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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・2

 辺境の都市国家エトリアに現れ、おおよそ四半世紀の間、人々を狂騒の渦に陥れた、地下樹海迷宮『世界樹の迷宮』にまつわるあれこれは、最終的に樹海の最奥へと辿り着くことになった冒険者ギルドが、おおよそ一年を掛けてその偉業を達成することで、収束に向かった。
 もはやエトリア樹海は閉ざされ、人間が立ち入ることは不可能になった。地下一階と呼ばれた場所には辛うじて立ち入れるが、その下へと続く虚穴は、どこを捜しても見つからなかった。
 珍しい素材と冒険者の到来、いずれも樹海に依存した二大『産業』を発展の礎としてきたエトリアは、いずれまた、小都市に戻るだろう。何らかの手段を講じない限りは。ただ、それも、新たに発見された北方の迷宮に向かう冒険者達には関係ないことだ。エトリアの行く末を気にする者もいるかもしれないが、それ以上のことはできない。
 だが、エトリアに残る者には、何かを行う義務と『権利』がある。
 世界樹の迷宮に挑んだ冒険者の一人、樹海を踏破したギルド『ウルスラグナ』と最後まで張り合ったギルド『エリクシール』に所属していたパラディンは、何かをしたいと望み、所属ギルドが解散した後もエトリアに残った者であった。

「……ラーダに仕えたい、と?」
 かつての執政院情報室長、現在は亡き前長ヴィズルの志を継いで長となったオレルスは、目前に跪く少年騎士の姿に瞠目した。
 ギルド『エリクシール』のパラディン。
 樹海踏破こそ果たせなかったが、世界樹の迷宮探索史の中で、初めて第五階層・前時代の遺跡にまで到達し、生きて戻ってきた冒険者ギルド。その後、さらに深く続いた迷宮の探索でも活躍した者達。――少なくともエトリア公式史ではそう記されることになるだろう冒険者の、ひとりである。
「確かに、君ほどの実力の持ち主がエトリアのために働いてくれるなら、これほど心強いことも、そうそうない」
 実際、かつて、冗談交じりにではあったけれど、オレルスは彼に執政院に入ることを誘ったこともある。
 だが、と、心底心配そうな表情を浮かべ、オレルスは続けた。
「君たち『エリクシール』は、それぞれが故郷に帰る準備を進めているそうだね――故郷『には』戻らない者もいるかもしれないが、それはともかくだ。君は『王国』の聖騎士、いや、実際は従騎士だったそうだが――」
 少年騎士の名を、ファリーツェ・ナギ・メルダイスという。『王国』の従騎士――かの国の序列で言えば聖騎士の下である重装歩兵だが、その中でもいずれかの聖騎士に直接仕え、聖騎士となりえる教育も受けた者――である。
 仕える正聖騎士に付いて、エトリア探索にやってきたのだが、その正聖騎士は探索序盤で早くも亡き者となっている。ファリーツェ自身はその死亡確認をギルド『エリクシール』に依頼し、遂行してもらった後、「不足していた聖騎士が欲しかったのは確かだが、流れ的にはなんとなく」(『エリクシール』一同・談)ということで同ギルドに所属を移すことになった。仕えていた聖騎士が、自分に何かあったとき(まさか死ぬとは思っていなかっただろうが)の代理になりうるように、聖騎士としての訓練をエトリアでも続けさせていたことと、それを見ていた『エリクシール』一同がすっかり勘違いしていたため、実は彼が従騎士であることは、ずいぶんと時が過ぎるまで明らかになることはなかったのである。
 ともかくもオレルスは、さらに話を繋げた。
「迷宮探索で見せた実力があれば、正聖騎士に昇格することもできるだろう。ならば『王国』に戻るべきなのではないか」
 『王国』有数の商家に、メルダイス家という一族がある。ファリーツェはその一族の現当主の息子として生まれた。ただし、『王国』の法律的には、いわゆる『妾腹』の立場である。それでもメルダイス家はファリーツェを一族と認知し、彼が騎士団に入団する後ろ盾となった。
 正聖騎士となるには実力が必要だが、家柄も評定の要点となる。残念ながら、人類はそういった不条理を完全脱却するには至っていないのだ。ただ、ファリーツェの場合は、どちらも十分にある。
 しかし、ファリーツェからの答は、オレルスが予想だにしなかったものだった。
「『王国』には、退団届を受理されました」
 オレルスは眉根をしかめた。少年騎士の行動も無論だが、それに対する『王国』の返答の不審さにである。
 最終的に樹海の謎を先取りされたとはいえ、栄光を掴んだギルド『ウルスラグナ』に比肩する実力の持ち主だ。当人の希望を聞き入れたということだろうが、有能な人材を簡単に手放すとは、何を考えているのか。まして、有数の名家に繋がる者をそのように扱っては、いろいろと問題が噴出しないか。
 一瞬、『間諜スパイ』という言葉が脳裏をかすめた、と、後にオレルスは笑い話として少年騎士に語ったものだ。ファリーツェは『王国』との繋がりを切ったように見せかけて、その実、故国の利益のためにエトリアの中枢に潜り込もうとしている――そんな懸念を抱くのは、権力者なら当然のことだっただろう。
 だが、結局オレルスは思い直した。今のエトリアにはもう何もない。樹海は閉ざされ、数十年前の寂れた街に戻りゆくだけだ。存在することで周辺国家を牽制していた冒険者達も、次々と立ち去っていく。他国が間諜を差し向ける意義は、もう何もないのだ。念のため、彼の言動に注意を払う必要はあるかもしれないが、真に間諜だったとしても、得られるものはさしてないだろう。
 ゆえに若長は、わずかばかりの自嘲を込めた愉快そうな笑いをあげた。
「『王国』ももったいないことをするものだ。これほどの実力者になら正騎士位を与えてもよかろうものを。まあ、いらないというなら、ありがたくエトリアがもらうとするか。樹海も失われた今、有用なものは猫でも杓子でも欲しい」
 しかし、と不審を露わにして、オレルスはさらに問うた。間諜の疑いを捨てたとしても、腑に落ちないことには変わらない。
「君は妾腹の身といえど、メルダイス家の血縁。よくも簡単に退団届を受理されたものだ」
「あー……それは……」
 途端に、ファリーツェは騎士然とした態度を崩し、目を泳がせた。都合の悪い事実を突き付けられた一介の少年そのものであった。あまり訊かれたくない深い事情があるのだろうか、とオレルスは思ったのだが、予想に反して、ファリーツェの答が返るまでに長く待つことはなかった。
「実は、実家にも事情をしたためた手紙を出したんですが……見事に勘当されました。『王国騎士になる気がないなら、もはやメルダイス家が後ろ盾になる必要もなかろう』と」
「……そうか」
 答えながらオレルスは得心した。つまり目の前の少年は、『『王国』聖騎士になれなかったこと』を名目として、後継者争いからはじき出されたのである。おそらく、かの商家には、『王国』中枢部と強固な関係を築くための手駒こどもなどたくさんいるのだ。妾腹ひとり放り出したところで痛くも痒くもない。
 得心と同時に、目の前の少年が『王国』の間諜である可能性を捨てた。間諜活動に大商人の後ろ盾は極めて有効だ。『生家である』という、疑いを持たれずに堂々と持っていられる繋がりを、わざわざ外す理由はなかろう。
 ファリーツェ個人には『王国』とのしがらみはなくなった。ただの『生まれ故郷』であるだけだ。その方が、後々のエトリアにとっては都合がいいのかもしれない。そもそも、少年騎士の実力にはそれ単体で価値がある。
「では、これから君をどう呼べばいい? ただのファリーツェでいいのか?」
「それでも構いませんが、そうですね……」
 少年騎士は少しだけ考え込み、やがて決心が付いたように小さく頷いた。
「では、母方の名で――ナギ・クード・ファリーツェと」
 その名を訊いて、オレルスは、目の前の少年騎士が持つ、もうひとつの繋がりを思い出した。

