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ハイ・ラガード世界樹冒険譚
苦難を越えるものウルスラグナ


第三階層『六花氷樹海』――もう人間じゃない[前]・55

 ところで、『思い切って第二階層』という話が出たが、新人を鍛えるというのに第一階層からではないのは、理由がある。要は時間が惜しいのである。アベイという回復役の代わりを急いで育てなくてはならない状況なのだ。
 ゆえに、より過酷な戦場に最初から投入して、急激な成長を期待する。鍛えられる者はルーナとティレンの他に、元『花月』よりは先輩だとはいっても、『ウルスラグナ』としては新入りの卵殻からようやく這い出た程度のドゥアトだ。時間に少し余裕があれば、ドゥアトの代わりにハディードを入れて鍛えることにもなろう。
 無論、死なれては元も子もないから、経験を積んだ前衛――初日たる今回はオルセルタとナジクが同行する。実戦の何たるかを肌で感じ、先輩冒険者の戦い方を目の当たりにするだけでも、成長は期待できるだろう。

 エルナクハ達が戻ってきた後の夕方、その五人でシトト交易店に赴く途中、鋼の棘魚亭に顔を出す。せっかくだから、第二階層あたりで完結できる依頼があったら受けようかと思ったのである。
「おう、ちょうどいいところに来てくれた!」
 折しも親父が掲示板の前にいて、依頼書を貼り付けようとしていたところだった。それを目の当たりにした新入り以外三名は、そこはかとなく嫌な予感を感じた。親父が貼り付けようとしていた依頼書は白い。何も書いていないという意味ではなく、紙が上質なのだ。大公宮とまではいかないだろうが、どこかの金持ちの依頼か、と感づいたのである。
 別に依頼が金持ちからだろうと貧乏人からだろうと、難易度と報酬の釣り合いが取れていれば、文句はない。時に、感傷に駆られて、割に合わない依頼を受けることもあるだろうが。
 しかし、『ウルスラグナ』は、貴族から無茶な依頼を振られたことを、心の奥底にしかと記憶していた――正確には、『ウルスラグナ』に振ってきたのは依頼人たる貴族ではなく親父なのだが。
 『神手の彫金師』の最後の作たる戦駒一揃い。
 ただし、『女王』に当たる『公女』は一体しか作られておらず、それだけに価値は高い……というより、現在の所有者が手放さなければ、他の者の手に入るはずがない。よりによって、その『公女』を所望されたのである。当然ながら、『ウルスラグナ』はそんな割に合わない依頼を受けなかった。ただし、ちょっとした依頼の報酬として、『衛士』の駒をひとつだけ持っている――というより押しつけられた。
 当然、戦駒がらみの依頼であれば請ける気はない。そのつもりだったが、酒場の親父は、我が意を得たりとばかりに近づいてきたのである。
「おう、お前ら! ちょうどいい! この依頼見て見ろよ!」
 『ウルスラグナ』一同があからさまに嫌な顔をしていることにも意を介さず、親父は依頼書を突き出して見せた。
「報酬は金細工の駒の『城兵』 だぜ!」
 いや、いらないから、と口を挟む余裕も与えず、矢継ぎ早に言葉を続ける親父であった。
「依頼主ぁ居住区の商人でな、結構な収集家らしいんだ。何でも奴は『衛士』と『学者』の駒が欲しいんだそうだが 、お前ら『衛士』の駒持ってたよな? ほら、俺が前に報酬としてくれてやったヤツがよ」
「あるわよ。必要ならお返しするわよ」
 オルセルタはつれなく応じた。『衛士』の駒は、確かに素晴らしい細工であり、アウラツムの一輪挿しと並んで、応接室に華やぎを添えてくれている。世界樹探索が終わって、他の誰かが駒そのもの、あるいは売却金分配を希望しなければ、自分が持ち帰ってもいいとは思っている。が、何が何でも手放したくないわけではない。返せというならそうしても構わなかった。行き先も判らない他の駒を探すという徒労を押しつけられるくらいなら。
「いやいやいや、俺に返さなくてもいいよ。でもよ、あとは、どっかで『学者』の駒さえ探してくりゃいいじゃねぇか、こりゃラッキーだろ。ま、そうは言っても『学者』の駒がどこにあるか知らなきゃ、意味ぁねぇんだが……」
 きっちり突き止めろとまでは言わない、せめて目処ぐらい付けてから仕事を振ってほしい。
「まぁ知り合いでも当たってみて、どうにか手に入れてみてくれや」
 いい加減なことを言う。さすがのオルセルタも、鞭でしばいたろか、と思いかけた、その時だった。
 不意に思い出したことがある。ごく最近、兄から話を聞いた記憶がある。昨日今日ではないのは確かだが、それほど前の話でもない。シトト交易所で、金細工の戦駒をひとつ見かけたとか言ってなかっただろうか。無料ただならともかく、必要ないからなぁ、と話を締めた兄に、オルセルタも賛同したものだった。
 ……なんだ、金細工の戦駒はあったんじゃないの。
 手に入る当てがあると思えば、引き受けてあげようか、という気分になる。ダークハンターの娘も、何だかんだ言ってお人好しなのだった。しかし、口を開く寸前で、危うく思い直した。そもそも、シトトで発見された駒の種類も、まだ残っているかすら判らない。それが判明するまでは、うかつに引き受けられない。
 結局、オルセルタはつれない態度を崩さないまま、踵を返した。第二階層で完結できそうな依頼を探し損ねたが、留まっていたら、どれだけしつこく言い寄られるか、判ったものではない。
「私たち、これから新人育てなきゃいけないの。面倒ごとには付き合ってられないわ」
 酒場の親父は、あからさまに肩を落とした。
「新人育てって……なんだよ、樹海の先に進む気満々じゃねぇか。諦めて、依頼事専門の冒険者になってくれるんじゃなかったのかよ。そんな噂聞いてたんだけどなあ」
「そんなの噂ですら流れてないわ! 勝手に決めるんじゃないわよ!」

