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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・63

 カースメーカーの女の言葉が暗に示している事実を、一同は取り違えた。それ以外の理由は、常識的にあり得なかったからだった。代表するかのようにアベイが口を開いた。
「つまりは……ルーナちゃんが、そんな大事な刺青をそっくり真似して自分の身体に入れてた、ってのが、気にくわないんだろ?」
 パラスが怒り狂う理由にも一応の説明が付く。仮に本当に『女同士の痴話喧嘩』だったら、男が持っているはずの刺青を真似されて入れられたという事実は気にくわないだろう。
 それ以上に、自分達の一族が意味あるものとして入れている刺青を、部外者が真似したというのは、怒りを抱くに当然のことかもしれない。だが、変だ。仮にそうだとしたら、一族の年長者であるドゥアトの方が怒りを抱いていなければおかしい。抑えて秘めているということがあるかもしれないが、そんな様子も感じられない。どういうことなのだろうか。
 ドゥアトは静かに首を振り、皆の思い違いを否定したのである。
「そうじゃないの。この子が持っている刺青はね、この子が生まれたときから持っていたものよ」
「それおかしいよ、お母さん!」
 ついにパラスが怒声を上げた。ソファを蹴り倒すかの勢いで立ち上がった彼女は、罪人を糾弾する検察官のように激しく、ルーナに指を突き付けた。指先から針なり閃光なりが飛び出して、物理的な殺傷力すら持ちそうに、皆には感じられた。
「生まれたばかりの子が、痣ならともかく、刺青なんか持ってるわけないじゃない! 『生まれてすぐに刺青を入れた』っていうのも、ありえないよ!」
「……こういうことじゃありませんか?」
 あくまでも冷静に声を上げたのは、センノルレである。
「あの方とルーナは双子の兄妹である……と」
「ノル、双子でも生まれるときには時間差があるってよ――」
「帝王切開――ではありませんでしたか?」
 それは合点がいく説明だったかもしれない。母の腹を割く出産方法であれば、呪術師一族の刺青の決定方法に影響が出ない程度の時間差で双子が取り上げられることも、ないわけではなかろう。そして、天文学的な確率を無視した存在となった彼らを、呪術師達なりの魔除けとして、引き離して育てることにした、ということも、ないわけではないのだ。
 しかし、ドゥアトはそんな仮説をすら否定した。
「残念、ファリーツェちゃんは一人っ子よ。あと、訂正するわ。ルーナちゃんは、刺青を『生まれたときから持っていた』ってより、『刺青を持って生まれてきた』のよ。ついさっきパラスが『ありえない』って言ったとおり、あたし達『ナギの一族』が刺青を入れるのは、五歳の誕生日からなの」
「……わけがわからん」
 ナジクのぼやきは、等しく、ドゥアトとルーナを除いた全員の内心であった。そして、遠回しに攻めるのはやめて、いい加減に事実を話してほしい、と感じたことも同様である――が。
「……そうね、そろそろ、正解を言いましょうか」
 そう告げたドゥアトの表情に苦渋の色があるのを見て取って、分かった気がした。カースメーカーの女は事実を知っている。真実も知っている。しかし、それらは彼女をしても信じがたいものなのではないか。何も知らない皆に遠回しに情報を与えていたように見えて、それは、彼女がすべてを話すべく、自らの心境を落ち着かせるためにこそ、必要な行為だったのではないか、と。
 だが、続けて口を開こうとしたドゥアトを、ルーナが制した。
「……ドゥアト、これくらいは、私が自分で言うわ」
「でも」
「これぐらい自分で言わなくちゃ、私はただの卑怯者だわ」
 呪術師の女と巫医の少女、両者の間に緊張が走る。しかし、すぐに折れたのはドゥアトの方だった。
「……そう」
 呪術師の女の表情には憐憫の様が現れていた。
 ルーナはそんな相手に二言三言、他の者には聞き取れない小声で何かを告げると――後にマルメリが語ったところによると、唇の動きからすればたぶん『ごめんなさい』だろうとのことであった――、改めて皆に向き直った。その青いはずの瞳が紅に見えたのは、明かりの具合による錯覚だったのか、彼女の本性が瞳に現れたのか、正解を断定することは、誰にも、おそらく本人でさえも、できなかった。
「私は――」
 巫医の少女は告げる。
