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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・58

 新人含めた鍛錬班が出発したのは、夕方のことである。昼間に十五階に踏み込むと、行動範囲が著しく制限されるためだ。
 今回の顔ぶれは、元『花月』の新人二人、オルセルタ、マルメリ、フィプトである――いや、もう、新人とは呼べないだろう。古来より曰く、同じ釜の飯を食った何とやら。探索や生活を共にしてきた彼らは、すでに昔から『ウルスラグナ』に所属していたも同然だった。
「なんか、とても楽しそうですよね」
 街のあちらこちらに視線を投げかけながら、ヴェネスが口を開いた。
 気候はだんだんと寒冷さを増し、木枯らしが世界樹の枝葉をさらさらと鳴らしているのに、街は奇妙な高揚感に支配されつつある。
 そういえば、収穫祭まで一週間足らず。私塾の生徒達も、塾の休みである今日は、先週に引き続き、誰も遊びに来なかった。
 街の建物の屋上や見張り塔から俯瞰できる、刈り入れ後の畑にも、整然と並ぶ露天村のごときものができつつあった。片隅では山車となる巨大な人形が作られているようだが、周囲を柵で囲って見えなくしていることもあり、遠くからではどんな形か判別付けられない。花屋では、秋の生花の他に春夏の乾燥花や造花が並び、街の娘達が篭いっぱいに買っていく姿がよく見られた。祭の時に自宅に飾る花細工を作るのだろうか。
「わざわざ造花や乾燥花作るのって、不便じゃない? 世界樹の迷宮ならいつでも満開の花が手に入るのに」
 そんなことをルーナが口にしたが、乾燥花や造花には生花とはまた違う味があるものだ。
「いいなあ、収穫祭か。ボクも――」
 ヴェネスがそんなことを言いかけて、はたと口を閉ざした。
 マルメリが、からかうように問いかける。
「遊びたいのぉ?」
「あ、あの、いや、そんなことは、いえ、確かに遊び……いえいえいえ、探索の方が重要ですから」
「構わないと思いますよ」
 微笑ましさに相貌をゆるめて、フィプトが返す。オルセルタがその後を引き継いだ。
「どうせ、うちの兄様が真っ先に遊びに出るのよ。構わない、構わないって」
 少し前、元『花月』の二人が加わる以前に、収穫祭についての話題が仲間内で上ったことがある。その時から、収穫祭の日には探索を休んで参加したいと思っていたものだ。ただ、状況次第では望みが叶うか否か、という話も、当時から懸念されていた。それまでに――嫌な想像だが、『ウルスラグナ』の誰かが、あるいは全員が、この世にいない、などということさえあり得るのだ。
 が、そんなことでも起きなければ、せっかくの収穫祭、大いに楽しむことになるだろう。
「ありがとう、ございます」
 ガンナーの少年は、嬉しそうに、本当に嬉しそうに、目を細めた。
「お祭りを楽しむのは、久しぶりです」
 祭の気配は、当然ながら酒場にも波及していた。一同が鋼の棘魚亭を訪れると、酒場の親父が、店の前で、荷車いっぱいの樽を前に、荷車の主との交渉を終わらせたところだった。収穫祭に備えて、酒の仕入れを増やしたと見える。
「稼ぎ時だからなぁ。やっぱり、祭に酒は必要不可欠だろうよ!」
 そう豪語する親父に、オルセルタが、若干気乗りしない様相で問いかけた。
「前に張り出してた、『神手の彫金師』がらみの依頼、誰か受けてくれたの?」
「いいや、ちーとも、な」
 親父は渋い顔で声を返した。「お前らが受けてくれないから、それはもう、さびしそーに、掲示板上で揺れてるぜ」
 まなざしには、あからさまな期待の色がある。正直、この期待に応えるのは重すぎて気乗りがしない。それでもオルセルタは――というより『ウルスラグナ』のほとんど全員が――性根のところではお人好しなのであった。
「仕方ないわねぇ。今回は、私たちが受けてあげるわ。ついでに、解決してきたから」
 オルセルタはあからさまな溜息を吐きながら、ウエストポーチから布でくるんだ何かを出す。
 訝しげに受け取った親父は、その包みを開けた途端に相好をほころばせた。
 包みの中身は、金細工の駒、『衛士』と『学者』だったのである。
 『学者』の入手自体は数日前だったのに、なぜこの日に渡すことにしたか、その理由には、大した意味はない。単純に、「せっかく手に入れたんだから、数日は鑑賞させてもらおう」というだけのことだったのである。私塾の応接室に飾られた『学者』は、数日の間『ウルスラグナ』の目を楽しませ、この日の朝、『衛士』もろとも、晴れて本来の役に立つこととなったのであった。
「ったく、ずいぶんもったいぶったモンだな」
 咎める口調ながら、目元に漂う満足感は隠しきれず、親父は『学者』の駒を確認するように眺め回した。
「なるほど、コレが『学者』の駒か、知的な雰囲気が、どことなく俺みてぇだな、ははははっ!」
 どこが、と思った者もいただろうが、誰もおくびにも出さない。余計なことである。
 間違いなく『神手の彫金師』の駒だと確認できたのか、親父は機嫌よく笑みを浮かべつつ、いそいそと店内に引っ込もうとした。
「よしよし、じゃあ報酬をやるぜ。『城兵』の駒――」
「いらないわよ!」
 反射的に返したオルセルタだったが、一瞬、親父が浮かべた悲しそうな顔に、思わず心が揺れてしまった。慌てて補足する。
「あのね、これから樹海で鍛錬なのよ。金細工なんて柔らかいもの、持ってけないわ」
「ああ、そうか、そりゃそうだな。じゃあ、そこらの見回り衛士捕まえて、私塾に届けといてやるよ」
「え、あ、ああ、ありがとう」
 生返事をするしかなかった。
「まぁ、もらえるものはもらっておきましょうよぉ、オルタちゃん」
「マル姉さん……」
 マルメリの言い分が正しい。自分だって、もらえるならもらってもいいかな、とは思っている(『衛士』の駒の時も思ったが)。そう思いつつも気分が乗らないのは、どうも自分達が、金細工の駒に取り憑かれているような気分になるからだった。ここで『城兵』をもらったら、今後もずるずると、金細工の駒集めを押しつけられていくのではないか、と。
 案の定、親父は機嫌よく宣うたのであった。
「また駒集めの依頼が入ったら、頼りにしてるぜ!」
「もうやらないわよ!」
「すみません! 助けてください!」
「敬語で頼まれても嫌なものは嫌!」
 ぴしゃりと言い切ったオルセルタではあったが、不意に違和感を覚えて戸惑った。
 今、敬語で頼んできたのは、親父ではない。声は背後から聞こえてきた。
「ああ、よかった、『ウルスラグナ』の皆さん、あなた達になら安心してお願いできそうだ……!」
 声のした方向を振り返ると、全力疾走の直後なのか、身体を折り曲げ、ぜえぜえと喘ぐ、白衣の人物が目に入る。
 フィプトに背中をさすられているその人物、薬泉院の院長コウスケ・ツキモリは、ようやく顔を上げて、言葉同様の安堵の表情を見せた。

