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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・62

 ドゥアトとルーナを除いた全員が揃う応接室内には、なんとも表現しがたい、ぴりぴりした雰囲気が満ちていた。
 ルーナやヴェネスの分の家具を借りたときに、ついでに応接室の卓と、それを囲むように置かれていたソファも、大きめのものに換えて、全員が座っても余裕があるようになっていたはずだ。だが、精神的には、以前のものより狭いところに座らされ、ぎゅうぎゅう詰めにされているように感じる。
 エルナクハは軽く息を吐いて、凝視しないように注意しながら、オルセルタがパラスの隣に座り、なだめようとしているの観察した。オルセルタの方は小声だったので、何を話しているのか詳しくは判らないが、パラスの憤慨が的はずれであるということを、当たり障りがないように説明しようと、苦慮しているようだった。残念ながらパラスの方は聞く耳を持たず、「オルタちゃんに判るわけない」と拒絶していた。
 アト母ちゃんが来るまで黙ってようぜ、と妹に忠告しようとした兄だったが、オルセルタの言葉の中に、親しかった人物の名を聞き取って、眉根をひそめた。それまでに考えていたことはすっかり吹き飛び、エルナクハは思わず大声を上げてしまうこととなる。
「……なんで今、ファリーツェの名が出るんだよ?」
 思えば、やはり心のどこかで、彼の死が後を引いていたのかもしれない。それは、フィプトを除く他の仲間達にとっても同じようだった。意外にも、ゼグタントも目を見開いて、「パラディンの坊ちゃんがどうしたよ」とつぶやいていた。単なる取引相手のひとりに対する態度とは思えなかったが、よくよく考えれば、ライバルギルド『エリクシール』は彼にとって有力な取引相手、そういう縁もあるのだろうな、とエルナクハは思い直した。
 一方、オルセルタは、ひそひそ話していたことを聞かれてしまっていたということで、頭を抱えていたが、結局は知られること、と腹をくくってか、思い切って口を開いた。
「あのね、ルーナちゃんと、あとヴェネ君は、ファリーツェ君と知り合いだったみたいなのよ。パラスちゃんがこうなるかもって思ってたから、みんなには黙ってよう、って、樹海に行ったみんなと決めてたんだけれど」
 エルナクハは肩すかしを食らったような気がした。彼らが知り合いだったというのには確かに驚かされたが、もともとルーナはエトリアにいたという、その縁があったかもしれないことは想像に難くない。ヴェネスについては本当に初耳だったが、『ウルスラグナ』の知らないどこかで、かのパラディンと知己を得ていても、何らおかしい話ではない。
 敢えて低劣な言い返しをするなら、「それがどうした」というところである。
 しかし、パラスは、エルナクハの態度からそんな気持ちを読み取ったのか、感情的に返すばかりだった。
「判るわけないよ、『ナギの一族ナギ・クース』じゃない人には何もわかんないよ!」
 鍛錬班が今回の件を黙っていたくなった気持ちが、よく判った気がした。
 事実とは異なるだろうが、女同士の痴話喧嘩のように感じてくる。パラスは自分のはとこのことが女として好きだったのだが、彼と深い関係にあったらしい女が現れたので――というやつだ。刺青云々というのが、男への愛の言葉を彫り込んだものだとしたら、まさに『的確ドンピシャ』な状況ではないだろうか。
 案の定、そんなわけないだろ、という警告ツッコミが、脳内のどこかから湧き出した気がした。これ以上、事実と異なる方向への思考を続けるのもどうかと思ったので、取りやめて、ドゥアト達がやってくるのを待つことにした。
「あと、ヴェネ君は――」
 深刻な顔でオルセルタが言いかけたのと、ヴェネスが何かを言いたげに自分の方を見たのを、エルナクハは軽く手を挙げて制した。これ以上『部外者』が考えても珍妙な推測になるばかり、きっとドゥアトがきちんと説明してくれるだろう、と確信に近い何かがあったのである。オルセルタやヴェネスも、きちんと話がまとまるときに話した方がいい、と判断したのか、押し黙って、精神的な苦痛を伴う雰囲気におとなしく身を任せた。

