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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・3

 エトリア執政院付正聖騎士。若長オレルスの直属の部下。
 その大々的な称号に反して、ファリーツェの日常は、つまりは『雑用』であった。
 世界樹の迷宮に関する膨大な資料を整理したり、街に出て不逞な輩がいないかと見回ったり、かつて迷宮であった森に異変がないかを調査する。その他、できそうなことはなんでもやらされた、と言っても過言ではない。エトリア執政院は人手不足なのだ。
 そういえば、ある意味でレンやツスクルに似た立場になったわけなのかな、と、忙しい中、ファリーツェは思考を巡らせた。前長ヴィズル直属だった二人の冒険者、レンとツスクルは、樹海が閉ざされた後にふっつりと姿を消した。人知れずエトリアを見守り続けているのか、どこかに旅立ったのか、それを知る術はない。いずれにしても彼女達がエトリアの執政に関わってくることはないだろう。多忙を緩和する方策を先人に学びたくても、できない相談であった。
 執政院付き聖騎士となって、一月。冒険者だったときより遙かに多忙な毎日だったが、執政院は鬼ではないから、それなりに休息の時間は与えられる。そんな休憩時間のある時、たまには外で夕食を、と街に出たファリーツェは、出先の酒場で、はとこの少女と顔を合わせた。
「パラス」
「あ」
 最後にまともに顔を合わせたのは、執政院付聖騎士になる直前だっただろうか。オレルスの内定はもらったが、正式な辞令はまだなく、何か事情が変わって採用が取り消されたりしないか――そう、どぎまぎしていた頃だ。
 少女――ナギ・クード・パラサテナが属する、ギルド『ウルスラグナ』が、樹海の隠された階層をも制覇したのは、金羊ノ月が終わろうとする頃のことだった。長い間エトリアと共にあった謎がついに解明された、その興奮が街中を駆けめぐり、『ウルスラグナ』は『英雄』と祭り上げられ、街を歩けば誰かが話しかけてくるような状態だった。自由時間すらほとんどなかっただろう。やれ富豪の招待、やれ吟遊詩人の取材、やれ何とやら、と、連日のように引きずり回されていたのだ。その合間を縫って、ファリーツェと、パラスと、もう一人の親族である『エリクシール』のカースメーカーとで、ひっそりと今後の話をしたのだった。『エリクシール』のカースメーカーが、里に帰ると言いだしたからである。
 『ウルスラグナ』は、ちょうどその頃に噂が流れてきていたハイ・ラガードの迷宮に行きたがっていた。迷宮を踏破した者として、別の『世界樹の迷宮らしきもの』に興味を持ったのだろう。しかし、釘付けされている以上、他の冒険者達が新たな世界樹へと旅立つのを、指をくわえて見送るしかないようだった。
 それから一月と少し、火鳥ノ月になって、やっと身動きが取れるようになってきたようだ。
 とはいえ、未だに方々からの誘いがあり、旅立つまでには至らないらしい。それでも、約一月後の戌神ノ月の中頃、『自治都市群』の各都市の代表が集まる会議の時に、樹海探索の顛末を説明するのを最後とすることを、オレルスに約束させたそうである。その後に支度をして、とうとうハイ・ラガードに旅立つのだろう。
「久しぶりだね、ファリーツェ。やっぱり、執政院付の聖騎士様になっちゃったんだぁ」
 鎧の肩板エイレットに彫り込まれたエトリアの紋章に視線を向けつつ、もったいない、と言いたげな口調で、はとこの少女はぼやいた。親族三人で集まったときにも、ファリーツェがカースメーカーに戻らないことを残念がっていた。もっとも、ファリーツェ自身が決めたことを無理矢理御破算にする気はないだろうが。
 食後のデザートである、酒場の女主人特製のアップルパイを前に、雑談に花が咲く。
「このアップルパイも、もうすぐ食べ収めなのかなぁ」
「そんなことないだろ」
 迷宮産の姫リンゴのフィリングを使ったアップルパイを口にしてぼやくパラスを、ファリーツェはたしなめた。
「姫リンゴがなくなっても、普通のリンゴを使えばいいんだから」
「そうなんだけどね、私が言ってるのは、この『姫リンゴのアップルパイ』のこと」
 好きだったんだけどなぁ、と、パラスは残念そうに息を吐く。
 『ウルスラグナ』が樹海の最深部を制覇したと同時に、世界樹の迷宮は閉ざされた。開かれたままなのは、第一階層地下一階のみに過ぎない。採れる素材は質の点では申し分なかったが、なにより種類は大幅に減じられ、採れるものも量が足りなかった。だからといって無節操に採るわけにもいかない。
 現在、森での素材調達は執政院に管理されており、許可のない者の採集、規定量以上の持ち出しは禁じられている。ファリーツェは執政院の正聖騎士として密猟者を捕らえることもあるが、どこからか炸薬を調達してきて、下層へと続く虚穴を自分達で造り出そうとしていた密猟者までいるのだ。呆れると同時に、人間の底なしの欲望を改めて突き付けられた気分だった。その欲望がなければ、樹海探索など賑わわなかっただろうし、それに――。
「あー、アナタたちの『計画』がうまくいってたら、もっとバラ色の未来になってたかもしれないのになあ」
