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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・21

 話の視点は、再び、別のところへと移る。
 それは、『王国』と呼ばれる地。他に王国の名を冠する国は多数あれど、かつて世界全てを相手取った大戦を行い抜くほどの力を持つ国は、他にない。大戦をやめたのも、継続困難になったからではなく、戦を企てた王と第一王子が突然に逝去したからである。
 戦争に最後まで反対していた第二王子は追放されていたのだが、他の王族を失った『王国』を支えられるのは彼しかいなかった。大臣達は第二王子を探し出し、新たな国の柱に据えた。即位した第二王子――否、新王は、即座に停戦を果たし、戦争の被害を受けた各国への保証と(その保証を断る国も多かったが)、自国の改革を行った。
 もちろん『王国』の真意を疑った国も多かった。が、疑うだけならまだしも、復讐戦を仕掛けたところで、『王国』の兵力に潰されるのが運命であった。結局、どの国も、『王国』の行動を甘受するか、無視するかしか、道はなかったのである。
 ――現在は違う。多くの国が『王国』を、現王の英断を称えている。世界の代表国として、国際的な責務を精力的に果たしている『王国』は、現在不穏な行動を見せているもう一つの大国『神国』に対する不審と相まって、多くの国からの好評価を集めているのである。
 そんな現『王国』の王都のごく近くに暮らす、特異な一族がいた。
 ナギ・クース。世界でも恐れられている呪術師一族のひとつであった。
 普通なら、恐れられ迫害すらされ、もっと人里離れた場所に住むカースメーカーが、王に仕える個人ならともかく、一族まるごとが王の膝元近くに居を構えているのには、訳がある。
 第二王子が追放されていた頃、彼を保護した、とある国がある。その国と『王国』の狭間にある地でひっそり暮らしていた呪術師達の里は、突然に『王国』兵士によって焼き討ちされ、まだ年齢二桁にも満たない三人の少女を残して滅び去った。その理由は結局明らかにされなかったが、被害者達――つまりドゥアト達――の推測では、あちこちの国から呪術の依頼を受ける自分達が、『王国』の王の呪殺を受けるのではないか、と考えたからではないか、という。
 少女達には、自分達を害した方ではない国に逃れるしか術はなかった。その縁で、第二王子と呪術師達は縁を得たのである。そして王子が新王となった後、戦後処理にささやかな力を貸した彼女達は、王都傍の新たな安住の地という報償を得ることになったのだった。
 現在、新たな『ナギの里』は、生き残り(一人は既に亡いが)とその子ら、そして周辺から流れ込んだり連れ込まれたりした、呪わしい力の片鱗を秘めた者達の住処となっていた。
 里は確かに恐れられてはいたが、放っておけば無差別に呪われた力を振りまきかねない『危険人物』を適切に管理してくれる場所であり、王都に近いということは、逆説的に言えば、民の信頼高き現王が常に彼らの手綱を取ってくれている、という安心感に繋がる。それらの点が、呪術とは関係ない住人達に、彼らを無視して暮らしていける程度の安心感を与えていた。『ナギの一族』を恐れるのは、中途半端に離れた地域に住む者達の方が多かったのである。
 そのような地に、遠く東の辺境から手紙が舞い込んだ。
 それ自体は、別に何の珍しさもなかった。宛名を見れば、親族が親族に手紙を出しただけのこと。状況に慣れている配達員は、配達拒否しようという考えすら頭に浮かべず、忠実に職務を全うした。里に近付かなかったのは、畏怖だの差別だのではなく、『ナギの里』への手紙は王都に常駐する繋ぎの者に託す約束になっていた、というだけの話である。
 繋ぎの者は、手紙の内容を判断するために開封したものの、内容には特段の注意も払うことなかった。彼の払うべき注意――里への手紙の大半を占める呪詛依頼が正当なものかを検分すること――からすれば何の問題もない手紙だったのである。自分も見知っている里の同胞がずいぶんと大変な状況に陥っているのだな、と思いはしたのだが、それは彼の役目とは関係のない感慨であった。
 改めて伝書鳩に託された手紙は、今度こそ正確に『ナギの里』へと向かった。
 呪われし力を孕む者どもの長、真の顔を知らない者からは『狂乱の魔女』と恐れられる女の下へ。

