃんと持ったか?」
「……持ちましたよ。そのあたりは抜かりありませんって」
 やはり、樹海とは余程に恐ろしいのだろう、と端から聞いていたヴェネスは考えた。そんなとき、ファリーツェと向かい合っていたガンリューがいきなり隻眼を向けてきたので、身構えそうになってしまう。このギルド長もずいぶんと手練れだと、彼と会った瞬間にヴェネスの無意識は判断していたのだ。
 生身の隻眼と、眼帯の下の今はもうない目で、ヴェネスを睨めつけながら、ギルド長はファリーツェに向けて言葉を続けた。
「エトリア生まれのガキ以上に樹海を知らねぇヒヨッコを連れ歩くなんざ、いくらお前でも無茶が過ぎるんじゃねぇか? そりゃ、お前は歴戦のパラディンだ。第二階層で迷子になって死にかけたヘマは、ずっとエトリアでの笑いぐさになるだろうが――それでも、お前が英雄にもっとも近いギルドの一員、なまじな魔物が束でかかっても揺らがない鉄壁の盾だとも、永く語り継がれるだろうよ」
 この聖騎士でも死にかけた経験もあるのか、と、改めて樹海の恐ろしさを肝に銘じたヴェネス。そんな彼のことに、ガンリューが言及を始める。
「だがな、あまりに力量レベル差のありすぎる者を連れ歩くのは、感心しねぇ。一人の方がマシだ。そのガキはお前が思うようには動いてくれねぇぞ。守ろうとして盾をかざしたのに、その場を逃げ出してて、あっちの方向でネズミにかじられてる、なんてこともあるかもしれねぇ。どうしてもそいつを樹海に放り込むなら、万が一を防ぐためにも、他に気が回りそうな連中とバランスのいいパーティを組むべきだ」
 そんなことはしない、とヴェネスは内心で憤慨した。聖騎士は、出しゃばるな、何かあったらすぐ樹海を脱出しろ、とヴェネスに言い含めてきていた。それを破ってほいほい明後日の方に勝手に動くなど、いくら自分が樹海を知らないからとて――いや、樹海を知らないからこそ、するはずがない。
 一方のファリーツェは、ガンリューの忠告を、微風に吹かれたかの様相で聞いている。が、それが、さんざん経験した樹海を甘く見ているゆえの忠告の軽視ではないことは、夜空の色の瞳に浮かぶ鋭い光芒からも明らかであった。
「樹海に入ったら兵士を呼ぶ手はずになってます」
 籠手ガントレットに包まれた手の、エトリアの紋章が入った盾を支えていない方が、腰の角笛を軽くたたく。
「シャイランと、ヒロツと、ボランスが、今日の巡回当番で樹海入りしてるはずだから、彼らに助力を頼みます」
「元『おさわがせトラブラス』の連中か……まぁ、悪かぁねぇか」
 ようやくガンリューも納得したようである。
「メディックがいないのが気になるが、銃士そいつが攻撃食らいでもしなきゃ、メディカをいくつか持ってきゃ問題ないだろ。――いいか坊主、先輩の言いつけをよく聞いて、おとなしくしてるんだ。そいつがお前が生き残る一番賢いやり方だ」
「はい」
 別に先輩に反抗したりしません、と口にしかけたが、かろうじて飲み込んだ。きっと不満そうな顔になってたことだろうと思うが、ガンリューは意にも介さない。
 というわけでギルド長にはわずかながら反抗心を抱いた少年だったが、一時間ほど後には、確かにギルド長はギルド長であった、と認識を改める羽目になったのである。

 緑という色の真価を、生まれて初めて知った、と思った。
 エトリア郊外に広がる、樹海を内包した巨大な裂け目クレバス。折り重なる根が上手い具合に階段状となっている箇所から、かつての冒険者達が張ったであろう手摺代わりのロープをよすがに、足を滑らせないように慎重に降りること十数分。一息ついて頭を上げたヴェネスは、鮮やかな緑の御殿と、青白くかすんですべてを飲み込む天蓋を見た。
 森に入ったことがないほど世間知らずではなかったが、目の前にある光景は、これまで見たことのある、どこかくすんだ色の木々とは対照的だった。朝露をはらんで宝石に飾られたかのごとく煌めく古樹の殿堂に、銃士の少年の心は危うくすべてを持って行かれるところだった。
 角笛の音が、少年銃士を現実に引き戻す。
 善良なる森の主――いるとするなら、だが――の呼び声にも思える響きをはらむ音は、聖騎士が吹き鳴らすものだった。音程を規定する機構を持ち合わせない原始的な作りの楽器で、倍音を操って簡素な旋律のような音韻を編み、朝の樹海を包み上げていた。
 角笛の独奏が終わった後も、人間達の言葉はなく、木々のざわめきと、かすかな鳥獣の声だけが耳に届く。
 そんな状況が、至近の木の上から届いた物音によって遮られたのは、角笛の音の終わりより、地上から樹海に降り立つまでと同じくらいの時間が過ぎた頃合いであった。あわてて防御態勢を取るヴェネスとは対照的に、ファリーツェは視線だけを音源にちらりと向けただけで、意にも介さない。当然ながら、経験豊富な聖騎士の態度こそが正解だった。  

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-30

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