←テキストページに戻る
ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・5

 古い意匠の奥部と近代的な増築部を隔てる扉を抜け、二人の戦士は騒動の起きている場所へと急ぐ。
 走りながらシャイランから事情を聞き出したかったのだが、彼女も、兵士達が魔物だ魔物だと騒いでいるのを聞きつけ、真っ先にファリーツェのところに駆け込んできたため、詳しいことは知らないらしい。ただ、現場は食堂だという。今の時間なら、料理長が本日の片づけをしているはずだ。彼は戦う力など持たない。無事だろうか。無事でさえいれば、駆けつけた誰かが適切な処置をしてくれているはずだが。
 最悪の事態も覚悟しつつ、食堂の前にたどり着いた。
 そして――安心したのも確かだが、正直に言えば拍子抜けした。料理長は早鐘鳴りやまぬ様相で座り込んでいるが、傷一つ負った様子はない。集まった兵士や騎士は、困惑を隠そうともせずに、食堂の入り口から中を覗き込んでいる。二人が駆けつけても、救援がやってきたと喜ぶ歓声は上がらず、どちらかといえば、難題を押しつけるのにちょうどいい相手が現れた、という安堵の表情が並んだ。
「何があったんですか」
 ファリーツェの問いかけに、料理長は、その鼓動に合わせたような早口で答えた。なんでも、本日の片付けの途中、ゴミをまとめて外に出すために裏口の扉を開けたところ、そこから魔物が飛び込んできたのだという。幸いだったのは、魔物はただ飛び込んできただけで、襲ってくる様子がなかったことだったらしい。
「どういうこと?」
 と疑問を呈するシャイランと共に、食堂を覗き込んだ。その後ろから兵士達も室内を覗き込む。
 広さは、二十人ほどが共に食事を取れる程度。大抵の兵士や衛士は、寮にある食堂を使用するので、執政院側を使うのは、文官がほとんど。彼らも自分の執務室に食事を持ち込むことが多いため、それほど広い食堂は必要ないのである。樹海発見後に拡張された施設の一つだが、天井から一メートルほど下がった位置にある剥き出しの木製の梁と、そこからぶら下がる加工肉類や凍み芋の類が、新築部分の気取った印象を激減させている。
 その天井を、悠々と飛び回るものがいた。
 血を浴びたように赤い羽毛を備えた、鷹ぐらいの大きさの鳥であった。頭の飾り羽根が特徴的なその鳥の名を、人間が付けた名前では、『カーマインビーク』という。棲息地は第四階層『枯レ森』である。
 当時の死闘を心と身体が思い出し、戦闘に備えて血が沸き立ち始めるのを感じる。
 だが変だ。かの鳥は並の人間が及ばぬほどに強い。それが、わざわざ入ってきて、人間でも食らいたいのか、と思えばそうでもなく、ただ天井を飛び回る。どうも腑に落ちなくて、鳥の軌跡を目で追うばかりのファリーツェだったが、やがて、ある点に気が付いた。
 鳥の足には、何かが結びつけてある。
 冒険の最中で多少は動体視力も鍛えられたが、それでも、何かはわからない。とはいえ、『そういうもの』が大体何なのかという想像は付く。ただ――『現状』を鑑みれば、ありえない。
 とにかく、このままでは埒があかない。困り果てていた時だった。
 鳥の動きに変化があった。飛び回りながらも次第に高度を下げ、ついに梁の上に降り立ったのである。ついでに近場にあったハムの塊に嘴を伸ばし、むっしりとついばみ取って、さもうまそうに嚥下した。
「魔物めっ、秘蔵のベジョータをっ!」
 兵士達に混ざって部屋を覗き込んでいた料理長が、悲痛な叫びを上げた。
 ベジョータとは、確か、オークのドングリだけを食べさせて育てた黒豚から作ったハムのことだったか。しかも飼育法を真似した代用品ではなく、正真正銘原産地から数年越しで仕入れた高級品と聞いている。秘蔵品なら厨房の奥にでも吊しておけばいいのに、と常々思っていたのだが、今はそれどころではない。