「――ひとつ、補足しておくわね」
 と、少年騎士の母方の血族である呪術師の女は、『ウルスラグナ』に説明を始めた。
「あたし達『ナギの一族ナギ・クース』は、昔に『王国』が起こした侵略戦争の時に、里を焼かれ、みなごろしにされた。生き残ったのは、アタシと、アタシの従姉で今の里長と、その妹でファリーツェちゃんの母親になった子、三人だけだったわ」
 細かいことは関係ないから省くけど、と、ドゥアトは続けた。
「『王国』の王が急死したから、王子が跡を継いで戦争をやめたんだけど、あたし達もその時にいろいろ力を貸したからね、なくなった里の代わりに新しい土地をもらったの。でも三人しか残ってないからね、あたし達は、忌まわしい力のために疎まれた者を集めて里の再建を図ったほかに、あたし達自身も、子供を作るために子種をもらってきたわけ」
「子種……だけ?」
 あっけにとられて問い返す『ウルスラグナ』に、ドゥアトはどことなくおかしそうに答えた。
「父親がいなくても子供は育てられるものねぇ。『この人こそは』って人を捜して、一晩限り、それ以降は絶対に迷惑掛けないから、って拝み倒して、子種をもらってきたのよ。まあ、あたしは、ちゃんと子供ができるまでに時間がかかって、何人かと相手したけど、おかげで三人全員、子供に恵まれてねぇ」
「おかげで、私のお父さんが誰だかも判らないよ」
 パラスが不満げに漏らしたが、その実、観念はしているのだろう。
「つまりよ、母ちゃん、ファリーツェの母ちゃんが相手にしたのが、メルダイスって商売人の家の当主だったのか」
「まあ、当時はまだ継いでなくて、放蕩ドラ息子だったっぽいけどね」
 エルナクハの問いに、ドゥアトは苦笑いに見える表情を見せた。
「まあそれでね、あたし達は子供を、自分達の後継者にするために育ててきたの。でも、ちょっと、ファリーツェちゃんをこのままカースメーカーとして育てていいのかなぁって考えることが起きちゃってね。その場面にたまたま居合わせたのが、当主になったアイツだったわけ。あたし達はアイツの提案に乗って、ファリーツェちゃんを父方に預けて、パラディンとして育ててもらうことにしたのよ」
「それで、か……」
 『エリクシール』の聖騎士がもともとカースメーカーの里の出だと知ってから、彼がどういう経緯でパラディンになったのか、ということが『ウルスラグナ』一同(もちろんパラスは除いて)の疑問ではあった。深い事情に踏み込むことになりそうで、終ぞ、本人の口から聞くことのなかったのだが、その答を、今、知ることになったのである。
 己の説明が聞いた者達の腑に落ちたらしいことを察すると、ドゥアトは、先程浮かべたものとは別種の笑みを――寂しげに見えるそれを浮かべ、先を促した。
「さて、話を続けましょうか」

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-2

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