 シトトに顔を出し、いつもより多めの薬品も含めて買い物を済ませる。金細工の分の二千エンを取っておかなくてはならないので、予定通りの買い物はできなかったが、それでも、ルーナに鎧刺剣エストック小型円盾アスピスを、ヴェネスに火炎砲フレイムキャノンを買い与えることはできた。
 ちなみに『砲』といえば、一般的には、携帯できない大型射出武器、その中でも火薬を利用して弾丸を射出するものを指すのだが、ハイ・ラガードでは、携帯できる銃、普通のものより大型の口径を持つものを指すこともあるようである。銃身こそ狙撃銃よりはるかに短いものの、全体的にがっしりとしていて、ガンナーの少年の手には余る印象がある。しかしヴェネスは危なげなく新しい武器を構えて見せ、感嘆の声を上げた。
「すごい、似たようなコンセプトの銃は、ボクがいたガンナーギルドでも開発を試みてましたけど、材質の強度不足でうまくいってなかったんです。やっぱり、ハイ・ラガードには、良質の素材と、その素材を加工できる職人が揃ってるんですね」
 ひととおり、鍛錬に赴くための準備が揃ったところで、オルセルタはシトトの娘に声を掛けた。
「……エルナクハさんにお見せした駒、ですか? ……ああ! あの金細工のですね!」
 とん、と出された金細工の駒の正体を、『ウルスラグナ』の誰も、すぐには特定できなかった。鎧を付けていないから文人か、とアタリを付けられた程度である。なにしろ、『神手の彫金師』作の駒が示す地位は、通常のそれが示すものとは微妙に違う。
 とはいえ、さほどの時間もかからずに正体は察することができた。戦駒の駒の意匠として鎧を付けそうにないものは、三つ。『王/公王』『女王/公女』『僧正/学者』。そんな中で、明らかに女性の顔立ちではなく、本らしきものを携えているとしたら、正体は火を見るより明らかだろう。
 なんとも、不自然なほどに運のいい話である。
「売れちゃってたと思ってたわ」
 肩をすくめて心情を素直に吐露するオルセルタに、シトトの娘は苦笑いめいた表情で応じた。
「実は、一昨日、エルナクハさんがお帰りになった後、武具の入荷が多くてですね……ここって、冒険者の方たちのご来店が多いじゃないですか。だから、そういうもののお手入れと展示に時間がかかっちゃって、この彫像のことは後回しになっちゃって……」
「まだ売り物にはなってない、と? ねえ、それ、譲ってもらってもいいかしら」
「もちろんです! 『ウルスラグナ』さんが欲しいっていうなら、お譲りするつもりでいました」
 ただ、とシトトの娘は言葉を続ける。
「仕入れ値でお譲りしないと、お金が合わなくなっちゃうから、ちょっとお高いかもしれませんけど……」
「兄様が、二千エンって聞いたって言ってたけど、それでいいの?」
 オルセルタが金額分の五十エン金貨をカウンターに積み上げると、シトトの娘は、ひぃ、ふぅ、みぃ、と勘定した後、顔を輝かせた。
「はい、ちょうどありました! お買いあげありがとうございます!」
「水を差すみたいだけど、ちょっといいかしら?」
 不意に、オルセルタの背後からドゥアトが顔を出して問うた。
「いろいろ便宜図ってもらっちゃってありがたいけど、大丈夫? 倉庫バックヤード商品を直接売っちゃったり、儲けも出ない値段にしちっゃたり、商売としちゃ大変だと思うのだけど?」
「大丈夫です! お父さんには私から説明しますから。私、頑張ります!」
 むふー、と、鼻息も荒く、シトトの娘は決意の相を見せる。
 そこまで言われたからには、こちらから余計な気を回すのもよくない、と『ウルスラグナ』は思い、好意を素直に受け入れることにした。
 これから冒険に出る身、柔らかい金細工を理由なく持ち歩くのも破損が心配なので、戻ってくるまで店に預けたままにしておくことにする。
 交易店を辞しようとする『ウルスラグナ』の背後に、シトトの娘の声が届いた。
「あ、そうだ。新製品情報です! 明日か明後日くらいには、『精神力回復薬アムリタ』が並ぶ予定です。よかったらお買いあげ下さいね!」
 興味をそそられたのか、ドゥアトが振り返って、こんなことを聞く。
「ハイ・ラガードのアムリタって、材料は何?」
 エトリアのアムリタの材料は、コケイチゴだったり蜜だったりと、甘味が強かった。果たしてこの地では、どのような調合をなされているのか。コケイチゴはこの地にもあったのだが――。
「はい、コケイチゴと、蒼石の腕です! ドクトルマグスの皆さんが調合してくれました!」
 ドクトルマグスを除く『ウルスラグナ』一同は、思わず顔を見合わせた。
 巫医達の療法に鉱石粉を使うものがあることは承知している。明らかに薬効があると判っていたら、メディックも使うだろう。実際、エトリアでも、ある病気の特効薬を作るために、施薬院の院長が、遺都シンジュクの壁材を所望したことがある。しかし、よりによって『蒼石の腕』。第三階層上層に出没する『危ない石像』と呼ばれる魔物の腕である。そんなものに薬効があるんだろうか、と、
 調合者や、彼らに信を置いた交易店を、疑うわけではない。頭ではそう思うのだが、心の方が納得するには、少し時間が必要なようである。

High Lagaard "Verethraghna" 3a-55

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