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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・16

 そもそも、エトリア正聖騎士とはどんな立場なのか。
 世界各地に派遣している情報員の報せから判断すると、どうやら実状は『雑用に毛が生えた』程度のものらしい。樹海に関わる仕事を多く割り振られていたのは、当人が樹海探索者でもあった故だろう。
 そんな彼が――長当人が無理としても、閣僚でもなく、ただの雑用が、いくら身内のコネがあるからとはいえ、街の進退に関わる依頼を出してきたのである。この依頼、正聖騎士の独断、ないし、よくて長の個人的な黙認の下に成されたと思われる。
 しかも、依頼人が懸念している襲撃も、現時点ではまだ推測に過ぎない。
 こんな状況では、多人数を送るのは愚策だろう。最悪の場合、エトリアの衛士隊と軋轢を起こし、依頼遂行もままならない状況に陥りかねない。派遣できるのは一人と見た方がいい。一人なら、派遣されてきた『余所者』への風あたりは、大したものにはならない。依頼遂行の障害にはならないだろう。
 可能なら、その風あたりもできるだけ弱く済むように、実力と人柄の釣り合いが取れている者がいい。何人か、候補は挙げられるが……。
 そこまで考えて、『頭領』は、卓上に設えられた呼び鈴を鳴らす。
 澄んだ音が、暖炉に火を入れてもなお充分には暖まらない室内に鳴り響き、その余韻が消えた頃、向かいの扉を控えめに叩く音があった。
 入室の許可を与えた後に、扉を静かに開けたのは、秘書の役割を果たしている若い女である。彼女も『組織』の一員として水準以上の腕前を誇っているが、どうしても彼女でなくては果たせないという依頼以外では、派遣されることはない。
 室内だというのに綿をふんだんに使用した銃士の装備を着用した――『頭領』も同じような被服をしていたが――秘書が、硬い表情のまま帽子を取って一礼しようとするのを押しとどめ、『頭領』は、ある一人の名を口にした。
「『バルタンデル』はいるか?」
「現在のところ、任務を受けてはいないはずです。休暇は……一昨日終えて戻ってきていますね」
 感情の読みとれない声色で、懐から取り出した手帳をぱらぱらとめくり、名指しされた者の予定を確認する秘書。
「おそらくは、ヴェネスに訓練を付けているのではないかと思われます」
「いつも通りか。精が出るな」
「ヴェネスは次に任務を受けた時が最後ですから。油断させて死なせるようなことはしたくないと考えているのでしょう」
 秘書の声と表情が、わずかながら和らいだ。
「……そうか、あれとの契約も終わりか」
 『組織』は、才能のある者への援助と引き替えに、その入会を強いる。任務で得た報酬の幾ばくかを『組織』への返済に充てた者は、それにより負債が消失した時点で、自由の身となる。その後、『組織』の内情について他言しない限り、どこへなりとも立ち去ることができるが、さらなる報酬、あるいはそれ以外の何かを求め、『組織』に所属し続ける者も、また多い。
 『バルタンデル』と呼ばれた者は、すでに負債を払い終えながらも、未だに『組織』に属している者である。
 ヴェネスという名の少年が『組織』に求めたのは、病弱な母親を癒す高価な薬だった。瀕死だった母親はそのおかげで、ひとまず一命を取り留めたが、息子は代わりに契約に縛られたのだった。
 ヴェネスは、『組織』への負債をこつこつ返すのではなく、自らの手元に溜めておいて、一息に返済することを選んだらしい。別に利息が付くものでもなし、なんでそのようなことをするのか、と問うたことがあるが、「そのほうがすかっとするじゃないですか」との返答を得た。つまりは性分なのだろう。こつこつ返済型だと思っていた少年の意外な一面に、苦笑を禁じ得ないところであった。
 ともかくも、その貯金が、次に任務を受けた時の報酬で返済分に達する計算らしい。
 『頭領』は考えを決めた。ヴェネスは『バルタンデル』に比べれば、まだまだ実力に欠けるが、それでも充分な技術を備えている。それに子供だ。あと一週間ほどでようやく十五になる。そのために軽んじられることも多かったが、不要な軋轢を回避するには有効だろう。そういった意味で、エトリアに送り出すのにちょうどいい人材だ。
 それに――彼のような子供には、できるだけ早く『組織』を脱退してほしかった。『頭領』としては例外は許せない。子供であろうと、何かしらの負債がある限りは、その代償を支払い続けてもらわなくてはならない。だが個人としては、相手の了承済みの契約とはいえ、重荷を背負わせて利用することに、罪悪感を感じていなくもなかったのだ。
「よろしい。では、ヴェネスを呼んでくれ。おそらく最後になる任務を与える、とな」
「かしこまりました」
 秘書は一礼して、『頭領』に背を向け、部屋を辞していく。その様を漫然と眺めながら、頭領は思うのだった。秘書が表情を和らげるのは、今まで見てきた中では、『今』が一番長かったな、と。

 ここより、語りにヴェネスが加わることになる。
 ルーナが語る、エトリアの聖騎士が二方向に手紙を差し向けたという話を受け継いで、ガンナーの少年は、自分が今回の件にどのように関与したのかを、語り始めるのであった。

「ヴェネス・レイヤー、入ります」
 軽くノックした後、ヴェネスは『頭領』の部屋の扉に手を掛けた。
 銃撃の師匠である『バルタンデル』と共に、熱心に鍛錬を繰り返していたところ、秘書から呼び出しの報せを受け、応じたのである。
 この部屋の扉を開ける時には、いつも心の中が淀む。
 ヴェネスに――というより、ガンナーギルドのひとつである、この『組織』に属するガンナーの全てに課せられる任務は、結果として、無辜の女子供を巻き込むことになるものが大半だった。己に敵対する者を見つけるために、紛れ込んだ敵ごと難民を鏖殺することもあれば、直接的に、銃後の村の殲滅が任務となることもままあった。こちら側がそのような任務ではないにしても、敵対者側が同じような事をするのを見殺しにせざるを得ない時もあった。
 『組織』の命を、言い換えれば自分と自分の母を、第一に考え、そのような暴虐に手を染める時には感情を凍らせ、完遂してきた。だが、心の裡にひびが少しずつ入っていくことは阻止できない。そのひびが心の全てを覆い尽くした時、ヴェネス自身は心を壊し、生命までも失うのか、心のない人形として活動し続けるのか――それは、自身にもわからない。
 末路がどうであれ、自分は『組織』に従い続けなくてはならなかった。母の病を治すたった一つの術を、『組織』からの援助であがなった時から、自分の身は『組織』のものであったから。
 ――けれど、それも、あと一度。この扉の向こうで与えられる命令を果たすだけで終わる。
 その命令が誰かの殺戮であろうが、女子供を見捨てる結果となるものであろうが、此度一度を完遂すれば、自分は自由になれる。あと一度の心のひびを持ちこたえれば、母の下に帰れる。手紙と仕送りだけでしか繋がれなかった、母の下に。
 だから、ここで立ち止まるわけにはいかない。
 心の裡に積もった漆黒の淀みを振り払い、意を決して、ヴェネスは扉を開けた。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-16

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