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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・19

 小休止を挟みながらも馬車を走らせ、ハイ・ラガード公都に辿り着いたのは、夕方になってからだった。
 ハイ・ラガードは公国とはいっても小国で、街と言える場所は、世界樹を取り囲むように建設された公都ひとつだけであった。その周囲に、国の食糧事情を支える広大な畑が広がり、その畑を管理する農園がいくつかあるという。農園といっても、場合によっては十数軒の農民達が集まり、農具を作成・補修する金物屋や、疲れを癒す酒場などが常駐しているそれらは、自治権こそないものの、村と言っても差し支えなかった。
 小麦の若草が炎のような日の光を受けて輝く様を両脇に眺めながら、小さな馬車は、公都の玄関口に辿り着いた。
 ハイ・ラガード近辺は高地である。その高地も、ヴェネス達が辿り着いたあたりで終わり、崖となっている。この場所より北方は低地帯が続くのだ。公都は、低地帯の、高地からさほど離れていない場所に、離れ小島のように屹立している。高地から橋が建造され、街の中心部はその橋から大きく上下しない場所に――つまりは高地側の地面とさほど変わらない高さに、集中して造られていた。
 ハイ・ラガード公都内に高地側から入る道は、この橋一本だけである。
 かつての大戦の時も、ラガードは、この要塞のような立地を活かして、ほとんど被害なく終戦を迎えたのである――もっとも、被害の少なさは、大戦を仕掛けた『王国』とハイ・ラガードの間にある、ヴェネスの出身地をはじめとした小国が、結果的に盾になったから、というところも大きいのだが。
 大陸側と公都を結ぶ橋のたもとには駐屯所があり、衛士達が橋を渡ろうとする人々を整理し、素性を改めている。
 人々は二列になっていた。その片方は、普通の庶民達と判る服装の者達で、ごく短かったが、もう片方の、異様に長く伸びている列を構成するのは、鎧や、丈夫そうな革服――実際は何を材料にしているのか判らないが――を纏い、武器をく者達だった。それが冒険者と呼ばれる者達であることは、初めて見るヴェネスにも明らかだった。
「普段なら街中まで馬車で乗り付けられるんだが」と御者が苦笑気味に口を開いた。「この分では無理そうだ。多分、臨時の停車場ができてると思うから、そこで降りてもらう」
 事実、御者の言うとおり、橋から少し離れたところに、臨時の停車場が形成されていたのである。
 馬車から降りて橋のたもとに徒歩で戻る間に、御者が、冒険者が列を成している理由を教えてくれた。
 なんでも、エトリアの樹海が踏破され、腕をもてあましていた冒険者達が、ハイ・ラガードの迷宮の話を耳にした途端に、こぞってやって来ているのだという。もちろんエトリアからだけではなく、噂の届いたあらゆる地域から、冒険の魔力に取り憑かれた者達が集まっているのだろう。臨時の停車場にたくさん停まっていた馬車も、その多くは、冒険者を運んできたものに違いない。
 樹海を探索し、その中から様々な有用な素材や情報を持ち帰ってくる冒険者を、ラガード公宮は、国民として迎え入れることにしているという。国の象徴である世界樹を他国の者に踏み荒らされるわけにはいかないが、探索者の手は欲しい、そういった事情が絡み合った末の決定だろう。樹海探索の力があれば、仮に過去どこかで犯罪を犯した者であっても、迎え入れるという。ただし、本当に樹海を探索できるのか、実力を見定めるため、入国試験なるものが課される、という話だ。
 その関係か、冒険はしないが長期滞在予定の者の入国審査も、厳しくなっているらしい。ヴェネスの前にいる者も、数個の質問に答えた後、街中のどこぞに行くように命じられ、げんなりしていた。別の友好国のお偉いさんが一筆添えた旅券でも持っていれば、そんな手続きも非常に簡略化されるのだろうが。
「まあ、坊は、船に乗るまでの短期滞在だから、そんな雑事とは関係ないだろうよ」
 御者の言葉通り、ヴェネスの入国審査は、いくつかの質問に答えた程度で、どこへ行けとも命令されず、簡単に終わった。
 冒険者の方も、この場では簡単な審査なのだろうが、一般入国者に比べて二、三質問が多く、冒険者の総数も尋常でないため、淀みなく捌けているように見えない。今並んでいる人達は、日が沈む前に街に入れるんだろうか、と、いらぬ心配をしつつ、ヴェネスは御者と共に橋を渡った。

 銀行でつつがなく証券の換金を終えた後、乗船券発券所に足を向けたところ、予想外の事態が判明した。今日明日は乗れる船がないという話だ。
 南方から船に乗ってやって来る冒険者が多いためである。それだけなら、ハイ・ラガードから南方に向かう便には影響ないのではないか、と最初ヴェネスは感じたのだが、気候やら何らかの原因で、エトリア側から戻ってくる便が遅延しているということがあるのかもしれない。折りが悪かったのである。
 その遅延を計算に入れれば、実は馬車でエトリアに向かっても同じかもしれない。しかし、御者は笑って言った。
「『頭領』はきっと、坊に、いろいろな経験を積んでほしいと思っているんだろうよ。船なんてなかなか乗れる機会がないんだから、素直に使ってしまうといい」
 船になかなか乗る機会がない、というのは、ヴェネスの国には海がなかったこともあるが、乗車賃も高いからである。エトリアからの冒険者達は、船に乗れる程度の金は稼げたのだろう。もちろん、節約して陸路で来た者もいるだろうが。
 船を待つ間の宿は、発券所が手配してくれるいくつかの宿から選ぶこともできる。もちろん実費は宿泊者持ちだが、発券所の斡旋ということで若干の割引があるし、予想外に船の到着が長引いた際は、さらにいくらかの還付があるらしい。
 ヴェネスは一番安い宿を選んだ。御者は「せっかくだからいいところを選べばいいのに」と苦笑したが、少年にとっては雨露がしのげればどうでもよかったのである。ただ、一つだけ注文を付けた。船を待つ間、中庭なりどこなりで銃の鍛錬をできるところ、というものだ――が、愚かな注文だったと知ることになる。ガンナーの膝元であるハイ・ラガードでは、余程粗悪な場所でもない限り、銃の鍛錬場所を用意できない宿はなかったのだった。
 御者は、もちろん、宿など取らなかった。戻るのである。