 そうパラスがつぶやくのに、ファリーツェは現実に引き戻された。着眼点こそ違うが、本質としては、ファリーツェが考えていたことと驚くほど似ていた。
 ――人間の欲望がなければ、良きにつけ、悪しきにつけ、何も変わらなかった。
「もう過ぎたことだよ」
 ファリーツェは嗜めるように親族の少女の言葉に応えた。
「それに、本当に未来がバラ色になってたかなんて、誰にもわからない」
「……ごめんね、ファリーツェ」
 唐突な謝罪。少年騎士は虚を突かれて面食らう。
「ごめんねって、何が?」
「……『モリビト』を虐殺したって、ずっと誤解してたこと」
「……」
 返答を言葉にできないまま、樹海がまだ開かれていた頃、エトリアの狂騒の時代を思い起こす。
 パラスが所属している『ウルスラグナ』と、ファリーツェが所属していたギルド『エリクシール』は、ほぼ同時期にエトリアに現れ、宿命に定められたライバルであるかのように、樹海の最深部への到達を競い始めた。とはいっても、ファリーツェ自身がギルドに加わったのは第一階層中途、パラスに至っては、第四階層の存在が公式に見いだされた頃に、ようやくエトリアにやってきたのだが。
 ともあれ、ギルド同士はライバル心を持ちながらも決して敵愾心は持たず、むしろ仲がよかった。『ウルスラグナ』のパラディン及びダークハンターとバードが、『エリクシール』のソードマンと同じ民族、幼馴染みであったことが、きっかけではあるだろう。だが、ギルドぐるみで関係が長く続いたのは、要するに気が合ったからだ。
 第一階層の障害であったスノードリフト、及び、第二階層の障害であったケルヌンノスに対しては、互いの最強メンバーを選抜して、合同で切り抜けたものだった。
 第三階層を前にして、二つのギルドは、ここからは競争だ、と決めた。仲違いしたわけではない、互いを乗り越えるべき強者と見なしたからである。
 しかし、『ウルスラグナ』が先走った結果、施薬院送りになったため、その先しばらくは、『エリクシール』の独壇場といってもよい状況だった。
 その頃に『エリクシール』が知ったことがあった。樹海には『モリビト』という先住民が住んでいるということ。『エリクシール』は平和裏の交渉を望んで、何度も接触しようと試みた。しかし、呼びかけは敵意をもって返され、何度も拒絶された。その間にモリビトの存在とその主張を知った(真実は微妙に違うが、それはまた別の話だ)長が、モリビト達の殲滅を命じたのだ。
 拒否することは簡単だった。だが、自分達が拒否すれば、何も知らない者達が、本当に何も知らないまま、モリビト達を殺して回る可能性がある。だからファリーツェは一も二もなくミッションを引き受け、その裏でモリビト達との交渉を成立させようと、ギルドの仲間達と共に知恵を絞り、そして、どうにか交渉成立にこぎ着けるところだった。
 けれど――結局、人間側の正体不明の横槍によって、交渉は破綻、その上、血の臭いを嗅ぎ取ったためなのか、モリビトの守護神鳥が狂乱を起こし、モリビト達はそれに巻き込まれる形で、ほとんどが生命を落とすこととなった。
 こうして、『エリクシール』の手によるモリビト『殲滅』は果たされた。
 真実を知らぬ、『ウルスラグナ』も含めた冒険者達は、『エリクシール』の所業に驚嘆し、多くは嫌悪を抱いた。少数で一種族を壊滅に追いやった力にだけではない。第四階層を訪れた時に目の当たりにした、それまでの『エリクシール』からは想像も付かない、情け容赦なき『殲滅』の跡にも。
 『エリクシール』は、一切の言い訳を行わなかった。
 真実が知られたのは、『ウルスラグナ』が第五階層を踏破し、実は執政院の長ヴィズルであった『世界樹の王』を倒した後のこと。『エリクシール』当人達や死した長を除けば、実は唯一(と思われる)、真実を知っていた、シリカ商店の者達が、うっかり口を滑らせてしまったことによる。
 パラスの謝罪は、この件に起因するものであった。
 ファリーツェは、ようやく、ふるふると首を振ると、溜息を吐くかのような声で答えた。
「……いいんだ。俺達も、それを否定しなかったんだから。モリビト達には、どんな形であれ、酷いことになってしまったことには違いない」
「でも……!」
「だから」
 パラスがさらに言い募ろうとするところに、ファリーツェは静かに制するように声を上げた。
「俺は執政院に入ったんだ――」
 最初に執政院に入ることを考えたのは、モリビト達との交渉の最中だった。
 モリビトとの交易による交流を試みた時、エトリア執政に加わり、彼らの殲滅を唱える長ヴィズルを牽制し、最悪の場合には情報室長であった穏健派のオレルスを立てよう、と考えついた。そのために自分達がエトリアの要人となる近道である樹海探索の許可を、モリビト達に打診した。それは一度は成功したかに見えたが、結局わやになり、執政院に入る近道も、理由も、失われかけた。
 今、執政院に属している理由は、その時とは違うもの。
 けれどそれは、モリビトの危機を招いてしまった自分がするべきことでもある、と思っていた。
 ――人間との交流を望まない彼らの、その安寧が失われないように。

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-3

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