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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・26

 やれやれ、と内心苦笑いしたヴェネスだったが、慌てて襟を正した。先程までらしからぬ様相を見せていた聖騎士が、真剣な面持ちを浮かべていたからである。いささか頼りない面をさらけ出すことがあるにしても、やはり目の前にいる相手は百戦錬磨の騎士なのだ、と改めて思わされる。
 もっとも、第三者から見れば、このような場でかような面を見せるなど、執政院付の聖騎士としてなっていない、との誹りを受けてもやむなき醜態である。この点に関しては、実はファリーツェ自身も深く反省しているところであった――どうも、冒険者時代に縁の深かった場所に踏み込むと、当時の『地』が出やすい。
 さておき、聖騎士は静かに切り出す。
「あらかたの事情は、依頼書にしたためて『組織』にお送りしました。ヴェネス君、君は、状況をどのあたりまで把握していますか?」
 ヴェネスに対する呼称が『様』から変化しているのは、先のヴェネスの要請を受け入れたためだった。呼び捨てまでするのには躊躇があったため、『君』付けで落ち着いたのである。無論、その件でヴェネスに異論はない。だからヴェネスの言葉は質問に対する返答だけにとどまった。
「……依頼書に書かれていたことなら、あらかたは。執政院の長が発熱に悩まされていること。ファリーツェ卿がその件を、何者かの呪術攻撃と判断されたこと。ただ、それが陽動で、別の手段で実際の攻撃が成されるのではないかと、卿が判断されていること。そして――エトリアには、そのような『搦め手』に対抗できる者がいないということ」
「それだけ把握してくれていれば充分です。あと、『卿』だなんてつけなくていいですよ」
「では、……ファリーツェさん」
 『卿』から『さん』に『堕とす』ことには抵抗があった。先程の『醜態』を目の当たりにしてさえも、目の前の聖騎士はヴェネスにとって、輝かしい『光の御子』であったのだ。だが、相手の要請なら、逆らう意味はなかった。
 それはそれとして、今回の状況に関して、疑問がある。
「ひとつ訊いていいですか?」
「どうぞ」
 ファリーツェは嫌な顔ひとつ浮かべず応じると、紅茶で口をしめらせる。
 その、ごく短い一休みが終わるのを待ってから、ヴェネスは言葉を続けた。
「あなたが、若長に呪詛が掛けられていると判断したと伺いました。でも、失礼ながら……」
 言葉を句切る。何と表現したらいいのか、判断に迷う。
 ヴェネスが単語の選択に悩んでいる間にも、ファリーツェはアップルパイにフォークを伸ばし、香ばしく焼き上がった一片を砕き取る。竈から生まれた奇跡の産物を、彼が満足げに嚥下し終えた頃に至っても、ヴェネスから言葉は出てこない。ファリーツェは訝しげに小首を傾げ、口を開いた――今度はアップルパイを食べるためではなく、言葉を発するために。
「『お前は聖騎士であって呪術師じゃないだろう。なのになんでそんな自信満々に判断したんだ』って?」
「……っ」
 ファリーツェの言葉と一字一句違わないわけではないが、おおむね、そのように思っていた。
「まぁ、よく驚かれますからね」
 ヴェネスの心を読んだかのような形になった聖騎士は、悠然と笑いながら返す。
「そもそも、先程、私が名乗った時に、お気付きになりませんでしたか?」
「あ」
 そうだった。ヴェネスは自分の不注意さに呆れた。聖騎士は『ナギ・クード』と名乗った。それは、大陸でも有力と見なされる呪術師の一族『ヤート』『ユスカルニ』と並び、否、その二家を凌駕するほどに名高い、『ナギ・クース』の係累であることを、雄弁に示しているではないか。
 呪術師生まれの聖騎士、というのは、いささか不思議な出自ではあるが、ともかく、疑問に対する回答は与えられたも同然だった。
 と思いきや、ファリーツェは奇妙なことをのたまう。
「まぁ、病状の件は、実のところ、半分は当てずっぽうなんですが」
「……は?」
 ヴェネスは今度こそ本気で呆れた。半分当てずっぽうって、たった今自分が呪術師の出身だからと吐き出した舌の根すら乾いていないではないか。
 半ば抗議めいた意志を込めたヴェネスの視線を受け流した聖騎士が、どのような行動に出たかといえば――卓上の鈴を手にしたことだった。これまでの話と全く脈絡のない動きに、一瞬、ヴェネスは思考の空隙を作ったが、慌てて気を取り直し、声を上げようとする。だが、ファリーツェの次なる行動の方が、一瞬早かった。
「『ヴェネス・レイヤーに命ず。汝、動くこと能わず!』」
 ちりん、と、呼び出し鈴が涼やかな音を立て、ヴェネスはびくりと身を震わせた後、硬直した――りはしなかった。声を投げかけられた瞬間こそ、得体の知れない怖気を感じたが、それだけであった。自分が動けることをそっと確認するように、まずは指先を少し、次いで腕を振り、一息付いて伸びをした。
「動けます、けど」
 そう口にしてから、自分自身にそのつもりはなかったが、結果的にファリーツェを馬鹿にしたような行動だったかもしれない、と後悔した。
 が、当の聖騎士は気にしていない。というより、この結果を予期していたのだろう。
「俺は呪術師の血を引いているけど、今のように、呪力はもう使えない。ごくたまーに、気まぐれみたいに発現することもあるけど……十年前、聖騎士としての道を歩き始めた俺は、呪術師としての力をほぼ失ってしまった。だから、たとえば今回の長の病気が、ただの病気か、呪詛か、なんてのも、もう判断できないんだ」
 ヴェネスは黙ったまま続きを促す。内心では「言葉遣いがなんか地出てますけど」と突っ込みながら。彼自身の根元に関わる話に踏み込んだからだろうか。不快には感じなかったので、表だった指摘はしていない。ゆえにファリーツェはそのまま話を続けた。
「それでも、知識はある。残ってる。その知識と、状況から、俺は今回の件が呪術じゃないかと判断した。……ヴェネス君、俺はね」
 深い空の色の目が遠くを見る。空間的にではなく、時間的に遠い場所。
「今もちゃんとカースメーカーやってる親戚達に比べれば、ほんの短い間の呪術師生活だったけど、それでも――人がどうして呪術なんてのに縋るのか、判ってるつもりなんだ」
 以降は、ファリーツェが以前、執政院の高官達を前に説明したことの繰り返しになるが。
 カースメーカーは遠距離から攻撃ができるという利点があるものの、それを確実に実現させるには、『呪物』――つまり呪う相手の身体の一部を用意しなくてはならない。さもなくば、目標に自らの存在をさらけ出すほどの近距離から呪うか。
 それだけの『面倒』をかけて命を奪うくらいなら、暗殺者を差し向けた方が、よほど手っ取り早いのに。
 人を呪う。
 その行為は、ただ殺しただけでは飽き足らない相手に向けられることが多い。
「本来 カースメーカーに人を害させるってのは、それだけ相手に強い恨みや嫉みを抱いてるってことが多いんだ。変な言い方するなら、『苦しんでゆっくり死ね』ってことだね。状況次第では、『呪殺』っていう、さっさと殺す方法もあるけど」
 なんとも物騒な話を世間話のように語る。それだけ、過去の彼にとって呪術が日常であったということだろうか。
 しかし、たった一言の接続詞を境に、その雰囲気は変化する。
「それなのに」
 彼の意識は現在に戻ってきたのだ。辛く陰惨なことがあったにしても「過ぎた話」と言える過去から、今ここにある危機へ。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-26

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