 結局、ヴェネスは、その日を含めて五日をハイ・ラガードで過ごすことになる。
 小国とはいえ、少年が見たことのない物であふれたその地には、自分が任務を受領している、と常に心していなければ、いつまでも居座ってしまいそうだった。元来、ヴェネスは好奇心の強い少年なのである。『組織』の駒として内心を抑えていたのが、雄大な世界樹を目の当たりにしたことで、たがが外れかけてしまったようであった。
 同じ宿に泊まっている冒険者達が勧誘を掛けてきたのも、心を揺さぶる要因だった。エトリアの親類を訪ねる旅の途中だから、と誤魔化したのだが、残念そうな冒険者達に申し訳ないという気持ちと、誘いに乗ってみたかったという望みが、心の中で膨らんで、ちくりと胸を刺した。
 そうだ。『組織』を脱退した後、稼げる仕事も、そうそうないだろう。母と共にささやかな田畑を耕しながら暮らせれば、と思っていたのだが、ハイ・ラガードで冒険者となるのもいいかもしれない。
 夢がひとつできた。少年は心が沸き立つのを感じた。
 六日目の昼間、後ろ髪を引かれる思いを振り切って、ヴェネスは、ようやく到着した南方行きの船に乗り込んだ。
 今回の航路は、航行中に数回、沿岸の街に寄り、水や食料を補給しながら、陸路よりは早い日数で、南方の港町ムツーラに到着する。時に、天候という不確定要素に翻弄されることもあるが、大抵はつつがなく終わる旅路。
 それでも、船旅が初めての少年には、心躍る経験。
 折しも、その日は、怒猪ノ一日。一年最後の月が始まる日である。この日にさらなる未知の世界へ旅立つ事になったのは、まったくの偶然だが、このような切りのいい月日に、人は何かの見えざる采配を感じる。ヴェネスも、歳の割に現実主義の面が強いとはいえ、例外ではなかった。
 事実、偶然という名の見えざる采配は、この日に限っては、確かにあった。
 ただ、さすがにヴェネスは知るよしもなかったのである。これから向かう南方の地で、後に自分が深く関わる者達が、同じように未知への旅路を開始しようとしていることを。

 その日、怒猪ノ一日。
 樹海を踏破した冒険者ギルド『ウルスラグナ』のギルドマスターである青年、パラディン・エルナクハが、エトリアの全景を見渡している。まるで、見納め、と、言っているようだ。常日頃は強い意志を秘めた瞳に、名残惜しげなものが宿っている。
「――お前達が気にすることじゃないよ」
 ファリーツェは穏やかな声を掛けた。『ウルスラグナ』が踏破した後に樹海は閉ざされたが、それは決して彼らのせいではない。もしも責任を問われる者がいるとするなら、モリビトとの『取引』を成立させ得なかった自分だ。
 モリビトの巫女との文通を始めてから、ずいぶん経った気がする。
 状況そのものは何も変わっていないが、文面での交流は、少しずつ、静かに進んでいた。オレルスの病状が安定していないことを鑑みてか、向こうからの手紙も減り、こちらからの返信も速くはなかったが、決して途切れる事はなかった。
 最近は、物資のやりとりも行うようになった。もちろん、ある程度軽いものに限られる――主に、植物の種や苗である。
 エトリアにとって、樹海の植物は垂涎のもの。反面、荒れた枯レ森で安定した食糧供給はできないものか。両者の望みが一致して、樹海からはロサカニナの種を、エトリアからはエンバクの種を、交換してみることにした。上手く育てばもうけもの、そうでなければ――それは互いにとって貴重な交易品になるだろう。そう考えるのは商人である父の息子だからだろうか、と我ながら苦笑したものだ。
 あくまでも試しなので、ファリーツェが受け取ったロサカニナの種も、植木鉢数個分でしかなかった。窓の外にこっそり並べて、芽を出したそれらに、日々、水を与えているのだが、不思議な事に気が付いた。じょうろを傾けていると、どこからか不思議な声が聞こえるのだ。

 ――足りないわ。もっと、もっと水をちょうだい。
 ――ああっ、もう、多すぎるのよ。それじゃ根腐れしちゃうわ。
 ――肥料まだ? 少し。少しだけよ。

 声といっても、思念に近い。外からではなく、心の裡から『聞こえる』何か。
 その忠告を無視してしまった一鉢は枯れてしまった。他の鉢は元気に育っている。
 まさか自分に植物の『声』が聞こえるようになったとは思えないが、その正体を掴むことは、終ぞできなかった。わかったのは、枯レ森産のロサカニナを普通の人間が育てるのは難しい、という結論だった。『緑の指』と呼ばれる植物育成の達人なら、何とかなるかもしれないが。
 そのようなことを積み重ね、いつか、「俺がモリビトとの交流を成功させたんだ」と胸を張れる日は来るのだろうか。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-19

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