 ファリーツェは食堂に一歩踏み込んだ。携えた剣は鞘から抜かないままに。後からシャイランと兵士達が、こちらは武器を抜き、構えながら、そろそろと付いてきた。
 カーマインビークの黄玉に似た瞳が、興味深そうに、人間達の行動を見下ろしている。
「……みんな、武器を収めてくれ」
 聖騎士の言葉に、場にいた者達は首を傾げながらも、恐る恐る従った。
 納剣の音が矢継ぎ早に生じ、食堂を満たしていた凶暴な銀色の光が、すっかりと消え失せる。
 ファリーツェは静かに進み出て、梁の上から見下ろす赤い鳥の下に近付いた。
 刺激しないように、ゆっくりと、右腕を伸ばす。
 鳥は状況の変化を理解したようであった。やがて、梁から飛び立ち、ちょうど差し上げたファリーツェの腕の高さすれすれを、何度も何度も周回する。その円運動の直径が、次第に目に見えて縮んでいくのを、人間達は悟った。
 ついには、聖騎士の直上で、ばさばさと浮遊し――鋭い爪を備えた足指を、差し伸べられた腕に掛けた。
 痛くないとは言わない。だが、鳥は鳥なりに、なるべく人間の腕に爪を食い込ませないよう、努力しているようであった。
「――なんだ、やっぱりそうだ」
 ファリーツェは皆に聴かせるつもりで声を張り上げた。
「枯レ森の魔鳥に似てるけど違う。俺の知り合いの伝書鳩だよ。鳩じゃないけど」
 なあんだ、という、安堵の声と、まじで、という疑念の声が、その場にいた者達の間から漏れ出た。
「似てるからしょうがないかもしれないけど、みんなが剣振り回して追い回すから、怯えてるよ、こいつ」
 部屋に連れて行くから、と言い置いて、ファリーツェは腕に魔鳥を止まらせたまま、食堂を後にした。背後はまだざわざわとしているが、引き止めてくる者はいなかった。正直、実際に戦ったり話に聞いたりした凶暴な魔物と、聖騎士の腕の上でおとなしくしている鳥とが、かっちりとは結びつかないのだろう。
 食堂から充分離れたところで、ふと立ち止まり、魔鳥の止まる腕を己の目の前にかざす。自然、魔鳥と正面切って目を合わすことになった。じっと見つめてくる魔鳥の瞳の中に映りこむ、いささか強ばった自分の鏡像を意識しながら、聖騎士はつぶやいた。
「一体、何のつもりなんだ?」
 カーマインビークは、くぅ、と返事のように啼いたが、もちろんファリーツェにはその意味はわからない。そもそも疑問をぶつけたいのは、魔鳥本人(?)にではなく、彼(?)を遣わした何者かにだ。
 まあ、いい。全ては、魔鳥の足に括りつけられている『何か』を手にすれば、明らかになるだろう。
 自室に戻ると、ファリーツェは軽く腕を振って魔鳥の飛翔を促す。カーマインビークは飛び立つと、ぱさぱさと室内を周回した後、最終的に椅子の背もたれの上に落ち着いた。どうやらそこが、魔鳥にとっては一番止まりやすいらしい。
 戸棚をあさって間食用の干し肉を取り出すと、口に入れて噛みほぐしてから吐き出し、鳥に投げた。
「そら、食べるか?」
 柔らかくなった干し肉を、カーマインビークは見事に確保。あぐあぐとくちばしで何度も挟み直し、ごっくんと呑み込んだ。
 くけけ、と静かに啼いたのは、あるいは礼のつもりなのだろうか。
 彼(?)の止まる椅子に近付くと、ちょこちょこと背もたれ伝いに近付き、『何か』が括りつけられている足を伸ばしてくる。ファリーツェが左腕を差し出すと、魔鳥はそこに伸ばした足を置いて、体勢を安定させる。その状態で、ファリーツェは右手のみで『何か』を解きにかかった。あるいはそういう行動をするのは見越されていたのか、『何か』は簡単に外れた。
 果たして何が書かれているのか……少しばかりの緊張を感じながら、聖騎士はそれ――若干荒く、白茶けた羊皮紙を、静かに開いた。
 いささかぎこちない文字で書かれたそれは、明らかに、ファリーツェに宛てられた手紙であった。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-5

NEXT→

←テキストページに戻る