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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・8

 予定なら情報室長と『ウルスラグナ』が戻ってくるであろう日の早朝、ファリーツェ自身は一日休暇をもらえた日だったが、そろそろ起きなきゃ、と思いつつも毛布にくるまってごろごろしていたところ、ごつごつ、と窓を叩く音で完全に覚醒した。
 こつこつ、ではないのは、部屋の唯一の窓の厚さに由来する。薄くて丈夫なガラスは、執政院奥部が作られた頃には高価だったのだろう。所々の厚さも微妙に違うらしく、見ようによっては味があるといえる、両開きのガラス窓、その外に、窓枠に留まって表面を嘴で叩く赤い鳥がいた。
「……やあ、ケミヒテクプ。今日は早いね」
 カーマインビークには当たり前ながら『休日』という概念はないのだろう。
「というか、そもそも巫女殿にも『休日』なんてのはないんだろうなあ……」
 のそのそと起きあがり、窓に手を掛ける。一旦待避した赤い鳥の姿を視界に収めながら、押し開けた。
 途端に室内に突っ込んできたカーマインビークは、椅子の背もたれに舞い降りる。けっけっけっけっ、と鳴きながら、足を交互に持ち上げ、翼を膨らませる様は、まるで滑稽な踊りを踊っているようだった。
 その片足に、いつものように手紙がくくりつけてあるのを見て、ファリーツェは目を細めた。
 いつものように、戸棚から間食用の干し肉を取り出し、口に入れて噛みほぐしつつ、手紙を解く。外した手紙は机の上に、開いた片手に柔らかくなった肉を吐き戻すと、勢いつけて上方に放る。
「そぉら、ケミ! ご褒美だ!」
 赤い翼が肉を追って舞い上がる。華麗に空中で嘴に引っかけ、一息に飲み込んだ。開いたままの窓の枠に降りると、またも、けっけっけっけっ、と鳴きながら、先程と同じように踊る。
「また夕方頃おいで、返事を書いておくから」
 机に向かいながらそう声を掛けると、心得たもので、ぱっと飛び去っていく。枯レ森に戻るのか、どこか適当なところで時間を潰しているのか、それは判らない。ただ、街からは赤い鳥による被害報告や原因不明の事件報告は上がっていないから、人々に迷惑を掛けてはいないようである。
 カーマインビークの飛翔を見送ると、ファリーツェは改めて手紙に向き合った。
 最初にもらったものよりもはるかに上手くなった字で、ファリーツェ宛に近況が記されている。
 それが、ファリーツェがモリビトの巫女に提案した方策だった。
 いくら合意があったとしても、文化の違う者同士、いきなりの交流は軋轢が大きい。おまけに、本来なら人間側の折衝相手となるべきオレルス(ファリーツェは自身をあくまで代理だと思っていた)は、未だに微熱が引かない。長としての責務がまだまだ負担になっている様子である。ゆえに、まずは『文通』から始めてみようと提案した。互いの領域で起きたことを綴り、相手に知らせていけば、互いの文化や考え方も少しずつ判っていくだろう。少なくとも、何もしないままいきなり交流を始めるよりは、摩擦も少なくなるだろう、と思う。
 ちなみに、カーマインビークの個体名も、手紙で教えてもらったものである。
 この日の手紙に書かれていたのは、モリビトの祭りの一つに関することだった。
「……熊祭りホプニレ?」
 耳慣れない発音の言葉を舌の上で転がす。故郷にはモリビトの古い言葉に似たものが幾つか伝わっていたが、ホプニレというものは聞いたことがない。
 なんでも、今くらいの季節になると、短期間だけ、本来は巫女と選ばれた護衛だけが踏み込める聖地に、我こそはと名乗りを上げる戦士達が進入することを許されるらしい。その目的は、聖地に住まう『熊』――かつて冒険者達が『魂の裁断者』と呼んで怖れた魔物を、狩ることだそうだ。
 一対一で狩らなければならないという決まりはない。が、より少ない人数でより強い個体を狩る方が尊敬される。狩った熊の肉や毛皮、牙や爪を、樹海の神からの授かりものとして恭しく戴き、モリビト達自身が作る供え物で祭り、樹海の恵みを願うのだという。
 熊祭りホプニレについて語る節の終わりは、挑戦的な言葉で締められていた。

