←テキストページに戻る
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・20

 内なる思考に意識を持って行かれかけたファリーツェに、不意に、あせたような赤髪と黒い肌の異境の騎士が、問いを投げかけてきた。
「オマエは何を護りたくてエトリアに残るんだ?」
「樹海の平穏を」
 余所に気をとられていたことを誤魔化すように、穏やかな笑みを浮かべ、素直に答える。つい最近、はとこのパラスにも語ったこと、そして今まさに考えていたことだ。
「いずれまた自ら開かれたなら、その時こそは剣ではなく和を。さもなければ、閉息を乱すものが現れないように」
 今はそれが自分の責務だ。そして――もうひとつ。
「なにより、ある方を――ある方の眠りを護るため」
 ……言うべきではない、と心が結論を付ける直前に、口が言葉を紡いでしまった。
 誰かに知っていてもらいたい、という気持ちが、心のどこかにあったのかもしれない。辛いことは誰かに話せば楽になるという。誰にも言えない、墓まで持っていくつもりでいた、騎士の、いや、人としての恥。それでも、同じ聖騎士で、かつ、一般的な聖騎士の理に囚われない奔放なエルナクハになら、話せるのかもしれないと。彼に笑い飛ばしてもらえたら、自分も、もう、くよくよと悩まずにいられるのではないかと。
「白き姫?」
 不眠に悩んで冒険者に救いの手を求め、『ウルスラグナ』のカースメーカーの呪言で悩みを取り除かれた、エトリアの富豪の令嬢のふたつ名を、黒肌の聖騎士は口にする。何も知らない者が当てずっぽうに答を探る声音。その、何の過ちも想定していない、無邪気な声に、ファリーツェは我に返る。――やはり、こんなことは話せない。
 頭を振り、まずは否定の言葉を発した。
「違う――」
 その先は問うてくれるな、と暗に込めた思いを、相手は読みとってくれたらしい。
「まぁ、誰でもいいけどよ。騎士たる男子が決めたからには、故なく違えるなよ、その誓い」
 そう話を切ってくれたエルナクハに、感謝の意を込め、
「無論」
 はっきりと、ファリーツェは言い切った。それだけは自分も心していることだった。
 にんまりと笑みを浮かべていた黒い聖騎士は、ふと、懐から懐中時計を取り出して時刻を確認した。わずかに頷いて、時計をしまう。
「――悪ぃ、そろそろ出立の時間だ」
「そうか。ハイ・ラガードまで何で行く気なんだ?」
「馬車を乗り継いで半月、ってところかな。合間の街で休息も挟むけどよ」
 エルナクハはこの街を旅立つ。ギルド『ウルスラグナ』を引きつれて。その中には、ファリーツェのはとこであるパラスも含まれている。
 目指すは、新たに迷宮が発見されたという、北方の街ハイ・ラガード。『世界樹』と呼ばれる大木に抱かれたその街は、世界樹内部に発見された迷宮をめぐって、狂騒の兆しを見せているらしい。かつてのエトリアがそうであっただろうように。
「実際は一ヶ月近くかかるかもしんねぇな」
「海路は? 今の季節なら潮流に乗れば結構早いと思うけど」
 この季節の海路は、実際、早い。馬車で一心不乱に目指しても半月はかかる行程を、半分の七日程に縮める。
「センノルレがああだから、無理はさせられねぇし。船酔いの気があるとは聞いてねぇけど、場合が場合だし一応な」
「センノルレさんか」
 『ウルスラグナ』のアルケミストの名を耳にして、ファリーツェは目を細めた。
 海面が穏やかなら、揺れる馬車より海路の方がよさそうだが、こればかりは自然の成り行きである。陸路で堅実に行くべきかもしれない。妊婦に気を遣い、実際の日程が二倍になろうとも。
「エルナクハも、何ヶ月かすれば立派なおとーさんだね」
「おうよ! ……初めてのことだから、ちぃとばかり不安もあるがよ」
「初めて樹海に踏み込んだ時と、どっちが不安?」
「断然、こっちだな」
 肩をすくめながら断じた後、エルナクハは豪快に笑う。ファリーツェも釣られて快活な笑声をあげた。
