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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・23

 決まったら早いものである。ドゥアトは旅の支度を始め、その間にキュベレイは、里でも年長で、かつ皆からの信頼の厚い一人を捕まえ、後のことを頼んでいた。頼まれた方が、信頼を得て光栄とばかりに顔を輝かせていたのが、微笑ましい。
 そうして、『狂乱の魔女』は里を後にした。
 旅支度に忙しかったドゥアトが、一段落付け、見送りをしようと表に出た時には、従姉と夫人を乗せた馬車は既に出立しており、周囲を護衛する騎馬兵達もほとんどが里に背を向けていた。
 最後の出立者のみが、ちょうど出立間際で、手綱を取ったところでドゥアトに気が付き、馬上からぺこりと辞儀をして、去っていった。成人年齢十五に達しているとおぼしき、金髪碧眼の少女であった。どこかの下級貴族フィアの息女で、成人するが早いか軍隊に入り、今は、夫人(の夫)の領地に派遣されている、という話を耳にした記憶がある。
 その少女の馬影が馬車を追って消えるまで、ドゥアトは見送り、その後、旅支度の続きのために自宅に戻った。
 到着後こそ物騒なことになる気配を孕んでいるが、旅行は楽しめそうだ。道中でいちいち観光して回るわけにはいかないが、馬車の窓から覗ける光景が変わりゆくだけでも、ドゥアトにとっては心弾むものだ。
 けれど……と、思う。せっかくだから、「帰りは旅行してくる」と言っておけばよかったかしらね。
 しかし、従姉キュベレイだって、用事が終わればすぐ戻ってくるだろう。自分達の旅行は決して遊びではないのだ。アンシャルは、まぁ、これから里長になって遊べる機会もなくなるであろう若者への、最後の贈り物と思えば。そんな例外に、自分が便乗するわけにはいかない。
 ところが、ドゥアトは旅支度を続けようとして、手を止めた。
 荷物を詰めようとして開けた旅行鞄。まだ空のはずのその中に、片手に乗るほどの大きさながら、妙な存在感を持つ麻袋がある。ごろごろとしたものが入っているとおぼしきその中身を確認すると、宝石が詰まっているではないか。
 どこから来たのか、慌てて心当たりを確認すると、里の運営費とする硬貨や証券、宝石等を納めた金庫の中身が減っている。一緒に収められた出納帳には、ドゥアトの名と、『旅費+仕事経費』の名目で、持ち出し記録が記されていた。ただし、その字はドゥアトのものではないとはっきり分かる。
 これで宝石の出所ははっきりしたが、持ち出された分は麻袋の中身と比べて少ない。
 小走りで開けっ放しの旅行鞄の傍に戻り、覗き込むと、さっきは麻袋に気を取られて見落としていた、小さく畳んだ漉紙に気がついた。それには、出納帳のドゥアトの名と同じ筆跡で、『ファリーツェにおこづかいあげといて。あと観光するなら買い物よろしくね』と記されている。さらに、いくつかの都市の名前とほしいものが続いた。
 どうやら、運営費から持ち出されたもの以外は、キュベレイ個人の換金物かねのようだ。
 いつの間に忍ばせたのやら。
 やれやれ、とドゥアトは苦笑した。従妹が心の裡に秘めていた欲望を、『狂乱の魔女』はまるまるお見通しだったらしい。
 もちろん、観光費そのものはドゥアト自身が出さねばならないが。
 それでも、木石ではない身としては、従姉の心遣いが素直に嬉しい。里が現在の場所に落ち着いてから、『王国』から外に出たことがない身、未知の楽しみが増えた。
 ちなみに、先の出納帳には『旅費+仕事経費』の名目での出金記録がされていたわけだが、実は必要経費はファリーツェから届いている。手紙の実物と共に届いた証券が、繋ぎの者の手元に保管されているのだ。宝石と、王都に出て手紙の実物と共に受け取る予定の証券(から引き替えた現金)、どちらを使うかは、旅先の状況次第だろう。
 自由に使えるわけではないにしても、これだけ資産かねがあると、非日常に踏み出すのだ、と心が弾む。
 気分が高揚して、鼻歌を歌いながら旅行の支度を続ける。その様は、長雨の後にやっと訪れた晴れ間に向かって歓喜を啼く鳥にも似ていた。
 ……こうして、ナギの氏を持つ呪術師の中で、里長に次いで恐れられる女は、そんな恐れを抱いている者が見れば目を剥きそうなほど上機嫌に、里を旅立ったのであった。
 それが、思いもよらない長旅――どころか冒険になるとは、思いもせずに。

 おおよそ半月が過ぎようとしていた。
 ドゥアトは未だに旅人である。様々な小国を併合してきた『王国』は広く、早馬ならともかく、普通の馬車ではなかなか国外に辿り着けない。親族の危急に焦るものの、これ以上の移動手段はないから仕方がないと割り切れば、ドゥアトにとって不満のない旅路であった。旅の通過地点、まだ『王国』ではなかった頃の文化が色濃く残る地方は、彼女の好奇心をふんだんに満たすものだったのだ。
 一方、その親族に当たるファリーツェはといえば、こちらは旅人になっていられない立場だが、自分の知らない文化を堪能しているという面では同じであった。
 彼はついに、モリビトの巫女とやりとりした文面をまとめる、という作業に着手し始めたのである。
 日常業務の合間を縫って、冒険時に知ったことや手紙から知れたことを、種類別に分け直し、帳面に転写するという、地道な作業。何の技術もいらない容易い作業に思われるが、その実、頭を抱えることの多いものだった。自分以外の誰が見ても理解できるように書かなくてはならないし、一度はただの雑談として見過ごした文章が、再度読み直したら文化的に無視できない話だった、ということも数多い。
 誰にも明かさず行っていることだから、他人に助言を求めることもできない。溜息が増えることこの上ないが、自分で決めたこと、こつこつとやっていくしかなかった。
 オレルスが調子を取り戻せば、すぐにでも事情を明かすのだが、あいにく、彼の体調は未だにすぐれない。例の偽呪符が『効果』を及ぼしているのか、状況そのものはまだ微熱程度で済んでいるのだが、それはすなわち、呪詛の主あるいは彼に命を下した者の『何か』がまだ終わっていないということも示すのだ――状況がファリーツェの推測通りであれば、だが。
 そんな足踏み状態に、第一の転機が訪れたのは、怒猪ノ月十三日のこと。
 数千年前、エトリア付近がシンジュクと呼ばれていた頃のこの時期がそうであったことと同様に、『梅雨』と呼ばれる曇と長雨の季節が始まったばかりの頃である。
 その日もまた、朝からしとしとと天水が街を濡らしていた。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-23

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