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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・22

「あっちゃー」
 紙の内容をざっくり把握したキュベレイは、頭を抱えんばかりの勢いで溜息を吐いた。実際にそうしなかったのは、もう片手に茶器を持ちながら読んでいたので、空いている手がなかったためであろう。
「ファリーツェの奴、だから、とっとと戻っておいで、と……」
「……どうかしましたの?」
 夫人が口を出す。カースメーカーの『仕事』に口を挟む気はなかったが、彼女はファリーツェとも旧知の仲であり、その名を聞いては黙ってはいられなかったのだろう。
「一年ぐらい前に王都でお会いしたときは、スール家の御曹司の従者としてエトリアに行かれるとか何とか……あら、でも、そういえば……」
 歯切れが悪くなった夫人の瞳に、沈痛な色が浮かぶ。
「御曹司とその部下は、迷宮で……」
 それは少し前に、『王国』の上流階級を騒がせた話だった。『上級貴族ラウア』、他国で言えば侯爵の称号を持つ家の御曹司が、エトリアの世界樹の迷宮に挑み、部下共々生命を散らしたという報告。『王国』国民や下級貴族で、迷宮に挑み、死んだ者も多かったが、まさか上級貴族の係累までもが生命を落とすとは。
 身分的に、事故に見せかけた謀殺の可能性も否定できない。件の上級貴族の命を受けた密使達が現地に飛び、唯一の生き残り(人数超過のため留守番だった)、ファリーツェという従騎士に事情を問いただした。
 結果、本当にただの事故だと判明した。冒険者ギルドや酒場にも、従騎士が帰らぬ主を心配し、『エリクシール』なるギルドに捜索を依頼した旨と、その顛末、見つかった遺体の状況(明らかに魔物に殺された)が、しかと記録されていたのである。そこまで揃っては、謀殺ではないと認めるしかない。
 ちなみにファリーツェは、その依頼の報酬としてのギルド『エリクシール』入りの最中であることと、主人が果たせなかった樹海制覇を成し遂げたい、という本人の希望から、そのまま現地に留まることになったのである。
 だが、その樹海も、『エリクシール』ではない冒険者に制覇されたと聞く。
「こちらにお戻りじゃなかったんですの?」
「なんか、エトリアの執政院に勤めたいとかでね。騎士団に辞表を出すわ、父親に報告の手紙出して、返す刀で縁を切られるわ、結構ばたばたしてたのさ」
「まぁ、そんなことが……」
 夫人には初耳だったらしい。いくら旧知の相手とはいえ、身分も隔たっている、国を遠く離れている者の近況について、情報を簡単に入手できるものではない、当然の反応だろう。
 キュベレイは紙をひらひらと振る。苦虫を噛み潰した、否、噛み潰して飲み込んだはずの苦虫が胃の中で暴れているのを感じているような面持ちで、言葉を吐き出した。
「それで、エトリアの方でもなんか呪詛的な厄介事トラブルが起こってるんだとさ。どうしても、あたしに来てほしいとさ……詳しいことは、ミッタ、あんたにも言えないよ、ごめんね」
「いいえ、守秘義務は当然ですわ」
 ミッタという愛称で呼ばれた夫人は、穏やかに首を振りながら応じた。
 手紙を前に、キュベレイは困り果てていた。
 せっかくの甥っ子の頼みである、駆け付けたいのは山々だろう、しかし、キュベレイは夫人の依頼を受けている。先約は血縁の絆より濃いし、大親友といえる夫人の頼みを放っていくような従姉とは思えない。
 では他の呪術師は?
 ドゥアトの娘であるパラスは、目下エトリアにいる……いや、そろそろハイ・ラガードに向かっている頃か。
 エトリアでの話を、自らの近況含めて速達で知らせてきた、キュベレイの息子アンシャルは、『ナギの里』に帰還途中――と思わせておいて、先日、ころっと目的地を変え、観光としゃれ込む旨を、やはり速達で知らせてきた。しばらくは戻らないだろう。
 他に適任はいるだろうか――そう考えていたドゥアトに、キュベレイが声を掛ける。
「アト、あんたが行ってくれないかい?」
「えっ? でも……」
 ドゥアトがためらいを見せるのには、いや、そもそもキュベレイの代わりに自分を選択肢に入れなかったのには、理由があった。
 『ナギの里』では、キュベレイかドゥアト、あるいは成人したアンシャル、そのうちの誰かが必ず里にいるようになっていた。いずれはパラスもその役を担うことだろう。里に不慮の事態が持ち込まれた時に備えてのことである――否、それは格好を付けて言っているだけで、実際は、かつての生まれ故郷の崩壊による、癒えきっていない心的外傷トラウマ以外の何物でもない。呪われている、と言ってしまっても過言ではないだろう。
 理由はともかく、新しい里設立以来の決まり事だ。アンシャルが戻らず、キュベレイが呪詛依頼を受けて出かける以上、残れるのはドゥアトしかいない。
 ドゥアトが言いたいことを察したのだろう、キュベレイは、苦笑い気味に唇をつり上げた。
「……そろそろさ、あたしも里長を引退する頃合いだし、もう少し、里のみんなを信じないとね。じゃないとアンシャルが真似して一人で抱え込みそうだしさ」
 次期里長になるであろう息子の名前を出し、嘆息する。
「パラスの方だったら、もうちょっと他人を使って楽をするのを分かってるんだろうけどさ」
「今からでもパラスの方にする? 後継者。本人はいやがると思うけど」
「んー、本人が嫌なの押しつけてもねぇ。それに、パラスじゃちょっと威厳が足りない」
 常人並みに喜怒哀楽の激しい『ナギの一族』の者だが、里長となる者、外部の者と相対する際には、彼らが想像するカースメーカーのふりもしてやらなくてはならない。その点、パラスでは早々に化けの皮が剥がれそうだ、というのが、親世代二人の共通した見解だった。
 ともかくも、心の傷をかたくなに庇っていた姉貴分は、ここに、過去を振り切る決意をしたようだ。自分達が気を張らずとも、新しい里は決して壊れない、と信じることにしたのだ。
 ドゥアトは彼女ほどには里の危機に縛られていなかったが、それでも、やっぱり里を守っていた方がいいのでは、という心配が鎌首をもたげるのは防げない。だが、里長であり従姉である身内が踏み出したところを、くじくのもどうかと思われた。その思いを持って、心の中の蛇の頭を粉砕すると、ドゥアトは笑んでみせた。
「まぁ、レイがそう決めたなら異存はないわ」

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-22

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