 いやはや、未知であるはずだった樹海より、既知であるはずの人間の営みの方が不安とは、どうしたことか。
 ひとしきり笑いあった後、ファリーツェは掌を差し出した。
「元気で。ハイ・ラガード樹海が楽しいからって、不注意にふらふらして皆に心配掛けるなよ」
「ち、見透かされてる――じゃねぇ!」
 エルナクハは怒鳴り――もちろん本気ではないようだが――、手を握り返しながら反撃を試みてきた。
「そんなオマエこそ、エトリアの街中で迷子になるんじゃねぇぞ!」
「なるかっ!」
「わからんぞー、例えば色街なんか、ある意味樹海より性悪な迷宮だからな、腕試しクエストに一人で挑んで目的を達成したはいいが、糸忘れてた上に道を見失って三日間も樹海をさまよってたヤツじゃ、一歩踏み込んだだけで身ぐるみ剥がされそうだぜ?」
 ――話が戻ってきてしまった。エルナクハにはそんなつもりはなかっただろうが。
 脳裏に一瞬浮かびかけた『記憶』を振り払うように、ファリーツェは怒気を上げた。
「樹海と街は違うだろ! つーか色街なんかに行くかっ!」
 弱音は見せられない。知られてはいけないのだ。
 エルナクハが振ってきた事情に関して、真実を知っているのは、今はエトリアにはいない仲間達と、瀕死の重傷を負ったファリーツェの治療をしてくれたキタザキ医師ぐらいだ。他の誰にも知られるわけにはいかない。
 さらには、アルルーナのことは、そんな仲間を含め、誰にも知られてはいけない。
 もしも、ファリーツェが今なおアルルーナをその懐に抱き護っている、と知れたなら、たぶん、取り上げられる。それが『調査』のためなのか、ファリーツェ自身のためという理由が付くのかは、その時にならないとわからないけれど。もはや『約束』を――アルルーナの眠りを護るという使命を果たすことが、できなくなる。
 そして、もしも、『種』を地に植えてみる、などということをされたなら……。
 凶事が起きないならば、いい。が、起きないとは限らないのが、問題なのだ。アルルーナ自身も、それを危惧していた。
 だから、アルルーナの――ルーナ様の願いを叶えるためには、全てを抱えていなくてはならないのだ。
 いろいろと考えをめぐらせるうちに、身体に力が入りすぎていた。ファリーツェは、ふ、と力を抜き、笑顔を作った。口にするのは、目の前の騎士を安心させるための言葉。
「まあ、空間的なものだけじゃない、信念的な意味での忠告として、受け取っておく」
「そうしとけ」
 怒気に驚いていたエルナクハは、それがファリーツェのおどけだったと認識したのだろう、からからと笑声をあげた。
 街の外では、ラガード行きの馬車が、すでに出立準備を整えた仲間達と待っているという。これ以上時間を無為に潰すわけにはいかないのだろう、エルナクハは背を向け、いくらか歩を進めたが、ふと立ち止まり、ファリーツェに視線を向けてきた。
「手紙は書かねえぞ、筆無精だからな」
 そんな言葉に、笑いながら返す。
「心配無用。パラスが書いてくれるって言ってた」
「はは、そりゃ楽ちんだ。なら、もう、思い残すことはないな。じゃあな」
 改めて、エルナクハは踵を返す。
「ああ、元気で」
 ファリーツェは、晴れやかに笑んだ。英雄を見送るエトリアそのものの思いを込めて。
 エルナクハは、それ以上は振り返らず、道の彼方へと消えていった。
 彼ら『ウルスラグナ』に再び出会うことはあるのだろうか。そんな考えを浮かべかけ、ファリーツェは苦笑した。何、不吉なことを考えているのやら。彼らが樹海で倒れるはずがない。ならば、親族であり故郷にいずれ戻ってくるパラスはもちろん、他の者達ともまた会うことがあろう。
 生きていれば、どれだけ世界が広かろうと――仮に彼らが西方最果てのタルシスに行くのだとしても、再会の途はあるのだ。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-20

NEXT→

←テキストページに戻る