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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・7

 ――改めて考えた。
 ニンゲンの中でも不届きな輩が、樹海に大きな破壊を及ぼしてでも、奥へ進入しようとしていることは知っている。今はまだ数が少ないが、そういった無礼な輩がいつ人間の大多数となるか、わかったものではない。
 そのような輩を、我が得た力で一掃するのは容易いだろう。不届き者の野望は決して叶わない。
 だが、思うのだ。力で一掃は容易い。が、安易にその道を選んで良いものか。
 貴君らニンゲン達がどのような行動を取ったとしても、容易く叩き潰せるだけの力。そのような力を得て、我らには考える余裕ができたのだ。――

 ごくりと喉を鳴らす。
 巫女は、力で人間を圧倒することを否定した。考える余裕ができた、と告げた。
 先に続く文字を貪るように、ファリーツェは手紙の続きに目を通した。

 ――ニンゲンは知恵ある生き物を自称していると聞く。少なくとも、我らと同程度の智慧があると自負していることだろう。
 ならば、野蛮な輩が一部に現れることはやむなしとしても、それを御する者もあるはずだ。
 そのような者相手ならば、『取引』に応じる価値はあるだろう、そう判断した。
 モリビトすべての総意ではない。我が提案に賛同した者、反対はしたが決定には従うとした者、どうしても従えないゆえに樹海の奥へ去った者……我らにも様々な考えの者がいる。それでも我が、モリビトの統率者として最終決定を下したのは、貴君が、かつて我に示した道を、半ばとはいえ、歩み続けているからだ。
 かつての侵略者よ、我らに手を取り合う道を示した者よ。我は貴君に問う。
 未だ細い道を歩み続ける覚悟はあるか。その道を、貴君を信じようとする我らに示し、踏み外さぬように案内する覚悟はあるか。踏み外した時は、樹海の神の報復のあぎとが、貴君を待ち受けることだろう。
 名も知らぬ聖騎士、天秤の担い手であろうとする者よ、我は貴君の返答を待つ――

