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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・12

 会議室内が静まりかえったのも当然だろう。執政院登用後これまで、少なくとも公務中には腰の低かった聖騎士が、よりにもよって『俺』だの『ヴォケ』などと発言したのだ。
 閣僚達はもちろん、キタザキ医師も、見張りの兵士に至るまで、あっけにとられてファリーツェに視線を集中させている。防衛室長あたりが無礼を咎めてもよさそうなものだが、彼にしても、この反応が予想外だったのだろうか、声を出せずにいた。
 当の本人はといえば、自身が口にした言葉を振り返る余裕すらないほど、感情を高ぶらせていた。続ける言葉も、冷静なときには「失礼だ」と思って口にしない――少なくとも、もう少し遠回しな言葉を選んで発言したはずの、激高したそれだった。
「ええ、確かに俺の結論は仮説に過ぎませんよ。いくら世界樹目的って言っても、どこかがエトリアに手を出すのは、後々の火種が大きすぎる。でも、変ですか? 俺の仮説。呪詛も、陽動も、可能性はゼロじゃない。準備を躊躇う理由は金ですか? 責任を取るのがいやだからですか!? ……わかりました」
 聖騎士は、だむ、と自分の目の前の卓を拳槌で殴打した。
「責任が必要なら――今後半年の間に何も起こらなかったら、俺に責任を負わせて罷免するなりなんなりすればいい。予算がないなら、俺自身の給料で補います。それでよろしいか!?」
 冷静でない時に考えても無茶が判りそうな話である。それすら判別できないほどファリーツェは頭に血を上らせていた。
 この日の夜、眠る前になって、一日を振り返ったときにようやく思ったことだが、心の奥底に、まだエトリア執政院という存在に対しての不信感が残っていたのかもしれない。
 かつて冒険者だった頃、樹海の先住民、モリビトという存在が明らかになった時に、執政院が行ったのは、彼らの殲滅を強硬に唱えるという選択だった。それはあくまでも前長ヴィズルの決定であり、『エリクシール』が行ったモリビトとの交渉を台無しにしたのも、彼の指示だろう。そう考えれば、ヴィズル亡き後も執政院全体に隔意を抱くのは間違っているのだろうが、そう折り合いを付けられるほど心は合理的にできていないものだ。
 つまり、会議中のファリーツェは、「こちらが頭をひねって対策を立ててるのに、また言葉尻だけで跳ね除けるのか」という気分になっていたのであった。
 落ち着いているときなら忘れなかったはずだ。どれだけ金持ちの国であれ、可能性の低い事柄に対する予算ないし人手は、(権力者のうまみにならなければ)極限まで削られる。皆が自分の意見に異を唱えるのは、そういうことだ。
 ある意味、この時のファリーツェの精神状態は、自分の意見を無視されて泣きわめく子供と同程度だっただろう。彼なりに長を心配し、エトリアを憂いていても、まわりから見れば、古い童話『狼少年』の主人公が目の前にいるようなものである。
 閣僚達がファリーツェの言葉に沈黙していたのは、その浅はかさを見透かして呆れていたからだろう。
 しかし、現時点で、金髪碧眼の少年騎士がそう気付くことはなかった。先の言葉を盾撃スマイトのごとく会議の場に叩き付けたまま、踵を返して退出したからである。

