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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・15

 ここよりしばし、ルーナも語れぬ神の視点からの話になる。
 かつては強大な力を持っていた妖魔ですら、把握できるのはほんのわずかであるほどに、世界は広い。
 辺境であるエトリアから、同じく辺境であるハイ・ラガードまでの距離は、既知の世界を標準寸法の信書用漉紙にすべて載せるとしたら、ペン先程度の長さでしかない。
 しかも、世界はさらに広い。既知の世界は海に囲われている。その先はまだ誰も――少なくとも現在の大陸の人間は――見たことがない。
 とはいえ、海を真っ直ぐ進めば、いずれ既知の世界の何処かに辿り着くだろう、という予測は立てられている。理論的には大地が丸いと突き止められていることは、子供でも知っている話であった。余力のある『王国』は、しばしば船を出し、理論の証明を試みるのだが――その成果は、未だにない。
 海洋の覇者アーモロード、今は伝説の彼方に消えた、かの国の技術であれば、さらに東を目指せるだろう。むしろ、彼らはすでに門外不出の海洋図を完成させていたに違いない。だが、かの国が滅んだという現在では、それが現存している可能性はあまりにも低すぎた。
 広大な世界に対して、人の移動方法は徒歩と馬車、沿岸航海が限界であり、地図上ではほんのペン先程度の距離ですら、長い時間を掛けなくてはならない。
 さらには予算の縛りもある中、ファリーツェが打った信書の速度は、最善を尽くしていると言えた。

 冒険者ギルドに託されたその夜のうちに、運良くエトリアを出、翌日払暁にムツーラに着いた二通の手紙は、その後は冒険者ギルドではなく一般の郵便局に託され、それぞれの旅路に分かたれた。
 二通の手紙のうち、先に目的地に到達したのは、予測を外れることなく、ガンナーギルド宛の方だった。
 ムツーラから快速郵便船に積み込まれ、おおよそ五日の船旅の末に、ハイ・ラガードに辿り着く。その地にある郵便局から早馬で一日弱を掛けて、南西へと進み、辿り着いたのは、とある小国の一地方であった。
 前時代においては、二大国と呼ばれた国々の片割れに属する『沿海州』と呼ばれた付近である。もっとも、樹海大地が世界の多くを埋めている現在では、そこはもはや『沿海』でも、大国の一地方でもない。南南西の『王国』と北西の『神国』の動向におびえながらも、それでも独立は保ってみせようと我を張る国であった。だが、数十年前の『王国』の侵略とその停止後、周辺の小国との小競り合いに巻き込まれ、その傷跡が今も癒えない、貧しい国家である。
 おおよそ二十年前、その地にやって来た、とある親子が創立した、『メニーシュ協会』という組織がある。
 貧しい人にささやかな手助けを行う篤志団体ボランティアだという風評に、物好きな連中だ、と、その国の支配層は思ったが、自分達の損にも得にもならないので、放っておいた――正確に言えば、自分が得するためにちょっかいを出し、深く関わりすぎた者は、『消された』のである。
 協会は、その裏に、武装組織を覆い隠していたのだ。
 貧しい者に奉仕すると見えたのは、素質のありそうな者を報酬で釣って組織の一員にするため。釣られた者も、ほとんど承知の上で、自分と自分に近しいものの今日と明日のため、武器を取り、他の誰かの生命を絶った。
 そう知った支配層は、協会にちょっかいを出すのはやめ、利用することにした。
 しかし、その時には『メニーシュ協会』は、近隣の小国のあちこちにも存在するようになっていた。背後の組織を利用しようにも、彼らは金をより多く積んだ者のためにしか動かなかった。その代わり、契約が終わるまでは、他の者がどれだけ大金を詰んでも、決して寝返ることはしなかった。
 こうして、協会と背後組織は、小国間の力学を引っかき回し続けたが、小競り合いが終わり、ひとまずの平和が訪れてからも、被害の拡大に一役買った彼らに罪を着せようとする者は現れなかった。手を出せば、せっかく戦乱を潜り抜けた生命をなくす羽目になるからである。
 さて、戦乱の激しかった頃は、創始者である親の方が組織を運営していた。息子の方は、情勢視察と人材発掘のためか、小競り合いに関係ない各地を旅していたらしいが、やがて、親が引退したために跡を継ぎ、『頭領』と呼ばれる身になった。
 その『頭領』が、遙か南方の都市国家エトリアからの手紙に、目を通している。
「……やれやれ、火遊びのツケ、ってわけか……」
 苦々しい口調でつぶやくものの、内心ではそれほど忌避しているわけではなかった。そもそも、火遊びの代価を申し出たのは自分の方だったのを、よく覚えていたからである。
 思い出したのは、二十年近く昔、『王国』を訪れた際に、猥雑な店の集まる闇通りで、眠れぬ夜に愛でる蝶を物色していた時のことだった。
 ――あたしと、遊んでくれませんか?
