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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・56

 第二階層に赴くのは久方ぶりだった。最近は鍛錬組も第三階層の低層を使うので、よほどの用事がなければ足を向けないのだ。
 樹海磁軸より、『常緋の樹林』と呼ばれる、一面紅の地に踏み込む。
 到達した途端、一同は――少なくともオルセルタやドゥアトは、何か違和感を感じ取った。改めて何かと問われると返答に詰まる。目に見えた変化があるわけでも、強大な敵の気配を感じるわけでもない。ただ、何かが違うと肌で感じたのである。危険を感じさせるものではなかったので、十中八九些事であろうと結論した。もちろん、重大なものである可能性も捨てきれないので、記憶の片隅には留めておく。まして今は新人もいるのだ。
 踏み込んでからの最初の数戦は、新人達には防御に徹させておき、三人で当たる。
 三人でも、今となっては、第二階層低層の敵に遅れをとるようなことはなかった。
 オルセルタやナジクが強くなっていることもあるが、特筆するべきはドゥアトである。娘とは違い、敵を操る言霊と体調を狂わせる言霊を得意とするという彼女は、その言葉でもって敵の体内に毒素を発生せしめる――正確には、敵の肉体そのものに『体内に毒が入った』と錯覚させるらしいが、理屈はともかく。
 魔物が苦悶し、口から血泡を吐いて絶命していく様は、常人だったら呪術師なる者の力のおぞましさを強く感じるものだったかもしれないが、現在の鍛錬班一同は別にどうとも思わなかった。魔物とはいえ哀れだという感慨は抱かぬでもない。だが、狩りを行うにしても、討伐にしても、手段を選ばないことは多いのである。
 種別云々はさておき、現在の鍛錬班で、一度に大多数の敵を相手取れるのは、ドゥアトの力くらいだ。新人を抱えている今は、普段に増してありがたい。
 樹海のなんたるかが新人達の肌に染みこんだ頃合いで、攻撃にも参加させることにした。
 ただ、白兵戦も可能なはずのドクトルマグスとはいえ、ルーナを前衛に放り出すのはまだ早い。彼女には補助的役割を果たしてもらうことになる。
 現状、新人達が樹海という異境の中でも臆することなく使える、あるいは技術的に可能な技は、ルーナは『巫術:鬼力化』という、味方ひとりの攻撃力を引き上げる技、ヴェネスは『アイスショット』という、氷の属性を纏った弾丸を撃ち出す技である。余談だが、ガンナーが属性攻撃の効果がある弾丸を作成するには、アルケミストの協力が不可欠らしい。昼下がりに、フィプトが自分の術式にも使う素材を調合して弾丸作りを助けていたものだ。
 フレイムキャノンは、弾に火炎を纏わせて射出できる機構を備えた銃だ。が、炎属性が効かない魔物を相手取るには、機構を切り替えて、別の属性の弾丸を射出しなくてはならないのである。
「アト母さん、『病毒の呪言』はナシよ。あ、『睡眠の呪言』もナシ!」
「あらあらあら、敵を眠らせちゃった方が楽じゃない?」
「楽だけど、それじゃ鍛錬にならないでしょ!」
「じゃ、せめて、『恐れよ、我を』」
「しょうがないわねー」
 そんなことを言い合うオルセルタとドゥアトの傍らで、ナジクは黙々と矢の手入れをしている。近接武具と違って、矢は飛ばしてしまったらそれっきりである。戦闘が終わる都度に回収できる分はしているのだが、鏃を固定する糸『沓巻くつまき』が緩んでしまったり、鏃そのものが鈍ってしまったりする。探索中には直しようがないもの、例えばシャフトが折れてしまったものは仕方がないが、直せるものは再度の使用に耐えうる状態にしておくのである。
「数が多い分は減らしてしまってもいいのだろう?」
「そうね。最初のうちはあまり危険がないように、できれば一匹から」
 魔物達は団体で現れることも多い。そうなったら、余分な敵を掃討するのが先輩の役目だ。
「それじゃ、私は『鬼力化』でヴェネスを補助すればいいのね」
 己が成すべき鍛錬を指示され、ルーナは得心した表情で確認した。精神集中や祝詞のりとの正確さ、使う薬をどれだけ早く、効果的な調合で準備できるか、巫術にはそれらが必要だ。樹海の中、敵意に晒され、一瞬をも無駄にできない戦闘中に、力を発揮する手順をつつがなく執り行えるかが問題となる。殴り合うような派手さはないが、これも立派な鍛錬なのである。
 そうこうと会話を交わしているうちに、新たな魔物の群れが現れた。エリマキトカゲが三体。おあつらえ向きな状況である。
「じゃあ、打ち合わせ通りに」
 オルセルタの合図と共に、『ウルスラグナ』一同は、即座に戦闘態勢に入った――驚いたことに、新人達もなかなか、様になっている。確かに、戦闘に慣らさせることが目的だったが、ここまで早く順応するとは思っていなかった。
 エリマキトカゲが攻撃に入るより早く、オルセルタとナジクが一体に集中攻撃を掛けた。弦を強く引き絞って放たれた矢と、敵の急所目がけて真っすぐ奔る細剣が、叫ぶ間もなくエリマキトカゲの息の根を止める。