 一同は固唾を呑んで彼女の言葉を待った。仮に彼女の正体が何者であっても、そう簡単に驚くつもりはなかった。だが、そんな考えは、どうあがいても人間の常識を越えられるものではなかったのだ、と、皆はすぐに思い知ることとなる。
「私の本当の名前は、アルルーナ」
 その答を聞いてすぐには驚かなかったのは、単に、その意味を掴むのに時間がかかったからだった。
「かつてエトリア樹海第二階層で、数多の冒険者達を毒牙に掛けた、樹海の華王。モリビトの変異種。追放者。長きに渡る暴虐の末、あなた達のライバル『エリクシール』に退治された、恐るべき『敵対者』……」
 かつてエトリアで活動していたとき、樹海の奥底に前時代の遺跡『遺都シンジュク』が発見されて間もない頃のことだ。
 ライバルギルド『エリクシール』が、とある依頼を受けた。樹海の中から助けを呼ぶ少女の声が聞こえる、という話だった。救出に向かった『エリクシール』だったが、結局のところ、それはアルルーナという魔物の罠だったのだ。助けを呼ぶ声で人を招き、生命果てるまで弄ぶ、そんな残酷な魔物だったと聞く。
 少なくとも『ウルスラグナ』が知っているのはそこまでだ。アルルーナを打倒したのは『エリクシール』であり、他の者は執政院の魔物図鑑に残る記録しか知らない。彼女もまた、世界樹よりその身に『芽』を授けられていたかもしれないが、しばらく後に確認しに行った『エリクシール』により、復活の気配はない、と報告された。
 が、現に、アルルーナを名乗る少女は、ここにいる。様々な事情をすべて無視して簡単に言うなら、『復活した』のだ。どうやって? 『芽』を持っていたのだとしたら、何故、『エリクシール』が確認した時に復活していなかったのか? それ以前にも疑問がある。アルルーナは――図鑑の記述を信用するなら――下半身が蔓の集積体のようになっているはずだし、それが何かの間違いだとしても、さらなる疑問がある。
「赤い瞳と緑の肌、例外がいるとしても大体は緑の髪――変異種といってもモリビトなら、そんな特徴があるはずだが」
 ナジクが指摘したとおり、モリビトには確固とした特徴がある。赤い瞳と緑の髪なら人間にも持つ者がいるが、緑を帯びた肌は決定的だ。魔物図鑑のアルルーナにもそんな特徴が記されていた。が、ルーナにはどれもない。彼女が持つのは、多くの人間が持つのと同じ象牙色の肌と、冬空を映したような碧眼、そして、山吹色に輝く金の髪――。
 そこまで考えた途端、正体不明の強い警告を感じた者も、多かった。少なくともエルナクハはその一人だった。無意識下で辿り着いた、ルーナの正体に隠された真実。常識を捨て去れば、モリビトのはずのアルルーナの特徴の齟齬も、先程まで話題に上っていた刺青の謎も、『そうなった仕組み』までは理解できずとも、『そうなった理由』には説明が付く。けれど、それより先を聞いてはいけない。いや、自分が聞くのはまだしも、パラスに聞かせてはいけない。
 そんな強い警告も、真実を知りたい、という欲求の前には無力だった。無意識下でもやもやと渦巻く形なき仮定に、確定という名の姿を与えるべく、エルナクハは目線でルーナの話を促した。
 ルーナは大きく深呼吸をすると、口を開いた。それまでより乗り出し気味になった身体を支える右腕と、胸の前で握られた左手、双方がかたかたと震えているのは、彼女にとっても重大な話だからだろう。
「私は、復活したの。二度と目覚めるつもりはなかった、深い眠りから」
 続く言葉の衝撃に備え、唾を飲んだのは、誰だっただろうか。
「その時の私には『核』しかなかったから、私の『敵対者』としての本能は、すぐ傍に偶然あったモノから肉体を作ったわ――あなた達がファリーツェって呼んでいた、金髪碧眼の聖騎士の死体から」
 いえ――と、ルーナは小さく首を振って言い直した。
「偶然じゃないわ。私は、ファリーツェあのひとが死んだから、目覚めてしまったのよ」

 誰も何も口を挟めなかったのは、常識ではとてもあり得ない事象に対する衝撃と、やはり、という確信に似た思いからだった。
 後にエルナクハが皆に聞いたところ、全員が、ルーナとの初対面の時に、かの金髪碧眼の少年騎士のことを思い出したという。巫医の少女は、あまりに少年騎士に似ていた。髪や瞳の色の問題だけではない、まとう雰囲気が似すぎていた。
 それが、かの者の肉体を己のものにしたというなら、一応の説明は付く。唯一無二であるはずの刺青を『生まれたときから』持っていた、という、含みのある言葉ですら。だが、それでも疑問は残る。一同を代表してその疑問を口にしたのはナジクであった。