 と、声を掛けてきたのは、緑髪の少女。ごく普通の色香を好む彼としては、年齢が許容範囲以下。年齢に目をつぶれば決して悪い素材ではないのだが、夜をひさぐための相応の格好と化粧もなく、赤茶けたボロボロのローブをまとうだけなのが、気を萎えさせる。一見では、仕事もなく食い詰めた親なし子が、止むに止まれず身を売ることにした――そんな風情であった。似たような姿をした少女達を、彼は、父と共に腰を落ち着けた小国で、飽きるほど見てきた。
 うざったそうに手を振り、追い払おうとしたはずなのだが、その時、彼は少女のローブの合間に、禍々しい赤錆色の鎖と、黄金の目を見た。
 気が付けば、床を共にしていた。呪を掛けられたのかもしれない。だが、奇妙なことだが、自由意志を奪われてこうしているわけではない、と確信している自分がいた。
 男の沽券がそう思わせたのだろうか。少女の呪詛が呪の気配すら感じさせないほど強力で自然だったのか、ひょっとして呪など掛けられておらず、本当に自分から望んで彼女の申し出に乗ったのか――それは彼の判るところではない。そして少女も、そのいずれであるのかを黙した。ただ、自分の目的に巻き込んだのを申し訳なく思ったのか、嬌声の合間に、ぽつりぽつりと語るだけだった。
 ――子供が要るんです。この間の戦争で焼けちゃった里を再建するために。もう、あたしを入れて三人しか残ってないから。
 理由は判らないが、自分は少女の子の父として、お眼鏡に適ったらしい。
 カースメーカーにもいろいろな苦労があるものだ。不気味な力ゆえに人々に忌避され、石もて追われる。かと思えば上流階級の者に利用され、お役ご免となった途端にうち捨てられる。寄り添って里を作り、生き延びようとすれば、徒党を組んでいると思われ、焼き払われる。彼らの運命は大体がその道に沿っている。例外はいくらでもあるだろうが。
 そのような中、自分と血縁で確実に繋がっている者の存在は、自分がこの世界にあると実感させる、細く脆い糸のようなものなのだろう。そもそも、尊き血も卑しき血も、多くの者が、自らの血を分けた者を成し、後世に残したいという衝動を抱くのだ。
 ともかく、彼女にとって必要なのは精子たねだけで、自分を里に連れ去って夫としようなどということではないらしい。生まれた子供を盾に、自分の財産を云々、というわけでもないようだ(そもそもそんな財産は持っていないが)。そうと判れば毒を食らわばなんとやら、少女の年齢のことなど忘れ、彼は思う存分に快楽を貪った。
 ――事が終わった後、相手の事情が事情とはいえ、無償ただで享受する結果になるのは何とも据わりが悪い、と思ってしまったのは、自分の生まれ育ちの環境から来る感情だったのだろうか。そのような理由で、彼は少女に、自分達親子がガンナーギルドを運営していることを、その連絡先を記しながら告げたのだった。
 自分達が力になれることなら、極力便宜を図る、と。
 その時は、彼女が実際にガンナーの力を借りに来るのではなく、迫害された彼女が庇護を求めに来るのが関の山かもしれない、と考えていた。もちろん、普通にガンナーギルドの力を求められても、応じるつもりだったが。
 いずれにしても、故郷に戻り、ギルドの頭領を継いだ後も、彼女からの連絡はなく、彼自身も、彼女の名を見る瞬間までは、記憶を脳内の片隅にしまい込んでいたところであった。