 その日の夜、自室の隅に奇妙な羊皮紙片が貼り付けられていくのを、オレルスは、どう反応したらいいのか困ったまま、眺めていた。
 証券のような細長い形をした羊皮紙片には、朱や墨で、正直何が何だか判らないものが記されていた。どうやら文字らしいのだが、読めない。皮肉混じりに『達筆』と表現したくなるそれらを、せっせと貼り付けているのは、直属の少年騎士であった。
 最後の一枚を、オレルスが横たわるベッドのヘッドボードの裏に貼り付けると、一仕事終えた、と言いたげに一息ついて、ファリーツェは声高らかに告げた。
「オレルス様の発熱の原因が呪詛なら、これで、多少は妨害できると思います。ちゃんとした呪術師を呼び寄せるまでは、これがオレルス様の身を、多少ながらお守りするはずです」
「そうか、ご苦労様」
 ただの落書きめいた紙が、どうして発熱の対策になるのか、さっぱりわからない。だが、発熱が呪詛の仕業だというのが本当なら、呪術師の末裔である少年騎士が行ったことには、れっきとした意味があるのだろう。
 少なくとも、キタザキ医師含むメディックには、オレルスの発熱は手に負えないものだという。
 この二月ほど、頭がぼんやりする程度の微熱だったものは、この朝、急激に高まって、オレルスの意識を刈り取った。応急処置をした衛生室のメディック達によれば、致死寸前の超高熱だったという。程なく下がったものの、それでも日中は三十九度を下回ることはなかった。夜になって、再び微熱程度に収まったものの、日中の高熱の影響で、身体の方がうまく動かない。
 長たる立場の者がいなくなったときの手引書を真っ先に整備しておくべきだったな、と思う。
 頭では判っていたのだ。仕事自体は適切に割り振ったが、自分が倒れたときに誰に長の代理を任せるか、考えられなかった。否、考えはしたが、結局、どんなことがあっても自分で執り行う、と決めてしまっていた。
 我ながら愚かなことだった。私はヴィズル閣下ではないのに。だが――。
 オレルスは己の心が淡々と沈んでいくのを止めるかのように首を振り、朱や墨を片づけている少年騎士に目を向けた。
「そういえば、君、キタザキ先生が、一緒だったとはいえ、会議に突然乗り込んで、ずいぶんと荒ぶったようだね」
 途端、ファリーツェは、つぃー、と目を泳がせた。
「あー……」
 こりこりと頬を人差し指で掻いて、しばらく明後日の方に視線を向けていたが、ごまかしようがないと観念したか、溜息ひとつ。ベッドの傍につかつかと近寄ってきて、ほぼ直角に頭を下げた。
「すいません、すいませんオレルス様、すっかり頭に血が上ってしまって。私の推論もあくまで推論にしか過ぎないのですが、立てられる対策をどうして立てないのか、って考えたら……」
 当人、充分に後悔と反省をしているらしい。オレルスは吹き出したくなる気持ちを抑えながら、言葉を返した。
「まあ、会議では、君に任せよう、と決まったわけだから、よろしく頼む。あ、かかった費用は、ちゃんと、記録を付けておきなさい。君の言い分が真実だと判ったら、執政院の経費で落とせるから」
「あ、はい、すみません……」
「ところで、カースメーカーは、やはり、君の故郷から、呼び寄せるつもりかな?」
 と問うたのには、含みがあったわけではなかった。好奇心に近いものである。
 ファリーツェは、下げていた頭をいつも通りに戻して首肯した。
「他のカースメーカーに頼むのは、万が一にもオレルス様の病状のことが街に広まって、街の人を不安がらせる可能性を考えると、避けた方がいいと思います。それに力量としても、身内に一番信用できる者がおりますから」
「『ウルスラグナ』の、パラス嬢では、駄目なのか? 彼女も、君の身内だろう」
「……彼女は力量も信用もあるのですが……」
 半ば苦笑いと共に答えた後、少年騎士は改めて真顔を浮かべた。
「それでも、オレルス様に掛けられている呪をなんとかするには、力不足だと思います。樹海で敵対するだけの相手に呪詛を掛けるのとは、意味が違う」
「そういう、ものかね?」
「はい。敵に回して一番怖いのは、やはり、人間です。呪術がらみでは、その傾向がことさら強い……」
 やはり、呼び寄せる時間がかかっても、最上の専門家に依頼した方がいい案件だと思われる。
 呪詛の件は彼の言うとおりに任せるしかなさそうだ。だが、いまひとつ、考えなくてはならないことがある。
「君は、私の発熱に乗じて、何者かがエトリアに攻めてくる、と予想したそうだね。それが、ごく近いうちに……つまり、呪術の専門家が、エトリアに来る前に、ということは、あり得ないのかね?」
「そうですね……」
 少年騎士は考え込む。質問を想定していなかった、というより、どう説明すれば納得いく答になるのか、と思考しているようであった。
「実際、何かが来るとして、一番近いタイミングは、『今日』だった可能性はあります」
 ずっと微熱だったオレルスが急に致死に近い高熱を出した。執政院は混乱するはずである。だが、今、オレルスの熱は下がっている。襲撃の陽動にするなら、熱を下げさせる意味はない。ファリーツェは説明を展開させた後、こう締めた。
「今回のは様子見だったのかもしれません。とするなら、実際に何かを仕掛けるなら、早ければ、準備期間を含めて一ヶ月から二ヶ月くらい後。その場合は、私が親族を呼び寄せるには、ぎりぎりだと思います」
 ファリーツェの故郷『ナギの里』とは、馬車で二ヶ月ほどの距離があるという。手紙なら、最速の早馬に任せれば七日ほどで着くだろうというが、早馬に乗る訓練を受けていない人間は、その日数では運べない。
「あともうひとつ、ガンナーを一人、招聘しようと思うんです」
「ガンナーを?」
 聖騎士の言葉を、オレルスは訝しげに鸚鵡返しにした。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-12

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