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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・10

 挨拶もそこそこに、ファリーツェは『医神』にすがりついた。事情説明は、あまりにも焦っていたので、ちゃんと話せたか、自分でもよくわからない。とにかく、オレルスの病状説明のために会議室に入るのであろうキタザキに、自分を同行させてくれないか、とひたすら頼み込んだのは覚えている。
 案の定、理由はきちんと伝わらなかったのだろう、キタザキ医師は困惑をあからさまに絵に描いたような表情をしていた。
 やはりだめだろうか、と、不安を全面に出して、キタザキの次なる行動を待つ聖騎士。
 だが、キタザキは笑みを浮かべた。樹海探索の絶頂たる時代に、傷ついた冒険者に希望を灯し、死にゆく冒険者にも最後の安堵を抱かせた、暖かな笑みだった。ファリーツェは己の望みが叶えられたことを察したのである。
「では、行こうか」
 院長の大きな手が肩に回され、前進を促す。
 見張りの兵士はまだ困惑していたが、キタザキが同行させるというのであれば、口出しをする気はないようで、黙って道を空ける。
 杢目の美しい木材にニス塗りの、両開きの扉。それは室内も同様に格調高い調度となっていることを示す。長の執務室はあんなに素朴なのにな、と苦笑いが浮かんだ。穿った見方をすれば、樹海の富で調子に乗ったエトリアをよく表している気もする。もっとも、小さい自治都市といえども一都市国家なら、このくらいの見栄が必要となるのも確かだろう。政治とは面倒なものだ。
 と考えているうちに、キタザキのノックに応答する声が内側からかかり、目の前で扉が静かに開かれた。
 緋毛氈の敷かれた室内に会議用の長卓を設置し、着席して難しい顔をした雁首を並べているのは、長の下で各種統治事務を執り行う閣僚達であった。ただし、情報室長のみ未帰還なので、副長が代理出席している。
 卓の正面、皆に見えるところに設置してある黒板の記述を見る限り、長の業務代行の割り振りはうまく行っていないようだった。
 それはエトリアの弱点を如実に示す光景であった。前々長の時代はいざ知らず、前長ヴィズルの時代、かの有能にして精力的な長は、自分の手の届く範囲のことを自分で執り行っていた。それは、実は万が一にも樹海踏破をなされてはいけない、という考えから、自分以外の閣僚の力を制限するためだったかもしれない。あるいは単に自分の手に全てがなければ気が済まないのかもしれなかった。正確な理由はもはや知る術もないが、とにかく、割り振られるべき仕事を減じられた閣僚達は、自らが成すべき仕事の大半を引き受けていたヴィズルが行方不明になった時、混乱するしかなかったのである。エトリア全体が機能不全に陥らなかったのは、民間組織の力が大きいだろう。
 今、オレルスはヴィズルほど一人で抱えるわけではなく、そもそも執政院長としては半人前のため、閣僚達の仕事は適切に増えた。つまりはオレルスが倒れても基本業務に問題はないはずなのだが、もはや『頭が倒れたら大危機ピンチ』という原則が染みついてしまっているのだろう。だから、オレルスの業務の代行を決めるだけでも時間がかかっているのだ。
 各自が無能というわけではない、むしろ有能揃いなのだが。
 一方、内部で会議を行っていた者達は、待っていたキタザキ医師の横に、招かれざる聖騎士の姿を見て、どよりとどよめいた。
「何の用だね、ナギ君」
 真っ先に口を開いたのは、壮年の防衛室長であった。防衛室とは、兵士や騎士を統括し、外敵からエトリアを防衛する役を果たす。
「いくら長直属の聖騎士とはいえ、ここは君が来るところではない、退室したまえ」
 もともと、自分の麾下に入らないファリーツェという存在をよく思っていなかった人間である。そんな反応は容易に予測できた。
「まあ、落ち着きなさい、防衛室長。ファリーツェ君とて、何の意味もなくこんなところには来ますまい」
 と助け船を出してくれたのは、オレルスと同年代の情報室副長である。情報室はオレルスとの関係が深いこともあり、前情報室長の直属であるファリーツェにも好意的だった。特に副長はどういうわけかずいぶんと気に入ってくれたようで、暇があるとよく構ってくれる。ただし、今は、各官僚との関係を維持する必要があるためか、助け船は若干控えめであった。
「キタザキ院長とご一緒に参られたのですから、無意味ということはないと思いますが……」