 そこで『頭領』の思考は戻る。執務室の奥で、黒檀の机を前に座り、依頼書を吟味している現在に。
「……まあ、金を出されたからには、依頼は依頼だ。それに変わりはねぇな」
 卓上に広げられた四枚の有価証券が、確かなものであると確認しつつ、『頭領』はひとりごちた。
 手紙を寄越してきた依頼者は彼女自身ではなく、文面から判断するに、その甥のようであった(神の視点で見るなら、実際は従甥である)。彼女自身は無事に子を――『頭領』の子でないとしても――成すことができたのだろうか、という感慨が脳裏をよぎったが、ある意味どうでもいいこと、その思いを『頭領』は振り払った。
 さて、依頼書は南方の都市国家エトリアの窮状を訴えるものであった。
 かつて手折った花の甥(従甥)に当たる、エトリア正聖騎士の訴えるところによれば、ここのところ、代替わりしたばかりの長が、発熱に悩まされるようになった、とのことだ。
 聖騎士自身は、呪術師の係累たる経験から、それが何者かの呪術的な攻撃ではないかと判断したらしい。ただし、呪術攻撃は陽動に過ぎず、近いうちに、別の武力的な手段で本攻撃が成されるのではないかと思っているようである。
 だが、エトリアには搦め手での攻撃の対抗に長けたものがいない。ある意味で周辺からの攻撃の抑止力だった冒険者達も、ほとんどが去った。樹海探索を完遂した最強の冒険者達も、近いうちにエトリアを去ることになっている。
 ゆえに、様々な特殊工作で名を馳せている、『組織』の力を借りたい、という文面で、依頼書は締めくくられていた。
 さもありなん――依頼書を読み終えた『頭領』の感慨は、それだった。
 世界樹の迷宮が生み出す富で繁栄を謳歌した都市エトリア。その富を横取りしたいと思う組織は、いくらでもある。樹海は閉ざされたとはいえ、まだ『そこ』に確かに存在するのだから。
 かといって、愚直に奪取を試みたところで、エトリアの同盟国や、騒ぎに乗じた大国あたりに、叩きのめされるのが関の山である。となれば、残るは、秘密裏に行動を起こすことしかない。例えば――暗殺者を差し向け、執政院の機能を麻痺させてしまうこと。
 もちろん、具体的に事を起こそうとしているのがどこか、などということは、『組織』にも掴みようがなかった。幾つかの国は、計画立案の段階程度では、エトリアを手に入れて美味い汁を吸おうと考えているだろうが、それを本当に実行に移そうとしているのかどうかは、今のところ情報網に引っかかっていない。
 依頼者たる正聖騎士にとっては幸運なことだろうが、現在、『組織』に、『エトリア襲撃の支援』を要請してきている者は皆無であった。もし、そんな依頼が、エトリアから提示されたもの以上の高額報酬と共に舞い込んできていたなら――二倍くらいまでなら、かつて身体を買ったカースメーカーの少女の伝手からということで、エトリア側の依頼を優先しただろうが、それ以上であれば、依頼主の信念などではなく報酬の多寡でのみ受諾を決定する、という、『組織』の基本方針を貫かざるを得なかったところだ。
 そういった意味で、今回は、エトリアからの依頼は、何の支障もなく受諾できる。
 問題は、かの地に誰を送り込むか、である。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-15

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