 ぽたり、と手紙の上に水滴が落ちた。涙ではなく、汗だった。未知へと踏み込もうとする者の緊張が成せる汗だった。
 あの乾いた森で、未知なる者と心通じ合わせようとして、必死に伸ばした手、それが、今になって、ようやく相手の指と絡んだのだ。それだけなら感動の涙でも流せば済んだだろうが、話はここでは終わらない。がっしりと手を組み合うには、習慣も思考も違う相手との交渉という、細く長い道に踏み込まなくてはならないのだ。
 もちろん、『あの時』は、その覚悟をしていた。しかし、結局は叶わなかったことで、覚悟もどこかへとしまい込んでいて、情熱も冷めていた。相手の提案を疎んじているわけではない、ただ、諦めていた事象が突然に現実味を帯びたので、心の納屋の奥深くにしまい込んだ感情を引っ張り出すのに苦労しているのである。
 それにしても、あれほどに人間を拒み、樹海の奥底でひっそりと暮らすことを選んでいたモリビト……彼ら(の多く)に、人間との接触を決意させたものは、何なのだろうか。
 まずは、『余裕』のひとつに尽きるだろう。もし選択が失敗だったとしても、『樹海の神』の力という、すべてを挽回し、元の状態に戻す手段がある。今や彼らには、(実行するか否かは別として)エトリアの人間をすべて滅して、地上に自分達の国を作る力さえあるはずなのだ。
 今ひとつ、巫女は言ってくれた。最後の決め手は、ファリーツェ自身が、かつてモリビト達の前で明言したことを、続けているからだ、と。
 ――俺達は、全員でなくても誰かが、樹海の謎を解いて得た富と名誉を駆使して、統治機関に手を伸ばし、その内部から、あなた達との交流を推進していくつもりだ。
 ある意味皮肉だな、と思う。あの時は、モリビトを殲滅しろと叫ぶ前長ヴィズルを牽制し、場合によっては穏健派のオレルスを擁立し、モリビトとの交流を確立するために、執政院に入ろう、と思っていたのだ。翻って、今、ファリーツェが執政院に属している理由は、樹海を閉ざして人間との接触を断ったモリビト達の安寧を護るためだ。だというのに、先方がその理由を取り違え、評価し、接触してくるとは……。
 ようやく、涙がこぼれた。心の奥底にしまい込んでいた当時の情熱が、やっと引き出されてきたのだ。
 こちらからの答はひとつ。それが、モリビトの巫女の望んでいるはずの答であり、かつてと今の自分が望む道なのだから。
 けれど、早計はよくない。互いに未知なるものが急激にぶつかれば、反発も大きく、希望が根本から崩される危険も大きい。それに――と、ファリーツェはオレルスのことを頭に浮かべた。樹海を失い、急激に変わりつつあるエトリア。新しい長は、町の変貌に住民達が振り落とされないよう、必死に舵を取っている。樹海の状況を注視する周辺諸国のことも気になるようだった。微熱を患っているのも、そういった諸々に関わったための疲労ゆえだろう。その上にさらに異種族との交流という重責を乗せたら、倒れてもおかしくはない。
 だったら。
 巫女の申し出を拒まず、かつ、緩やかな交流を始める方法を、思いつく。巫女が納得してくれるかどうかは判らないが、心を尽くしてこちらの状況を説明すれば、悪くは取らないだろう。
「今、返事を書くから、待っててな」
 椅子に座り、机に向き合う。一度空中に待避したカーマインビークは、背もたれに着地した後、ファリーツェの左肩に居を移し、くう、と鳴きながら興味深げに手元を覗き込んできた。彼(?)には文字が読めないとは思うが、それでも、改めて、下手なことは書けないと心する。
 引き出しの中には報告用の羊皮紙があるが、一応は執政院の備品なので、こちらを使うわけにはいかない。重ねて下に積んである私物の漉紙を一枚取り出した。羽根ペンを手にし、さて、どう書き出そうか、と悩む。うっかりすると報告書然になりそうだ。かといって、いきなり『親愛なる』で始めてしまっていいものだろうか。
 案ずるより産むが安し、という言葉はあるが、焦るあまりに母胎自体を損なっては意味がない。ふさわしい、と納得できるだけのものを書き上げるまでは、夜更けまでかかりそうだった。

 おおよそ一月が、瞬く間に過ぎていく。
 エトリアからの冒険者の流出は続き、冒険者によって引き起こされる治安の悪化が正常化した代わりに、軽犯罪が若干増えた。傍若無人に振る舞う冒険者もいれば、それを掣肘し、一般的な犯罪者にとっても抑止力になっていた冒険者もいたのは確かだったのだ。これまで以上に警邏隊の腕が試されるところだろう。
 樹海踏破に湧いていた雰囲気も、治まってきた。
 理由の一つには、踏破者『ウルスラグナ』がエトリアを離れていることもあるだろう。彼らは情報室長(つまりオレルスの後任である)と共に、南方にある街『ムツーラ』へ旅立ったのだ。旅、といっても、馬車で一日程度。先方での『自治都市群代表者会議』に出席する時間が数日だとしても、戻るまでにはさほどかからないだろう。『英雄』を追い回していた者達は、もともと一月前よりは治まりつつあったのだが、対象者が不在のためにすっかり鳴りを潜め、街はずいぶんと静かになった。
 踏破者とはいえ一冒険者を会議に出席させる意味があるのか、とファリーツェは訝しんでいたのだが、ひょっとしたら、彼らを一度エトリアから引きはがすことで、過熱した雰囲気を収める意図があったのかもしれない。もちろん、樹海の顛末を語るのに当事者以上の適任者はいない、ということもあろうが。
 どれだけ騒いでも、もう、富と名誉をもたらしてくれる樹海はないのだ。
 ……今の、ところは。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-7

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