――騎士殿は、我らモリビトの勇士のように、偉大なる熊に挑む勇気を、今なおお持ちかな?――

 最初の手紙の後、数度に渡ってやりとりを繰り返してきたが、巫女からの手紙には、まるでこちらを試すような文面があることが多い。モリビトの優位性を示す同時に、こちらの反応から人間の思考を知ろうとしているところもあるのではないか、と思われる。もちろん、一人の考え方が人間すべての考え方であるとは思っていないだろうが、『モリビトとよしみを通じようとする者』がどう反応するかを、ファリーツェを通して見つめているのだ。
 下手な反応はできない。また、どう返せばいいか考え込むことになりそうだ。
 こういう時は、漫然と机に向かっていても答は出ない。何か別のことをしているうちに、いい返事も思いつくだろう。
 もともと本日の休暇をもらったのは、エトリアに戻ってくる『ウルスラグナ』と会おうと思っていたからだった。
 実は、会うだけなら夜にも会える。執政院で『ウルスラグナ』を招き、労いの夜会を行う予定なのだ。夜会自体には、ファリーツェの出席予定はないが、少し顔を合わせる程度はできるだろう。
 だが、ファリーツェは『ウルスラグナ』から話を聞きたかった。故国とエトリア以外の場所のことは、ほとんどよく知らないのだ。ムツーラという、自治都市群一、二を争う大都市国家についても、書物上の知識だけで、それ以上のことは何も知らない。
 それに、『ウルスラグナ』の皆は、土産を買ってきてくれると言っていた。
 たぶん彼らは昼頃に戻ってくる。土産と話の礼に、軽食を供することはできるだろう。机の引き出しの一つを空け、金庫代わりに使っている小型の宝箱の重さを確かめながら、午後の歓談に思いを馳せる。
 だが、今はさしあたって朝食だ。派手な音を立てた自分の腹を見下ろして、少年騎士はため息を吐いた。