 伝書鳩の目的地では、二人の女が和やかに茶会をしていた。
 両者とも三十台半ばから後半ほどの実齢だが、少なくとも十歳とおは若く見える。
 緑成す髪の片方は、中流程度の庶民の典型的な服装に身を包んでいた。
 もう片方は服の意匠こそ前者と似たり寄ったりながら、材質が高級なものであり、白地に白で細かい刺繍がなされていたり、と、明らかに裕福であることが見て取れた。その見た目通り、後者は貴族である。称号は『ディア』、『王国』でいう中位貴族。他国でよく使われる爵位に当てはめるなら、おおよそ伯爵程度ということになる。とはいえ地位を得ているのは彼女自身ではなく、彼女の夫である。
 『狂乱の魔女』と夫人は、かなり気の置けない仲であった。現在の夫との婚姻を前にした(現)夫人が呪詛的な災いに巻き込まれたのを解決するため、その父君が『狂乱の魔女』を呼び寄せたのが、初めての出会いとなる。それ以降、しばしば手紙のやりとりをしたり、夫人が子を成した時には魔女が『襲い来る災いを呪う』という呪詛(こうなると祈祷と言って差し支えない)を行ったり、と関係が続いている。
 この度、夫人が訪ねてきた理由は、領内で引き起こされている揉め事を解決してほしいという依頼によるものであった。そのために、わざわざ夫人自らが迎えに来たのである。
 最近、彼女(の夫)の領内の家畜が頻繁に死ぬ。外敵要因での傷害や疫病の跡はない。そうなると、何者かが呪詛を掛けている可能性が浮かぶ。
 呪詛の主が悪意を持つものなら、捕らえて処刑でもすれば領民の溜飲は下がるが、カースメーカーがらみでは、力に目覚めてしまった幼子が制御できない力をばらまく例もあるから厄介である。
 被害に遭った領民には、加害者の事情など関係ない。家畜で済んでいる状況なら(それも大損害だが)、領主から代わりの家畜を保証すれば、まだ丸く収まるだろう。しかし、人死にが出始めたらそうもいかない。
 家畜の被害が多く出た地域の領民には避難命令を出したというから、当分は人的被害は出ないだろうが、早めに対処するに越したことはない。となれば、できるだけ早く領地に向かうべきではあったが、夫人も共に来た使用人も長旅で疲れている。少しくらい休む時間を与えられても罰は当たるまい。
 ちなみに夫人の使用人達は、別宅で饗応を受けている。夫人が別家の令嬢だった頃から傍にいた一人を除いては、やはり、『狂乱の魔女』を始めとしたカースメーカー達に大なり小なりの恐れがあると見える。なお、饗応を仕切っているのは、こういった場面に備えて数人は常駐している、呪われた力を持たない者。かつては持っていた力が消失した者や、力を持つ者の関係者として共に里に来た者など、出自は様々である。
 というわけで、用件を話し終えた二人は、他愛のない世間話の最中。
 部屋の外から声を掛けられたのは、ちょうど、二人が出会った時の思い出話に花が咲いていた時のことだった。
「レイ、ちょっと、大変よ」
 小さな漉紙を片手に、室内に入ってきたのは、『狂乱の魔女』とよく似た背格好の女性である。ちなみにレイというのは、『狂乱の魔女』の本名であるキュベレイの愛称であった。
 緑成す髪と魔を払う南天ナンディーナの瞳を共通で持つ彼女達は、従姉妹同士だから似ているのはおかしくなかったが、かつて縁者からも「本当の姉妹よりよく似ている」と評判だった。本当の姉妹というのは、キュベレイと、その亡き妹のことである。似ていないとは言わないが、髪も瞳も違う色だったのだ。
「おや、旧里うちが焼き討ちされたときと、どっちが大変だい?」
 キュベレイは軽口で応じた。もはや三十年ほど昔の話、ごくたまに、子細を思い出して心の傷トラウマを確認することもあったが、普段は冗談の中に織り込める程度には、記憶は癒えていた。
 返答も何かしらの冗談で戻ってくると思っていたのに、従妹の言葉は歯切れが悪い。
「難しいわね……」
「そんなに難問なのかい、アト」
 従妹の愛称込みで、キュベレイは胡乱げに声をあげた。
 アトと呼ばれた女性は、素直に頷く。その眼差しに困惑の色を読み取り、キュベレイは、本当に大変なのだ、と事態を把握した。その直前までは、「難しい」という台詞も冗談のうちだと思っていたのだった。
 やれやれ、と首を振りつつ、キュベレイは漉紙を受け取り――そして、一瞥するなり顔色を変えた。
 その紙には、自分達の血縁である青年の苦境が綴られていたからである。

 余談が二つある。
 一つ目、カースメーカー達が受け取った紙は、ファリーツェからの連絡ではあったが、かの聖騎士が出した手紙そのものではない。郵便局から手紙を受け取った繋ぎの者が、要点を暗号化して書き写したものである。伝書鳩が万が一撃ち落とされたときの用心、という観点も確かにあったが、最大の理由は、普通の手紙では普通の鳩に運ばせるのが難しいからである。ファリーツェが手紙を託しているカーマインビークとは訳が違うのだ。
 二つ目、言うまでもない話かもしれないが、最後に出てきた『アト』と呼ばれた女性こそが、冒険者ギルド『ウルスラグナ』二人目のカースメーカー、ナギ・クード・ドゥアトその人である。
 故に、ここからしばらくの話は、ドゥアトの視点で語られる。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-21

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