 ドゥアトとルーナが応接室にやって来たのは、それから十分ほどが過ぎた頃合いだった。
 既に集まっていた者達もそうだが、ルーナも平服に着替えていた。否、着替えさせられたのかもしれない。先程よりは持ち直したようだが、それでも足取りはおぼつかず、彼女の精神的な衰弱の度合いを明確に表していた。
 仲間達が奇妙に思ったのは、ドゥアトが、布をかぶせた大きな篭を肩から袈裟懸けに吊していたことであった。
 二人は、入り口側の辺に当たるソファが、ナジク一人だけが座っているだけで大きく開いていたため、そこに席を占めた。ドゥアトは座る前に篭を下ろし、ソファに囲まれた卓上に置く。布を外されたそれの中には、バケットやジャムやバター、瓶入りのジュースやワイン、食器などが収められていた。
「ふう、重かったー。……長い話になると思うから、必要かなって思ってね」
 手早く中身を卓上に並べ、食器類を各自の前に置きながら、ドゥアトはどことなくおどけた様子でそう口にした。彼女としては雰囲気を和らげたかったのかもしれないが、そう上手くはいかなかった。ほとんどの者は、卓を凝視して動かなかったからである。特にパラスの態度は、顕著だった。
「お母さん」
「……はいはい、わかってるわ」
 娘のただならぬ様相に、母は溜息を吐きながら、リンゴのラベルが貼ってある瓶を取り上げ、中身を自分の杯に注ぎ入れる。その目の前に、エルナクハは、思い切って、自分に割り当てられた杯を差し出した。
「母ちゃん、オレにも注いでくれねぇかな?」
「はいはい、お安い御用よ」
 心細さを感じる蝋燭の火を照り返して、黄金の液体が、とくとく、と杯に移る。
 エルナクハの行動が皆の呪縛を解いたのだろうか、それを契機として、いくつもの杯がおずおずと差し出された。同時に、雰囲気が少しだけ和らぐ。ドゥアトは苦笑しながらも飲み物を注いで回ったが――それでもパラスが杯を差し出すことは、終ぞ、なかった。恨めしげに母を睨み付けるだけである。
「……じゃあ、話を始めましょうか」
 ドゥアトは杯の中身を一口含み、喉を潤すと、静かに声を滑り出させた。
 軽やかに立ち上がる様は、怨と呪をまとう呪術師には到底見えず――それどころか、中年の域に達しているとすら思えなかった。年頃の奔放な娘が、結ばれてもいいと思った若者の前で己の肉体をひけらかすかのように、彼女は服を一枚、また一枚、と剥ぎ取っていく。その裸体は、適度な膨らみと適度なくぼみで構成された、とても一児の母とは思えない均整を保っていた。
 だが、すべての服が捨て去られたその段になって、ドゥアトの行為を固唾を呑んで見つめていた一同は、改めて彼女がカースメーカーであることを思い知るのであった。
 服を脱いだ彼女は、『一糸まとわぬ』とは言えなかった。その身体を、まだ包むものがあったからだ。
 『忌帯』と呼ばれる、カースメーカーがその力を使う際に、下着のようにまとう、暗い色の帯である。色はともかく、荒く巻いた包帯のようなそれは、ドゥアトの肉体のきわどいところを隠したまま、彼女の首から上を除いた全身に巻き付いていた。
 それだけではなかった。忌帯の合間から見える肌には、びっしりと、主に朱色で構成された刺青が施されていたのだった。
 ドゥアトがくるりと回る様は、華やかな被服展示会ファッションショーでもやっているかに思えたが、展示対象である刺青は、禍々しく光を照り返し、皮膚の上でうごめいていた。
「ご覧なさい。これが、カースメーカーの刺青。一族ごとに、それぞれ独特の紋様があるわ。刺青入れてない一族もいるけどね。どんな役を果たしてるかは――ここでは省略、ね」
 確かに、カースメーカーの力については、主題とは関係ないだろう。一同は釣られて頷いた。
 皆が話に耳を傾けていることに満足するように、ドゥアトは頷き、話を続ける。
「うちの一族は――他にも同じような事してるところがあるかもしれないけど――、個々人で違う刺青を入れるの。力あるものの誕生日、誕生時刻、父母、血の属性、その他いろいろな属性から、入れる紋様が違ってくるのよ」
「ちのぞくせい、ってなに?」とティレンが話の腰を折る。
 しかし、ドゥアトは機嫌を損ねることなく、明快に答えを返した。
「血にいろいろな薬を混ぜると、それぞれいろいろな反応をするの。それで属性を知るのよ」
「そうか、血液型か!」
 アベイが、ぽんと手を叩いて得心するものの、周囲は訝しげに首をかしげるばかりである。
「けつえきがた、って何だよ、ユースケ?」
「そりゃ、そのまま血液のタイプで、ABO式とか――ああっ、今の世界じゃ調べようがないのか!」
 どうやら、見た目同じに見える血というものが、幾つかの属性に分かれるというのは、前時代では常識だったらしい。頭を抱えたアベイを見て、仲間達はそう判断した。それとドゥアトの言う『血の属性』が同じものかは、わからないが。
「はいはい、話を戻すわよ」
 ドゥアトの言葉に、一同は再び襟を正して傾聴した。
「というわけでね、紋様が全く同じになる者は、二人といないわ」
「アト母ちゃん、双子とかどうなるんだよ」今度はエルナクハが話の腰を折った。
「ちょっと、双子が同時に生まれるって思ってるの? 母さんを殺す気?」
 ドゥアトは冗談めかした口調で答える。
「いくらなんでも、二人同時に出てくることなんてないからね、生まれた時間っていうズレが出るわよ。つまり――」
 口調が戻った。
 否、これまでよりも低く、真剣味が増している。一同は、今こそが話の核心であると、無意識に悟った。
「同じ紋様を持っている者は、いたとしても、天文学的な確率。うちの一族、そんなにたくさんいるわけじゃないから、絶対いない、って言っていいわ」

High Lagaard "Verethraghna" 3a-62

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