 増築部にある食堂に足を運ぶ。
 歩きながらもあくびを繰り返した。ここ最近、眠りが浅いようだ。正聖騎士に任命されてからは、極力、眠る時間を一定にしているはずで、しかも、ここ一ヶ月は、夜中に緊急に叩き起こされることもなかったのだが。早朝の探索開始は当たり前、時には夜を徹して森を歩くこともあった、冒険者の頃の方が元気だったのは、どういうことだ――とはいっても、この件には、多分にファリーツェの思いこみが混ざっている。冒険者の頃も、夜を徹した後はあくびが頻繁に出たものだ。
 執政院の朝は早い。樹海探索が最高潮だった頃、朝の五時からやってくる冒険者の応対をしていた頃の名残だろうか。今も、払暁の刻はとうに過ぎたが、それでも六時台である。だというのに食堂には、すでに文官達が列を成している。目の合った相手と軽く挨拶を交わしつつ、列の後尾に並んだ。
 いつもなら、この場で食事を取ってしまうのだが、今日は休暇である。せっかくだから、自室に持ち込むか――と考えつつ何気なく顔を上げると、梁からぶら下がっていたはずのハムベジョータがない。件のカーマインビーク乱入事件の直後、鳥にむしられた近辺分を切り落とされ(その分の代金としていくらか払わされた)たが、引き続きぶら下がっていた覚えがあるのだが。ただし、理由(推測だが)はすぐに知れた。たぶん、今宵の夜会の料理の材料になるのだろう。
 食事を受け取り、列を外れたところで、オレルスが食堂に入ってくるのに気が付いた。
 しょっちゅうケフト施薬院に通っているというのに、例の微熱は、一ヶ月ほど経った今も、まったく好転していないようだった。さほどの手間も掛けずに治せるものだと思っていたのだが、原因が掴めないらしい。数日前に街で顔を合わせたキタザキ医師も、執政院の者達も、いっそ施薬院に何日か入院してほしい、と口にするものの、不都合は微熱だけで、なまじ動けるものだから、オレルスは進言を固辞し、未だに精力的に働いているのだ。
「おはようございます、オレルス様」
「……ああ、きみか。今日は確か、お休みを取ったのだったね」
 体調を窺うように控えめに挨拶をする文官達に混ざり、ファリーツェが声を掛けると、それに気が付いたオレルスも返事を寄越す。
「はい、しかし、急用があればいつでも駆けつける所存です。ですから休暇だからといってご遠慮なさらずに、いつでもご用命下さい」
 と返しながらも、もちろん、そんな急用がなければいいとは思っている。建前と本音くらいはあるものだ。ただし、何かあったら駆けつけるつもりでいるのも嘘ではない。
「ははは、今日忙しいのは夜会の準備担当者だろうな。きみは登用されてから休んでない、今日はゆっくりするといい」
「オレルス様も――」
 今日くらいお休みすれば、と返しかけた。だが、今日は夜会がある以上、無理だろう。だから、
「――近いうちに休暇を取ったらいかがですか。お忙しいのも判りますが、そろそろ一日くらいお休みしても天罰バチは当たらないかと」
「……そうだな……」
 同意するような言葉と違い、表情は渋っている。
 何となくだが、オレルスが休めない理由には、前長ヴィズルの呪縛があるのではなかろうか、とファリーツェは思っていた。
 もともとオレルスが幼い頃のエトリアは疲弊し、寂れていた。当時は世界の大多数を巻き込んだ大戦直後だったから、どこも疲弊していただろうが、それでも復興の速度は大きく違う。エトリアはあまりにも復興が遅かった。ふらりと現れたヴィズルが復興に尽力したおかげで、なんとかある程度の生活を取り戻せたと聞く。
 功績を称えられて長となり、さらに発見された世界樹の迷宮を利用してエトリアを大きく発展させたヴィズルを、オレルスは尊敬していた。時にその性急な方策に異論を抱くことはあったが、ヴィズルに付いていけばすべてが良くなる、と思っていたのも確かだろう。
 だが、ヴィズルは樹海の最奥に林立する太古の遺跡を見たいがために、直属の冒険者レンとツスクルを護衛にして迷宮に旅立ち、しかし冒険者の忠告を振り切って奥へと向かい、行方不明になった――というのは表向きの理由であり、実際には、過去の亡霊として一般冒険者に倒された。オレルスはようやく、直には何一つ明かされなかった真実を知ることとなったのだ。
 生まれ故郷の救世主としての崇拝、そして、上司としての尊敬、けれど、『余所者』であるレンやツスクルには明かされた真実が、自分には何も説明されていなかった、という、無念と屈辱。
 オレルスの精力的な活動の裏には、崇拝・尊敬する前任者に続くという希望と、自分に無念と屈辱を味わわせた前任者を追い抜いて見返す、という、無意識の憎悪とが、渦巻いている。
 ――なーんて、な。
 脳内で壮大に広げた勝手な分析を、いそいそと畳みながら、ファリーツェは現実に心を引き戻した。
 今の分析は勝手に行ったものだが、原因不明の病気かもしれないのに休まず政務を続ける無謀さを説明するには、心の奥に強力な感情を秘めているから、というのは間違っていないはずだ。ヴィズルへの(いい意味での)思いや、エトリア発展と維持に掛ける情熱、どちらをとっても、オレルスに強烈な推進力を与えうる。が、それは同時に早い疲弊をも、もたらすのだ。
 そんなオレルスを止められるのは、彼と同等以上の強い感情を持っている、とオレルス自身が認めた者だろう。そんな者がいるのか。少なくともファリーツェでは役者不足だ。
 いっそ、ここで一度倒れた方が、オレルス様のためになるんじゃないのか――。
 そんな、ある意味非常識な思考を浮かべた、その時である。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-8

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