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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


外伝――地獄とは彼の不在なり・1

 あるエトリア正聖騎士が冒険者だったときの話である。
 執政院からエトリア樹海の先住民モリビトの殲滅命令を受けながら、その裏ではモリビトの説得を望み、首尾よくそれを果たす一歩手前まで持ち込んだ、彼と彼の属するギルド『エリクシール』の仲間達。しかし、それは、執政院の手の者だろうか、正体不明の刺客の行動によって阻まれ、さらには狂乱したモリビトの守護神鳥イワオロペネレプが敵味方関係なく暴れ回ったことで、果たせぬものとなってしまった。
 結果として、新たな階層に、探索者の誰よりも先んじて一歩を踏み出した『エリクシール』だったが、モリビト達を苦難に追いやってしまった悔恨の念は晴れず、その足取りは重いものだった。悲劇と引き替えの真実を見ることを拒むかのように、彼らは『新たな階層の魔物に対抗する力を付ける』という名目で、既知の階層に潜り始め、探索の本筋を中断してしまった。もっとも、新たな階層の魔物達が群を抜いて強力で、苦戦を免れ得なかったことも、事実ではあったが。
 ギルドのパラディンであった彼が失踪したのは、そんな頃であった。

 エトリアの冒険者ギルド統轄本部からは、時折、試練としてクエストが提示される。その中のひとつに、冒険者が一人で樹海に赴き、指定された『敵対者F.O.E.』を倒す、というものがあった。統轄本部からのクエストは、どれも冒険者達からは不評を買うものだったが、そのクエストも例外ではなかった。冒険者は集まることで互いの欠点を塞ぎ、人外魔境を歩むものである。何故、たった一人で危地に赴く必要があるのだろうか。
 とはいえ、受ける者がいないわけでもない。名高きブシドー・『氷の剣士』レンも、クエストのひとつを受けた上、完遂した、数少ない一人であった。そして、『エリクシール』のパラディンであった、ファリーツェという少年も、同業者達が忌避するその試練を受けようとしていたのだった。
 彼が試練を受けようとした理由は、第四階層での出来事を通じて、自分の力のなさを、改めて痛感したからだ。少なくとも当人はギルドの仲間達にそう語っていた。真意は、心の奥底にある、異民族の破滅を招いてしまった者としての悔恨に由来する被罰願望から来るものだったかもしれない。ともかくも一番の目的を力試しとして、パラディンは一人で樹海に潜った。冒険者に忌避される試練とはいえ、彼がその時に受けた試練は、最も初期のもの、第二階層で『森の破壊者』と呼ばれる熊種の『敵対者』を打倒するものである。第四階層をくぐり抜けた彼である、油断は禁物ながら、過剰な不安は却って実力を殺ぐ。そう思われていた。
 ギルドの仲間は、若干の心配はしつつも、必ず戻ってくるだろうと見なして、聖騎士の帰還を待った。
 ところが、聖騎士ファリーツェは、その後数日、消息を絶ったのである。
 それは、後に、ギルドの仲間以外の者達には、ドジな『迷子』として認識されることになった事件だった。
 仲間を心配した『エリクシール』一同が樹海に探しに行ってみれば、パラディンの少年は、第二階層ではあるものの、思いも掛けないところを彷徨っていたそうだ。アリアドネの糸を忘れ、徒歩での帰還を試みたら磁軸計も――めったにないことなのだが――故障し、帰り道を見失っていたという。あと少し救助が遅かったら生命すら危うかったらしい。
 後々、『ウルスラグナ』のエルナクハも軽口に引用した事件ではあるが、本来の目的である『森の破壊者』打倒が成されたことは、荷物の中に、森に踏み込んだときには持っていなかった『破壊者』の毛皮があったことから、明らかであった。
 目的自体は果たされたため、笑われるだけの存在になることは避けられたものの、『エリクシール』の聖騎士はその後数日、病床に伏した。危険な第五階層を闊歩するための中核を失った『エリクシール』は、力を貸すという『ウルスラグナ』の申し出をはね除け、それどころか「今が我々を出し抜く好機だとは思わないのか」と焚き付け、『樹海探索の先行者』たる自分達の栄光を自ら放棄した。
 『ウルスラグナ』は、モリビトの『殲滅』によってやる気を失い掛けていた『エリクシール』が、自分達の足を止めるいい名目を得たのだ、と判断することになる。その判断は、あくまでも『ウルスラグナ』の推測に過ぎなかった。