 ツキモリ医師の助手・アンジュが、帰ってこないらしい。
 初めはマルメリあたりが「なに、痴話喧嘩じゃないのぉ?」と混ぜ返したりもしたが、詳しく話を聞いて、それどころではないと確信した。
 恐ろしいことに、ひとりで樹海に赴いた可能性があるという。
 その証拠は、ツキモリ医師の研究室にあった灰紋羽病の試験薬の消失である。
「多分アレを持って森に入ったんです! でも薬はまだ効くかどうかも判らないし、ひとりで森へ入るなんて自殺行為です!」
 仮にそうだとして、どのあたりに行くか見当が付くか、と問うたら、幸いにも明確な答が返ってきた。
「一番最近の灰紋羽病の症例報告は十五階です。彼女はきっとそこへ向かったに違いありません!」
 エルナクハ達探索班が十五階を探索していたときに、件の灰紋羽病発見の報告はなかった。ここ数日の間に発生したのだろう。第二階層までにしか症例がなかったものが、第三階層にも波及している。それも、最上階に――その事実は、数日前にも想起した、世界樹自体が弱まっている、という不安をさらに強くさせた。
「ほんと、おバカさんねぇ、あの助手は」
 樹海へ向かう道すがら、ほとほと呆れ果てた様子でルーナがぼやいたものである。
「エトリア有数の聖騎士でさえ、ひとりで樹海に潜って、ろくなことにならなかったのに」
「迷子になって数日間出てこられなかった、とかぁ?」
 というマルメリの言葉は、混ぜ返しではなかった。パラスのはとこのことを思い出したからである。
 エトリアでは、冒険者ギルド統括本部長からの試練として、『ひとりで樹海に潜り、指定の魔物を討伐してくる』というものが課せられることがあった。もちろん任意ではある。いかに該当の魔物を倒せる冒険者ギルドでも、その中のひとりが同じ魔物に勝てるかどうかとなると、話が違う。
 パラスのはとこは、その試練を受けた。ただし、魔物を打倒すること自体は簡単だったらしい。対象の魔物は第二階層に巣くうものであり、かの聖騎士が所属するギルド『エリクシール』は、既に第五階層、強力な魔物の徘徊する遺都に足を踏み入れていたのだから。ただ――道に迷った。磁軸計が故障したらしく、正しい帰路を見失って、数日の間、樹海を彷徨っていたらしい。特例として予備の磁軸計を借りた仲間達が救助に向かったときには、相当衰弱していたという。
 それが、『ウルスラグナ』が、先達である『エリクシール』を追い抜き、樹海踏破を成し遂げた原因だったのだ。
「違うわ」
 ルーナは首を振る。どうやら、彼女の語るものは、パラスのはとことは別のことらしい。山吹色に輝く髪の巫医は、意地悪そうな笑みを浮かべると、きっぱりと言ってのけた。
「喰らったのよ、魔物が」
「――!?」
 それは静かな爆発に等しい発言だった。樹海で死んだ冒険者の末路のひとつに、そういうものはあり得る。それは覚悟の上だ。実際、斃れて食われた痕のある死体も見てきた。だが、こうして改めて言葉にされると、おぞましさが先に立つものだ。一同は、見知らぬ聖騎士の末路と、あり得るかもしれないアンジュの末路、そして自分達の行く末を重ねて、身震いせざるを得なかった。
 ヴェネスだけは、まだ樹海に赴くようになって日が浅いせいか、『パラスのはとこ』という要素ファクターを知らないゆえか、ルーナの言葉に完全に同調することはなかった。だから、語り手の方に気を向ける余裕があった。
 彼が引き込まれたのは、ルーナの瞳。冬空の色をした彼女の瞳は、悲しそうに揺らいでいたのだ。
 彼女が語っているのは、知り合いのことなんだろうか。
 けれどガンナーの少年は、余計なことを聞こうとは思わなかった。それが彼が、かつての生活の中で培ってきた、後天的な性質だったから。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-58

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