「つまりは、他者の肉体から自らの肉体を再構成した、というわけか。その割には粗末だな。何故、本来のお前に戻らなかった? 『アルルーナ』である印を消して、人間に紛れて、何かを企んでいたわけか?」
 ナジクの声には隠そうともしない棘が生えている。『ウルスラグナ』に害を為すために近づいたのなら容赦はしない、という意思の表れだろう。
 しかし、アルルーナと名乗った少女はかぶりを振った。
「まさか。あなた達に何かしようなんて、そんな興味はなかった。この姿になったのはミスよ。いえ、私の心が影響したのかもしれないわね。私は妖華には戻れず、モリビトにすらなれず、見た目自体は辛うじて私だけど、髪や目の色も、肌の色も、あの人のもののままになってしまった――女の身体になれたのは幸いかしらね」
 くすくすと笑うと、自嘲気味にルーナは溜息一つ。
「今の私には妖華の力はほとんどない。強いて上げるなら――植物が何を考えているのか、すこし判って、ちょっと上手く早く育てられるくらい。巫医の力は、適性はあったのかもしれないけど、そこそこの才能がある人間なら頑張れば習得できる程度だわ」
「そんなこと、信じられるわけないじゃない!」
 ようやく、パラスが震える声を上げた。その声音には、狼狽と、それを上回る怒りが込められている。ルーナはそれをいなすかのように、くすくすと笑った。
「証明できるわよ。例えば、ほら、そこのアウラツム、今日、水取り替えてもらえなかったって不満そうよ」
「あ、おれの当番忘れてた。ごめん」
 ティレンが恐縮して頭を下げる。
「そっちじゃない!」
 当然ながら、パラスはますます憤怒を露わにした。
「なあ、結局のところ、何があってそうなったのか、話しちゃくれないかね?」
 話の先を促したのは、意外なことに、ゼグタントである。採集専門レンジャーは眉根にしわを寄せながらも、声音は冷静さを保ちつつ、ひとつの提案を上に載せた。
「事実だけ放り出しといちゃ、カースメーカーの嬢ちゃんもワケ判んないで怒るしかないンじゃないかな。オレとしても、エトリアで世話ンなったお得意様に何があったのか、気になるところさ。どうだい、話す気はないか? エトリア樹海の魔物だったっていうマグスの嬢ちゃんが、何の目的でこのハイ・ラガードに来たのかってのもさ」
「長い話になる、って言ったでしょ」
 ルーナではなく、ドゥアトが、目元に憂いを浮かべて答えた。
「エトリアで何があったのか、説明しなくちゃ、納得してもらえないって思ってたもの」
 彼女としては、最初からそのつもりだったらしい。
「できれば、最後まで――目的を果たし終えるまで、隠し通せればよかったのだけど」
 ルーナは軽く息を吐くと、腹をくくったかのように頷いた。こちらは、気乗りはしないまでも、説明の必要性は理解しているようであった。
「私の記憶の中には、完全じゃないけど、あの人の記憶も残ってる。ドゥアトの話と合わせれば、あの時のことを大体は話せると思う」
「そうね」
 頷いたドゥアトは、『ウルスラグナ』のほとんどの者にとっては意外な方面に、話を振ったのだった。
「ヴェネスちゃん、アナタも話をしてくれるかしら。あたしは『現場』を知らないから」
 ヴェネスがかの聖騎士と知り合いだったのは、既知のことだったが、さらに『問題』にも関わっていたことを、この時、ほとんどの者は始めて知ったのである。当事者以外で、漠然とながら知っていたのは、オルセルタとマルメリくらいのものだった。彼女達の前で、ヴェネスは少年騎士を『死なせてしまった』と語っていたのだから。
 パラスがはっとした表情でヴェネスに視線を向けるのを見て、オルセルタは、樹海で聞いた話を話していなくてよかった、と心底ほっとした。とはいえそれも時間の問題だろう。ヴェネスが話すのであれば、必ず、その問題に触れるだろうから。
「……はい、わかりました」
 鍛錬中の出来事を反芻しながらはらはらする二人の前で、ヴェネスは静かに頷いた。

 そして、エトリアでの出来事を体験した三人による話が始まった。
 『ウルスラグナ』がハイ・ラガードに向けて出立した後の話から始まるのかと思いきや、意外にも、それより前から始まるようだった。
 一同は、心の裡にそれぞれの感情を秘めつつも、話に耳を傾けたのである。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-63

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