←テキストページに戻る
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・11

 閣僚達は思わぬ結論にざわめいていたが、新米正聖騎士の言葉を心底から信用していないこともまた、明確だった。好意的な情報室副長ですら、何かの間違いではないのか、と言いたげにファリーツェに顔を向けている。
 さもありなん、オレルスには、呪詛を受けるような理由がない――と、閣僚達は思っている。
 生きている間に他人から全く恨みを買わない人間、そんなものは存在しないだろう。しかし、呪詛をもってしてまで晴らしたい恨み、と限定するなら、話は別である。オレルスは人当たりもよく、そこまでの恨みを買うような人柄ではない。
 強いて考えるなら、元冒険者かもしれない。樹海探索では数多の冒険者が生命を落とした。辛うじて生き残った者が、仲間の恨みとして、自ら呪うか、カースメーカーに呪詛を依頼したか、である。
 が、それならまだいい方だ。話が単純だからだ。
 ファリーツェが考えていたのは、もっと複雑かつ対処の難しい可能性である。
 ゆえに、奇妙なことだが、『普通の呪詛の可能性』を否定するところから、話を続けた。
「……ただ、普通の呪詛としては、少し変です。オレルス様を呪う理由が相手にあるのに、この二ヶ月、だらだらと微熱を発生させるだけ……変な言い方ですが、『やる気がない』というところです」
「緩やかに苦しめ、ということではないのか?」
「かもしれませんが、四十度近い高熱で苦しませた方が、恨みを抱く者としては、すっきりしませんか?」
「そこまでする実力に欠けるのではないかね?」
「それはあり得ません」
 ファリーツェは卓上に両手をついて、心持ち身を乗り出した。
「私の名をご存じならお察しでしょうが、私は『ナギの一族ナギ・クース』の末裔すえです。呪術を実行する力はすでにありませんが、知識は未だ、この頭の中に残っております。少なくとも、この場にいらっしゃる皆様の誰よりも、呪術には詳しい」
 世界有数の呪術師三家のひとつ、その名を耳にして、少しだけ閣僚達の態度が変わる。
 新米正聖騎士の言葉に抵抗があっても、呪術の名家の者の進言を無視できるほど、呪術という薄気味悪い世界についての造詣を持ち合わせていないのである。
 結局は名か、とファリーツェは内心で苦笑したが、閣僚達を侮蔑する気はなかった。これも世界の真理だ。彼らにとって、自分の名より、『ナギの一族』の名の方が、今は力の強い言霊だっただけのこと。
 そして今は、自分の名を上げるとかそういうことが目的ではないのだ。
「呪術師というものには、対象の目の前――少なくとも声が届く範囲から呪う他に、遠方から他者を呪うことができる手段があります。オレルス様が呪詛を耳にしていれば気付くでしょうから、おそらく、今回の呪詛は遠方からのものでしょう」
 講義を執り行っているつもりで、かつて呪術師だった聖騎士は話を続けた。図象化することに自信があったら、黒板も活用しただろう。
 呪術師にとって力を発揮するためには、言葉が必要だ。反面、その言葉が相手の表層意識や言語野に届く必要は、必ずしもない。聾唖者や、言葉の通じない動物にも、呪詛が通じるのは、そのためだ。言い方を変えれば、呪詛というのは、相手の肉体、本能、魂に、どのような状態となるべきなのかを刻み込むのが、本質なのである。
 呪術師達の祖先の誰かが定義したことなので、神なる者の視点から正しいかは判らないが、ひとつの推測がある。
 呪詛の本質は『波動』ではないか、というものが、それだ。声は、呪詛の本質である波動に特定の意味を持たせ、それを乗せて相手にまで届ける手段に過ぎない――それが祖先の推論であった。
 術者が言葉を発する必要がありながら、相手にそれを理解する手段を求める必要は必ずしもない、という矛盾には、一応の説明が付く。
 加えて、祖先は、己の理論を元に、声の届かない遠方から他者を呪う手段を確立した。
 声が届かなくても、波動を、呪うべき相手に届けさえすれば、呪詛は成立するのだ。
 ひとつは、水晶に代表される、力のある媒体を使い、呪詛(波動)を増幅して、声が届かないくらい遠方の相手に届けること。生物を生贄にしたり、その血で魔法陣を描いた中央で術を執り行うのも、こちらの分野になる。
 いまひとつは、呪術の大原則である『もともと接触のあった二者の間には、分かたれた後にも強い繋がりがある』『似たものの間には繋がりが生じる』というものを利用し、呪詛を掛けること。一例を挙げるなら、他者の髪の毛を媒体にすることや、相手に見立てた人形に呪詛を掛けることでだ。余談だが、これらの『目標と繋がりがあるもの』を『呪物』と呼ぶ。 
 通常では呪えないほど遠方にいる相手に対するこれらを、『遠隔呪術』と括る。便利な手段ではあるが、欠点も多い。
 適切な呪物がなければ、目標に呪詛が到達する力は、格段に落ちる。
 呪殺ともなれば、髪の毛のような目標の肉体の一部(『呪術師自身の目標に対する理解』も同等の価値を持つ)を呪物とできなければ、何百度、何千度と繰り返して、やっと目的が達せるかどうかだ。
 逆に、相手を病に陥らせる程度なら、適切な力を持つ水晶球などでも、失敗が少ない。