 残る二体が殺意を孕む吠え声を上げるが、勇猛もそこまでであった。
「……『恐れよ、我を』」
 カースメーカーの言葉と鈴の音は、天敵の咆哮が与える以上の恐怖を、トカゲ達に与えた。くるるる、という、先の吠え声が嘘のようなさえずりと、後ろ足の間に巻き込んだ尻尾が、彼らの感情を雄弁に語る。『外』の生き物なら大抵逃げるんだけどねぇ、と、カースメーカーの女は語っていたものだが、魔物の異常な闘争心を思えば、ここまでおびえさせるのも大したものである。
 逃げない魔物は、窮鼠と化した。一体は尾を巻いたまま動けずにいたが、もう片方は自暴気味の突進を試みる。オルセルタが阻止を試みるも、左腕に牙がかすったようで、短い悲鳴を上げた。
 一方、後列では、そのような状況とは隔てられた静けさが続いていた。
 静か、といっても無音ではない。ヴェネスが銃の発射準備を淡々と行い、その傍らでルーナが祝詞を唱えている。
「『虎よ虎よ、なれはなぜに強いのか 其の力、彼の者に宿りて、敵を討つ助けとなれ!』」
 ドクトルマグスの右手に宿るのは、可視化された霊気。若葉から得たかに見える、うっすらと明るい翠色の光。
 光に満ちた右手が挙がり、人差し指がヴェネスを示すと、爪に灯がともるように、指先に小さな光の粒が集まる。それらは蛍の飛行するがごとく浮遊し、次々とヴェネスにぶつかった。
 と、ヴェネスの身体は、ぶつかった光と同じ翠色を纏う。ほぼ同時に、励起された彼自身の霊気なのか、身体の裡から滲み出る光があった。暗い金色のそれは、翠色と混ざりかけたところで、諸共に、人間の目からは消えた。残滓なのか、ほんの数秒、ヴェネスの身体全体が鈍く光っていた。
 ルーナはにんまりと笑い、同じ年頃の少年をけしかけてみせる。
「さあ、見せてごらんなさい。あなたの腕を!」
「……はい!」
 ヴェネスはフレイムキャノンを構え、環孔照門ピープサイト内に、恐怖に動けないでいるエリマキトカゲを捕捉した。
 幼く穏やかな顔つきが、一瞬にして切り替わる。ぞっとするほどに冷たく空虚な瞳が、最大の変化である。これから射抜く対象が、生命あるものではなく、ただの的だと見なしている、冷徹な兵士の目だった。
 変貌に戸惑う仲間達を意に介さず、ガンナーの少年は静かに引き金を引く。
 轟音と共に銃口から飛び出したのは、炎をまとった銃弾であった。その一撃は、あやまたず、エリマキトカゲ目がけて真っ直ぐに飛び、そして――。
 思い切り外れた。
 弾丸はトカゲにかすりもせず飛び続け、そのうち薬剤が切れたのか、鎮火する。やがて一本の木に命中し、穴を穿った。
 森林火災に発展しそうにないことに安堵しつつ、速やかにエリマキトカゲ達を片づけ、一同は改めてヴェネスに向き直る。
「……おかしいなぁ……」
 すっかり平常時の幼げな顔立ちを取り戻したヴェネスは、銃を矯めつ眇めつ眺め回していた。本人としても不本意だったようだ。わざと外したわけでもなければ当然だろうが。しかし、本人以上に不本意そうなのはルーナの方で、不機嫌な様相で相棒に食ってかかっていた。
「何よ、今の無様なのは! あなた、今みたいな状況で外すようなへっぽこな腕の持ち主じゃなかったはずよね? それとも何? 前の方がまぐれで、今のが実力!? そうだったら殺すわよ!」
 物騒極まりない言葉であった。
 噛みつくルーナと萎縮するヴェネス、両者の仲裁役として割って入ったドゥアトが、まぁまぁ、と、なだめに回った。未だに不本意そうな二人、特にルーナに曰く、
「思ったんだけど、ヴェネス君って、狙撃専門じゃなかったかしら?」
「……あ」
 ヴェネス本人は気が付いたようだが、他の者には訳が分からない。ルーナは再び噛みつこうとしたようだが、
「どういうことなの?」
 オルセルタに割り込まれ、感情が抑えられたのか、とりあえず口を閉ざす。
 ドゥアトは仲間達の疑問に簡単に答えることにした。本来ならヴェネス本人が答えた方がいいのだが、本人は気付かされた事実に意気消沈していて、それどころではなさそうだったのだ。
「あのね、ヴェネス君は狙撃手なのよ。もうちょっと遠くから、じっくりと狙いを付けて、敵を確実に仕留めていくのが、ヴェネス君の戦い方なの。こんなに敵が近くて、銃も使い慣れたものじゃなかったら、うまくいかないのも当たり前よねぇ」
「だが、うまくいかない、で済む問題でもあるまい」
 どこまでも冷徹に、ナジクがつぶやく。
 ヴェネスは耳の先まで赤く染めて、口惜しげにうつむいた。その様を目の当たりにして、ナジクは戸惑いにも似た表情を浮かべる。言い過ぎた、と思ったのかもしれない。
「……まあ、初めからうまくいく人間はいない。精進することだ」
「……は、はい!」
 返事をしたヴェネスは、どことなく嬉しそうだった。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-56

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