←テキストページに戻る
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・27

「遠隔呪詛なんて高等技術を使えるカースメーカーに、呪詛を依頼して、やってることは、オレルス様を微熱で寝込ませる程度だ。エトリアの執政がちょっとだけ滞ったけど、それだけ。『ゆっくり死』ぬことすらできない、お粗末なものだ」
 少し疲れたのか、ファリーツェは息を吐くと、フォークに手を伸ばす。今回さっくりと割り取られたアップルパイは結構大きく、残りは一気に半分以下になる。咀嚼した後紅茶で喉を潤す彼に、頃合いを見て、ヴェネスは質問をぶつけた。
「そのカースメーカーに、強力な呪術を使う力量がないということでは?」
「それはない」
 ファリーツェは切って捨てた。ヴェネスが知るはずもないが、これもまた、執政院の高官達に説明したことだ。
「遠隔呪術っていうのは高等技術だって、さっき言ったけど、それが使える人は、ほぼ例外なく、ほかの上級呪術も使えるんだ。だから、『死ぬ必要はないけど苦しめ』なら、致死ぎりぎりの高熱をずっと続かせるとか、くしゃみと鼻水が止まらないとか、そんな方法でも取れるはず。呪術であると気付かなかったオレルス様には、抵抗もできなかったわけだから。……なのに、ただ微熱をだらだらと続けるだけ。ところでヴェネス君」
 唐突に己が名を呼ばわれ、ヴェネスは改めて聖騎士に向き直った。
「君は敵を、射殺まではできないにしても、無力化できる立場にある。なのに、君がやっているのは、その敵に弾をかすめさせるだけ――こんな時、君は何を考えてそんなことをする?」
 ヴェネスは少しだけ考えた。現実ならば、ヴェネスにそんな子猫の狩り遊びめいた余興を行う意味はない。だが……。
「たとえば、その相手を苦しめることで、別の相手をおびき寄せるとか、注意を引くとか……」
 そう答えてから、後悔した。その手法は、たぶん、聖騎士とは相容れない戦い方だ。目の前の彼は、そんなことを答えた自分を軽蔑しないだろうか。
 しかし、ファリーツェが侮蔑の表情を見せることはなかった。清濁併せ呑んでいるのか、単に外に表さないだけなのか。
「そうだろう? だから、俺もそう考えた。あくまでも推測に過ぎないけど、この呪詛は、陽動の可能性がある、と」
 知らずのうちに、ヴェネスは唾を飲んでいた。とはいえ口の中は乾いていて、飲み込むべき唾はなく、実際には喉が動いただけだった。
 ファリーツェが紅茶を口に含んで一息入れるのを認識したが、自分の目の前に紅茶があることはすっかり忘れている。
「だから、ボクのようなガンナーを呼んだのですか」
 緊張の最高潮の中で発した問いは、
「立場を悪用して実物のガンナーを見てみたかっただけです」
 なんだか一気に崩された。
 椅子からずり落ちかけたヴェネスは、心配げに見つめるファリーツェに気が付き、慌てて体勢を整えた。銃士の少年が落ち着いたのを確認すると、聖騎士の青年は、ほっと安堵する仕草を見せ、アップルパイの残りの半分をフォークで取り上げながら微笑む。
「失礼、半分は冗談です。君があまりにも緊張してたので」
 残り半分は本気だというのか。
「必要だから呼んだのも本当ですよ。エトリアの防御の弱点を、別の視点を持つ人間に確認してもらいたかったんです。ガンナーはこっちでは見かけない職能クラスですからね、我々が隅々まで確認したつもりでも開いている穴を、見つけてくれるかもしれない」
 それに、と言葉を吐いた口から、聖騎士はアップルパイを摂取する。ヴェネスはおとなしく待った。
「近隣からそういう人間を招くのは、少々差し障りがあります。隣国おとなりさんとは仲良くしたいし、実際、同盟を結んでいますが、それでも、国防の弱点をさらけ出すのは避けたいです。そういう意味で、この『自治都市群』からほどよく遠い君のガンナーギルドは、条件的にうってつけだったわけです」
「あの、ファリーツェさん……」
 ヴェネスはおずおずと切り出した。相手の思惑を否定するのは心苦しかったけれど。
「今回の任務を終えたボクが、いつかエトリアの敵に回るような任務を受けたら、どうするんです?」
 ファリーツェは動きを止めた。今までの動きの延長上にある停止ではない、ヴェネスの今の発言に虚を突かれたような挙動だった。想定外の何かを知った面持ちで、数度またたくと、そっと紅茶に手を伸ばし、一口すする。
「……驚いた。『組織』の先兵たる君が、そんな心配をしてくれるなんて」
 今度はヴェネスが狼狽える番だった。
 自分がエトリア側の人間にそんなことを伝える義理はないはずだった。
 任務の中で知った情報は、密かに持ち帰り、別の任務や外部との交渉の際に活用するのが、『組織』のやり方だ。防衛の穴に限らない、人間関係や流言も含まれる。『弱点』がいずれ塞がるだろうことは承知の上、そうでなければ十分活用させてもらう。それだけのこと。
 なぜ自分は、ぽろっとそんな『政策』を明かしてしまったのだろう。
 己の迂闊さを反省する心の中に、がっかりした思いもまた、同時にあった――目の前の聖騎士にとっては、自分はあくまでも臨時の助っ人、それが終われば、仮想敵である存在に過ぎないのだ、と。
 そんな内心は何とか隠して、ヴェネスは乾いた声で答える。
「ボクが今回の情報を『組織』に持ち帰って報告したところで、エトリアはその対策を立ててしまうのでしょう」
「まぁ、違いないですね。『組織』は遠方ですから、仮に君の帰還後すぐにエトリア侵略任務があったとしても、またお越しいただく間に、こっちは体勢を整えている、って寸法です」
 ファリーツェはアップルパイの残りを素手で回収し、己の口に放り込んだ。少しばかりの時間をかけて味を楽しむと、懐から出したとおぼしき手拭ハンカチで指先を拭う。かと思うと、その手を片方、ヴェネスに差し出してきた。
「ですが、依頼が終了して君が『組織』に帰り着くまでは――ほら、『家に帰るまでが冒険です』ってよく言うじゃないですか――それまでは、君は間違いなく、我々の味方です。頼りにしてますよ、ヴェネス君」
「は、はい!」
 ヴェネスは頬が上気するのをしかと感じた。未来はともかく、当分は、この輝ける聖騎士の味方側にいられるのだ。差し出された手を取ろうとして思い直し、上着で手のひらを拭うと、今度こそファリーツェの手を握った。見た目の華やかさからは想像もできない、剣だこでごつりとした感覚が、彼が決して名ばかりでない、実践に起つ騎士であることを、如実に語っていた。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-27

NEXT→

←テキストページに戻る