 が、『エリクシール』の聖騎士の記憶も少しだけ継いだというアルルーナは語る。
 それは事実、間違いではなかった、と。『エリクシール』が体よく逃げるために事件を利用したのだ、と。
 しかし、第五階層をパラディンなしで踏破するのは難しいだろう、と『エリクシール』のギルドマスターたるアルケミストが判断したことも確かだし、パラディンの予後も、部外者が想像するよりも遙かに悪かったのも、本当だった。パラディンの戦線復帰を待っていても、他の者に追い越されていたことは同じだろう。
 アルルーナはさらに語る。そもそも、『ウルスラグナ』が知っている、『エリクシール』のパラディンの身に起きた出来事が、間違っているのだと。
 淡々と語られる『事実』は、『ウルスラグナ』一同を驚かせ、パラスを憤慨させるに十分な内容だった。
 『エリクシール』の聖騎士は、迷子になったわけではなかった。アリアドネの糸も忘れていたわけではなかったし、磁軸計が故障したという事実もなかった。
 自分でも思いもしなかったほど容易く、『森の破壊者』を撃破したパラディンは、その後、ついでに、第二階層の未踏破区域の地図を確定させようと思い、森の奥に踏み込んだのである。
 『迷子』事件の少し前――『エリクシール』は、森の奥から少女の声が聞こえるらしい、という噂を確認するクエストを受領し、それまでは見つけられなかった獣道を通って先に進んだ結果、アルルーナと遭遇し、かの妖華を撃退した。だが、彼女の領域や、そこに至る道は、ほとんどが毒沼で覆われていたため、迷宮内の地図を仕上げるのが冒険者の目的の一つであるにもかかわらず、『エリクシール』はそれを放置していたのだった。第二階層の通常の魔物にはそうそう遅れを取らず、回復薬も潤沢に用意してあった状況下、ついでに地図をできるだけ確定できれば、と思ったのは、決しておかしい考えではなかっただろう。もちろん、無謀を感じたらすぐに帰還することを前提としてだ。
 ところが、毒沼の最奥、小部屋状になった領域に踏み込んだとき、少年騎士は驚くことになった。かつて打倒した、小部屋の主、アルルーナが蘇っていたのだ。
 構うつもりは、当然ながらなかった。幸い、小部屋の中で未踏なのは、アルルーナから離れたところばかりだったのだ。だが、アルルーナが穏やかに話しかけてきたので、ふと気を緩めてしまった。それでも普段なら警戒を解くことはなかっただろう。ただ、アルルーナと交わした言葉は、彼の、ひいては『エリクシール』全員の心の傷を刺激するものだった。そのために狼狽したところを、突かれた。
 そして、少年騎士は妖華の傀儡となった。アルルーナの、『エリクシール』を呼び寄せて同士討ちさせて楽しもうという企みのために、アルルーナを主として考え、アルルーナのために動くように、洗脳されたのだ。
「そのはずだったわ」
 アルルーナと名乗った巫医の少女は、自嘲のような笑みを浮かべて話を続けた。
「でも、あの人の精神の抵抗を破りきれなかったからかしら、変なのよ。私の命令なら何の疑問も持たないで従うはずなのに、口答えするわ、愚痴るわ、しまいには『散歩に行こう』とか言い出すわ――『ルーナ』って呼び名も、あの人がくれたのよ」
 少女の表情から、嘲りが消えていき、ただの微笑みになっていくのを、『ウルスラグナ』一同は目の当たりにした。何人かは、その表情に思うところがあった。まるで、恋した少女が相手を語るときのようではないか――。
 事実、恋だったのだろう。パラディンがアルルーナのことをどう思っていたかは、定かではない。けれど、華王の方は間違いなく、パラディンに恋をした。それが、彼女にとっての始まりだったのだ。
「だからね、『エリクシール』の冒険者さん達がやって来て、私を護るためにあの人が仲間と戦って倒れたとき、私は、全身の血が全部頭に昇った気分だった。そして、倒れそうになった私をあの人が助けてくれて、『自分の血を飲め』って言ったとき――その誘惑に自分自身が耐えられなかったとき、私は、全身を引きちぎられる思いだった。あの人の洗脳を解いて、あの人の剣で貫かれたとき、心底思ったわ。『これでいいんだ』って」
 アルルーナは、樹海の妖華としての彼女は、その時に『死んだ』のだろう。だが、その次に復活した時の状況と、繋がらない。『エリクシール』の聖騎士の肉体を己の肉体の礎とした、という状況が起こるまでに、どのような事態が起きたのだろう。
「……私は、しもべの植物の魔物に命じて、あの人の下に自分の『核』を運ばせた。私が二度と、樹海の大地と接して、根を張って蘇らないように。蘇った私が、あの人を大事に思っていたことを――人間を弄んだことを反省したことを、覚えているとは限らなかったから。あの人は」
 そこで、ルーナの言葉が止まった。訝しく思う『ウルスラグナ』の前で、恋する少女のものだったルーナの表情は、みるみるうちに歪んでいく。しばらくの後、右手で己の顔を塞いだルーナは、わずかに悲しげな表情を残しているものの、話を始めた頃の平静な、否、平静を装った表情に戻っていた。
「あの人は、『あの日』まで私を護ってくれました。私はあれだけあの人を痛めつけ、辱めたのに、それでもあの人は、すべてを飲み込んで、私のお願いを叶えてくれた。だから――」
 妖華の名を名乗った少女は、決意を秘めて『ウルスラグナ』を見渡した。
「私は、あの人を取り戻すために、この地に来た。すべてを飲み込んでくれたあの人に、すべてを返すために」

High Lagaard "Verethraghna" Side Story-1

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