 と発言したのは、中年の域に差し掛かりつつある衛生室長。衛生室とは執政院の衛生管理、疾患・傷痍の処置を行う。伝染病流行時などの緊急時には、その権限はエトリア全体に及ぶはずだ。民間組織であるケフト施薬院とは、公的には、協力関係以上の繋がりはないが、室員の多くはキタザキ医師の薫陶を受けている。室長も例外ではなく、発言は助け船と言うより、キタザキ医師への信頼がなせるものだろう。
 他数名の閣僚にしても、不審から単なる驚きまで、反応は多岐に渡るが、とりあえず「キタザキ医師が連れてきたのだから」という理由でファリーツェの存在を容認することにしたようだった。
 全員が納得したことを見て取ると、キタザキはファリーツェを伴ったまま黒板に歩み寄り、その前に立つ。
 そして、説明のために口を開いたが、その表情は明るくなかった。
「執政院閣僚諸氏、ケフト施薬院院長として、私は、オレルス殿の病状について、包み隠さず説明する」
 閣僚達の表情も、キタザキのそれを見て、影を顕わにしたが、やっとはっきりするといった意味での安堵も同時にあった。しかし、それもキタザキが言葉を続けるまでのことである。
「正直に申し上げて、わからない」
 どよっ、と会議室がざわめいた。キタザキ医師が『病状不明』と断定するのは、少なくとも彼が施薬院を預かるようになってからは、片手で数える程度しかないことだった。それも、すべて解決済みである。
「もう二ヶ月前後、これだけ長い発熱ならば、その原因となるものも突き止められようと思ったのだが、さっぱりわからない。私は皆に『医神』呼ばわりされて、テングになっていたようだ」
 キタザキを含め、全員がうなだれる。
 だが、ファリーツェはその様を見ていた――つまり彼はうなだれなかったのだ。
「……いえ、先生が後ろめたく感じる必要はないと思います。――俺、じゃなかった、私の予想が正しければ」
 控えめにだが、はっきりと口にしたその言葉に、キタザキは目を覚まされた様相で顔を上げた。閣僚達も同様だが、こちらは、どんな世迷い言を口にしているのだ、と言いたげな者が大半である。
「どういう意味だね?」
 不機嫌さを隠そうともせずに、防衛室長が先を促した。
 ここから先の言葉を信じてもらえるかは、正直、自信がない。全てはファリーツェの憶測、そして、憶測で人に動いてもらえるほど、執政院での信頼は固まっていない。
 しかし、少なくとも問題提起をしなくては、憶測が真実を突きとめていた時に、手遅れになる。
 人を呑め、人を呑め――と、故郷の里に伝わる、重圧祓いの呪言を心の裡で繰り返しながら、聖騎士は口を開いた。
「この度の長の病状ですが、私は――呪詛である可能性があると考えております」
「はっ、呪詛だと? 誰が?」
 案の定、防衛室長が鼻でせせら笑う。
 カースメーカーなる者がおり、彼らが樹海探索で一定以上の戦果を上げている報告がある以上、呪詛の実在はエトリアの民にとっては疑うべくもないものであった。とはいえ、実在を信じることと、その有用性を信じること、使い手の善意を信じること、呪詛が自分達の生活を侵食しないと信じること――それらは、あまりにも違う。呪術師が自分達に害を及ぼすと怖れ、悪いことは何でも呪詛のせいにするくせに、本当に呪詛を掛けられていることを指摘しても信じない……そんな手合いはいくらでもいる。
 もっとも、防衛室長の態度は、呪術の軽視というより、ファリーツェへの反発が成せるものだろう。せせら笑う割には、話の続きを待ち望んでいるのを、その目線から読み取れる。馬鹿な聖騎士を吊し上げる機を待っているだけ、と取れなくもないが、それなら『今』そうしてもいいはずなのだ。
 ゆえに、ファリーツェは話を続けた。
「誰が――というのは、正直わかりません。ただ」
 一旦言葉を切る。
「院長ほどの方が原因すら突き止められない病、ならば『病気ではなかった』可能性に備えた方がいい、と思っているのです」
 呪術師としての力を失ったことが痛い、と強く思ったことは、今日この場に至るまで、なかった。オレルスの病状に関する仮定を自分で確定できないこともそうだが、この場にいる全員に強引にでも自分の言葉を納得させられないことが、だ。けれど、ないものはない、自分が今持ち得る力で、堅実に言葉を積み上げ、納得させなくてはならないのだ。
 内心で溜息を吐きながらも、外面だけは頑健に、ファリーツェは断言する。
 無意識に振り下ろした腕が、強い言葉を補強し、聴く者に鮮烈な印象を焼き付けた。
「繰り返して申し上げます。長は、誰かから呪詛を掛けられている可能性があります。早急にカースメーカーを招聘し、確認することを提案します!」

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-10

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