 ここで補足しなくてはならないのは、呪詛は、距離に比例して効果が落ちるものではない、ということだ。例えば、対面で相手に致死ぎりぎりの発熱を強いる呪術を使える者がいるとして、『遠隔呪術』を使うために威力が弱まるかと言えば、そうではない。相手に呪詛が適切に届くかが全て。西方風に言えば『オール・オア・ナッシング』なのだ。
 そして、『遠隔呪術』自体は、かなりの高等技術である。少なくとも、相手に微熱しか発生させられないような未熟な呪術師にできることではない。
「つまり、相手は、オレルス様をもっと苦しめる手段があるのに、わざと弱い呪詛を掛けている、という可能性があるのです」
 もはや、閣僚達は誰も、ファリーツェの意見を侮る表情を見せなかった。
 呪術という化外けがいの技について、詳しく、重要な箇所では声の調子を強めながら語る様に、ただの思いつきだけで異論を提示したわけではない、と理解したからだ。
 無論、呪術について完全理解できたわけではない。それでも、ただの病だと思いこんでいた現状が、何者かからの干渉の一環である、という可能性を一笑に付すことはできなくなっていた。
 とりあえず、呪術だ何だとは考えず、『何かしらの攻撃を受けている』という括りで状況を整理する。
 敵の正体は分からないが、その手管からすればかなりの強敵であるはず。なのに、実際の攻撃は予想外に柔い。攻撃によって成果を上げたいなら、極力の兵力をぶつけるのが正道なのに、何故か。
 相手が防御側を侮っている、という理由も、考えられないわけではない。しかし――。
「陽動――か?」
 防衛室長が、苦虫をありったけ噛み潰したような表情で、それでも真摯に、答を口にした。さすがはエトリアの軍事の司、的確な答を導き出す。
「はい」
 言葉を装飾する必要もなく、ファリーツェは簡潔に首肯した。
 どこの勢力が、というのは現時点で断定する必要のないことである。が、目的はおそらく、世界樹の迷宮だろう。一辺境都市として衰退する運命を負った街を、あっという間に強大な富を内包した都市に変貌させたのだ。他勢力からすれば垂涎の的であろう。もちろん、貴重な産物に繋がる道は閉ざされているのだが、力ずくで切り開いていけばいい、と考えているに違いない。
 エトリアの周辺都市は兵力が少ない。が、仮に、ふんだんな兵力を有した国家が侵略を企むとしても、正面から攻め込む愚行は避けるだろう。そのために陽動を行い、エトリアの人間達がオレルスの容態に気を取られている隙に、攻撃を仕掛けるのである。その攻撃は、たぶん、大々的に兵を見せびらかした華々しい攻撃ではなく、闇に潜み影を歩む者達による、黒い刃の一撃だ。エトリア経済の要を担う者や、民間防衛の司令塔となりそうな者、他にもエトリアの精神的支柱となり得る者を、捕縛あるいは暗殺し、最終的には執政院も占拠するだろう。そして――エトリアは、野心家の植民地となる。
「だが、馬鹿馬鹿しい推論でもあるな」
 と、防衛室長は小馬鹿にしたように鼻を鳴らして続けた。ファリーツェの意見にただ同調するのが気に入らないだけかもしれない。が、意見そのものは至極まっとうなものであった。
 仮に周辺都市のどこかがエトリアに攻撃を仕掛けた場合、他の周辺都市がエトリアに味方する。攻撃者にとっては、四方八方を敵に回すことになるわけで、賢いとはいえない。他の都市をできるだけ抱き込んで味方にしておく、というのも考えられなくはないが、仮に成功したとして、エトリア陥落後に待つのは、世界樹所有権を巡る泥沼の殺し合いだろう。等分に分けることを考える頭があるなら、初めから、力で奪取ではなく、世界樹を自治都市群の共有財産とすることを提案する、などの手段を選ぶはずだ。
 攻撃主がもっと遠くの強大な国家だったら、その時こそは自治都市郡全体が、団結して抵抗する。かつて『王国』が侵略者だった時代が終わった時に、自治都市群が有事に備えて設立した、『フェンディア騎士団領』も、契約に則り、有する五つの騎士団を動かすはずだ。エトリアが陥落しても、友好都市を奪還する名目で、あらゆる都市が全力で兵を差し向ける。自治都市群としての友情だけではない、放置すれば次は自分達が犯される番だからだ。
「結局のところ、長の発熱はただの疲労か、馬鹿な冒険者の逆恨み。やはり、それだけではないか?」
 と締めた防衛室長の視線は、嫌みたらしく長直属の聖騎士に向けられるが、意見は最後まで、嫌がらせのみ目的の空論には逸れなかった。彼は彼なりにエトリアの防衛を、常に可不可のせめぎ合いの中で考えているのである。
「……かも、しれません――」
 ファリーツェは無念をにじませて首肯した。
 論破されたとは思わない。初めから自分でも判っていたからだ、自分の意見が可能性のひとつに過ぎないことを。防衛室長の反論と合わせれば、現実化の可能性は極小だ。黙殺されても仕方のないこと。
 ――だが、その『極小』が本当に事実となった時、用意がなければ、影響は、被害は、計り知れない。
 我知らず、両手が拳となって力が入る。
 次の瞬間にファリーツェが放った言葉は、彼自身にしても思いがけないものだった。
「――だけどとりあえず黙って俺の提案を聞いてくださいこのヴォケがぁッ!」

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-11

NEXT→

←テキストページに戻る